閑話1 従者の心
【※リヴァイアサン視点です】
あの時は……そう、水浴びをしたい気分だった。
だから、海に向かっていつも通りゆっくりと移動していた。
ようやく海が見えたので、空を泳ぐ速度を緩めたら、突如として目の前に歪みが出来始めた。
これには驚いてわた──コホンッ、我もビビって目を閉じてしまった。
目を開けたら視界には待ちわびていた海ではなく、それとは真逆の森が広がっていた。
そして、真下には確か、畑というものだったか? それと人間共がちらほらといた。
──ん? んんんん?
我は意味がわからず少しの間だけ固まってしまう。
人間共は我を見て何か騒いでいる。
我だって騒ぎたい。水浴びはどこに行ったと喚き散らしたい。
『壊せ』
──ぬ? 誰だ?
直接脳内に響くような声。
我ら竜族が使う念話に近いものだろう。
『殺せ』
──我に命令するな!
威嚇するように吠える。
その影響で下にいる人間共が吹き飛ぶが、その人間共が命令しているという可能性もある。
これで命令が聞こえなくなればいいのだが。
『そうだ。そのまま全て壊せ』
声は消えない。
その声を聞いているうちに何故かその声に従わなければという思考に陥ってしまう。
竜族に命令するなど侮辱に等しい。
普通なら竜族を馬鹿にした罪として殺してやるのだが、それをしてはいけないと何かが囁く。
下にはまだ人間の──敵の気配があった。
壊さなければ、殺さなければ、我の全力を持って──命令に、従わなければならない。
そんな気がした。
『やれ……』
竜族が最強と謳われている理由。
それは圧倒的で絶対の力があるからだ。
それの代表である竜族のブレス。
我はそれで全てを壊してやる気でいた。
────だが。
ブレスを放つ直前に、我と生き残りの間に割って入ってきた小娘。
何をしても遅い。小娘程度が何を出来るのだ。そう思って放った一撃は、何も無かったようにかき消されてしまった。
我は何をされたのかわからなかった。
命令の通り全力で放った最強の一撃を無効化された?
そういえば思い出した。
人間は一人一人が能力という物を持っており、人間によってどのような能力が備わっているかわからない。
時には『勇者』などという我ら竜族すらも滅ぼせる強力な者が現れるらしい。
もしやあの小娘も?
『──殺せっ! あの娘を一刻も早く!』
珍しく焦ったような声がした。
珍しく? 我と声の主はそんなに長い付き合いだったか?
……そんなこと今は関係ないな。
今は小娘を殺すことに専念しよう。
──我の命に変えてでも。
ブレスを無効化されても、我のような巨体の突撃であれば、道連れに出来るだろう。
そう考えて口を開きながら、小娘の周囲一帯ごと丸呑みしてやろうとしていたのだが、小娘と目があった途端に全身に悪寒が走り、身体の自由が効かなくなる。
『ここまで、か……眼め……世……を越え……も、……を邪魔……る、か』
我を命令していた声は掠れて聞こえなくなった。
今思えば我に命令するとかムカつく。
世界中を探し回って命令したことを詫させてやりたいが、今はそんなことする余裕もない。
何故なら身体が動かないからだ。
小娘が何かをした様子はない。
だが、これは小娘がやったのだと理解出来る。
確信は小娘の目にあった。黄金色に光る目、それは我ら竜族にも悪夢として語り継がれている伝承と一致する。
間違いない。あれは『魔眼』が宿りし者だ。
今は冷静になった頭で必死に考える。
伝承の通りであれば、今の我は魔眼に支配された状態。小娘は支配した我を簡単に殺せるだろう。
──そうだ! 今は迷惑をかけたことを詫びなければ。
ひとまず娘に身体の自由を許してもらって人の姿になり、謝罪をしようとしたら、体をジロジロと舐められるように見られた。……いや、本当に舐められた。
あの威圧感からは想像出来ない豹変ぶりだったが、抵抗は出来ない。
例え体が支配されていなかったとしても、謎の恐怖で抵抗は出来なかっただろう。
我は竜族の掟『負けた者には忠誠を』という掟にのっとり、セリアという娘に下僕にして欲しいと願った。
確かに掟には忠実に行動するのが竜族として当然のことなのだが、セリア様と共に行動していけば我も更に強くなれるという確信があった。
我も必死で途中から物凄く恥ずかしいことを言っていた気がするが、それも本心だ。
我も人里に降りて人間と交流していた時期があった。人間と話すのはとても楽しく、我は毎日のように人里に降りて遊んだ。
だが、人間という臆病な生物は我が竜族だと知ると、親しくなった仲であろうと手のひらをくるりと裏返し、別の生き物として扱い始める。
我はそれがとてつもなく嫌で、人間という生物を次第に見下すようになってしまった。
しかし、セリア様は竜族だろうが関係なく、我を可愛いと言い、同じ者として接してくれた。
こんなことは初めてで、本気でセリア様に従いたいと思えた。
例え魔眼の宿主であろうと関係ない。
我が竜族なのに関係なく接してくれたセリア様を、その程度の理由で突き放すわけにはいかない。
──これは一種の恋なのかもしれない。
我は恋愛に関しては普通だと思っていたが、それは間違いだったらしい。
我はセリア様が魔眼の継承者だろうが、関係なくこの方を気に入った。
だが、セリア様の父親は違った。
セリア様を怖がり、挙句には化物と呼んだ。
久しぶりに本気で憤怒した。
肉親ともあろう者が、一時の恐怖で全てを壊した。我ら竜族に家族はいない。だが、他の種族にとって家族というものは、掛け替えのない大切な存在だと聞いたことがある。
これは、その掛け替えのない関係を壊すには十分なきっかけとなったに違いない。
しかし、これはセリア様とその父親の問題。我が口を出せるはずもなく、ただ見守るしかなかった。
セリア様は、泣いていた。
全ての感情をぶつけて泣き喚いた。
我の手を取り、父親とは逆の方向、森へと走る。
二度と後ろを振り返らず、ひたすら涙を流して一心不乱に森を駆けた。
……こんな状況だが我は嬉しかった。
精神的に辛く、悲しい別れなのに我を忘れずに手を取ってくれたことが、堪らなく嬉しかった。
自己犠牲は弱者の選択だ。
きちんと考えれば他の方法も思いつくだろうに、それが出来ない者が選んでしまう悲しい選択肢だ。
だが、真に心が強く、心から優しい者にしか出来ない選択肢でもある。
だから、我が寄り添える存在になろう。
傷つく度に我が寄り添い、セリア様の支えとなれるよう尽くそう。
我の手を強く握って走る主人の後ろ姿に、そう誓った。