グチャリ開宴 1
翌朝。
目を覚ます。横になったまま目をこすり欠伸をするとひんやりとした空気が肺の中に一気に入ってくる。森の中ということもあってか夜から朝にかけては結構気温が下がるらしい。昨日はゲンさんに布を貸してもらい居間の床で寝たがそんなに厚手の布ではなかった。それにしてはあまり寒さを気にせず快適に寝る事ができたなと思っていると、何かがもぞもぞと布団代わりの布の中で動きだした。
「ふぇっ」
俺が驚いて固まっていると、中のそれはゆっくりと俺の頭の方へと移動し……、
「軍曹、おはようございます」
轟天がにゅっと顔を出して笑顔で俺に挨拶してきた。
「や、やだびっくりしたぁ……おはよう、何してるの?」
「気温が急に下がってきていたので、軍曹のお体を温めておりました!」
「そ、そうなの、ありがと……」
「お安い御用であります。犬の姿の時は、こうしてよくご一緒させてもらいました!」
そういえば、こいつはよく俺の布団の中に忍び込んできたな。それからいつしか一緒に寝るのが当たり前のようになったんだっけか。
「そういやそうだな」
そう言って頭を撫でてやる。首だけ出した轟天も朝からかわいらしい。
このまま轟天と寝ていようと思ったが、喝を入れて起きることにした。今日は賊を潰しにいくので多少の緊張感は持たなければいけない。
「おお起きたか」
玄関が開いてゲンさんが入って来る。小さな籠を背負っており、その中には山菜の様なものが入っている。
「今日は空が曇っておる。一雨くるかもしれんな」
そう言いながら暖炉に火をともすと、山菜を入れた鍋を火にかける。
「朝食は少し待っててくれ。といっても、大したものは用意できんがの。賊のおかげで近くに野草を取りに行くくらいしかできんのでな」
「いえ、朝食まで、かたじけない」
いいんじゃと笑いながらゲンさんは支度を始める。そういえばビャクはまだ寝ているのか。まぁいなくてもいいというか、いない方がいい気もするので寝させておいてやろう。これから向かうのは賊の討伐なのだ。
賊共はここから北東に位置する沼の付近をねぐらとしており、人数は正確には分からないが少なくとも10数人はいるだろう、とのことだ。そのくらいの人数は問題ないと考え俺と轟天で強襲をかけることにした。
「ねむい」
その時、ビャクが目を擦りながら寝室からこちらの部屋に入って来た。ちくしょう起きやがった。こいつは絶対ついてくるぞ。
「おはよう。リサちゃんは?」
「まだねている」
ビャクはふらふらと歩いて椅子に座った。それと同時にゲンさんが茹でた山菜を盛った皿を机に置く。
「こんなものじゃが食べてくれ」
「いただきまふ」
ぼぅっとしながらビャクが山菜に手を伸ばす。
「あじがしない!」
「文句言うんじゃありませんよ」
ビャクを窘めながら、俺達もいただくことにした。
*
朝食を取った後に、俺達はさっそく出発した。結局ビャクもついてきた。新人類の賊について現地調査をしたいそうだ。仕方ないが持たざる者しかいないのであれば大丈夫だろう。
外に出ると昨日より気温が下がっているのがはっきりと分かる。空はどんよりと曇っており、ゲンさんの言った通りそのうち雨が降ってきそうだ。森の中は昨日以上に薄気味悪く、さっさと済まして戻ろうと考えているうちに沼に到着した。
「意外と近いな」
「はい、直線距離にしておおよそ五百メートルいったところでしょうか」
「よく今まであの家が見つからなかったな。まぁ、わかりにくい所に建ってるからか」
沼は結構大きく、ちょっとした湖といっても差し支えない程であった。俺達のいる箇所の丁度向かい側の岸辺に、いくつか掘っ立て小屋の様なものが建てられている。なるほどあれが奴らのねぐららしい。それにしても、なんて粗末な。彼等の境遇を想像すると、少し情が沸きそうになる。しかし、賊は賊だ。リサちゃんの安全のためにもここで潰しておかねばならん。
連中に見つからない様に木々に身を隠しながら、沼の岸辺をぐるっと回って接近しようと進んでいる時だ。隣を歩いていた轟天が足を止める。どうしたのかと思い彼女を見ると、何かに警戒しているのか眉間に少し皺が寄っている。
「どうした?」
「賊の拠点からですが、匂います」
「匂い? 何かいるのか?」
「これは……おそらく、血の匂いかと思うのですが……」
轟天が言い澱む。こいつの鼻はよく訓練されている。その嗅覚でもってしても分からないのか。
「何か変なのか?」
「はい……血の匂いに混じって、強烈な鼻を突く匂いがします」
「鼻を突く匂い……」
嫌な予感がする。というか血の匂いとはなんとも物騒である。
「なにもにおわないぞ」
ビャクがくんくんと匂いを嗅ごうとしている。
「こいつの嗅覚は抜群だからな。俺達人間では分からない程遠い場所の匂いも嗅ぎとれるんだよ」
「なんと。やはりけものつきは、ひとのごかんをはるかにりょうがしているやつがおおい。それでいて、のうりょくをもつこともかのうなんてずるいぞ!」
ビャクがぷんすか憤慨している。顔が綺麗な分、これはこれでかわいい。轟天の方がかわいいがな!
