腐乱フラン 3
「と言いますと?」
「外から来なさったお二人はご存じではないかと思いますが、この百年ほどで世界はとても不安定なものになってしまったのです。その影響でしょうか、この集落では、死んだ者が蘇るのです」
「は、はい?」
「驚かれるのも無理はありません。この集落では、死んだ者は土葬で弔っております。ここ数年で埋葬された死体が墓穴から這い上がり、地上を闊歩するようになったのです。我々は彼らを死者と呼んでいます。」
なんてこった。トンデモ現象にもほどがある。この集落に近寄る際に轟天が死臭がすると言っていたが、そのことなのか。
「軍曹、おそらく彼女のおっしゃっていることは本当かと。この集落は死臭が酷いのです」
轟天が俺に耳打ちする。こいつがここまで言うのなら本当の事なのだろう。しかし、死体が歩き出すとは……地元に天狗や狸の類の伝承はあったが、歩く死体なんて聞いたことがない。はっきり言って怖い。凄く怖い。おうちかえりたい。それに世界が不安定とは一体どういうことだ? 確かに死人がうろうろするのは、えらい不安定というか不健全だとは思うが。
「彼らは年に一回ほど、数日にわたって出現します。丁度二日前の夜、死者が現れました。数日間は夜になると彼等が歩き回るので、その対応の準備をしないといけないのですが……」
「鴉達が現れて我々の集落から武器や食料を奪っていったのです!」
青年が声を荒げる。さっき婆さんからポポと呼ばれていた彼は、両手を握りわなわなと肩を震わせている。
「抵抗した者もいたのですが、殺されてしまいました。ポポの父親も鴉に抵抗して殺されました。昨日のことです。」
「そんなことが……」
鴉頭共は何故この集落に現れたのだろうか。もしかしたら、俺を殺しに来たために、この集落が補給線として利用されたのでは? もしそうなら、俺にも責任があるのだろう。
「何故鴉はこの村に?」
「分かりません。ですが、この村は鴉の本拠地からは離れています。ここまで来るのはそれなりの理由があるのでは、と思います」
「父を殺した鴉が言っていました。異邦人を殺さないといけないから協力しろと……」
ポポ君が両手を握りしめたままつぶやく。殺さないといけない異邦人。俺と轟天のことではなかろうか。昨日の連中が問答無用で襲って来たのは、理由はわからんが俺達を最初から殺すつもりだったのだ。そして不幸にもこの村が補給地として搾取されたということなのだろう。
さて、どうするか。はっきり言って面倒事には巻き込まれたくはないが、彼らにはこうして情報を教えてくれた恩義と巻き込んでしまった負い目がある。放っておくのも流石にいかがなものか。できれば手を貸したいというのが本音だ。
「これまではその、ぞんび、とやらにどのように対処されていたのですか?」
婆さんに聞いてみる。
「彼等が闊歩する夜の間はなるべく外に出ないようにしていたのですが、玄関を破って入り込んでくることもあります。事実、何人か噛まれたことも」
「噛むんですか?」
「はい。奴らに噛まれると、噛まれた者も死者になり果ててしまうのです」
「なんと……」
細菌感染か? だが即効性がありすぎだろう。ほんとこわい。
「それ以来、腕に自信のある者が中心となって自警団を形成しました。一晩の間、蘇った死者共を狩ってまわっているのです」
「一度死んだ者を殺せるのですか?」
「はい。彼等は頭を完全に潰せば動かなくなります。また、動き自体は緩慢です。ですので、彼等に捕まらないように動き回りながら頭を破壊していくのです」
婆さんが壁を指さす。そこには槍や鍬といった長めの得物が立てかけられている。
「噛まれないよう近寄らずに頭部を狙うために、ああいった武器を使用するわけですか」
「はい」
「ですが、あれだと頭部を潰すのは難しいのでは?」
生きている人間ならあれで頭を突かれでもすれば致命傷だろう。しかし、這いずり出して来た死人共は頭を潰さねばならんらしい。完全に潰すなら重さが足りない。
「ええ、その通りです。首の破損が激しい遺体なら、あれでも頭を落とすことは可能です。ですが実際
はなかなか……正直、逃げ回りながら頭部を少しずつ破損させていくしかありません」
「それだと満足に数を減らすこともできないのではないのですか?」
「はい……率直に申し上げて、死者共を狩るというよりも、屋内にいる者たちを守るために彼等の注意を引くのが精一杯、というのが現状です。我々の中には訓練を受けた者も能力持ちもおりません。ですので、なんとか噛まれないように立ち回るのが関の山なのです」
能力持ちという言葉にはなじみがなかったが、とりあえず村人達が苦戦しているらしいということが分かった。
「あのぅ、疑問なのですが、皆さんは何故ここから移動されないのですか?」
轟天が質問する。確かにその通りだ。そうすりゃいい。
「おっしゃる通り、それができれば最も良いのだと思います。ですが、この集落は何代も続く安寧の地だった。同盟や鴉から身を隠すこともできる場所なのです。この衰退する世界の中でようやく手にした土地なのです。私だけではない、他の者もせっかく手にしたこの場所を手放したくはないのです」
能力持ちという言葉がまた出てくる。一体何のことなのだろう。長の婆さんに聞こうとした時、
「で、出たぞぉ!! 死者だ!!」
外から悲鳴にも似た叫びが聞こえてきた。
「轟天!」
「はい!」
俺と轟天は外に飛び出す。後ろから婆さんの制止の言葉が聞こえるが、何もせずというわけにはいかん。俺のせいで鴉頭共がこの集落を襲ったのだから。
玄関を開け外に出ると、既に日は落ちかけて辺りはうっすらと闇に包まれていた。村の中では松明と武器を手にした村の連中が、何人かのグループを形成して走り回っている。皆の表情は恐怖に歪んでおり何とも必死な様子だ。
そして、彼等の視線の先にはぞんびだったか、死体が歩いていた。
「うげ……本当に死体が歩き回ってやがる」
実際にこの目で見ると、何とも不気味である。誰の目にも明らかに死んでる者が、頭を揺らしながらこちらに向かって歩いて来ている。両手が無い奴もいれば、腹からぶよぶよした真っ黒い腸をぶら下げている奴もいる。どう見ても死体だ。そんな奴らが何体もいる。
正直怖いなぁ……俺怪談とか苦手なんだよなぁ。だが轟天の手前そんな素振りは見せられん。ふぅ、と呼吸を整えて気合を入れる。
「絶対噛まれるなよ」
轟天に警告する。いくらこいつが強いといえ、万一噛まれてしまったらそれで万事休すだろう。
「はい!」
「俺も噛まれねぇよう、気を付けないとな」
「大丈夫です。軍曹は、この轟天が必ずやお守りします!」
「ふふっ、期待してるぜ」
「はいっ! お任せを!」
愛い奴め。だがこいつに守られっぱなしというわけにはいくまい。俺は銃剣を格好よく抜く。
「行くぞ」
「はいっ!」
連中の群れに二人で飛び込んだ。