第38話 覚悟
私は玉座の間に来ていた。
豪華に誂えた玉座に座り、左右にはそれぞれレインとアリスが待機している。
そして目の前には私の協力者であり、友人であるマトイの姿があった。
「……して、妾を呼んだということは、覚悟が決まったのじゃな?」
「うん、決めたよ。悩んで悩んで、悩んだ末の覚悟だ」
魔王は楽しそうに微笑む。
「うむ、よい顔じゃ。その言葉は偽りではないようじゃな。それで? セリアが選ぶのはどっちなのじゃ。魔王として君臨するか、はたまたこのまま停滞を望むか?」
私は首を振る。
……正直、これは正しくない選択だと思う。
でも、私は────
「私はどちらも選ばないよ」
「…………なんじゃと?」
マトイは怪訝に眉を顰める。その目が何を言いたいのかがわかる。
──では、どうするのか、と。
そんなマトイを正面から見つめ、私はまだ誰にも言っていなかったもう一つの選択肢を言う。
「私は──この国を乗っ取る」
「「「──はぁ!?」」」
その場にいた私を除く全員が、驚愕の表情を浮かべる。
さっきから魔王の風格を漂わせていたマトイは、その仮面が剥がれて素っ頓狂な声を上げた。そうなるのも仕方がないと思う。だって私自身、意味のわからないことを言っている自覚はあるから。
「せ、セリア様? どういうことですか? 馬鹿にもわかるように話してください……」
レインに至っては、自分のことを馬鹿と言ってしまうほどに動揺している。アリスも同じだ。必死に理解しようと考えを巡らせ、やっぱりわからないと頭を抱えている。
「そのまんまの意味だよ。私は国取りをする」
「…………セリア、お主、本気でそんな馬鹿げたことを言っておるのか?」
「もちろん、私は本気だよ」
「無理じゃ! 百歩譲って国取りが成功したとする。じゃが、それを成したのが魔眼の後継者だとバレてみよ。お主は過去と同じ道を辿ることになるぞ!」
「そんなことにはならない……とは自信を持って言えない。けれど、私は無意味に人を殺したくないし、みんなの生活を苦しくさせたくない」
「──っ、ふざけるなっ!」
激昂したマトイから紅蓮のオーラが巻き起こる。そこを中心として玉座の間は崩壊していき、灼熱の熱気が私たちの元まで届く。咄嗟にレインが前に出るけど、私はそれを押し退けて玉座から立ち上がり、前に進んだ。何をしようとしているのかを察したアリスは、それでも危険な道を行こうとする私を止めようと腕を掴んでくるけど、私の覚悟を決めた目を見て渋々と手を離してくれた。
…………熱い。
マトイに近づくたび、身が焦げそうな業火が肌を撫でる。
それでも私は歩みを止めなかった。
「なぜじゃ! 怠惰で貪欲で愚劣な人族など、いくら殺しても変わらぬではないか! なぜ、お主は、お主たちはそこまで人族に固執する。誰もがその眼を見れば、お主の培ってきた信頼など、簡単に手放す小心者だというのに!」
その叫びを聞いて、私は納得する。
やっぱり、マトイは怒っていたんだ。
──時々、私の夢には先代の記憶が出てくる。
その中に必ず出てくる一人の少女がいた。
可愛らしい声で「かあさま」と甘えてくるその子は、尖った三角の耳と、もふもふの尻尾が特徴的だった。
その子はいつも先代にぴったりと付き、先代もまたその子を愛おしく撫でていた。何をするにも一緒。お手伝いが出来たら褒めてと言わんばかりに頭を差し出し、尻尾を左右に揺らす。その子が頭を撫でられるたび、気持ちよさそうに目を細めるその姿はとても幸せそうで、種族は違っても二人は本物の親子のようだった。
……でも、夢は幸せなだけでは終わらない。
その子が出てくる夢は、決まって最後は先代が処刑される。そして、少女はそれをどこかで見ているのだ。
──これは先代と、マトイの記憶だった。
そしてマトイは先代を殺した人間を、先代と同じ人間を酷く恨んだ。
何百年という長い時間、未だその復讐に囚われている少女は涙を流しながら、私の眼を見て叫ぶ。
「あなたはいつもそうじゃった! 人間に虐げられながらも、それでもいつかは分かり合えると信じ、疑わなかった! なぜなのじゃ!? 奴らは自分たちと違った者を酷く恐れ、同族と認めない愚物の集まりじゃというのに、なぜ、そうまでして人を愛すのじゃ!」
それは私に向けた言葉じゃないのはわかっている。
でも、これは勘だけど、私と先代の考えは一緒なんだ。
だから、これは私が答えないといけないと思った。
「マトイの言う通り、人は愚かで弱い……確かに私が魔眼の後継者だとわかれば、手のひらを返す人は必ず出てくる。でも、それでも私を否定しない人がいるかもしれない。私は、その人を大切にしたい」
冒険者ギルドのセーラさん、冒険者としてやっていくうちに仲良くなった同僚、いつも立ち寄るパン屋のおばちゃん、馬車の旅を楽しんだナイトランドのみんな。その他にも出会って話した人は沢山いる。
その中で誰が裏切るかなんてわからない。だから、何もわかっていないのに殺すなんてことはしたくない。
それでも私は、誰かは必ず理解してくれると信じている。
レインやアリス、お父さんやお母さんのように、それを受け入れてくれた人はいるのだから。
「きっと、先代にもそんな人はいたんじゃないかな?」
マトイと触れられる距離までたどり着く。彼女は俯いたままだ。
けれど、今にも消えそうな掠れた声は、私の耳にしっかりと届いた。
「……確かにあの方にはそんな奴も、居た。あの方の死を、悲しんだ者も居た。……じゃが、それも片手で数えられるものだけじゃった。全て、命がけで信頼を勝ち取った者だけじゃ。それは妾が見てても、大変そうじゃった。
──セリアはそれでも、己の理想のために戦い続けると申すのか?」
「…………うん、私を信じてくれる人がいる限り」
「絶対に苦労するぞ」
「……わかっている」
「必ず辛くなるぞ」
「覚悟している」
「……死にたくなるかもしれんぞ」
「私にはみんながいるからね、勝手に死ねないよ」
「そうだとしても、命を狙われるかもしれんのじゃぞ」
「その時は──マトイが護ってくれるでしょう?」
マトイはハッとした顔で私を見てきた。そして、困惑と嬉しさと怒りが混ざった複雑な表情になる。
けれど、それも一瞬だった。すぐにいつもの偉そうな顔に戻って胸を張り、笑う。
「そ、そうであったな! 妾は約束を守る心優しき魔王じゃ。そんな悲しい結末、二度とさせぬ!」
過去の因縁を吹っ切ったような清々しく笑う友人を見て、私は今まで張り詰めていた気が緩んだ。
いきなり足に力が入らなくなって、受け身も取れずに地面に倒れる。感覚が麻痺しているのか、地面とぶつかった衝撃は感じられなかった。色々と限界が近づいていた私に、すでに起き上がる気力は残っていなかった。
「ああ、やばい……もう無理…………」
誰かが名前を呼ぶ声を聞きながら、私は意識を手放した。




