幕間:イリス伯領地巫女、前日婚約破棄が成立した、元婚約者との会話 / ヨナが好きになったから
「あのあと、お洋服は大丈夫でしたか?」
「ええ。あなたのところの制服ほどではありませんが、水を弾く生地を使った良い服でしたから。
レディに恥をかかせたのもそうですが、あなたに面倒なことをさせてしまった。
破棄される側が先に何か失礼をしなければならない、というのは、このしきたりが発生した経緯がわかりやすいですが。
婚約破棄を発表するだけなのに、変な話ですよ」
「そうですね。わかりやすい関係破断のきっかけがないといけない、というのはわからなくもないですが」
「これで婚約破棄が発表となったので、表側で手続きが始まります。
終わるまでにまだ3ヶ月ほどかかるでしょうか。
今回のことをイリス家の失点扱い。
見返りとして、我が家もイリス漁業連合へ投資で噛ませていただく。
すべての泥を一方的に被っていただいた形だ。
そのうえでさらに良い思いをさせていただくというのは、心苦しくはありますが」
「元はと言えば私たちが始めたことです。巻き込むかたちになりましたから」
「しかし、面白い戦略です。
不名誉のうえに不利益、しかし一方で、今欲しい投資と人脈をきちんと協力者に引き入れている。
イリス家にこれまでなかったやり方だ」
「ヨナが得意とする負け方のようです。提案したレインは真似しているつもりでしょう」
「私にすべての決定権のある家であれば、本当はもっと直接、事業に関わりたかったのですが。
我が家は大きいゆえに意見がまとまらない。
距離を取って安全策を取ると言わないと、面白い事業への投資すらままならない」
「面白い、ですか」
「ええ。この国の食品産業と、たぶん魔術素材の市場が大きく変わる事業です。
起こす変化の大きさを思えば、事業のリスクは相応のものですよ。
失礼ながら、失敗を見込むとしても、むしろ買い得といっていい」
「失礼とは思いません。失敗すると考えるのは当然です。
そのうえで、事業として評価していただけるのは、大変ありがたいです」
「話が戻りますが、服といえば、妹がスイさんの制服を羨ましがっていました。すぐには難しいですが、もしちらがよろしければ、あなたのところに」
「日々、命を危険に晒す仕事です。それでも良ければ歓迎いたします」
「あなたもその危険に身を晒しているのでしょう? お噂はよく耳にします。
古代戦艦イリスヨナは何度も窮地に陥り、危うく切り抜けたと」
「いえ、私は何もしていません。それにイリスヨナの艦内は、私が知る限り世界で一番安全な場所です」
「あの船を信頼していらっしゃるのですね」
「信頼、ですか? そうですね、信頼しています」
「これが最後の別れというわけでもありませんが、良い機会ですから訊かせてください。
あの船と運命を共にすることを選んだ理由は何です? 巫女としての使命感でしょうか」
「ヨナが好きになったからです」
イリスはよどみなく答えた。
「それにヨナの方が、あなたより強くわたしを求めています。
あなたの婚約者は他の方でも大丈夫ですから」
「そういう言い方をされると、辛辣ですね」
苦笑。
「確かに、あなたの船ほどには、私はあなたを求めていなかったかもしれません。
しかしこれだけは信じて頂きたいのですが、そういう愛の形もあるのです。
それだけは知っておいて頂きたい」
「そうですか。えと、こういうときは、どう言えばいいのでしょうね。
ありがとう?」
「合っていますよ。
あなたは本当に面白いヒトだ。
それにあのまま婚約が成ったならば、あなたは私の理想どおりの妻となっていたのでしょう。
ぜひとも妻に迎えたかった。婚約破棄が本当に残念です」




