幕間:永年竜王と小竜姫の覚醒
その施設は離宮と呼ばれている。
聖竜皇国の実体のうちのひとつ、聖竜教会が管轄する宗教施設。
同時に、竜王の一族のみが使役できるという神話生物『永年竜王』の卵でもあった。
半ば地中に埋もれた完全球体は、未だ内部の97%が空洞。
永年竜王は強靭な神話生物である反面、誕生までに『永年』という無限に永い時間を必要とする。
強大な力を持つ神話生物の復活は竜人種・吸血鬼・魔族・獣人等々、各勢力の悲願であり、同時に大国アルセイアが敷いた条約における禁止事項だった。
「目覚めないではないか!」
香のする蝋燭を明かりにし、床面が文様で埋めつくされている宗教施設の中心で、少女の憤る声が静謐さを台無しにしてしまっていた。
恐れ多く礼を尽くして畏まる聖竜教会の教授や聖竜皇国の要人を取り巻きに、竜ヒトの少女が周囲に当たり散らしている。
ただ彼女の背から生える竜の尾は、美しく磨き上げられた鱗に覆われており、肉の少ない少女らしい二の腕よりは太い。
小柄で、細めで、色白で、髪服飾りと全体に赤めで、美人だけれど美人と呼ぶにはまだ未成熟な少女。
彼女の指先はちくちくと痛覚を発し、直前に行った魔力の消費で毛細血管が切れて赤らんだ肌が痛ましかった。
「これだけ魔力を注いで微動だにせんのでは魔力の無駄ではないか! 全くの徒労だ!」
「無駄ではありません、確かに反応はあります! やはり古代戦艦イリスヨナが近くにあるほど、永年竜王は活発に活動するのです」
「お前たちがそう言ったから、あの古代戦艦と巫女姫の奪取を仕掛けて、お前たちが失敗を大陸世間に晒したのではないか!」
不快なことを思い出して、少女の不機嫌に鬱が混じる。
「聖竜皇国と我がどれほどの恥をかいたか! 学園でも田舎と小競り合いをして恥をかいた大国の姫などと影口を!
そうでなくとも我の世代は『虎の娘』や『巫女姫』と比べられるというのに」
『虎の娘』というのはエーリカ嬢の髪色のことを言い表しており、彼女は鉄道女王であり大陸鉄道百貨店の株主かつ顔として同年代の羨望を集める公爵令嬢、同時に大国同士が衝突する戦争の最前線で戦う戦士であり、現在は敵国が優位に立っている戦争において鍵となる対古代戦艦の専門家でもある。
また『巫女姫』は数居る古代戦艦の巫女の中でもイリス個人のことを指し、彼女は巫女姫として古代戦艦イリスヨナを未知の段階へ『覚醒』させ、また貴人でありながら起業家として海浜辺境に海産漁業という全く新しい巨大産業を起こしつつある。
ーーということになっている。
彼女が学ぶ大国アルセイア中央にある学園でも、話題は『エーリカ嬢とイリス嬢』のことが多い。
近い世代まで含めてもなお突出した話題性を持つ2人がいるせいで、同年代の貴人の少女たちはどうしても比べられてしまう。
若者世代の憧憬を集めてもいるが、肩身が狭く感じてしまう同年代の者もいる。
「姫様、聖竜皇国の悲願が成就する日は近い」
「その『もうすぐ』が、明日か、明後日か、100年後かもわからんというのだろうが! 話にならん!」
そういった険悪な雰囲気をまるきり無視して。
不意に、ガラスの割れる小さな音がした。
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『良いのか?』
『トーエにはまだこの世界が必要』
『そうか』
機関長こと『レミュエル・ジエンド・ガリバー』の声は遠く古代戦艦イリスヨナの機関室にて発されたものだが、チセにだけ届いていた。
『チセよ、儀式としての体裁を保つのだ。せめて祝詞だけは忘れずにな』
チセは無言でうなずき、ひとつ長めの瞬きをすると、少し遅れて答えてから。
「うん。ーー来い、『チセの槍』?」
『なぜ疑問形。チセよ、もう一声』
「わかった。『phlogiston retronym<仮称反燃素酸化阻止触媒>』投入」
『その命名は掌砲長だったか? まあ及第点だな』
チセの小さな手のひらに針金でできたフォークが出現した。
「続けて結界を展開」
『<魔法陣>な? あと単に事実を淡々と述べるのは祝詞として結構ギリギリラインだぞ。改善すべきだ』
上級魔術師は魔法陣を急造するために宝石を撒くことがある。
だがチセが撒いたものは宝石ではなかった。
『アルカリセルロースか』
「掌砲長がくれた」
『経時する触媒には最適か。なるほど、さすがは破戒錬金術師。歩く重化学工業複合体だな』
最後に、槍の石突で突いて足元の試験管を砕く。
手のひらサイズの槍はまったく足元に届いていなかったが、何故か砕けたし、無音だった。
『砕く音が先に鳴っておったが、些末なこととしておこう』
「うん。完璧」
むふぅ、と満足げに鼻を鳴らすチセに、機関長は一応ひとこと言っておく。
『あくまで今後の課題、な?』
割れた試験管の破片が散らばっていた床。
音で視線が集まった床を起点にガラスが集まり、宙に浮いた試験管がチセの手のひらに収まる。
それは実際にはガラスの割れた音ではなかった。
「『ゆらぎの数なくなるときまで』」
どこか投げやりなチセの祝詞。
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だが周囲の視線は突然現れたように見える童女、そしてチセの手元で起こった儀式の副産物、試験管再生の『奇跡』へと集まる。
