イリス造船所(仮)の乾ドック
大河の川辺に、大きな双頭の塔が建てられていた。
塔の間には大きな鉄扉が固く閉じられている。
ドックを掘った川辺の周囲は砂のようなオレンジの岩場。
急な段差で彫り込まれたドックを上から眺めると、その光景は、巨大なエジプト遺跡の発掘現場のようだ。
イリス造船所(仮)の第1乾ドックは鉄扉で大河と隔たれており、もし開けばまたたくまに流れ込んだ水で満ちるだろう。
視線をすこしずらすと、川岸の傾斜面にずらりとレールが敷かれ、小さな船台式ドックの上で、いくつもの模擬船体『雪風』シリーズの組み立てが並行して進められている。
「第1乾ドックの注水・排水試験は無事に完了しました。日程も予定通りです」
「さすがハンママの仕事ね」
もちろん、乾ドックの注水は、扉を開くなどという乱暴な方法ではない。
というかドックの防水扉は外開きか引き扉で、水圧で開かないようになっている。
上流から水を引く用水路と、穴の端に工場のような大きさの揚水排水装置。
乾ドックの底では、建造中の船体の支えとなる盤木が組まれていた。
すでに初期艦『択捉』船体骨格の建造工事が始まっている。
「見た目に、ヨナさんの記憶と大きな差異はありますか?」
「特にはないかな」
艦船ほどではないけれど、乾ドックの建造も、わたしが日本で見た『造船所』の外観に関する記憶を、かなり参考にしているらしい。
「細かいところで言うと、壁面がコンクリートでないけれど、強度に問題はないのでしょう?」
付近の地盤が固くて使えることは、設計の段階で確認済みだ。
「揚水装置が違うのはこの世界で手に入る安価な方法がポンプでなく回転式だというだけのことだし」
きょうはなんとなく見学に来ただけなので、現場である艦ドックの底には降りないで、周囲を回るように歩く。
「水密性扉の防腐塗料は、あまり効果が見受けられません」
「塗料かぁ。択捉の建造までには解決したいわね」
船体が錆びて穴が開けば、もちろん沈没してしまう。
古代戦艦イリスヨナは100年以上の艦齢にかかわらず、船体にサビひとつフジツボひとつ付いていなかった。
なのでちょっと期待していたのだが、残念ながらこの世界の海も船は錆びるしフジツボが付く。
船体表面がデコボコになると、摩擦で船足が大きく落ちる。
よって船底をキレイに保つ塗装は、艦船の性能のためにも重要だ。
しかし、シロウト趣味人である私は、『錆のような黒みがかった赤色だったなぁ』という記憶がある程度。
当然のように塗料の配合組成など知るはずもなく。
知っていたとして、この世界で同じ素材が手に入って再現できるかどうかもわからないけれど。
木造の川舟で使われている防腐剤をベースにしつつ探索中で、錬金術というか化学に詳しい研究職員にお任せしてある。
----
「ミッキちゃん昨日ぶり! 今日もかわいいわね」
「ハンママも元気です。あと痛いのですが」
大鍋でパスタを茹でていそうな、恰幅の良いおばちゃんがミッキに抱きつく。
そして、すぐさま私に向かってくる。
「ヨナちゃん3日ぶり!」
「ハンママ! 痛いってば」
彼女は通称『ハンママ』。
正しくはハン副長で、大規模な建築現場指揮の経験豊富なプロフェッショナル。
一歩引いたところに、こちらは枯れ木のような老婆。
こちらはハン班長で、ハンママの相方だ。
「ハン班長、お久しぶり。また乾ドックを見に来たわ」
ハン班長とハン副長は、この世界特有である巨大建築の、設計と施工の専門家だ。
王宮の改築や拠点築城、さらには戦略山嶺とよばれる山間の巨大ダムのような城壁まで、巨大なものを手がけた経験をもつ。
100m級の択捉がすっぽり収まるような、造船所の吸い込まれそうな深い乾ドックも、ふたりにとっては窓枠のミゾ程度のものだろう。
ふたりはミッキが引き継いだ技術者同好会『海外旅行協会』のメンバである。
「仕事として、ハンママたちには歯ごたえがなかったかしら?」
「最盛期を過ぎて引退した身には丁度いいくらいよ。
それに『乾ドック』なんて施設は知るのも作るのも今回が初めてだったから難儀したわ。
特に、水密性扉の設計計画は難所だったわね」
大河につながる扉が壊れたら、建造中の船と建築作業員がすべて水流に押しつぶされてしまう。
「でも、ヨナさんの配慮のおかげで良い仕事をさせてもらえたわ」
「そうなの? あまり何かしてあげられたつもりはないのだけれど」
「はっきりした目的に、不足しない程度に十分な予算と時間がもらえれば、十分よ。
それに、私たちが知らない乾ドックについて、知っていることをいろいろ教えてくれたもの」
ミッキもそういう意識のようだけれど、技術者の感覚とはそういうものなのだろうか。
「まあでも確かに、この乾ドックはまだまだ、ペルジーノ王宮に比べたら砂遊びのようなものかしら」
「いずれ大きな船のために、もっと大きな乾ドックを作ってもらいますから」
「それは今から楽しみね」
ハンママの言うペルジーノ王宮は、巨大な王城だ。
川岸の砂のような地層の上に建っており、地下をこの乾ドックよりも深く広く、上に王族が住む王宮を乗せたまま掘ったのだという。
「いつか見てみたいなあ」
「ヨナちゃん、建物に興味があるのかしら。それとも観光が好きなの?」
「船旅が好きなの。船に乗って移動して、たどり着いた場所で素敵なものが見るのが好き」
船旅に思いをはせる私に、ミッキが言う。
「ペルジーノが属しているのは大国ストライア領ですね」
「ヨナちゃんからすると敵側なのかしら」
「敵対しているつもりはないんですが」
大国同士は実質的に戦争しているようだが、公式には開戦前だし。
なにしろヨナ個人として、見たこともない相手国に敵意というものがわかない。
日本人として戦争を知らない世代だし。
海戦なんてブラウザゲームでしかやったことがない。
(というわけでも、今はもうないけれど。)
古代戦艦を3隻撃沈しておいて、正当防衛の主張が虚しい。
「それも含めて、いつか行けるようになればいいのだけれど」
「戦う気満々なのかしら」
「いや、戦わないで解決したいってことよ?」
建設現場で叩き上げのハンママたちが血の気が多いのは理解できるが、もし近隣住民がみんな好戦的だったりするとちょっと困る。
私は戦争はしたくないので。
「いまのヨナさんが言っても説得力はありませんが」
「まあそうよねぇ」
ここ数ヶ月のあいだに敵の古代戦艦を3隻も撃沈しておいて、以下略。
そのあたり、信頼を積み立てて、おいおい理解を求めていくしかないのだろう。