エピローグ 動き出す悪意
「……ふむ、どうやら上手くいったらしいの」
縁側に腰掛け、月の明かりに照らされながら、一人呟く。
辺りには誰もいない。その呟きに応える者はいないかに思われた時、脳内に若い女子の声が響いてくる。
《そうなんだよー。でもね、ただの村娘だった私がだよ? いきなり王様と話すのはキツイって……いや、マジで》
「そうは言っているが、随分と楽しそうじゃな?」
疲れたように話すその声色の中には、確かな楽しいという感情が含まれていた。
《……あはは、さすがにマトイにはバレるか》
「もちろんじゃ。今や妾たちは一心同体。何を考えているのかはすぐにわかる。……今、風呂場で配下の胸をガン見して興奮していることもな」
……まったく、配下の胸を見て興奮もしくは嫉妬しておるなど、主人としてどうなのだ?
じゃがまぁ……それはそれでセリアらしいと言えばセリアらしいな。
《うげっ……というかマトイばかりズルくない? 私はそっちの感情をあまり感じられないんだけど? いくらマトイでも、いつも見られていると思うと恥ずかしいんだけど……》
「妾だって常に心を視ている訳ではない。いつもは感情を制御している故、安心してくれ。……それと、繋がっている相手のことを強く思えば、自然と感じられるようになるぞ。ようは慣れじゃな」
《ほほぅ? ってことは、マトイはそれだけ私を思ってくれているってことですな?》
途端におっさん口調になったセリアだが、妾は動じることなく返答する。
「当たり前じゃ。そうでなければ、セリアに紅核を渡しておらぬ」
《ちょっとは恥ずかしがってくれても良いじゃん。……まぁ? 私もマトイが大好きだから、すぐ自由自在に心の中を暴いてやるかんね!》
「……いや、そもそも魔眼で覗けば一瞬じゃろうに」
《ハッ!? そうだった! ち、ちょっとマトイ、すぐにこっち来てくれない!?》
「嫌じゃよ。行っても心情を視られるために行く訳なかろう」
それに、今の妾の心情を視られる訳にはいかぬ。
妾はセリアと念話を開始してから一歩も動いていないというのに、激しく運動した後のような暑さを感じている。これはセリアに「大好き」と言われたせいじゃ。
……昔、母上に同じことを言われた時と同じような感覚。
「…………セリアが不慣れだったのが幸いしたな」
《『ドンガラガッシャーン!』「キャァ! レイン様が壁を壊しましたよ!?」「だから風呂場では走らないでくださいと言ったでしょう!」 ……ん? ごめん、こっちが騒がしいから何て言ったのか聞こえなかったよ》
「…………いや、なんでもない。ただの独り言じゃ」
《そぉ? ……何か困っていることがあったら言ってね。マトイのことならすぐに助けに行くから》
「ハンッ、それは妾のセリフじゃろう。今忙しいのは、どう考えてもセリアじゃ。何かあった場合、すぐに連絡するように心掛けておけ。文字通り、飛んで行くからのぅ」
《ほんと、頼りにさせていただきます──っと、みんなが出るらしいから私も行くね。それじゃあ、また連絡するよ》
「おうおう、楽しみに待っておるよ」
あちら側からの念話が途切れる。
それを確認して妾は、ほうっ……とため息を溢した。
「よくぞやり遂げたな、セリア……」
最初に聞いた時は無理だと思った。
人間の腐った心根を知っている妾には、絶対にセリアの計画は失敗に終わると思っていた。
だが、運がよく、そして驚くことに奴は魔眼の継承者と認識されながらも協力関係を結んだ。
それはセリアの話術が良かったのか、その王が器の大きい者だったのか。あるいは何も考えていないただの愚者という可能性もあるが、セリアが認めた人間だ。それはまずないだろう。
あいつは不思議と人を寄せ付ける魅力がある。
そこに魔眼の力は関係なく、単純にセリアの誰に対しても明るく接する性格の表れだろう。
……そのせいで、悩みを一人で抱えてしまうところがあるのが問題か。
レインとアリスの二人はすでに気づいているだろうが、気を使わせないよう、あえて触れていないようだった。