「復元魔法!?」
「まさか、あんな小さな少女の魔術が時を遡ったのか?」
そして異変に気づいた誰かが天井へと注意を向けた。
「見ろ! 永年竜王が胎動している」
神話生物の胎児はまだこの世に実態が存在せず、離宮の天井に影のみが映り込む。
その影が胎動している。
「動いた!?」
「バカな! 永年竜王が復活するには早すぎる。動くはずがない!」
聖竜皇国の教会が総力を上げてなお、寝返りすら打つことのなかった胎児の影が、腕をもがくかのように首を動かした。
「この少女に反応している?」
「まさか、本当に覚醒するのか!?」
「ちょっと待て、『本当に』とは何だ? お前たちは我に嘘を言っていたのか!?」
「いえ姫様、決してそのようなことは!」
小さな諍いを轢き潰すかのように、声が離宮を満たす。
『永遠の時間をかけて無限の成長をするからこそ永年竜王は無敵なのだ。
たかが永遠程度の刹那も待てんとは、竜の血族も凋落したものだな』
場を沈黙が支配する。
『チセよ、我様ちゃんの言葉を届けてくれないか』
「もうした」
『頼むから時系列を守ってくれ』
「どうやってここに入ってきた!? お前たちは何者だ!」
『我様はチセの師匠だよ。『機関長』と呼ぶが良い』
聖竜皇国の要人たちの中に、その名乗りで古代戦艦イリスヨナとの関連に気づく艦船知識のある者ははいなかった。
そもそもチセの姿を視認した段階で、いま敵対しているイリス漁業連合の幼等部制服を着ていることに気づくべきでもある。
『しかし我はともかく、チセに名乗れとは奇妙なことを言う。
お前たちは揃いも揃って、忠を誓った王の血統を忘れてしまったのか』
「チセ・アルバーロ・アルバーロ」
チセは遅れて自己紹介をした。
「イリス漁業連合 海洋技術学園幼等部1年 名誉小学生」
『あるいはお前たちが望む返事はこうだ。
永年竜王を統べることのできる竜ヒトの純血統。
彼女以外を<傍系>と再定義する、祖系たる竜王の輝かしい<末代>』
掌砲長の言葉を受けて、場の視線がチセの股下に集まる。
そしてスカートの下、股の間から生えて童女の細い足の倍はある、竜ヒト固有の肉の尾を視認する。
尻尾は元から生えていたのか、いま唐突に出現したのか、もはやその場の誰にもわからなかった。
「ふ、太い」
ある者は感嘆し、また別の者は驚愕の声を漏らす。
「そんな馬鹿な! 正当なる王統は先代を最後に滅んだはずだ!」
「だが、しかしアレは」
表面を覆う硬い鱗のように見えるソレは、原子よりも小さく無限に精細な羽毛からなる硬く靭やかな羽根。
「肉厚だけではない。整然とした並びの、艶消しでありながら鈍く輝く鱗。なんと美しい」
「5代前の太閤殿を想い起させるな」
「ああ。王家の血閥が豊かだった頃の記憶が鮮明に蘇ってくる」
「だが独特の艶がある。これまでの王家の誰にもなかった色香だ」
疑う者も理性が警戒しているだけであって、直感はすでに眼の前に現れた存在を受け入れていた。
「まさか、まだ竜王の血が残っていたとは」
聖竜教会の宗教家や教授たちの中には、嗚咽を漏らして泣き崩れる者もいる。
自分たちも関わった愚かな後継者争いにより失われ、薄い血の傍系を祭り上げなければならず。
竜ヒトの命が吸血鬼のように永いからこそ、苦難はあまりに長すぎた。
王の血統が失われた聖竜皇国の後悔もまた深い。
とはいえ、チセは滂沱の涙を流す彼らとは個人的な縁はないため関心がなかった。
チセが見つめて話しかけるのは、先程比べられて竜の尾の太さを『大したこと無い』とされてしまったばかりの、傍系の竜王の血の娘。
「永年竜王が欲しい?」
「そうだ」
あまりに堂々とした態度を前に、彼女は意味不明な問いかけに答えてしまう。
答えてから、なぜ素直に答えてしまったのだろう、と訝しむ。
訝しむが、欲しいのは事実。
『傍系の中では最も血が濃い』という理由で祀り上げられ、大切に扱われると同時に純系ではないという視線を向けられて。
永年竜王の復活はそれらを払拭することのできる王冠であり、だから欲する。
そしてチセは、欲しいのなら理由はべつに何でも良かった。
ヨナはかわいいチセが好きで、チセはチセとトーエを好いてくれるヨナが好き。
そして、ヨナのイリス漁業連合は永年竜王のせいで迷惑を被っている。
チセからすれば面倒を呼ぶだけの厄介者でも、欲しがる奇異なヒトというのは居る。
欲しがってうるさいなら、あげてしまえば問題は解決する。
だからチセの理解に基づき『ヨナが用いる解決法』をそのまま適用して、まるごと問題を他人にうっちゃることにした。
ついでにいえば、ヨナが『自由意志』を偏愛しているからこそ、チセも少女に対して『相手の自由意志に基づく同意』をわざわざ確認した。
ヨナを参考にしたそれが世間に言われる『同意』とどの程度共通しているのかは、チセにはわからないし関心もなかった。
「あげる」
永年竜王の支配を少女に移譲。
幼児が、皿の上にある嫌いなニンジンを隣の子の皿に載せ替えるように。
チセの用事は終わった。
「さようなら」
別に深い意味などない、別れの挨拶。
瞬間、古代戦艦イリスヨナの衝角が離宮の壁を粉砕して飛び込んでくる。
まさにタイミングを見計らったとしか思えないような、どこまでもチセにとって都合の良いタイミングでの登場だった。