デザイナ トーエの1日 / 船とヒトの信頼 / お肌の手入れは童女の嗜み?
貴人の末席とはいえ、すでに除名されている女に、伯領地家のひとり娘の湯上がり肌を任せてよいものだろうか。
当然の疑問に対して、古代戦艦イリスヨナの化身は当然のことという口調で答える。
「トーエがチセにしていることなら、イリス様に同じことをして危険なはずがないでしょ」
ヨナさんの、私とチセの関係に対する信頼はなぜか異様にあつい。
日が沈み、昼勤の造船作業員が業務を終えて。
子女は早めの湯浴みを終える時間。
「絹のような肌、という例えがありますが、心地よさにおいて、ほんとうのヒトの肌に勝るものはありません」
ゴールが間違っていれば、技術でどうしたところで失敗する。
「特にイリス様の肌は、チセと勝るにも劣らない弾力ときめ細やかさで、乙女の理想そのものです。
ですから、これを長く守っていきましょう」
朝食と同じく、これも最近のこと、恐れ多いことに。
イリス様のお肌の手入れ指南を、任されている。
「といっても、イリス様は幼年ですから、まだお肌の手入れは必要ありません。
ですから訓練するのは、魔力を通しながら何もしないことです。
あえていうなら、ゆっくりと休ませます」
歳を重ねれば、健康な肌でも代謝を促進してはりを出すなどの工夫が必要になるかもしれない。
チセやイリス様にはまだそれも不要。
あえて何かするとすれば、圧迫や伸縮によるクセがあれば平常に戻すくらいだが、イリス様は動じない方。
「チセもそうですが、もっと表情を動かしたほうがいいかもしれませんね」
かといって無理に笑うのも違う気がするけれど。
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湯上がりのヴェールを脱いで、ヨナさんの目の間でイリス様の肌が現わになる瞬間。
ほう、と小さく息を吐くのを私だけが気づいている。
ヨナさんの目には、触れる私の手は写っていないのだろう。
そこは私とヨナさんで異なるところ。
他人がチセの肌を触れるなんて、それが誰であれ平穏な心でいられない。
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お肌の手入れは、貴人にとって美容以上の意味を持っている。
魔力を示すバロメタのひとつだからだ。
身体に適切な魔力を通す訓練は、筋力強化へ繋がり、いずれ魔力を使役する魔術へと発展する。
貴人は魔力の素養があることが多く、だから幼少の頃から自らの肉体の表面である、肌に魔力を通すことで魔術の訓練をする。
訓練として、肌の美しさを保つというのは、目的としてわかりやすく害がすくない。
毎日おなじ言葉と内容を繰り返すのも、訓練としての側面による。
魔術の実力者であるフーカも肌がキレイだった。
いずれは私と同じく、フーカもイリス様への魔術指南役をすることになるのかもしれない。
肌に触れる方法になるかはわからないけれど。
「ああ、それもいいわね」
ヨナさん、何も考えていなかったらしい。
曰く『拾ってきた』のだという、フーカさんとの出会いの経緯はわからないが。
魔術における相当の実力者を捕まえておいて、艦長候補以外に役立てようという気がないというのは、どう捉えるべきか。
欲がないとも、人使いが下手ともとれる。
あるいは思惑が他にあるのか。
「では、どうして私を指南役に?」
「イリス様のお身体のことだから、最善を尽くしたいじゃない。
エミリアさんが医学的な知識は提供してくれるから、美容に関してはトーエが適任かなって。
だって、チセの美容と健康のこと、トーエが考えていないはずがないし」
それはそうだけれど。
「それに『家の血に合った固有の方法』みたいなのがそんなに無いなら、いろいろなヒトの美容知識を集めたほうが良いかなと」
「そんな、近所の主婦が化粧品を持って集まるのとは違うんですから」
理屈は間違っていないけれども。
ヨナさん、貴人社会について恐れているわりに、知識不足ゆえか警戒が抜けているところがある。
「イリス様もいいんですか」
「ヨナに任せています」
夢見る少女の浮遊感はなく、淡々と事実として。
エーリカ様に挑発されても、まるで理解してないかのような様子で流してしまう。
そんなイリス様がヨナさんに寄せる信頼は不思議と熱のあるものではなくて、それゆえ外野からすると狂気のようでさえある。
やわらかな肌に肉のない腕。
大人の貴人がもつ気迫や、魔力保持者が放つ威圧感もなく。
命のやりとりにはとうてい向かない幼い子供。
そんな少女が、全幅の信頼をもって。
船に命を預けるというのは、こういうものか。
貴人として上位に列席している巫女と、古代戦艦という存在について、まったく事前知識がないでもなかった。
船は気まぐれな不調を繰り返して巫女の望みをろくにきかず、痛みと苦しみばかりを与える。
巫女は当然のこととして、自らの生まれと船を憎む。
でも目の前にあるヨナさんとイリス様の関係は、私の知るそれとは全く違っている。
イリス様の柔肌を前にして、万が一にも傷をつければ命はないだろうと理解していても、つい別のことを考えてしまう。
建造中の『択捉』のことだ。
私が考えている、択捉の外観、乗り心地、持ってもらいたいイメージ、乗員に想起させるべき感情。
ヨナさんから任された私の仕事は、択捉と船員の結ぶべき関係を考え、現実にすること。
イリス様がヨナさんを信じ、古代戦艦イリスヨナに命を預けているように、乗員は『択捉』を信じてくれるだろうか。
命を預けるに足る船に乗るというのは、いったいどんな気持ちなのだろう。
肌を見ていても触れてみても、その薄く儚い一枚の下にある感情を見通すことはできなくて。
ヨナさんから与えられた仕事の無理難題っぷりを、確かに触れられてここにいる小さな少女という形で、あらためて突きつけられたかのようだった。