Soldier meets dog girl 1
「ん……」
徐々に意識が覚醒する。
「ここは……」
目を覚ますと、そこは闇の中だった。ああなるほど、あの世ってこんな感じなのかと思いつつ、ゆっくりと状態を起こす。
「くっ」
体中が痛む。確か全身いたるところをぶち抜かれたような気がするが……。あの時は麻酔でもうたれたかのように痛みを感じなかったが、今はひどく痛む。
ちょっと待て、体が痛むということは、まだ死んではいないのでは? あの世ではだいたい無傷ってのが通説ではないのか?
仮にまだ死んでおらず、ここがあの世でなくこの世であるなら、目を覚ませたのは幸甚だ。普通は出血多量で死んでしまうところだ。生き残る為、まずは傷を塞がねば。
「……違う」
あの後、何かと会った。何かを言われた気がするが……。
「駄目だ、思い出せん」
思い出そうとすると頭に靄がかかったような、思考が鈍るような感覚に陥ってしまう。まぁ、思い出せないということは大した内容じゃないだろう。たぶん。
そのとき、辺りがうっすらと明るくなる。どうやら雲の切れ間から月の光が差し込んだようだ。月に照らされて木々の葉がきらめく。ここは……森か?
どういうことだ。先ほどまでいたはずの戦場は、草木などまったく生えていない更地のような場所だったはずだが。駄目だ、訳が分からん。
ゆっくりと体を起こすと、めまいと寒気がする。これはいかんと傷の様子を確認する。
……これは、生きているのが不思議なくらいだ。体中銃創だらけで銃剣で突かれたであろう傷もちらほら見える。
「はっ……敵さん方も、たかが一人と一匹相手にちったぁやりすぎじゃねえか」
一匹? そうだ、あいつは、轟天はどうした。辺りを見回すがどこにもいない。
……あいつの屍が、近くにあるかもしれない。弔ってやらねば。あの勇敢な相棒を。あの時、敵の銃弾にとうとう力尽き倒れる中で、視界の端に銃剣で無造作に貫かれる轟天の姿を見たのだ。
それにしても……俺は何故、生きていられる? この傷なら普通は死ぬだろう。にもかかわらず生きている自身に違和感を抱きつつ、右腕に目を落とす。ニ発ほどもらった右腕は、上腕二頭筋でもめくれているかのようでだらんと力なく垂れている。
だが、不思議と血は止まっているのだ。
すげぇな俺は、ここまで丈夫な奴だとは思わなかった。初陣では弾が足をカスって出血しただけで痛ぇ痛ぇって転びまわりながら小便ちびってたのに。
感心もそこそこに辺りを見渡すと、少し離れた所にキラリと月明りを反射する黒い刀身が目に入る。あれは、俺の銃剣か。なんとか這って行き銃剣を拾う。こいつがあるだけでも安心感が段違いだ。
続いて近くの木まで這って進み、寄りかかりながらなんとか立ち上がる。目が覚めた時には動かなかった足は、今は動く。ここがどこなのか、まずは状況を認識しなければ。俺は足を動かし進み始めた。
*
半日ほど歩き回った後、俺は岩の上に腰を下ろした。驚くことに全身の傷は完治とまではいかないが、そこそこ治り出してきているのだ。切創はふさがり銃創からは弾が勝手に出てきた。こいつは凄い。我が体ながら、その回復力には若干の不気味さも覚える。そしてさらに驚いたことがもう一つ。
「うーむ。ここがどこだかまったくわからん」
俺がいた大陸は冬だった。しかし、ここはそこまで寒くはない。既に上着は脱いでしまっている。つまり、もといた場所の近くではないということは確かだ。対して俺の体にはあの時の死闘の傷が残っていた。短い時間で気候が大きく変動する距離を移動したというのだろうか。
「……困ったな」
いや本当に困った。ここがどこなのか分からなければ原隊に戻ろうにも戻れない。そもそも、簡単に戻れるような距離ではないだろう。うろうろしても分からないので、誰か人に会って情報を得なければ。しかし、ここは森の中。近くの集落はどの方向なのだろうか。
そして、さらなる問題が一つ。いや、問題が解決するかもしれないが。
「……俺に何か用か?」
暗闇に声をかける。先ほどから何人かに尾行されているのだ。
声をかけてしばし待つ。すると観念したのか、そいつらが姿を現した。
「なんだぁ?」
素っ頓狂な声をあげてしまう。そいつらは皆、奇妙な恰好をしているのだ。
全員そろって顔全体を覆うでかい嘴のついたヘルメットのような、よく分からんものを被っている。そういえば昔どこかで絵か何かを見た記憶があるが、かつて欧州でペストが流行したときの防護マスクに似ている気がする。十人近い人間が皆そんな恰好をしており異様な光景だ。正直かなり気味が悪いが……。
さらに気味が悪いことに、そいつらは俺を取り囲んでいる。
こいつら敵か? いや、こんな珍妙な出で立ちの兵がいるのか? だが、こいつらは事実俺を取り囲んでいる。それだけではなく、その手には鍬から槍といった物騒なものまで握られている。敵意があることは明白だ。とてもじゃないが情報を聞けるって感じじゃあない。
とりあえずこちらに争う意思はないことを伝えるために意思疎通を図るべきだろう。いや、そもそもこいつら日本語通じるのか? 通じないだろうな……。
「あんたら何者だ? そんな物まで持ち出して、俺に何か用なのか? 俺はあんたらみたいな素敵な恰好の集まりなんて知らないぜ。人違いじゃあないか?」
するとひと際背の高い奴が俺を指さした。おっ、こちらの意図が伝わったかな? じゃあどうせ人違いとかだからさっさとどっか行ってもらって……
「殺せ」
日本語をしゃべったと思う間もなく、連中が俺めがけて殺到する。
「畜生! 聞く耳なしか!」
くそっ、こちらは銃剣しか持ってないぞ! なんとか突破して逃げなければ!
