腐乱フラン 1
日が昇ってから歩き始めて結構な時間が経過した。俺達は森を抜けて雑木林が点在する平野を進んでいる。
「軍曹!」
肩ほどまでの長さの僅かにくせのある黒髪に、灰色の前髪が少し混ざった可憐な少女が嬉しそうに話しかけてくる。俺の階級は軍曹なのでそう呼んでいるようだ。
「どうした? 轟天」
「我々の置かれた状況を把握するためにも、付近の集落に寄るべきかと!」
「そうだな、まずは情報が欲しい。ここは一体どこなのか。俺たちがいたはずの大陸とは気候が違いすぎる」
「はい、それに匂いがまったく違います。轟天もここは我々が戦っていた場所ではないと愚考するであります!」
「匂い? そんなこと分かるのか?」
「はいっ! 轟天は軍犬として訓練を受けました! ですので匂いをかぎ分け判断する能力に長けておるのでありますです!」
轟天は嬉しそうだ。嬉しさのあまりか言葉が多少変だが、かわいいので突っ込まないでおく。
「ほう、確かに軍犬はその嗅覚をもってしての警戒や捜索任務も得意だな」
「はいっ! 軍曹のもとに辿り着けたのもこの力のおかげなのです!」
「えっ、俺って臭いの?」
「はい!」
「……」
「軍曹の匂いはとても安心する匂いです!」
「そ、そうか」
「はい!」
「ごほんっ、あー、お前がこの森で気が付いたのは昨日のことなんだよな?」
「? はい。今からおよそ半日ほど前かと思われます」
「なるほど。俺もおそらくそのくらいに目が覚めたと思う。俺とお前はほぼ同時にこちらに移動していたようだな」
今わかることはそのくらいか。ともかく情報だな。近くに集落でも何かしらの施設でも、意思疎通のできる人間のいるところがあればいいが。……もっとも昨日の気狂い共の様なヤバイ連中はごめんだが。
「お前の提案のとおり、現地人から情報を得たい。匂いで何かしら分からんか?」
「ふっふっふ、実はこの先から複数の人間や獣の匂いがするのであります! おそらくですが、村の様な人が集団で生活する集落が存在しているかと思われます!」
轟天が得意げに答える。俺に褒めて欲しいのか、尻尾がもうぐわんぐわんしている。かわゆい。
「おお、そんなことまで分かるのか……流石は俺の相棒だな!」
轟天をわしわししてやる。
「おおぉぉ……ありがとうございます!」
こいつもこいつで実に気持ちよさそうにわしわしされている。これは実にわしりがいがある。
「わふぅ……」
わふぅだって。かわゆ。
そんなことをしているうちに、行く手に柵が見えてきた。村だろうか、民家の様な建物が何軒もその内側に並んでいる。
「あれです!」
轟天が指でその集落を示す。いよいよ現地民との接触だ。ここが何処だかわからん以上、気を抜かないようにしなくてはならない。俺の脳裏に昨日の鴉面の連中が浮かぶ。
「一応警戒はしておいてくれ。仮に敵対してきたとしてもすぐ対応できるようにな」
「了解であります!」
しばらく進み、建物群が柵に囲まれた集落であるということが一目でわかる距離まで接近する。隠れて近づくのが一番良いのだろうが、轟天がいるので正面から接触してもなんとかなると踏んだ。
そこまで規模の大きな集落ではなく、家屋の数からしておおよそ人口は数百人規模といったところか。
だが、様子がおかしい。外を誰も出歩いていない。
「うっ……」
隣にいた轟天がしかめっ面をしている。
「どうした?」
「あの集落、臭います」
「やだ、あの村臭いの?」
「はい。これは、死臭です。おそらく、大量の腐乱した死体が浅い地面に埋められていると思います」
大量の死体。おそらく戦闘に巻き込まれた民間人だろう。死臭がするということは土葬か。火葬が追い付かないほどの死者が短期間に出たということだろうか。もしそれに近い状況なら、我々に非協力的になっているかもしれん。しかし、ここがどの国のどの地域なのか分からんが、こんな所にまで戦火が広がっているのか。まぁ、今回の戦争は世界中に広がっているので、その可能性も十分あるだろう。
