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獣の太陽  作者: garashi
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腐乱フラン 2

 俺と轟天がいきなり登場した少女に目を向けていると、


「な、ピコラさん、駄目ですよ!」


 青年が狼狽しながら少女に言った。しかし、ピコラと呼ばれた少女はそんなものお構いなしといった風に壁から体を出して、白く美しい毛並みの尻尾をなびかせながらこちらにとことこ歩いて来た。

 俺の後ろにいた轟天が前に出る。少女を警戒しているのだろうか。

 少女は轟天の前まで来ると、俺達を交互に見てからにこりと笑顔になると、


「こんにちにゃあ」


 と頭を下げて挨拶をした。


 ……これは、いかん。俺は自分の背中の表面を熱い溶けた鉄がどろどろと流れるような感覚に陥った。溶けた鉄が腰近くにまで垂れたことで、それが俺の汗だということに気付く。

 目の前の少女が顔を上げるて俺を見る。俺の様子がおかしいことに気付くと、首を傾げ、不思議そうに「にゃん?」と声を出した。甘く蕩けるような声だった。

 心臓が大きく脈打つ。頭の中にまで拍動音が鳴り響く。


「軍曹……?」


 俺の様子に気付いたのか、轟天も心配そうな顔で俺を見てくる。轟天にだけは、これ以上気付かれるわけにはいかない。


「……いや、すまん、何でもない」


「そ、そうですか。お怪我が痛んだり……?」


「そんなことはないさ。ありがとう、轟天」


 そう言って轟天の頭を撫でてやる。


「ん……」


 轟天は小さな声を漏らして気持ちよさそうにしている。その様子を見て心を落ち着かせる。


 いかん、いかん。俺は、俺は、俺は犬派なんだ。轟天がいるのだ。浮気などできんのだ。先ほどの少女の仕草に胸キュンしてしまったが、俺は轟天一筋なのだ。出征前は近所の看板猫がいる喫茶店に毎日のように通いつめたこともあったが、俺は犬派なのだ……。 誇り高き大日本帝国陸軍の軍犬兵なのだ……!


 ふぅっと一呼吸置いて少女を見る。


「こんにちは」


 なんとか挨拶する。ああやだかわいいにゃん。

 少女は俺の挨拶に笑顔で返してくる。その様子を思わずじっと見つめてしまう。ふわふわの耳がぴょこぴょこしていてやだやだかわいいかわいい! それはきっと猫の耳だにゃん!


 その時俺は、迂闊にもとても大事なことを失念していた。軍犬は相棒となる人間の感情を敏感に察知するということを。いくら人間が感情を心の奥底に押し込め普段通りに振舞ったとしても、軍犬はそれを読み取ってしまうのだ。俺が戦友の死に悲しみ、それを押し殺して気丈に振舞おうとしても、轟天は悲しそうな表情を浮かべて俺から離れずに慰めてくれたのだ。


 轟天の視線に気が付く。青ざめた顔でこちらを見ていた。唇がわなわな震え、相当ショックなことがあったのだろうと容易に想像がつくほどである。


 まずい……。


「ど、どうした轟天」


「ぐ、軍曹は、ね、ね、猫派なのですか……!?」


 感情を、察知されてしまった……!


「ち、違うんだ轟天! 俺は、俺は犬が好きなんだ!」


「では猫はお嫌いなのですね!」


「好き!」


「うううぅ……!」


 轟天が両手を握りしめて嗚咽する。慌てて轟天をわしわししてやる。

 そんな様子を見ていた猫少女が耐え切れないとばかりに無邪気に笑い出す。


「ぷ、ぷぷ、にゃはははは!」


 その笑い声に俺達はぽかんとしてしまう。


「お、おにーさん、グンソウさんだっけにゃ? 面白いにゃあ!」


 にゃにゃにゃと猫少女は笑う。そんな様子に、青年が慌てて俺達に頭を下げる。


「す、すみません! まだ子供なもので! どうかお許しを……!」


 なかなかの剣幕なので、俺達は面食らってしまった。


「い、いえ、そんな謝らなくても! お顔を上げてください」


 すると青年はおそるおそる頭を上げ、口を開いた。


「あ、あなた方は、鴉や同盟の者達ではないのですか……?」


「すみません、その鴉とか同盟とかいうのは……」


「鴉とは、鴉の仮面を被った者達のことです」


 ……ここに来て情報入手だ。俺は心の中でぐっと拳を握った。


 青年の言いぶりからして、鴉とは十中八九、昨日のヘルメットの連中だろう。なるほどあの妙なヘルメットの形状は鴉の顔に見えなくもない。彼の様子から、奴らに対する恐れを感じる。もしかしたら轟天の言っていた死体の件も関係あるのかもしれん。この集落と鴉野郎共との間で既に一悶着あった可能性もある。


「いえ、私たちはそいつらとは別の組織の者です。ご安心ください」


「ほ、本当ですか? では、同盟なのでしょうか? ですが後ろの方は新人類ですよね?」


「いえ、その同盟とやらでもございません。先ほども申し上げましたが、私は大日本帝国陸軍の軍人です。この集落に来る道中で、鴉の仮面を被った部隊に攻撃を受け撃退しています」