一人のヘルメットが鉾を突いてくる。が、遅い! それを見切り、鉾を片足で踏みつける。相手は握ったままの得物を地面に踏みつけられ、大きく体制を崩す。すかさず渾身の一発を顔面にお見舞いする。
「ぎぇ!」
悲鳴を上げて転んだ男に邪魔され、後ろにいた他のヘルメットたちが狼狽える。その隙を逃さず、拾い上げた鉾でそいつらを薙ぎ払う。思わぬ反撃を受けて連中が混乱しているようだ。やはり、こいつらは兵士ではない。動きが訓練されていない素人同然だ。
俺は地面に転げて呻いている数人を飛び越え、連中の包囲から逃げ出す。
「に、逃げたぞ!」
「追え! 殺せぇ!」
殺る気まんまんだな。おっかねぇ。
「……ちっ」
足が思ったように動かない。まだ万全の状態ではないのだ。
後ろからは怒号と共に大勢の足跡が聞こえてくる。くそっ、このままじゃすぐに追いつかれちまう。
「轟天……」
すまん、お前の屍を弔ってやれなさそうだ。
そう思い腰に差した銃剣を握った時だ。
何かが木の間から飛び出て来た。
その何かは俺と連中の間に着地した。
「な、何だ!?」
よくよく見ると、飛び込んできたそれはなんと一人の少女だった。そして、その少女は奴らと対峙しており背中を俺に向けている。いきなりの事に少々混乱してしまう。
「何で婦女子が……ってうわぁ」
驚いて情けない声が出てしまう。というのも無理はない。どういうわけかその少女は全裸なのだ。全裸なのに首輪のようなものを身に着けている。畜生! なんて背徳的な恰好なのだ! その歳で上等な変態だなんて、親は一体どういった教育をしてるんだ!
その少女は少し俺を横目で見る様な仕草をするも、すぐに前を向いた。そして次の瞬間、何と、連中に襲い掛かったのだ。
「な、なんだこいつは!?」
連中の先頭にいた奴が驚きの声をあげながらも、持っている武器を構える。少女はひるむことなくそいつに襲い掛かる。
そこからはあっという間だった。
少女は先頭で武器を構えていた奴に一瞬で接近したかと思えば、勢いを乗せた拳を腹にぶちかます。殴られた奴は臓物をまき散らしながらくの字に曲がった格好で吹っ飛び、後ろにいた連中をニ、三人巻き込みながら転がっていく。
他の奴らが慌てて武器を構えるも、それより早く近くの一人に肉薄する。そして、そいつを掴んで他の連中に向けてぶん投げる。投げられた奴は何人かにぶつかっただけでは止まらず、木をなぎ倒して吹っ飛んでいった。
少女は残った奴らも同じように処理し、ヘルメットの連中は全滅した。
「……すげぇ」
思わず口から興奮が漏れる。この少女は凄まじい強さだ。拳一発で、投げ一投で、連中をまとめて死傷させた。なんて奴だ。
少女がこちらを向く。その顔は返り血に濡れている。風でたなびく黒い髪が月明りで照らされ、前髪の一部分は灰色であることがわかる。
咄嗟に銃剣を構える。こいつが味方とは限らない。もし敵対してくるなら、まずいことになる。こんな凄まじい戦闘能力を持った変態、一体どう相手すればいいのか。いよいよ年貢の納め時か。
しかし、なかなか少女は襲ってこない。さっきはまったく容赦せずに連中を殺したのに、俺には恐怖を与えてから殺そうってか。やっぱりとんでもない変態だぜ畜生。
そのとき、少女が微動だにせず俺の方を見ていることに気が付く。よくよく見ると、じっと俺の顔を見つめているのだ。目にはうっすらと涙を溜めている。その目を見て、俺は何か懐かしいものを感じた。
その目、その信頼に足る目を俺は知っている。
こいつは、まさか……。
あいつの顔が脳裏をよぎる。最期の突撃の時、俺と共に来てくれたあいつの顔が。
その時、少女がこちらに駆け寄って来た。不思議と恐怖は無い。それどころか、俺は構えを解いた。そして――――
「軍曹!!!」
「轟天!!!」
少女は叫びながら俺の胸に飛び込んで来た。