択捉危機2 / 防水扉の向こうに
メインタンクへの流入が止まらない。
漏れているキングス弁の修復に工員が集結して当たっている。
機関室区画の防水扉前と直通電話でつなぐ。
「防水隔壁はいちど降ろしたらそこからの救援が不可能になるわ。だからまだ降ろさないで。でも使えるかは確認できてる?」
『すみません副長。ここには隔壁を見れるヒトがいなくて』
「大丈夫、艦長がすぐそちらに着くわ」
スイを行かせたのは、キングス弁に投入している工員の不足に対応するためで、まさにこの状況を懸念していたからでもあった。
『え、艦長が?』
「お飾り艦長も艦内の保安設備についてはさすがに理解してるから安心なさい。それだけはあたしがしっかり覚えさせたわよ」
受話器を抱えたままでも、発令所に目配せすれば、気づいた要員たちが苦笑する。
彼らはほとんどが貴人家出身なので、状況によらず空気が読めるのだ。
応援要員の派遣と共に、電話口から笑いのガヤを伝えて、現場担当の緊張をゆるめる。
まもなくスイが到着し、現場の状況が判明した。
『フーカ、ハッチを開けて救助をしたいのですが』
「防水隔壁が故障している状態ではダメよ、スイ。ハッチを開けたら二次災害の危険もある。
他の隔壁も損害確認できていない状況で、キングス弁が治らないことには、択捉が浮力を失う事態もありうる」
拾った命だからといって、あっさり危険に晒して良いほど択捉の全乗員は安くない。
「スイ、あたしは択捉を沈めるつもりはないわよ」
『わかってます』
スイが理屈を飲み込める人物で助かる。
「いま工員が船体を修復してる。浮力を確保できれば救出作業も可能になるわ」
『副長、引き続き修復作業の指揮をお願いします』
「艦長も第三艦橋の掌握を頼みます」
話は終わるが電話は切らずに聞き取り状態にする。
キングス弁と共に、機関室前防水隔壁がいまの鉄火場だ。
「副長、324電話が救援を求めています」
「ありがとう。確認します」
言いながら入力を切り替えた、発令所スピーカの向こうから泣きじゃくる少女の声。
『助けて』
「こちらは発令所。管制名を」
『こちら324電話、リサ。わたし、まだ生きてます! 扉を開けてください! 閉じ込められて、もう水がたくさん』
電話交換器パネルをちらりと見て、機関室前に通話内容が漏れていないことを確認する。
リサは機関室補助員で、制度上の義妹として掌砲長と操舵長に世話を押し付けた末妹。
「リサ!」
『姉さま、姉さま!? 助けて』
「副長、いますぐ救援を」
「わかってるわ」
言いながら、マイクを切る。
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電話口で扉の前にいるスイを呼び出す。
「艦長、機関室前の防水扉の状況はどう? 水音はする?」
『すごい音がしてます』
「流入は止まっていなさそうね。構造の軋み音や衝突の金属音はする?」
『いえ、水音がすごくて、ほとんど』
「わかったわ。引き続き防水封鎖よろしく」
返事をまたずにマイクを切る。
「副長、どうして扉を開けませんの!? 救援は?」
「いまは船体の水密確保が最優先よ」
「副長、生存者がいることが確定したのです。救助を最優先とすべきですわ」
「キングス弁の故障が直らない状況で、いま以上の工員を送るわけにはいなかいの。
また浮力に余裕のない状況で、これ以上区画が浸水すれば沈没もありうるわ。
いまリスクは取れない」
「副長!」
「この場での最高責任者はあたしよ。判断はわたしがする」
総員退避のうえ最小限の要員で救助するという案はどうか。
救出部隊が危険なことに変わりはない。
それに同第三艦橋のキングス弁の修理を放棄することは、艦の放棄と同義だ。
受話器の向こうから、繰り返し繰り返し、防水扉を叩く音。
落ち着いた声を作りながら、受話器のマイクをONにする。
「区画の状況を報告しなさい」
『でもっ、もう水がすぐそこまで』
嗚咽混じりで錯乱寸前の声をきいて、あたしは息をひとつ整える時間を置いた。
「艦長がハッチのすぐ向こうまで来ているわ」
受話器越しに息を吸う音が聞こえた気がした。
『スイ姉さまが?』
「いま隔壁の状態を調べてる。
工員たちも排水に全力を傾けてるわ。
あなたを助けられるように、みんなが全力を尽くしてる」
嘘は言っていないが、それだけだった。
「機関室区画の浸水状況がわかれば、艦の復旧と救援活動がもっとスムーズに進められるわ。
あなたがいまどんな状況にいるか、どこまで水が来ているかだけでもいいの。
この電話口で報告して頂戴」
それだけ言い切って、あとは待つ。
ぐすぐすと鼻を鳴らす音がしばらく続いたあと、言葉がぽつぽつと漏れ始める。
『いま腰まで、ひっぅ、水がきてます。
さっきまではひざまでの、高さでした。
ぐぅうっ。
みずは、きれいです。
うすい虹色の油膜が、で、においはないです』
「ええ、上手よ。それで?」
『息は、たぶんくるしくない。
です。
ひっ、う。
死にたくない。
火災はありません。
助けて、スイ姉さま。
死にたくないよぉ。
機関室のまんなかから、ここまで歩いてきました。
が、壁に裂け目は、ありませんでした』
「副長!」
受話器を耳におしつけたまま悲壮な顔の掌砲長を見て、とっさに自分が持つ受話器の口を押える。
押し付けた耳に向こうの受話器が水没する濁音。
「機関室の気密が、救助用ハッチから水が吹き出して」
水流音がしばらく続いてから、通話が途絶した。