デザイナ トーエの一日 / 海防艦防水扉の多種族デザイン
イリス様とヨナさんは、このあと古代戦艦イリスヨナで海洋へ漁に出る。
トーエはチセを保育園へ。
保育園の施設は外廊下に面したいくつかの部屋に、屋根だけついているような広い平屋の掘っ建て。
『保育園』は特に年齢制限なく働く母親の子供を受け入れる予定で、今は言葉を話せることを下限として受け入れをしている。
ヨナさんが資金を出して始めた保育園で、イリス家のツテでヒトをあつめ、トーエは立ち上げを手伝った。
関わったのは主に設備面。
誤飲したとき危険の少ない玩具の選定、背が低くてぶつかるカドやはさまる穴のない遊具、閉塞感はないが子どもたちが勝手に出ていく心配のない出入り口と柵。
保母さんたちが安心して休める休憩室。
そういったことを考えるのが、トーエの仕事だった。
ヨナさんのお金で建てた平屋にヒトを詰め込んだだけのようなものだけれど、保育園は一段落ついている。
保母として、貴人や商人を相手していたプロの養母を数人と、現地の乳母を何人か保母として雇っている。
疎開民の間でも、コミュニティ内で保母のような役割は自然発生するので、トーエはその人たちに声をかけて、ヨナさんの資金で建物などを提供した形だ。
信用がなければ大事な子供を預けてはもらえないが、コミュニティの保母さんを抱え込むことで解決した形だ。
また、立ち上げに関わったトーエ自身に義娘であるチセがいて、チセを保母ではなく保育園に預けているというのも、結果的に大きいようだ。
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乾ドックを中心とした『造船所』の中で、『海外旅行協会』こと技術者集団が衣食住している一画。
トーエの出勤先は『キャンパス』と呼ばれている。
魔道士たちの大学校に由来する名前なのだとか。
着の身着のままやってきた技術者たち『海外旅行協会』のメンバは当初、建物もなにもないので、青空の下、ドライドックを建設予定の川岸で、地面に絵を書きながらやっていた。
キャンパスはトーエが保育園にかかりきりになっているあいだに、30人を超える技術者たちの仮住居と事務所と工房が好き勝手に生えるように建ってしまったので、道順などぐちゃぐちゃになっている。
彼らの大半は引退した老人だ。
貴人か同等待遇に慣れた者たちなので、仮住居といっても普通の家より居住性がよい。
また弟子兼従者付きが多い。
彼らはトーエとも歳が近い。
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「こびと系統種族に対応した、3つ目の取っ手をつけた隔壁扉を設計してみた」
緑髪のエリナ君は兵器設計の専門家に連れられてきた弟子で、専門は大型武器の付属品。
例えば移動トーチカの温熱器や大型移動大砲の専用工具など。
彼がいま担当しているのは、隔壁扉を含む船内の扉。
扉のサイズを相談する都合で、きょうは屋外で話をしている。
「トーエさんの要望で、バリアフリーで実績のある引き戸の方式も検討したんだけれど、艦内では周辺設計の都合で難しいんだ。すくなくとも今回『択捉』での実装は間に合わない」
「そうですか。では、いま設計している開き戸の方向で、できるだけ多種族に対応していきましょう」
トーエは技術者が無理だと答えたとき、はっきりと自分の意見を取り下げるようにしている。
望みを無理やりに通そうとしてはいけない、というのが技術者を相手に非技術者がコミュニケーションするテクニックで、元々はヨナさんのモノマネだ。
「身長2メートルまで対応で、巨人族はおおむねカバーできる」
「快適とはいえませんよね?」
「扉をくぐるときは、かがむことになるけれど」
扉以外のことについては、全体を統括しているミッキが知っている。
いまはちょうど話し合いに参加していた。
「通路は背が高いので、つねに首を曲げながら移動することにはなりません」
「ちょっと具体例が欲しいかな。レインさん、少しご意見を頂けませんか」