「……危険かもしれません」
集落から目を離さずに轟天がそう言って警戒を促す。
「どういうことだ? 何か分かるのか?」
「建物の中に確実に人がいます。しかし、中からこちらの様子を伺っているような、そんな気配を感じます」
「そんなことまで分かるのか……すげぇな」
轟天の言っていることが本当なら、俺達が接近していることは既に気付かれているだろう。そして、軍服を着ている俺を警戒していることになる。これは一筋縄ではいかなそうだ。
「轟天が先導します。軍曹は後ろに」
轟天の目つきが変わる。先ほど俺にわしられてうっとりしていた表情とは打って変わって真顔になっており、その目は集落をじっと見据えている。入り口はもうすぐそこだ。
集落の中に足を踏み入れる、が、人っ子一人見えない。だが、俺も感じる。住民は家の中からこちらの様子を伺っていやがる。
「どうだ轟天。何か感じるか」
「……おそらく、明確な敵意は無いかと。むしろ、こちらに対する恐怖心というか、そういった怯えに似たものを感じます」
……ふむ。兵士を恐れているのか集落の外から来た人間自体を恐れているのか。何やら訳ありであることは間違いないだろう。集落を機能させる諸作業をほっぽり出してまで家にこもっているのだ。ここは村長といったこの村の有力者と接触を図ったほうがいいかもしれんな。
「この集落で一番でかい家に向かおう。おそらくそこには指導者の立場にある者がいる。そいつと直接話した方が手っ取り早い」
「はい、わかりました。たぶんですが、あの建物が一番大きいかと」
轟天が指さす先には確かに他の家よりも少し大きく、屋根にも多少の意匠が凝られた建物があった。
俺と轟天はその家の前まで行き、入口の戸前で立ち止まった。
そういえば、言葉は通じるのだろうか。昨夜は変なヘルメットの一人が日本語を喋っていたはずだ。日本語が通じるということは、ここは東南アジアのどこかだろうか。しかし、そこまでアジア感は出ていない。もっと、こう、気温と湿度が高く植物もそれっぽいものが生い茂っている気がする。季節的に俺がいた大陸付近ではないとなると、俺の知識ではここがどこなのか想像もつかない。
まぁ、深く考えなくとも今から情報を入手できるかもしれないと思い、入口の戸を叩く。なるようになるのだ。
「ごめんくださーい! 誰かいませんかー!」
無反応。
「戸を蹴破りましょうか」
「えっ」
そのとき、
「ど、どなた様でしょうか?」
中から怯えた様子の声が聞こえてくる。比較的若い声だ。しかも日本語だ。ほっと安心する。
「私は日本陸軍の者です。ご協力いただきたいことがあるので、戸を開けていただけませんか」
「二ホ……リ、ク……?」
相手が戸惑っている。俺の言葉に覚えが無いのだろうか? そんなに遠方なのかここは。
すると、轟天が声色を低くして凄む。
「開けてくれないとこの扉を破ります」
おい。
「あ、開けますので! 破らないで!」
「開けていただける様です!」
「お前なぁ……」
今度ちょっとここら辺の常識というかなんというか、少し教えてやらんとな。
キィと音を立てて戸がゆっくりと開く。そこには、青年が怯える様な表情でこちらを見ていた。その青年の頭は人間と変わらないのだが、驚くことに轟天と同じように獣の尻尾を生やしているいた。
目の前の青年の予想外の見た目に驚いていると、
「ど、どういったご用件で……?」
彼が口を開いた。流暢な日本語である。
「あ、ああ、私は日本陸軍所属の者です。実は、この地域で便衣兵による武装集団が組織されています。その調査に当たっているのですが、現地の方が何かご存じないかと思い参りました。この村の代表の方にお目通し願えないでしょうか。」
とりあえず口八丁にでまかせを並べる。最もなことを言っておけば変に疑われることもないだろう。それに、部隊から落伍した兵士ということがばれると最悪の場合襲われるかもしれない。