ふとした時にセリアの感情が漏れ出て、妾に流れてくる時がある。それは決まって寂しいだったり、不安だったりとした負の感情だ。
「セリアは一度、父親に拒絶されたんだったか……」
それがどれだけショックだったのか。物心ついた時に捨てられていた妾にはわからぬ。
だが、それは家族を失う苦しさと違いないのだろう。
母上を失った時、妾は人間に絶望した。
絶望して失望したから、全て滅ぼそうと人間を片っ端から殺し尽くした。
そこに老若男女は関係なく、抵抗する者も泣き喚いて命乞いする者も同様に殺した。
そして魔王として昇格した時、その復讐に意味はないのだと悟った。
だとしたら、妾はやがて現れるであろう母上の後継者の手助けになろうと思い、妾はその時を今か今かと待っていた。
するとどうだろう。後継者は母上の意思まで受け継いでいたではないか。
しかも、それを本気で成そうと頑張り、人の国と協力を結ぶまでに至った。
「ほんと、お前には驚かされるばかりじゃ……」
『──おやおや、これは珍しい光景ですね』
不意に聞こえた声。
今まで穏やかにしていた雰囲気はその瞬間に一変し、妾は舌打ちしながら声の主を睨みつける。
──そこには一羽の鳥が木の枝に留まっていた。
「何の用じゃ、卑怯者」
『開口一番に卑怯者ですか……随分と嫌われていますね、僕は』
鳥の口が動き、そこから優男っぽい声が発せられた。
「理由はお主が一番知っておるじゃろう」
この卑怯者、ラーズルーク・ウッドマンという名…………だった気がする。多分。
この男は妾と同じ魔王の一柱を担っているが、魔王の誰もが真の姿を見たことがない。魔王の会合の時も、こうして何かちょっかいをかけてくる時も、この男は自身が従えた使い魔しか動かさない。
だからこそ妾は卑怯者と言い、他の同胞も同じような感情を持っている。
……まぁ、当の本人はまったく気にしていないのじゃが。
「……して、今日は何用じゃ?」
『いやぁ、あなたが何か面白そうなことに首を突っ込んでいると噂になっていましてね。その様子を見に来たんですよ』
「ハンッ! 堂々と妾の屋敷に来おって、不法侵入で訴えてもよいのじゃぞ?」
『それは怖いですねぇ……魔王の中でも三強と言われるあなたが本気を出せば、僕なんて一瞬で殺されるでしょう。…………まぁ? それも僕の居場所を掴めればの話ですがね?』
「──チッ、本当に面倒な奴よ」
ここで感情に任せて使い魔を焼き殺しても、ラーズルークには効果がない。
奴の隠蔽能力だけは妾も認めている。実際、いくら奴の居場所を調べても、足跡すら見つけられなかった。
『にしても、随分と親しげに話していましたね。……誰にも心を閉ざしていたあなたがそんなに笑うとは……そんなに大切な方なのですか?』
「さぁな、貴様には関係のないことじゃ」
『……ふむ、では、僕は僕で動いても関係はないのですね?』
「はぁ……好きにすればいいじゃろう。妾にそれを問う意味がわからぬ」
『ははっ、素直ではないお人だ。……それでは、僕はここでお暇させていただきますよ』
そう言い、鳥が飛び去る。その様子を眺め、妾は一言、
「──ああ、今夜は焼き鳥が食いたいのぅ」
飛び去る鳥に何処からともなく現れた炎が絡みつき、真っ赤に燃えながらそれは落ちていった。
途中でそれは形すらも残らない灰となり、風に吹かれて消えていく。
「おっと、弱小な小物だったせいで火力をミスったか……まぁ、よい。誰かに鳥を焼いてもらうとするか……よっと……」
妾は立ち上がり、今もぐっすりと寝ているであろう配下の部屋へ歩く。
「奴に目をつけられるとは面倒なことになったな……気をつけろよ、セリア」
あいつが選んだ茨の道は、まだ始まったばかりだ。
まだ物語は動き出しそうな雰囲気を出していますが、エピローグです。
また機会があれば続きを書くかもしれませんが、一先ず本編はここで閉幕とします。
ここまでこの作品を読んでくださった皆様に感謝を。
他の作品でまた会えることをお祈りして、最後の言葉とさせていただきます。
本当に、ありがとうございました!




