イリス漁業連合の日常業務1 / 漁船戦艦のおしごと
大規模作戦の実施が決まったあとも、日常業務は続く。
フーカは5時に艦長室で起床。
装いをととのえて発令所へ。
駆逐艦『雷』発令所では、主計科・船務科・警備科保安部が、艦長より先に業務を開始していた。
夜行性な種族が主体となっている夜間整備班から艦を引き継ぐ。
「整備班より報告を2件。
まず、昨日の終業時点検にて報告いただいた右潜舵の異音は軸受けの歪みによるものでした。
通常運用は問題ありませんが長期戦闘を行うと故障の危険があります」
「影響範囲は? ドライ・ドックでの重整備がすぐに必要かしら」
「右潜舵のみです。修理は2日後の定期整備の際で問題ないと考えます。通常運用および本日の航行に問題ありません」
「もう一件は?」
「装置の生産遅れにより艦間有線の更新作業が1日遅れています。工事完了日も伸びました」
艦間の有線電話は架空線とともに開発途上で故障が多いし、更新による部品交換が頻繁に行われている。
「すみません」
「大丈夫よ。了解したわ」
技術部の判断に口を挟まない。
拙速であってもまずは謝る。
整備班員の彼はいま、自分の所属組織に非があったことを自分のことでないのに謝っている。
これは意外と組織からの周知徹底が難しいことで、イリス漁業連合では職員教育でフーカとトーエがいろいろ工夫してやっている。
口頭連絡のあと、仔細の書かれた書面を受け取って目を通す。
あとは定形のやりとりで引き継ぎが終了。
「暫定サービス稼働率92%、艦体温は25.7度で平熱。駆逐艦『雷』の恒常性に問題はありません。報告は以上です」
「ありがとう。艦長フーカ、業務にもどります」
7時に出港。
海防艦『松輪』『隠岐』は、それぞれ整備中のため、本日の漁業には参加しない。
エイ型巨大海獣の討伐では全艦出撃するために特別シフトを組んだが、イリス漁業連合が所有する人造艦船の全艦が同時に稼働していることは原則ない。
現代艦船を運用するには検査と整備が欠かせないからだ。
もしもの場合に艦を残すためでもある。
あとはまあ、どんな間隔で何を見て点検すればいいのか、データを収集しているのもある。
なにしろ艦船の主機などというものは、人造艦船もろともこれまでこの世界に存在しなかったのだから。
11時に寄港し水揚げ作業。
漁業については、陸が見える近海でちょっと場所を考えて何度か網を落とすだけで十分な収量を確保できる。
海獣の危険があるものの『ちょっと裏山で山菜集めてくる』感覚でもあった。
収穫物を網ごと引き渡したあとは、食事の前に乗員である職員たちの体力向上のため、運動の時間に充てる。
マラソンだけパスして柔軟とウェイトトレーニングを粛々と行うフーカに、副長があきれ顔で話しかける。
「骨折がクセになりますよ。このまま骨がくっつかなくなったらどうするんです」
「そんなことにはならないわよ。それに、歩行は艦長業務には必要ないわ」
艦内移動は必要だが杖なり車椅子で足りる。
「ではいざ沈没となった際は私が退艦指揮を行いますね」
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イリス漁業連合の緊急時における総員退艦のマニュアルでは、艦長と副長が果たすべき役割を記載してある。
どちらか一方が、最優先で艦を降りて本人の帰還と乗員の退艦を指揮。
もう片方は艦に残り、乗員全員の退艦完了を確認するまで艦で退艦を支援する。
艦が沈むときはほんの一瞬であり、艦を廃棄する状況で連絡途絶が起こらないはずはないので、残った指揮官は艦と運命を共にすることになる。
マニュアルに目を通したヨナは、いつものごとく苦い顔をした。
「誰が書いたのよ、こんなマニュアル」
「あたしに決まってるでしょ」
マニュアルはフーカが書いた。
乗員をひとりでも多く生き残らせる判断としてはこれが正しい。
イリス漁業連合は軍隊ではないが、乗員は全員が命を危険にさらす仕事をしている。
全体最適から見て不合理であっても、心情的に正しい理屈どおりでは許されない部分というものはある。
乗員がヒトである以上、誰かが『責任を取る』立場にいなければ納得はできない。
ヨナもそれはわかっているので、不満は言ってもマニュアルは内容に変更なく採用となった。
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「そんなことにはならないわよ」
「あはは」
いつものたっぷりな自尊心から来るフーカの答えに、副長は苦笑で乾いた笑いを漏らして。
「でもあなたなら問題ないでしょう。乗員のほうは任せるわ」
続く信任の言葉を受けた副長は真顔になったあと、返す言葉が見つからなかった。