また、多種族対応について、アドバイザとしてレインさんに来てもらっている。
彼女は自身が蜘蛛人だがそれだけでなく、宗教者として種族ごとの形態から、生活に宗教禁忌まで詳しい。
「以前もお話しましたけれど、まず蜘蛛人も巣罠、肉食狩人、菜菌類食と多様です。
蜘蛛人としてのレインは大型の肉食種です。この一族は、ご覧の通りヒト腹が下腹の恥部まであります。消化器の一部と生殖器は蜘蛛腹に。
ヒトの臀部から強力な蜘蛛の脚が生えているカタチをしています」
この仕事をはじめて知ったのだが、世間で言う『巨人族』も『蜘蛛人』も、ひとつの種族ではないのだという。
アラクネやドワーフといった俗称も、時によりヒトによりその指す集団が変化する曖昧なくくりでしかない。
トーエは仕事にしていたアクセサリの取引で多くの種族と交流があったため、それなりに知識を持っているつもりでいたのだけれど。
生活の様子まで十分に追いきれていなかったようで、宗教者であるレインの膨大な知識にはまるで追いつけない。
「レインたちは脚を伸ばせば、飛び上がらずに3メートルのものを取ることができます。
また8本の脚が放射状に広がっていますから、通り抜けにも広い扉が必要と思われがちなのですが、通路はともかく扉はそれほど大きさはいりません」
そう言ってレインは、上半身をそのまま、脚だけで高さを落として、近くの仮組み扉を抜けてみせた。
「ヒトで言えば、座った高さのまま扉を抜けられるんです。そもそも蜘蛛人の多くはちいさな巣穴でくらしていた種族ですから、大きな空間はいりません。
むしろ狭い場所を提供しないと、長期的にはストレスの原因になったりします」
択捉はまだ長期航海を予定した艦船ではないけれど。
将来的には考える必要がある。
それに、狭いところが落ち着くというのは、ヒトの一部で普通にありがちな性格だ。
トーエだって、チセと一緒に物入れに入って遊ぶのは好きだったりする。
「それこそ『マーメイド』や『ローレライ』の種族は移動が車つき水槽です。
補助者なしではハッチ式の隔壁扉を移動するのは無理ですよ」
いわゆる『足がない』種族を艦内全館で受け入れるためには、引き戸式の開発を待たないといけない。
「姉さんの仕事にも、参考にできるものがあればよかったのですが」
つぶやいたミッキが考えているのは、自分が択捉の設計で大いに助けられたという、ヨナさんの艦船知識だろう。
ヨナさんは船以外にもいろいろな知識を持っているようなのだが、こと今回に関しては役に立てないことを申し訳ないと謝っていた。
曰く、ヨナさんの知識の前提となる世界にはなぜか、ヒト種が1種類しかいなかったのだという。
ヨナさんが悪いことではないし、仕方がない。この大陸にすでにあるもので、役立ちそうなものを探したのだけれど。
「お城の設計が使えなかったのは残念だったわね」
古い時代の城は種族ごとの体格や特徴に特化している。
そもそも自分たち以外の種族が混じって生活することが、考えられていない。
近代的な城内は巨人族などが業務することを考えられているが、解決策はある意味で富豪的な、力技だ。
つまり、ひたすら巨大な建築物の中に、長くて平たい廊下。
大きな扉と小さな扉が別々にあり、各種族に個別に対応したトイレや部屋がズラッと並んでいる、というだけ。
いくら大きいと言っても全長100メートル程度しかない海防艦『択捉』では採用できない方法だ。
「取っ手を魔術具にしつつ通り抜け対応もしたので、霊体種族への対応もできてますし。
銀アレルギィなど、種族の触れられない素材に対する考慮も取っ手を増やすことでしています。
なにしろこれまで無かった視点で、始めたばかりのことですからどうあれ完璧にはできません。
それでも、多種族対応として、この短期間で出来ることはすでに十分できていると思いますよ」
「専門家のレインさんにそう言っていただけると、心強いですね」
「いえ、ヨナさまがあなたを見つけてきたのは慧眼でした。
トーエさんはよくやっています。たぶんあなたは、この大陸で初めての多種族デザインの専門家になるでしょうね」