幕間:聖竜隠密部隊の壊滅 / 仲間の最後
大国であれば禁術や員数外の裏魔術師を抱えているのが当然。
聖竜皇国が密かに囲っている地域制圧級魔術師。
呪術系の魔術師というのは、童話に語られるように本当に目が窪んでいるのだと知った。
「この死霊術でな、増殖する死者を作り出してな。
ゴホッ、うひっ」
禁呪の反動で潰れた喉と臓器を労りながら、禁呪遣いはニヤニヤと嗤う。
「あのヒトがひしめき合うほど過密な町は、ひとたまりもないであろ」
俺の任務は禁呪遣いの護衛。
俺はまだ若手で実戦経験は浅いが『隠密任務ができる竜騎士は貴重』という理由でそこそこ重用されていて、最初は『新浜』攻撃の下調べとして、臨海辺境国に潜入していた。
空襲当日は巻き込まれないよう現場から離れていたのだが、終わってみれば信じられないことに重爆撃竜が全滅していた。
潜入偵察が、再攻撃任務に変わった瞬間だった。
もういちど空襲をやるのは政治的に難しく、聖竜皇国は検討のすえ、少数部隊を使って魔術師による非正規な呪術攻撃で報復することに決めた。
まっとうな侵攻ではなく天災を装うというやり方に思うところはあるが、皇国の決めたことなら竜騎士として従う。
新たに禁術遣いを護送・密入国させる任務を与えられた。
たった1人で町をひとつ潰すことのできる魔術師は貴重で、これまた貴重な隠密活動のできる静かで小柄な竜種を割り当てられた。
とはいえ、もう竜の持ち込みに前回と同じ大陸鉄道は使えない。
隠密任務のため補給も細く、よく食う肉食竜の餌に魔獣や現地民を与えながらの国境超えは困難な任務だったが、特殊部隊の竜騎士の誇りにかけてやり遂げた。
魔術師と共に近くの森の中で魔術陣の設営をしながら、その瞬間まで攻撃準備は順調に進んでいた。
----
その遭遇に予兆はまったくなかった。
だが出会った瞬間に『見てはいけないものを見てしまった』のだと、これ以上なく理解させられる。
紫色の単色なのに三毛猫で、尾は2本あるいは9本、足は2本あり3本あり4対あり100本あり、あるのかないのか判然としない瞳と目が合ったのに何も見えない。
有るのに無い口を開き、巨大死霊術を麺類ひとすすりのようにちゅるんと飲み込んだ多脚猫は何事もなかったかのように平然とした態度で去っていく。
『おぷ』とひと鳴きしてから、木々の合間を『手前』へと歩いて。
理解不能な出来事が眼の前で起こり、終わったときには国有秘術と禁術魔術師は最初からいなかったかのように消えていた。
彼自身がかけているはずの幾多も重ねた護身魔術も魔具も、発動の兆候すら見せることはなかった。
時間をかけて地面に描きすでに魔力も流し込んであり、呪術防御もされていたはずの魔術陣は一瞬で消失した。
作戦に支障が、いや極秘作戦は完全に失敗。
行動はともかく完全に逃げる気持ちで愛騎に振り返ると、愛騎の竜はすでに事切れていた。
先ほど洗ってやったばかりの鱗には、艶めきが面影も残っていない。
戦場でも見たことのない、雑然とした竜の死に方だった。
七転八倒の体勢で、鱗の残骸をあたり一面に撒き散らして。
死後も堅いまま長く残るはずの竜の鱗が、どういうわけか枯れ葉のように萎びて見る影もない。
半端な魔術攻撃では1枚も砕けないため甲冑にも使われる貴重な鱗が、すべて枯れ果てていた。
竜の死に顔は『苦痛』の一言。
開いた口から舌を出し、途中に噛み締めるあまり牙は砕け、藻掻いた爪は無残に割れていた。
水気を失いぽっかり空いた眼窩だけが苦痛の痕跡を残しておらず、他はすべてむごたらしい死に様を痕跡に残していた。
枝の折れる音がして、地面に放り出された戦友から空を見上げて視線を移すと、クリリとした丸い目の奇妙に可愛らしい生き物と目が合った。
「と、鳥?」
魔獣、怪鳥の類には違いないはずなのだが、見たことのない姿をしていた。
子供が抱えるぬいぐるみのような見た目に、木々から頭を出すサイズ感が合っていなかった。
その鳥は、騎乗竜に並び立つ体躯でありながら、まるで小さな雛や赤ん坊のような印象をもっている。
まるで知性を感じない瞳は丸くテカついてクリリと大きく、不思議とかわいらしい。
肩よりも後退した腰羽に、羽毛があって、牙がない。
口もないのに喉の奥から、くるるるう、と奇妙に可愛らしい鳴き声を発した。
首両脇についた幼さを連想させる綿毛の膨らみがひときわ大きく膨張したかと思うと、まるで魚のエラのような艶めかしい肉襞が覗く。
多段で複数ある割れ目から、ぶおおおお、という明らかに鳴き声とは違う低音を発しながら、さきほど吸い上げたばかりの赤い体液を撒き捨てた。
畑に水を撒くかのようだった。
霊薬として重用される竜の血を大量に、まるで吸い取った後のことには興味がないといわんばかり。
マトモな魔獣なら地に落ちた血液1滴を奪い合って舐めることもあるそれを、無造作に撒き散らす。