「そ、そのダイニホ……というのは、すみません、存じ上げませんが、あ、あの仮面の者達を撃退したのですか!?」


 彼が食いつく。


「はい。私たちは奴らを敵対勢力と認識しています。この集落について情報を教えていただけますでしょうか。もしかしたらお力添えできるかもしれない」


 彼の様子から、鴉野郎共とこの集落は敵対関係にあるのだろう。そのことを利用して言い寄ることができれば、楽に情報収集ができそうだ。


「そ、それは……」


 彼が言い澱む。まだ何かあるのか。

 そのとき、


「協力してもらったらいいと思うにゃ」


 猫少女が声を上げる。


「グンソウさんとゴウテンさんは悪い人じゃないと思うにゃ」


「ピコラさん……! そんな勝手に」


「大丈夫にゃ! 鴉の奴らだったら私たちのこと馬鹿にするに決まってるにゃ。何より鴉に人間はいないし、同盟に新人類はいないはずにゃ」


 言ってることはよく分からんが、援護射撃助かるにゃ。


「確かに、人間が鴉に所属するなんて聞いたことがありませんが……」


「それに、今夜はあいつらが出てくるから、人手が多い方がいいにゃ」


「あいつら?」


「そこからは私が説明しましょう」


 少女の後ろから、杖を突きながら老婆が現れる。顔の皺から、結構歳を食っているのが分かる。その頭には小さいながらも獣の耳が生えていた。


「お、長! お体に触るので歩いては……」


 兄ちゃんが婆さんに駆け寄る。長と呼ばれているということは、この婆さんが集落の頭ということらしい。確かにその両目からは歳不相応な眼光が見え隠れしている。


「大丈夫ですよ、ポポ。それより……人間と新人類の組み合わせとは、異なものですな。失礼ですが、お名前は?」


「初めまして。こちらが轟天で、私が……」


「軍曹は軍曹です」


 轟天が代わりに答える。いや、何で?


「グンソウさん、何故人間なのに新人類と共に行動されていらっしゃるのですか?」


 お婆ちゃんにまで軍曹って呼ばれちゃったよ。まぁ無暗に名前を教える事も無いだろう。それに、偽名は俺が扱いなれていないし、もうこれでいいや。

 この婆さんの言う新人類はおそらく轟天のことだろう。兄ちゃんの反応からしても、これはどうも俺の様な普通の人間と彼等の様な新人類とやらは何かしらある、ということだろうか。


「彼女とは同じ組織に属していまして、共に任に当たっています」


 どうせこの婆さんも日本を知らんのだろう。うすうす感づいているが、ここは俺たちの常識がまったく通用しない地域なのかもしれん。


「同じ組織? 人間と新人類が共に属する組織なんて聞いたことがありませんが……」


「すごいにゃ! 見てみたい!」


 驚きの声が上がる。


「私のような人間と、貴方たちのような新人類が行動を共にすることは珍しいのですか?」


 俺の質問に婆さんはすぐに答えない。


「……我々新人類と人間との争いは長きにわたっています。この世界にいる者で、それを知らない者はいない。貴方はどこから来なさった?」


 婆さんが射貫くような視線を俺に向ける。

 しばしの沈黙。


「……失礼しました。私は大陸……いえ、日本から参りました。ご存じですか?」


「二ホン……いえ、申し訳ありませんが、存じ上げません」


 婆さんの答えは案の定だ。やっぱりか。ここは一体何処なんだ。


「率直に申しまして、貴方はこの世界とは異なる世界から来なすったのでしょう」


「異なる、世界? はは、一体何が何やら……」


「信じがたいことですが、これは紛れもない事実なのです。まさか、この集落に訪れるとは思いませんでしたが」


 何を言っているのだこの婆さんはと思うが……。正直な所、本当なのではと思ってしまう。本当なら、これまでの出来事にも納得できる部分がある。


 轟天を見る。何か考え込んでいるようだ。いつになく神妙な顔つきの轟天も可愛いと思った時、轟天がつぶやく。


「彼の世界を、喰らえ……」


 どくんと心臓が波打つ。今轟天が口にした言い回しには、覚えがある。


「轟天、今のは……」


「確か、そう言われたような……あの時、()()()()()姿()()()()()()()……」


 二人して考え込む。

 そんな俺達を見かねた少女が口を開いた。


「ねーねー、とにかく二人は他の世界から来た人なんでしょ? どんな世界なの? 人と新人類が仲いいのにゃ?」


 急にまくし立てられて狼狽してしまう。そんな俺達を見かねて、長が少女を窘める。


「これピコラ、困らせてはいけないよ。失礼しました。ここ数日外に出れないので退屈しているようで……」


「むー、暇にゃ。あいつらが出てこない明るい間は外に出ても大丈夫だと思うにゃ」


「そういえば、さっきもあいつらがどうのこうのって言ってたね。何のことなんだい?」


 婆さんの言っていることよりもまだ脳が許容できる内容であろうと思い、少女に聞いてみる。話題を変えたいという思いもあった。


死者(ゾンビ)にゃ」


「ぞん、び?」


 にゃにそれ。


 首を傾げていると、婆さんがゆっくりと口を開く。


「実は、この集落は少し、いや、かなり困った状況に置かれておりまして……」

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