しかし、鼻を突く強烈な匂いときた。以前にも轟天が死臭がすると言ったら死体が歩き回っていたが、今度は一体何が飛びだすんだ? 世界の不安定さを理由に何でも起こりそうな気もする。
「ここから正確な状況が分からない以上、もっと進むしかないな。何かに気が付いたなら教えてくれ」
轟天の頭を撫でてから歩き出す。轟天は少し心配そうな顔で俺の隣を歩いている。その後ろでは、ビャクがくんくんと匂いを嗅ごうとしては何もわからんとぶつぶつ言っている。
連中の拠点が徐々に近づいてくる。そして、それらも目に入って来る。
「あれは……」
掘っ立て小屋の周辺に何かが沢山転がっている。
「おそらく、皆死んでいるでしょう」
すっかり眉間に皺を寄せた轟天が言う。ということは、あれは死体か。
もう少し近づいてみると、その異常さに思わず目を反らしたくなる惨状が広がっていた。
「……なんだこりゃあ」
どの死体も、体の一部が溶けているのだ。首から上が溶けて毛髪だけが粘液に張り付いている死体、胸が溶けて背中の脊椎まで露出している死体、両手が溶けて苦悶の表情を浮かべている死体、中には上半身が全て溶けてしまっている死体もある。いずれの死体も、溶けている部分は蝋燭の蝋がとろけるようにどろどろになっている。
辺り一面血と粘液でぐちゃぐちゃになっており、地獄絵図の様相を呈している。
「えぐい!」
「……臭いが強く、伏兵の有無が察知できません。二人とも気を付けてください」
青臭いような不快な臭いと腐敗臭とを混ぜて100倍に濃縮したような凄まじい悪臭がする中、周囲を警戒しながら轟天が言う。あまりに激烈な臭いのせいか、彼女の額には汗が浮き出ている。
「この異様な死に方、もしかして能力持ちの仕業か」
「こんなのうりょくきいたことないおろろっ! かりに、のうりょくもちがやったとすれば、そいつはとんでもなくやばいやつだぞげおおっ!」
「吐きながら喋るんじゃありません! だが、確かにえげつない能力だな……」
「のうりょくは、そいつのせいかくやしそうといった、こうてんてきなよういんがえいきょうすることがおおいのだっ」
吐き終わったビャクが青い顔で説明し出す。焦っているのか、とても早口だ。
「せんてんてきに、のうりょくをもってうまれるけものつきは、とてもすくない。ほとんどののうりょくもちは、それまでのきょうぐうがそののうりょくをけっていづけるのだ。こんなのうりょくをもっているやつだ、おぞいやつにきまっているっ」
そう言ってきょろきょろと辺りを見回しながら、轟天の後ろに隠れるようにしがみ付く。
「であったりすれば、なにされるかわからんっ!」
足元に転がっている死体を見下ろす。右半身がどろどろに溶け、残った左側の臓物がこぼれてぬらついている。なるほど、ビャクの話が本当ならこんな事をやらかす能力持ちは相当アレな奴なのだろう。
「随分詳しいじゃないか。流石、学者さんの名は伊達じゃないようだな」
「あたりまえだっ!」
青い顔のまま憤慨する。昨日の事といい、結構有能な奴なんだろうな。頭がちょっとアレな奴かと思っていたが。
「死体は13体です。生き残りは確認できませんでした」
轟天の報告を受ける。ということは、盗賊達は皆死んでいるということなのだろうか。このねぐらを何者かが襲ったということが考えられるが、一体誰が何のために? 仮に襲った奴が能力持ちなら、鴉の幹部である可能性が高い。そして鴉は俺達の命を狙っている。
「……嫌な予感がする」
妙な胸騒ぎに襲われる。今すぐにゲンさんとリサちゃんのいる家に戻った方が良い気がする。
「一度戻ろう」
俺の提案に二人は頷く。
空は今にも雨が降り出しそうだ。
「あ、やっぱちょっとまってくれ。こいつらのしたいのかんさつをだな……」
「戻るんだよ馬鹿ぁ!」