ここまでの邂逅が一瞬、目が合った次の瞬間、ソレの視線がふっと俺の隣を向いた。
べつに深い意図はなく、どちらでもよかったのだろうが、ソレの視線が向いたのは俺の同僚で、同僚は次の瞬間には何かに足を絡め取られて森に引きずり込まれた。
「助けて、嫌、いや、いやだああああ! ひいいいいぃぃっ! ぃぃ、あ」
仲間の悲鳴が途中から、喉奥だった穴から鳴る乾燥音に変わって行く。
『ガサガサ、ボキ、バリバリ』
悲鳴が途切れて、森の中に鳥の鳴かない静寂が一瞬。
枯れ木のようなものが落ちてきて、衝突でボキリと割れたソレは乾燥後100年は放置されたような仲間の成れ果てだった。
鳥ではない。
あんな鳥がいてたまるか。
だが足が動かない。
そのうち、同僚を引きずりこんだもののの正体が現れる。
「尻尾?」
それは孔雀の尾羽根に太い胴がついたような物体で、重力を無視した艶めかしい動きが、美しい羽根に覆われているのに濡れそぼった粘膜で出来た触手のように見えた。
騎乗を失い同僚を眼の前で惨たらしく惨殺されていま、すでに逃げ足さえ萎えていた。
かろうじて首だけ動かせた視線の先に、求めた救いはなかった。
「た、たいちょ」
振り返ると、隊長は『開き』になっていた。
尻尾がさらりと隊長を撫でただけで、甲冑ごと腹がずるりとずり落ちたからだ。
あまりにも鋭利な断面により痛みはないようで、深まった眉間の皺は苦痛によるものではなく、
『なあ、いま俺に何が起こっているんだ?』
という、驚愕よりも疑問のほうがはるかに大きいものだった。
潜入任務の期間中にふらりと立ち寄った食堂、そこで『アジの開き干し』を初めて見たときは気味悪いミイラがあるものかと驚かされたが食料とは思えない見た目に反して香ばしい香りに柔らかな身が味わったことのない海鮮というものの豊かさを舌で感じて海洋資源とこの地は聖竜皇国がぜひ手に入れるべき新たな植民地だと任務の重要性を再認ーー。
「うえっ、ああああああああ、ゲホ、ゴボぉ」
自分の悲鳴に混じって嗚咽、そのまま嘔吐した。
死体ではなく、生きた人間が吊るしで解剖されている姿。
それも親しい上官のそれともなれば、理性は一瞬で擦り切れた。
「気を遣ってくれた? ありがとう?」
近くから声がする気がした。
「せっかくの機会なので。所見。心臓が細長く丈夫。けれど心室の壁が不完全? 竜ヒト種の混血は興味深い。覚えていたらあとで心房を開く。先に口頭で診察」
聖竜皇国が誇る無敵の竜騎士部隊、その前任たちがどうなったか、やっと理解した。
理解したときにはもう手遅れだったが。
「臓器は綺麗。喫煙、飲酒の習慣はある?」
「飲酒はあるぞ。毎日飲んでる」
「一日の酒量はどの程度?」
「瓶2本は飲む。なにしろ私は聖竜皇国の誉れ有る竜騎士でーー」
「酒量のわりに、肝臓、大変健康的な色をしてる。肝硬変の所見もない。飲酒習慣の影響がまだ出ていないように見える。確認する?」
言いながら引き出された自分の肝臓を見て、隊長は微笑んだ。
「あはは、意外と綺麗なもんだな。健康なんか気にせず、もっと飲んでおけばよかった」
腸はすでに先に取り払われたあとだった。
直前に「邪魔」という一言が聞こえたような気がする。
腹腔はぽっかりと空いていて見通しがよく、隊長本人が見下ろす視点からでも他の臓器が並んでいる様子がよくわかる。
「心臓が動いてる。まだ動いてる。生きてる。俺は生きてるぞお。あはははは、生きてるってうれしーな」
隊長が顔をしかめた。
「呼吸が苦しい」
「肋骨を取り除いたことで胸式呼吸ができなくなった。横隔膜が残ってるから、深呼吸。お腹から息を吸ってみて」
「ふー、すー、確かに楽になるな」
生きたまま解剖されている隊長が、解剖している何かと会話している間、俺は眼の前で起こる狂った出来事にずっと悲鳴をあげ続けていた。
だが喉からは声が出ない。
うるさいという一言の直後、俺の声帯は切除されていたからだ。
いつのまにか俺も逆さまに高く吊るし上げられている。
俺の首に刺された管から血液が引き出され、隊長の身体に流し込まれていた。
隊長の足元にはヒト1人分はゆうにあろうという大量の血液が水たまりをつくり、いま現在も湖面を広げ続けている。
そのうち、どこか間近から注がれていた好奇心と視線が、ふっと消える気配があった。
とどめを刺すことにも後片付けにも、興味がないらしい。
先ほどまで何者かがいたのは間違いないのだが、何なのかは最後まで判然としなかった。
恐ろしい怪物の正体を、知りたくもなかった。
血を失い、意識が遠のく。
意識を失った後にどうなるか、わかる気がしたが、構わないと思った。
こんな狂った状況から開放されるなら、進んで意識を手放す。
いま最も怖いのは、次に目覚めたときに自分が隊長と同じ目かソレ以上にされていることだけだ。
だからむしろ早く意識を失って、そのまま2度と目覚めたくなかった。