血塗れのヨナ / 戦いの終わり
吸血鬼
見えずとも、ヨナの聴覚は無数の小さな羽ばたきを検出している。
どうやら、吸血鬼がコウモリになるというパブリックイメージは本当らしい。
羽ばたきが消える時間をまって。
「ヨナ」
呼ぶ調子には優しさも険もなくて。
私は声を聞くだけで安堵する。
「エーリカ様、助かりました」
「あら、あなたを助けたと思っていいのね?」
当たり前だ。
大国アルセイアはともかく、エーリカ様を裏切るほど、私は愚かではない。
「それにしても大変だったわね。まずはシャワーかしら」
「さすがのエーリカ様もお疲れですか?」
私がそう言うと、エーリカ様は『何を言っているの?』という表情をうかべて。
「シャワーを浴びるのはあなたよ。まさか気づいていないの?」
「え」
「あなた血だらけじゃない」
ケガをしている自覚はないのだが。
痛みはなく、セルフチェックにも異常はない。
エーリカ様が指摘したそのタイミングで、日が射す。
日が昇る直前、回折した陽光が大地を染めるマジックアワー。
エーリカ様はその大変にお可愛らしいくるぶし、そこまで赤紫色に染まる、血の海の上に立っていた。
「あ」
戦闘状態にあって、認識しながら意識の外に捨てていた情報が飛び込んできて。
鉄と化学薬品の混合臭気。
周囲は、まさに血の池地獄。
遠くに見える、臨時首都を抱えた高さ300mを超える、丘のような船体。
大きな船体に、はっきりとわかるほど濃い血しぶきが塗りこめられていて。
肉で潰された家屋。
肋骨が突き立った建築。
すぐ横で陸に横たわる古代戦艦イリスヨナの白い外観は返り血を浴びて、肉を食った野生動物のよう。
エーリカ様は周囲の惨状には目もくれずに、私を見ながら目を細める。
「ひどい状況ね。それにひどい姿。でもあなたが壮健でよかった」
赤紫色の泥流の中心に、ふたりで立っている。
はっとする。
「ああ! エーリカ様のお足が」
それに靴とタイツが。
さすが公爵令嬢、この地獄の中心でも、服には血ひとつ跳ねていない。
「この期に及んで、心配することがそれなの? 私が心配するヨナを、少しは大事にしなさい」
「嬉しいお言葉です。ありがとうございます」
血のついていない綺麗な手で、血塗れのわたしの頬に触れて。
私は血塗れの顔で、どれだけ嬉しさを表現できたか。
笑う私を見て、エーリカ様は言う。
「ヨナ、これではまるで、あなたが吸血鬼だわ」