第36話 これが修羅場
誰よりも見たその顔、誰よりも聞いたその声。
あの時よりも痩せ細っていて元気がない様子だったけど、その人は確かに私のお父さんだった。
「えっ!? あの人がセリアさんの!?」
私の呟きにセーラさんがひどく驚いたような声を上げる。
けれど、それに答えられる余裕はなかった。私の方が驚いているんだ。
「会いたかった! やっと見つけた! セリア!」
お父さんは感極まって私に抱きついて来た。
汗臭い、けれどその中には私の知っているお父さんのにおいが感じられた。
──ガシャン!
何かが割れる音がした。その方向を見ると、レインが呆然とこちらを見ていた。足元には、割れた三つのグラスが転がっている。
レインの表情は呆気にとられたものから、徐々に憤怒へと変わっていく。
「──貴様ァ!」
そして、目に見えぬ速さで私達の間に割り込んだかと思ったら、お父さんの胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
勿論お父さんは反応出来なくて、レインの片腕のみで宙に浮かんだ。
「家族でありながらセリア様を拒絶した分際で、よくもおめおめとその姿を現したな! その首、この我が今すぐ引き裂いてやる!」
「違っ、俺は────」
「黙れっ! 貴様のせいだ! 貴様のくだらない恐怖心でセリア様を傷つけたのだ! 苦悩して打ち明けようとした心を拒絶された痛み、あの苦しみが貴様にわかるか!?」
「レイン、やめ────」
「この方は泣いていたのだ。ずっと、何度も、唯一打ち明けられる者に否定されて……! たとえ家族だろうと、いや、お前はもうセリア様の家族ではない!」
「レイン! やめて!」
私は叫び、レインのもう片方の腕を引っ張る。
レインが自分のことのように怒ってくれているのは嬉しい。でも、それでもこの人は私のお父さんなんだ。目の前で殺されるのは絶対に見たくない。ましてや、それをレインがやるなんて許さない。
「…………チッ、命拾いしたな」
そんな悪者みたいなセリフ言わないの。
私が居ない時にレインとお父さんが会っていたら、本当に殺されそうで怖い。
私は周囲を見渡す。レインの激昂のせいで、みんなの視線がこっちに集中している。これではゆっくりとお話しもできないから、一旦場所を変えた方が良いだろう。
「まずはここを離れましょう。お父さ──ロベルトさん、私について来てくれますか?」
お父さんは私の声にショックを受けたような顔をして、それから黙って頷いた。
「レインも、それでいい?」
「…………セリア様がそれでよいと仰るなら」
「うん、ありがと。……それじゃあ、行きましょうか」
私は先頭を歩いて国の外を出る。そして行き着いたのは、禍々しくそびえ建つ塔だった。
関係者以外誰にも邪魔されない場所、それは私の迷宮の他に思い浮かばなかった。
「ここは……」
呆然と上を見上げるお父さんを引っ張り、追っ手が来ていないことを確認してから、私は迷宮の裏口から中に入る。
……レインは、ずっと黙ったままだ。私でも感じるくらい殺気が溢れまくっていて、あの時のことをとても気にしてくれている証拠なんだけど……普通に怖い。
それを内心思いながら100層に転移すると、アリスとクレハが私達の帰りを待っていた。
「ご主人様、レイン様、おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませっ…………後ろの方はお客様ですか?」
クレハがお父さんを見てそう言った瞬間、レインが抑えていた殺気が奔流となってこの層だけではなく、私の迷宮全体に侵食した。
短い悲鳴を上げて腰を抜かしたクレハに対して、アリスは動じた様子もなく澄まし顔だ。
「……何か訳ありのようですね。場所はリビングでよろしいですか? すぐにお茶をお持ちします」
「ありがとう、アリス。それと、その後は同席してくれるかな? レインだけじゃなく、アリスにも何があったのかを知って欲しいんだ」
思えばアリスには何も話していなかった。話すことで嫌なことを思い出したくないという私の心が、自然と家族のことを記憶から塞いでいたんだ。だから、今はその『逃げ』に立ち向かう、いい機会なのかもしれない。
「かしこまりました。……クレハ、残りの作業は頼みます」
「お、お任せください! アリスさんのおかげでもう終わりますから、どうか気にしないでください」
「ええ、ありがとうございます。ではご主人様、また後ほど……」
二人は転移する。
「レイン、抑えて」
「ハッ、申し訳ありません。……やはり、我は同席しない方が良いでしょうか。この気持ちを抑えるのは、少し厳しいです」
「ダメ。それは許さないよ。レインは私と一緒にいてくれるんじゃなかったの?」
「それは……! わかりました。頑張ります…………」
「うん、頑張って。じゃあロベルトさん、ついて来てくれるかな?」
「あ、ああ……」
いつもは少しの移動でも転移をするんだけど、今日はリビングまで歩いた。
その間に何を話そうかと考えていたけど、どうでもいいことばかり考えてしまって思考が纏まらなかった。気がつくと目的の場所に来ていて、中にはアリスがお茶の準備を終わらせていた。
「……やはり、歩いてくると思っていました。その様子ですと、あまり考えが纏まらなかったようですね」
──私のメイドは、全てお見通しのようだ。
苦笑して席に座り、反対側の席にお父さんを座らせる。
「どうぞ……」
「あ、ありがとうございます」
全員にお茶を出してから……と言っても私とお父さんだけだけど、やることを終えたアリスは後ろに控えた。
レインもその隣に立ち、心配そうに私を見てくる。お父さんのことは視界に入れないようにしているらしい。多分、意識してしまったら、感情を抑えるのが厳しいんだろう。
「…………」
「………………」
……何を言えば良いのだろう。
挨拶くらい言えないのかと自分を笑いたくなってしまうけど、声を出そうとしても、声にならない掠れた声のみが喉を通過する。
「…………久しぶり、だな」
話を切り出したのは、お父さんの方からだった。
「そうだね……」
「まさか迷宮に住んでいるとはな。びっくりしちゃったぞ」
「そうだね……」
「……やっぱり、怒っているか?」
「いいや、怒ってはいないよ。……でも、許せないんだ」
「俺のことを、か?」
「……いいや、あの時、これ以上拒絶されるのを怖がって現実から逃げた、自分自身にだよ」
あの時の私は弱かった。少し話せば何か変わったかもしれなかったのに、耐えられなかった私は、全てから逃げたんだ。
それが巡り巡って、今まで目を背けていた現実が戻ってきた。
「…………俺な、お母さんに全部話したんだよ」
「──っ、ああ、そう」
「あのまま帰って、セリアがいないって問い詰められて、全てを話したんだ。リヴァイアサンが現れたこと、セリアが助けてくれたこと……そして、セリアに魔眼が宿っていたこと」
「……………………」
聞きたくない。でも、気になってしまった。
どんな結末でもいい。もう逃げないと決めたのだから、最後までそれを受け入れよう。
「そしたらな、家を追い出されちまった」
「……………………はぁ?」