「ほぇ……?」
後ろで轟天が首を傾げてぽかんとしている。しまった、口裏合わせるの忘れてた。轟天の方に振り返って話を合わせろと目配せする。轟天はそれに対して目を輝かせて頷く。俺と轟天の仲だ。これでばっちり伝わっ
「おらぁ! こちらの質問に嘘偽りなく答えなさい!!」
「ひぃ、ひぃぃ!」
「さもないとぐぇ」
轟天の首根っこを掴む。
「轟天君……何してるの?」
「はいっ! 尋問です!」
首根っこを掴まれたまま、ぴしっと轟天が答える。今の尋問なんだ……。
「何で尋問してるの?」
「先ほどの合図は尋問の指示でありましょう!」
えぇ……全然伝わっていなぁい。
「轟天。待て、だ」
「は、はい。しかし……」
「これより俺の指示無しに尋問及びそれに準ずる行為を行うことを禁ずる。守れるな
?」
「あぅ、わ、わかりました……」
轟天はしゅんとなって引き下がった。耳がぺたっとなっている。……かわいいので後で慰めてやろう。
「ああ、部下が失礼しました。誤解していたようです。こちらは貴方に危害を加えるつもりはありません」
尻もちをついて震えている彼に手を差し伸べる。轟天に凄まれて可哀想に。
「あ、ああ。ありがとう、ございます」
そう言っておずおずと取ってきた彼の手を引っ張ってあげる。
「あ! あ、貴方は人間では……!?」
立ち上がった兄ちゃんが俺を見ながらぎょっとした様子で訊いてくる。何言ってんだこの兄ちゃんは。人間でなければなんだと言うんだ。
「勿論、私は人間ですが……」
「な、何故人間の方がこの村に?」
「え、先ほどご説明したとおりですが……」
「あ、あの、この集落の新人類は鴉に属していません。皆争いは好みませんし、人間に敵対しようとは考えていません!」
「え、あ、ああ、そうなんですね……? その、鴉に新人類? とは?」
「へ?」
目の前の青年は怯えながらもきょとんとした表情を見せる。会話が噛み合わず、目の前のこの兄ちゃんが得体の知れない存在のように感じられる。実はここは、村の形を装った危険な新興宗教の秘密組織か何かなのではないのだろうか。だとしたらさっさと逃げたいぞ。
「こ、この村には、鴉から離れた新人類しかいません」
「は、はぁ……。それはご苦労さま? です……」
どういうことだ。新人類ってなんだ聞いたことないぞそんなもの。新しい人類ってことなのか? 俺がおかしいだけか? それとも、この兄ちゃんは俺をだましているのか?
「すみません、少々お待ちを」
「は、はぁ……」
轟天に目配しながら顎で部屋の隅を指す。きょとんとしている兄ちゃんと離れ、隅の方で轟天とひそひそと相談を始める。
「なぁ、あの兄ちゃん嘘ついてると思うか?」
「いえ、汗を多量にかいて心拍数は早い。嘘をついている様には見えません」
「なるほど……では、あの兄ちゃんの言う新人類とやらは……」
「察するに、この地域では普通に存在する生物なのでしょう。おそらく、普通の人間に獣の要素が多少混ざった轟天の様な者を新人類と称しているのでは」
おお、流石俺の相棒、強いだけでなく頭も切れるとは。しかし、轟天の言う通りなら、ここは一体どこなんだ。俺の知る限り、新人類なんているとは見たことも聞いたこともない。俺自体あまり学はないから知らないだけで、いる所にはいるのかもしれんが。
「調査を続行する」
「はっ」
青年に振り返る。少しびくっとした気がするが気のせいだろう。再び目の前の青年に話しかけようとしたと時だ。
「おにーさん、嘘ついてるにゃ」
変声期の前の少年の爽やかさと少女特有の儚さが共存するような、とても可愛らしい声が聞こえて来た。
振り返って声のした方を見ると、そこには白い髪の少女が一人、隠れるように奥から顔だけを出していた。その頭には青年とは異なり、轟天と同じように獣の耳が生えていた。
その瞬間、俺は自分の脳内が突沸するかのように熱くなるのを感じた。