択捉の夕べ / 逢魔が船
穏やかな歓談の時間は流れ、夕日が沈んでいく。
赤い日の下で曖昧だった人物の輪郭が、闇夜に溶けていく。
択捉の防水扉を開けて現れる小柄な人物。
人形的な容姿に過剰演出がばっちり決まっており、嫌味に小言のひとつも言いたくなる。
「やっと登場? 大上段も過ぎるわよ」
物珍しい服装をした童女。
あまりに大きな獣の耳が、顔まで影を落としそうなほど。
桃色のリボンは夕日と闇の中で色が判別できず。
艦長スイが、近隣文化圏にない『頭を下げる』礼を、この場ではじめて見せて。
副長は適当だが、軽んじるような様子はない。
彼女が来客たちの集まる食事会の中央へ進むために、択捉の船員たちが礼もそこそこに道を譲る。
「イリス様、お疲れではありませんか?」
「ううん。みんなとごはん、楽しい」
「それは良かったです」
イリスは、ヨナの胸元に顔を寄せる。
今日までの貴人然とした振る舞いと言葉使いをあっさりと放り捨て、満たされた表情で。
ヨナはそれが当然の最優先事項として、両腕で抱きとめる。
こちらの姿のほうがイリスの年相応、と思う者はこの場にいない。
「魚料理に、カレー。みんな気に入ってくれた」
「全世界のヒトたちに試食してもらうわけにもいきませんよ」
恋人同士が睦むような雰囲気で、まるで事務的な会話を交わす。
こんなアドリブは当然、事前に読んだトーエのシナリオにはなかった。
無いと思う、たぶん。
(いや予測してたなあの女。)
心の中で悪態をつく。
というかヨナ。
愛欲を注ぐ目線をやめろ。
ヨナのそれは、童女が童女に、所有物が主人に向ける欲望の種類と強度ではない。
娼婦を見る酔っぱらいの悪漢でさえ、自分の欲に自覚的で卑屈さが交じるものだ。
だがヨナにはそれがない。
自分が注ぐ愛情の種類に、まったくの無自覚。
顔は緩みなくどこまでも真剣で、恥と保身がない。
イリス伯領地では、実効支配者の傍若無人な振る舞いとして見ればぎりぎりNGくらいだったかもしれないが。
とてもではないが、イリスを見るヨナは公の場で見せていいカオをしていない。
イリスはヨナを当然のものと受け入れて、胸に頬を擦り寄せる。
無垢な信頼が、あまりに目に痛い。
見た目の絵だけはどこまでも美しく。
実態は、異形に恋人を幻視する美女が、首元にするどい牙を添えられて。
それを助けずただ見ているような居たたまれなさがあった。
場の空気はすでに決まっている。
話を切り出せるのは、ヨナだけだった。