デザイナ トーエの一日 / 艦船、その制約の片隅で、快適な鉄の棺桶を目指して
「居住スペースでプライバシを守るためのドアは木製にしたいんです。金属製の隔壁扉よりも軽量で乗員も疲れないですし」
「ここは居住スペースを隔てる防壁です。気密確保のためにどうしても内開きの水密ハッチにする必要があるんですよ」
「そうですか。わかりました」
アクセスしやすい寝室で、気安く緊張をほぐしてもらう方向性は捨てる。
寝室は重くて硬い防水ハッチで隔てられていることを所与のこととして、空間設計をやり直す。
想定はしていたので、ゼロから考え直しにはならない。
設計を逆にして、隔壁扉によって、仕事のオンとオフを明確に切り替える境界線を引く。
生活空間は、発令所や仕事場とは隔てられているのは、そのようにユーザの動線を誘導するなら悪くない。
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安全は捨てられない。
物理法則を曲げることはできない。
技術者の仕事は、物理法則という制約の中で安全に役割を果たす艦船を作り出すこと。
『快適さ』や『美しさ』は、当然に安全よりも優先度が低い。
そしてトーエの仕事は、艦船の快適さや美しさを、安全と物理法則を損なわない範囲で引き上げることだった。
イリス漁業連合の艦船として択捉が船員にとって『どう感じられるのが望ましいか』を考える。
ヨナさんから任されたトーエの仕事がそれだった。
優先すべきは生命と安全と利益であり、意匠とデザインはそれに奉仕するもの。
たとえば船内の廊下。
置くべきものはたくさんある。
隔壁扉、水栓の材木、斧とハンマ、消火栓、救命胴衣、艦内電話、掃除用具。
いくつもある消火栓の置き場所をひとつ間違えると、消火作業が遅れて火に巻かれてヒトが死に、避難の動線が乱れて逃げ遅れたヒトが死ぬ。
水密ハッチが閉じにくいものであれば、閉鎖の遅れが船の沈没につながる。
避難を誘導する標識が、パニック状態の船内でもはっきりわかる明快なデザインでなければ、ヒトが逃げ遅れて死ぬ。
アクセサリ作りは、ずっと気楽だった。
もちろん、止め金のピンでお客様をケガさせないことは大前提だったけれど、アクセサリとして魔石をどう扱っても効果は減じない。
トーエが担当するのは機能ではなく、あくまで使いやすさと見た目の良さ。
それでもこの仕事では、トーエの失敗でたくさんのヒトの命が失われる。
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扉について検討するべき項目は種類だけではない。
防水扉の試作ハッチはテンション機構が露出しており、挟まれてケガをしたという医務室の記録があった。
隠せないかと提案して、油差しや部品交換などメンテナンス性からこれも却下。
ただしテンション位置や最小限のカバーなどで、指切断の危険が減るような工夫は約束してもらえた。
試作開閉扉の使用試験の計画をつめる。
造船工員から種族代表をつのって、ハッチ開閉にかかる時間を測ったり、握力の強い種族がドアノブを壊してしまわないかを試す。
得られる結果は避難計画の検討にも使われ、ひいては通路設計にもフィードバックされる。
戦闘配置への転換でも役に立つ。
いまのトーエが個人的に気にしているのは、腐食・摩耗して汚れた際の防水扉の外観。
某サビ塗料もいずれは端が剥がれ、金属扉も開閉を繰り返せば削れる。
ヒトはよく『仕事なのだから』と言うけれど、仕事ならきちんとできる、というのは現実ではなく、幻想に過ぎない。
漁業務に向かう乗員が艦内の汚れを見てやる気を失いはしないか。
戦闘配置に挑む船員が戦う意思を萎えさせはしないか。
整備士が、明らかにくたびれた見た目のハッチに本気で油をさし、開閉に支障をきたす汚れを熱心に探して落とすことができるだろうか。
見た目の悪化から雑な扱いを許し、船員がハッチの端を靴のドロを落とすのに使い始めれば、人心が離れ、環境悪化は歯止めがなくなる。
隔壁扉とハッチの汚損と機能低下は、めぐりめぐって船と乗員の生存性を下げる。
トーエはいまの仕事として、そんなことばかりを考えている。
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「どう言い繕ったところで、私たちの作ろうとしている艦船は『鉄の棺桶』ではあるのよ」
つねひごろから艦船を愛していると語るヨナさん。
しかし時折、嫌悪か諦観のような自虐が混じる。
「本質を塗り隠すつもりはないし、そんなことはしたくないけれど。それはそれとして、乗ってくれる乗員たちには、できることをしておきたいの」
確かに艦船は、ヒトの命を奪うこともあるのだろう。
戦いで船員が死ぬこともある。
だからといって船内は快適であるにこしたことはなく、船員を虐める理由もない。
愉快でかわいいヨナさんと、大事な義妹のミッキ。
トーエは、ふたりが情熱をかたむける艦船が、ただ忌まわく疎ましい『鉄の棺桶』になって欲しくない。
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『まずはなにより『択捉』の進水式が最優先。
あとのことを考えていても失敗したら無駄になるだけだから、上手く行ってから考えればいい』
それは正しい考え方で。
快適さは余裕であり、余裕はかならず必要なものではない。
それでもトーエは、ミッキの仕事が必ず成功するという前提に立ち、その先を見ていた。