第9話 とある商人の出会い
今の状態を簡潔に説明するとするなら──魔物に襲われている。しかも、ありえないくらいの大群にだ。
普通、商人は安全なルートを通るのが当たり前だ。
理由は簡単。商人だけでは魔物に敵わないから。
しかし、今回は急いでいたのもあり、ショートカットのために少々危険な道を選んでしまったのが運の尽きで、こうして魔物に襲われている。
勿論抵抗はしたが、手持ちの爆薬などの道具は全て使ってしまった。
お金が勿体ない。と護衛を頼んでなかったのが仇となった。
いやー、僕もここまでか。と諦めていた時、それは現れた。
僕に噛み付こうと飛びかかってくる魔物が目の前から消えていなくなる。
「え?」
次は視線の端にいた魔物が、その次は反対側の魔物が忽然と姿を消していく。
「え、は? ……え?」
「おい、人間」
上から聞こえた声に振り向くと、そこには馬車の荷台の上に仁王立ちしている女性の姿があった。顔はフードで隠れていたので細かくわからなかったが、声からして若いだろう。
──誰だ? この子が魔物を?
そんな疑問が脳裏をよぎるが、それを言わせない威圧感が彼女にはあった。恐怖で僕の足は震えて、動こうにも動けなくなってしまっている。
「我が主の命によりお前を助けてやる」
──それは殺戮だった。
先程と同じように一瞬で消えていく魔物。女性の姿は見えないが、音で周囲を駆け回っていたのだけはわかった。
やがて一匹ずつ狩っていくのが面倒になったのか、女性は荷台に戻って魔法の詠唱を始め、聞いたことのない魔法を一瞬にして放った。
そして目を開けた時、そこは荒れ地と化していて、当然魔物の姿は全て見えなくなっていた。よーく探して、ようやく残骸があるとわかる程度だ。
助けてくれたのなら礼を言おう。
それが大人としての対応で、人として当然のことだと思った。だから僕は、荷台でおとなしく座っている女性を見て口を開く。
「あの……」
「口を開くな人間。礼を言いたいと言うのであれば主に言うことだ。我に言うな。煩わしい」
まだ何も言っていないのに酷い言い草だ。
初対面の人にその態度はどうなのかと思い、女性を咎めるような視線を向けると、とてつもない殺気を全身にぶつけられた。
商人になると盗賊の殺気をいち早く感じ取るため、感覚は敏感になる。
本能がヤバいと警告を発する。
──すいません。
口を開いたら絶対に殺される確信があったので、心の中で謝る。そして、マジで怖かった僕は座席に座ってガクガクと震えて、女性が言っていた『主』というのを待つことにする。
少しして僕の前に現れたのも、同じくフードを被った少女だった。
「セリア様っ!」
主を見た途端、尻尾を高速で振る犬のように荷台から飛び出す様子から判断するに、この少女が主らしい。
現場を見回した彼女は、何があったのかを理解したようで、僕と従者の女性を交互に見ている。
「レイン」
「はいっ!」
「やりすぎだっ!」
褒めると思っていたら女性の脳天にチョップを……ってえぇえええ!?
今の完全に褒める雰囲気だったと思うんですけど。
「酷いですセリア様。我は頑張ったのですよ?」
「嘘つけ、余裕で地形を変えられるレインが本気出したら、私を含めてここら一帯吹き飛ぶでしょ」
「ここら一帯を吹き飛ばさないように頑張って手加減したのです」
「それはそれで頑張ったんだろうけど、この人を怖がらせてどうする……」
スケールの違う話をしているので、内容についていけない僕。
手加減してこの結果とか意味がわからない。
もし本当にそうだとしたら、主のセリアという少女はもっとヤバいのでは?
「……っと、私の従者が迷惑をかけたみたいでごめんなさい。お怪我はありませんか?」
少女はフードで目を隠したまま、優しく微笑んだ。
◆◇◆
「美味しい……ここ数日何も食べていなかったので、とても助かりました。何かお礼をしたいのですが、あいにく返せる物が手持ちになくて……」
「いえいえっ、後ろのお嬢さんに命を助けてもらっただけで充分すぎます。どうか気にしないでください」
「そうですか? ふふっ、それでは礼としてではなく、気持ちとして道中の護衛はお任せください。ここらの雑魚では私とレインの敵ではありませんから」
……良い子だな。
セリアさんはレインさんの主人ということで、同じように怖いのかと思って話してみたら、天使のような子だった。
今も僕が渡した干し肉を、美味しそうに頬張っている。相変わらず目元は隠れているので、顔が知れたら困るのかもしれない。
……ということはどこかの貴族だったり、もしや王族だったりするのだろうか。
「セリアさんって何者なんですか?」
それはただの興味本意で聞いた質問。
「それは、どういう意味ですか?」
今思えば、魔物が来ていないか、道に危険な物が落ちていないかなどを確認するため、手綱を握って前を向いていたことで助かったのだろう。
突然、横と真後ろからぶつけられた殺気に僕は驚いて横を──セリアさんがいる場所を振り向く。
セリアさんは僕が振り向いたと同時に、目元を隠すように下を向いてしまった。
刺し貫くような殺気は、もう感じられなかった。こんな良い子があんな殺気を放てるとは思えない。
……何かの勘違いだったのだろう。
僕はそう考えて視線を前に戻す。
「……先程の言葉はどういうことでしょうか?」
「え?」
「私が何者か、それはどのような意味で申されたのですか?」
「あ、ああ、そのことですか。いえ、口使いも仕草も何か気品があるように感じましてね、それでいいところのお嬢様なのか、と疑問に思っただけです。言い方が悪かったようで申し訳ない」
「そうですか……それならよかったです」
セリアさんの明るい声。
しかし、僕には先程までの無邪気な明るさとは違う、何か感情が含まれていると思えて仕方がなかった。
この子が何者であろうと、僕の命の恩人には変わりない。そう思いたいので、これ以上は詮索をしないように気をつけよう。
それから魔物とは一切遭遇せず、セリアさんが言っていた目的の街に到着した。
「ここがシタメアです」
「あの森から歩くとなると相当な距離になっていましたね。重ねてお礼を……ありがとうございます」
やっぱり良い子だなぁ。
「近辺では一番賑わっている街ですが、荒くれ者などにはお気をつけて……貴女たちのような美少女を狙う輩は、多いと思いますので」
「人間。我を力づくでどうにか出来る奴がいるとでも?」
不機嫌そうにレインさんが言う。
そうだった、魔物ですら雑魚と言う彼女らには、街の荒くれ者など怖くはないだろう。
「あはは、そうでしたね。いらぬ心配でした、忘れてください」
「いえいえ、心配してくださってありがとうございます。レインの言うとおり私たちは大丈夫です。……貴方も、安全な旅が出来るよう祈っております」
「ありがとう。それではまたお会い出来たらその時は……」
「ええ、それでは……さようなら」
短い別れの挨拶をしてセリアさんとレインさんは街の中に入っていく。
「っと、そうだった。早く届け物しなきゃ」
仕事で来ていたのを思い出した僕は、急いで次の街へと馬車を走らせる。
また彼女達に会えることを祈って。
しかし、次に再会した時、それが最悪の再会となることを、僕は知るよしもなかった。




