人類の海洋再進出と吸血鬼の影
「どうして吸血鬼が、イリス漁業連合の艦隊計画を妨害するなんて話になるの?」
「端的に言えば、人類が再び海洋進出することが吸血鬼にとっては問題なのです」
レインが答える。
教会職員であるレインは、多宗教を扱う教会業務の都合上、さまざまな種族に詳しい。
吸血鬼が暗躍をはじめている、という話の情報源はエーリカ様。
どこで聞きつけてきたのか、帰り際に『ところでヨナ、吸血鬼があなたの艦隊を潰そうと狙っているそうだけれど』なんて言うものだから驚かされた。
ヨナにとっては完全に寝耳に水の話だった。
しかしレインにとっては違うという。
「とはいえ吸血鬼に意外性はありません。
最初から、漁業連合を不利益に感じて妨害をする可能性がある勢力のひとつとして考えていました。
なのでレインの方でも注視してはいたのです」
そうだったのか。
「でもエーリカ様の情報網には敵いませんでしたね」
「そこは仕方ないでしょう。あのエーリカ様が相手なのだから」
エーリカ様は、この国を表と裏で操る御三家の直系、公爵令嬢である。
血筋だけではない。
金髪猫耳童女なエーリカ様は、イリス様と同い年でありながら、ふた周りは大きい第五皇女様をかばって単身で敵中を突破する実力を持っている。
まったくもって油断ならない、狩人の美少女だった。
「それで、どうして吸血鬼がって話だけれど」
「はい。まず、吸血鬼は水が苦手です。かなりの吸血鬼が真水に触れるとひどい火傷を負いますし、河を渡れない種族すらいます」
呪いで流れる水の河を渡れない、みたいな話はヨナも本で読んだ気がする。
「そしてヒトの血を飲みます。吸血鬼はその食性によって古くから迫害されてきました。
それは食用血液を供給する社会の仕組みがととのった現代でも無くなってはいません」
とはいえ、吸血鬼はすでに社会制度に受け入れられているらしい。
この世界のこういうところは、ヨナが暮らしていた世界や日本社会よりも理性的だとすら思う。
「ですから吸血鬼の力が及ばない海洋への版図拡大は、直接的な脅威でなくても大いに不都合なんですよ」
同じ大陸の上から離れることができないというのは、吸血鬼とヒトが衝突する原因ではある。
だが同時に、仕方なくであっても、手を取り合う理由ともなっている。
大げさな言い方をすれば、吸血鬼と絶滅戦争をしたとして、他ヒト種が負けた場合に、これまでは逃げ場がなかった。
だが海に出られるようになれば、吸血鬼と戦っても良いのでは、と考えるヒト種もいるということだ。
実際には戦わないにしても、戦う選択肢がとれるという事実は、交渉事で大きな後ろ盾になる。
日本が外交で使えない手として、たびたび政治評論やフィクションで論点になるところだ。
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元より私のエゴで始めた艦隊建造、イリス漁業連合プロジェクト。
誰も彼もを幸せにして、誰も不幸にしないとは、最初から思っていない。
この世界で暮らしているたくさんのヒトたちがいて、彼らには各々の利害関係がある。
理解していたつもりだけれど、実際に衝突してみるとやはり、何も感じないというわけにはいかなかった。
「それにしたって、吸血鬼なんて」
まさか吸血鬼を相手どることになるとは思っていなかった。
正直、想定していたのは流通網や食品産業を相手にした経済戦争だった。
けれど実際は、という感じ。
「ご安心ください。もちろんそっちはそっちで真っ正面から敵対していますが、レインがきちんと処理しています」
「えっ、そうなの?」
「もう影戦は始まっていますよ。
食品産業にまったく新しい策源地をひっさげて殴り込むのです。
政府も財閥も、ヨナさまの提案を理解できた者から順に泡吹いて大混乱。
政商グランツ協会と共同戦線ですが、彼らも一枚岩ではありませんし。
レインが使っている協会勢力も利権の絡み合った巨大権力構造ですから、敵味方入り乱れて大混戦です」
「知らなかったわ」
「だってヨナさまこういうの苦手でしょう? 特に役に立ってもらう場面もありませんし」
それはそう。
レイン、私のことを過剰に好いてくれている一方で、理解と評価はそういう冷静なところがある。
正直、そこは安心している。
「まだ様子見の前哨戦ですから。ヨナさまに報告するほどの状況にもなっていませんからね」
イリス漁業連合は正式立ち上げ前で、初期艦『択捉』はまだ形もできていない。
つまり、闘争の激化はまだまだこれから先の話。
「ともかく、そちらの方はお任せください。
ヨナさまには『択捉』の建造に集中して、存分にお楽しみいただけるよう、雑務はすべてこのレインが引き受けさせていただきますから」