第37話 決めたこと
──家を追い出された。
そう言ったお父さんは笑っていた。
何も笑えないことだというのに、いつもの人懐っこい笑みを浮かべている。
何よりあんなに優しかったお母さんが、いつも仲良くしていたお父さんのことを追い出すなんて、信じられることではなかった。
その反応にまた笑ったお父さんは、静かに話し出す。
「……あいつには、レインさんと同じことを言われたよ。魔眼なんてどうでもいい。そんなことで、一瞬の恐怖で最愛の娘を拒絶するなんて、あんたは家族失格だ、ってな。そう言いながら……あいつは泣いていた。俺に拒絶されたセリアが可哀想だ。その時、私が一緒に居てあげられたなら、こんなことにはならなかったって……何度も、ずっと泣きながら俺を怒った」
ええ……お母さんってばそんな直球なこと言っちゃう?
私だったら泣くよ?
「それで俺も目覚めたよ。……本当に、俺は馬鹿なことをしたと」
「待って。今でもあんなに温厚だったお母さんがそんなことを言ったなんて信じられないんだけど……」
「そういや話してなかったな。昔、お母さんは、ノイシュは村で一番怖かったんだ」
──ん!?
「歯向かう者は土下座させるまでボコボコにして、大人にまで恐れられていた」
──んん!?
「俺も小さい頃は女が調子に乗ってるんじゃねぇ、って思ってよく喧嘩を吹っ掛けていた。……ま、いつもボコボコにされていたけどな」
おお、そんな相手に歯向かうお父さんも凄いな。しかも、何度も返り討ちとか……どんだけお母さん強かったんだよ。マジで初耳すぎて意味わからないわ。
「でも、俺は楽しかったんだ。どれだけ強くなろうと頑張っても、あいつはもっと強くなっている。そんなライバルみたいな関係が楽しくて……気がついたら告白していた」
急だな、おい。……でもまぁ、気持ちはわかる。わかるんだけど、私ってそんな二人から産まれたのか。
……いつかはお母さんみたいに優しい女性になりたいって思っていたのに、なんか複雑な気分。
「そんなノイシュが言ったんだ。セリアを連れ帰ってくるまで、家には絶対に入れないってな。あいつは一度決めたら、二度とその考えを曲げない奴だ」
「…………つまり、お父さんは私を連れ戻しに来たと?」
「ああ……」
その言葉に、レインだけではなくアリスまでもが動揺した。
私なら家族の願いを聞いてしまうのではないか、と思ったのだろう。けれど、今の私は誰よりも従者の二人のことが大切なんだ。だから今更家に帰ろうとは、これっぽっちも思っていない。
その気持ちを言うために私は口を開く。
「悪いけど、私は────」
「だが、ここに来て、俺は帰って来いなんて言えなくなった」
「…………え?」
「後ろの二人を見ていればわかるさ。お前がどれだけその二人を大切にしていて、二人もお前のことを大切に思っているのかくらいはな」
「答えがわかっているなら、お父さんはどうするつもりなの?」
きっと最初から考えていたことなんだろう。お父さんは一瞬だけ悲しそうに微笑んだ後、顔を引き締めて頭を下げた。
「過去の過ちは消えない。本当に、すまなかった。俺は弱い。だから醜い姿を娘に見せちまった。……家族との縁を切られても、文句を言えないことは理解している」
「お父さん……」
「だが、もう一度だけ俺にチャンスをくれるなら、一回だけでいい。家に戻って来てくれないか? それで最後にノイシュと話して、きちんと別れを言わせてくれないか?」
お父さんは強引に連れ戻しに来たんじゃない。ちゃんと私のことを考えて、現実と向き合って、考え抜いた末に別れを決意したんだ。
確かにお父さんは一度、私から、『魔眼』から目を背けた。
でも、こうしてやり直しにきてくれたんだ。それが自分の幸せだと思うことではなくても。
「だったら、私も……逃げちゃダメだな…………」
「セリア……?」
「レイ──あ、ごめんやっぱりなんでもない。コホンッ……アリス、私を殴って。思いっきり強く」
「……かしこまりました。歯を食いしばってくださいね」
アリスは私の前に立ち、右手を私の頬に振り下ろした。
