零号機暴走事件 / 『翠玉』風洞事故とその顛末
(都合により本エピソードは時系列として過去のものとなっています。後ほど並び替えする予定です。)
ヨナは最初こそ青ざめて心配していたものの負傷者はなく、顛末をきいてからはクスクスとこらえ笑いをしている。
事故状況的には、笑っていられる状況ではないのだが。
イリス嬢も事故状況よりヨナの愉快そうな様子が関心ごとらしく、心なしかご機嫌のようすでさえあった。
新造したばかりの風洞試験室。
無機質で四角い、灰色の部屋から上を見上げると、青空が広がっており、天井は吹き飛んで跡形もない。
後方には、風洞建屋の壁を突き破った航空艦船『翠玉』零号機の残骸が隣の建物に突き刺さり、建屋の防護壁から溢れ出た警備用の粘着剤に取り硬められて停止していた。
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事故発生の経緯は次のとおり。
『翠玉』零号機は、金属単葉飛行機の製造工程そのものを探るための実寸模型で、作ったあとは決まった使いみちもなく製造所の隅に放置されていた。
ところで、美術家というのは少なからず1点物主義者だ。
つまり風洞用の弐号機よりも、零号機のほうが『出来が良かったなー』みたいなことを言い出す者がいる。
一方で、弐号機は風洞用として熱心にヤスリがけされていたりするので、どちらの機体にも思い入れが強い者たちがいて、互いに言い争いが発生。
また事実として、零号機の頃は設計が未完だったため『震電』の影響が強く、微妙に形状が違う。
形違いによる空力への影響を確かめたい、という事情もあって、特に使いみちもない零号機をちょっと風洞にかけてみるか、ということになった。
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ところで風洞実験というのは、機体が風を受けて十分な浮力を得られるか、姿勢を崩したりしないかを検証するために行う。
方法としては、風が前から後ろへ流れるように作った室内で、模型に風を当てて、飛行機が空中を飛ぶ状態を再現する。
風洞室内に固定した『翠玉』零号機の周囲を流れる気流の流れる形をみる。
透明な風を見る方法はわりとアナログで、風上から煙を流すか、機体模型にふせんのようなテープを張って動きの変化を観察する。
風洞室に零号機を持ち込み、試験は最初、ちょろちょろと微風で始まったのだが。
『もっと風速を加えてみればより表面処理の滑らかさがよりはっきりする』
『零号機はもっと風速に耐えられる』
『見ろ主翼の不動なまでの硬さ、ドラゴンなんか屁でもないぜ!』
『絶対離床速度まであと20!』
などと、風速を増すたびに作業員たちのテンションが上がっていく。
イリス漁業連合が用意した風洞実験室は、アルドベアエンジン3機により風をつくる強力なもの。
そしてある瞬間にそれが起こった。
めくれあがる主翼の外皮を見た瞬間に、<ウォル>主任がハイテンションになっていた頭で考えたことは『これはいいデータが採れるゾ!』だったと、のちに証言している。
風洞室内の『翠玉』零号機が固定具を破壊して暴走。
模型内部に流入した空気が恐らく渦を巻きながら外皮を押し上げた結果、強度設計の甘かった鋲は逆方向に弾け飛び、外皮はバラバラと舞い飛んだ。
そのうち1枚が当たったため(一瞬のことであったため証言が曖昧)機体固定具が機体ごと床から抜け、データ収集ケーブルを引きずりながら、風洞操作監視室の窓にエンテの機首が直撃。
さらに風圧と外皮の衝突により、天井が剥離しはじめる。
この時点で、風洞オペレータの1人が緊急停止装置を作動させ、風洞装置のプロペラシャフトを自爆。
(なお、プロペラ自爆装置は『翠玉』に搭載予定の緊急脱出装置の前身となる予定の仕組み。)
だが自爆の衝撃と、半分吹き飛んだ屋根に斜めに立ち上がった零号機により風洞室内で風が巻いた。
結果、プロペラ片が勢いよく機体と監視窓に突き刺さる。
また機首は風見鶏の要領で数度にわたり監視窓を打突して積層強化ガラスを粉々にした。
零号機はそのあと固定具をねじ切って完全に破壊し自由となる。
手裏剣のようにバク転しながら風下へ飛んでいき、吸気構造と外壁を破壊して屋外へ出たあと隣の建屋の壁を半壊して止まった。
また、この間に残りの天井はすべて吹き飛んだ。
以上が『翠玉零号機暴走事件』のあらましである。
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被害者の確認など、諸々の初動対応が終わり。
関係者を集めて、いまは全員を正座させていた。
反省を格好で示すなどというのは実利を好むヨナの大いに嫌うコトだが、日本のヘンテコ文化である拷問のような座り方にも、使いようはある。
足がシビれる印象深い反省のしかたをすれば、記憶に残る。
繰り返し使うと慣れてしまうのでダメだが。
事故調査のヒアリングが終わり、これから事故現場の片付けを始めるところ。
なんやかや、身体を動かすとヒトはスッキリして事態を過去の出来事として流してしまうので、片付け作業前に反省させるにはちょうどいい。
駆けつけたトーエは事故調査のヒアリングで事情を聞いたあと、広報科メンバたちをまとめて黙らせている。
別に怒っても凄んでもいないのだが、広報5科のスタジオ5組メンバは大人しく反省の色を示していた。
いまは美術畑人材の奇人っぷりは封印しており、どうやらトーエによく訓練されている。
<ウォル>主任も風洞パラメタをいっぱいまで上げた張本人なので、正座する集団に混じっている。
ヨナにひととおり安全軽視を絞られたあと、いまは無言で後片付けの算段と風洞実験のリスケジュールを考えているのだろう。
ヨナとイリス嬢は、何もすることがないからか、目的もなく周囲をうろうろとしている。
大の大人たちが揃って反省ポーズをとらされる眼の前を行ったり来たりする童女の構図はどうにも面白おかしい気配がある。
やがてヨナは立ち止まって言った。
すでに注意お叱りが終わっているため、ヨナの言葉は柔らかかった。
「ワクワクしちゃったのはしょうがないわね。でも一歩間違えれば大惨事だったところよ。
次から安全に気をつけてちょうだい」
ヨナはどうにも人命には関心があるが、設備に愛着はないのだった。
風洞室も安くはないのだけれど。
まあ、事後処理と処罰はこちらできちんとやるとして。
ヨナはどうにも、他人の望みや楽しみの結果として起こった出来事に対して甘い。




