VS洋上怪奇1 / 海防艦択捉の水没密室
「噂、ねえ」
海防艦択捉が運用を開始して、早くも1週間が過ぎ。
艦内で、不可解な出来事が報告されていた。
寒気に気づくと、背中が異様に濡れている。
床ならともかく、天井が水浸し。
艦長であるスイといっしょに、択捉艦内の現場を見回っているところだった。
「呪術科によれば霊障ではないかと」
「でも防護はしているのでしょう?」
「そうなんですよねぇ」
いまの択捉はイリス伯亭の横、イリスヨナの母港に停泊している。
初期は出港のたびにこまかく検査していたし、毎回ドックに戻していたのだが。
まだ動力のない択捉をドックに戻すのは面倒なのだ。
装甲も未完成な択捉をイリスヨナで押し引きするのは、プリンをフォークで押して皿の真ん中に動かす感覚。
「もし乗員の精神状態の問題なら衛生科が担当かしら」
見たこと無い誰も乗ったことのない乗り物で、海獣が跋扈する未開の領域に踏み出しているのだ。
乗員たちのストレスはかなりのものだろう。
「そのあたりどう? スイはどう感じてる?」
「わたしはけっこう楽しいです」
「ならよかったわ」
船員もおおむね問題ないとのこと。
きょろきょろとあちこちに視線が飛ぶスイの様子は、艦長というより見学者のそれである。
「船員の心のメンタルヘルスは艦長の責任よ」
「ええっ、そんなこと言われても困ります」
まあそうだろう。
「いや、スイが精神科医でないことはわかってるし、そもそも100人いる船員を全員面倒見ろとか言いたいわけじゃないのよ。言葉が悪かったわ」
少し考えて。
「責任なんて言葉を使っておいてなんだけれど、別に気にする必要はないわ。
衛生科にでもひとこと言って任せる程度で。
あまり真面目にとらえても、胃を痛めるだけだし」
胃が痛くて集中できなければ、業務に差し支えるだけのことだ。
「むしろ私としては、スイには艦長という立場が絶対的に無責任なものであることを自覚して欲しいと思ってる」
「艦長が無責任、ですか」
「だって、100名からなる船員の命を預かっているのよ。責任をとるって何かしら?」
別にスイに問うたわけではない。
「わたしから言わせればね、『責任をとる』っていうのは、死者を生き返らせることだわ。
原状を復帰する以外に、責任をとる方法はない。
そして死者を生き返らせることができない以上、艦長には最初から『責任をとる』ことなんてできないのよ」
命を何かに替えることで責任を果たしたとするなんて、それこそ命にツバ吐く行為だ。
「とれない責任を、とれるかのように振る舞うのはただの詐欺」
ヒトの命は決して安くはない。
ただ、どこまでも『安くする』ことはできてしまう。
「私のいた国では、自ら腹を切って自殺することをもって、責任に替える文化があったのだけれど」
「えぇ、なんですかそれ」
想像してしまったのか、スイはどん引きの様子だった。
「切腹っていうの。まあ当然苦しいのよ」
現在も内容が陰湿になっただけで、現場作業者が詰め腹を切るところは、あまり変わらない。
「それはわかりますが、そうではなくてですね」
「ただね、スイに腹を切れと言うつもりはないし、そんなものは責任のとり方ではないわ」
死んだらすべてがおしまいなのだから、重責の苦しみもおしまい。
それはただ、その場所から選べる中で一番楽な道、というだけ。
「スイ、あなたはいつでも自分の意志で艦長の席を降りることができるわ。
ただ、座っているのはあなたの判断であると同時に、私の意志の元にいるということでもある。
むごたらしい結果が目の前に現れたとしても、それを生み出したのはスイではなく私だということは、覚えておいて」
「ヨナさんの言うことって、いろいろ難しいですね」
「そうかしら?」
「ふつうに『責任を背負え』って言われたほうが楽な気がします」
「それはそうかもね」
そうやって、楽な方に逃げていく。
自分が苦しいからと、言い訳できることのほうが楽だから。
「まあ、私がアレコレ言ったところで、船は艦長のものよ。
だから私の言うことなんて無視していいの。あなたのしたいようにしてちょうだい」
「いや、わたしはヨナさんに雇われている立場で、艦長として何の力もないんですから、ヨナさんからの言葉をそうそう無視なんてできませんし、困るのですが」
「3件目の報告ってこっちの弾薬室よね。弾なんて積んでないけど」
「え、いまのってもしかして雑談だったんですか!?」
言いながら取っ手に手をかけた私をスイが静止する。
「ちょっと開けるの待ってください」
スイの視線を追う。
水密扉の圧力計が上がっていた。
「ねえスイ、室内、どうなってる?」
こういう時、童女なヨナの身体は身長が低くて困る。
スイが扉の丸窓から室内を覗き込んで答えた。
「浸水してます。腰高まで水浸しです」