──パァン! という音がリビングに響いて、その後に激痛が襲いかかる。それはジーンとした痛みとなって私の頬に残り、そこがほのかに熱く感じた。
「──ってぇ、本当に思いっきり叩いたね」
「はい、それがご主人様の命令でしたので」
アリスはにっこり笑う。全く、本当に私には勿体ない出来たメイドさんだよ。
……でも、これで過去と向き合う決心がついた。
「お父さん。今帰ることは出来ない。でも、いつか必ず帰るから、その時まで待っていてくれる?」
「……ああ、ああ! 待っているとも。セリアが来たくなったら、いつでも来なさい。その時は、俺と母さんが絶対に出迎えてやる!」
お父さんは泣いていた。それに釣られて私も涙を流す。
やっと受け入れられた気がした。やっと前を向いて進める気がした。
私たちは気が済むまで泣き、ようやく落ち着いたところで話題を変えた。
「お父さんはこれからどうするの?」
「ああ、すぐに帰ろうかと思っている。多分、喧嘩になると思うが、大丈夫だ。こういうのには慣れているからな」
「もう夕方だけど、泊まっていけばいいじゃん」
「いや、少しでも早くノイシュにこのことを伝えたい。だから帰るよ」
「そう……なら────グレン達、いるんでしょ? 出ておいで」
私は扉の向こうで聞き耳を立てている鬼族のみんなを視る。
隠れていたって無駄だ。私の眼は全てを見通す。
廊下の方で何かを言い合っている声が微かに聞こえる。やがて会議は終わったのか、扉がゆっくりと開かれた。
入って来た数は五名。バッチリ全員集合だ。仕事しろ、仕事を。…………と、私が言えた立場じゃないか。
なんでこういうことに興味なさそうなスイレンもいるんだ。というかウンキョウ、あんたは嗜める側でしょうが。
「すまん、盗み聞きするつもりは…………正直あった……本当にすまん」
「うん、素直でよろしい。じゃあその罰として、クレハ以外はお父さんを安全に村まで送り届けて。傷一つでも付けたら許さないからね」
「……わかった。その罰、謹んでお受けしよう。あんたがセリア様の父上か。そういう訳だから、帰路はどうか安心してくれ」
「あ、ああ、よろしく、お願いします……」
「あのぉ、セリア様? 私は何をすればいいのでしょうか?」
クレハが困ったように挙手した。どうやら「クレハ以外は」というところに嫌な予感がしたようだ。
だが、残念ながらその予感は当たっているんだよ。
「お前はバラした罰と盗み聞きした罰を合わせて、一週間の間、アリスが遊びで作ったあの時の服を着るように。アリス、ちゃんと残してあるよね?」
「勿論です。このような時があるかと思い、問題なく」
私がサムズアップをすると、ニヤリとした悪役のような笑みで返してきた。
やっぱり、クレハを弄る時はアリスの協力は必要不可欠だ。
「そ、そんなぁあああぁああ!」
クレハは大粒の涙を流しながら、頭を抱えて叫んだのだった。
◆◇◆
その後、私はお父さんを見送るために迷宮の外へ出ていた。
「それじゃあセリア、待っているぞ」
「うん、お父さんも気をつけて」
「ははっ、心強い人達がついているんだ。俺は大丈夫だよ。……じゃあな」
「……うん、またね」
『またね』って言えることが、どれほど嬉しいか。
また会えるんだということが、どれだけ嬉しいか。
私は遠ざかっていくお父さんの背中を見て、また泣きそうになった。
何も見えなくなるまで手を振り続けて、私は後ろを向く。
レインはまだ不機嫌そうだった。
アリスは相変わらず澄まし顔だけど、どこか嬉しそうに見えた。
クレハは羞恥に顔を真っ赤にしていた。……ざまぁ。
──っと、ここからは切り替えていこう。
すぐに正念場がやってくるのだから。
「…………クレハ、今からマトイを呼べるかな?」
「大丈夫ですけど、どうしたのですか?」
「前に出されたことに答えなきゃいけないと思ってね。やっと、決心がついたんだ」
私はそう言って中に戻る。
逃げてばかりはいけないと決めたばかりなんだ。
だから、私は自分の心に従って動く。
みんなが、私自身が幸せに生活するために。




