生まれ変わってもなぜか俺は俺にしか生まれ変われなかった
俺の人生は涙なしでは語れない。
三歳。親に躾と称し、山に置き去りにされて熊に噛まれて死にかける。
七歳。小学一年生。ランドセルを買ってもらえるわけもなく、風にふよふよ飛ばされていたスーパーのレジ袋で登校。いじめに遭い、あだ名を〝スーパーボンビー〟と命名される。
十歳。小学四年生。社会科見学に持っていく弁当を用意できず、見栄だけで空のプラスチック容器だけを持参。昼になって、そもそも一緒に弁当を食べる友人がいないことに気がつく。
十二歳。小学校の卒業式。まだ肌寒い季節なのに、穴だらけ継ぎ接ぎだらけの半袖半ズボンで出席。家に帰れば、親に「義務教育は終わった」と宣言され、一文無しで家から放り出される。
十三歳。中学一年生。河原に住むホームレスと共に生活を開始。
十四歳。中学二年生。臭すぎて誰も近寄ってこない。担任が児童相談所に連絡するも、そもそも戸籍がなかったことが判明。そのままうやむやになって、登校拒否。
十六歳。コンビニのバイトの面接。落ちる。
十七歳。ホームレス仲間から借りた五百円で安い銭湯に行き、コインランドリーで服を洗う。今度はビル清掃のバイトの面接へ。住所不定で落ちる。
十八歳。アルミ缶回収で稼いだ小銭を駆使し、定住する。日雇いの交通整備のバイト。一度は落ちたものの、欠員が出て、なんとか採用。喜んだのもつかの間、臨時要員だった俺の分だけ給料が用意されていなかった。後日改めて、と担当者は言うが、後日改めて連絡する先が俺にはなかった。
二十歳。人と関わることを避け、アルミ缶回収だけを頼りに、その日暮らしもままならない状態で過ごしていた、ある朝。
目が覚めて気がついてしまった。
俺はこの世に〝いらない人間〟だということに。
◆◆◆
薄々気がついてはいた。
自分自身が認めたくなかったから、今までずるずると生きてきたわけで。
だってそうだろう。身なりは悪く、背は低く、顔も人並み以下。ついでに貧乏。
話しかければ逃げられて、嘲笑われて、無視される。
存在そのものに価値がない。
否、存在すら肯定されたことがないかもしれない。
親を恨むつもりはないが、今さらこんな人間に生まれてしまったことを後悔しても時すでに遅し。
ならば。
机の上に置かれてあったボロボロな一冊の本に手を伸ばす。
買う金などもちろんない。
ゴミ捨て場に捨ててあった本を拾ってきたのだ。
ぺらぺらとページをめくる。
何度も何度も読みこんだかいもあって、すでに内容は全て把握済みだ。
俺みたいな冴えない底辺人間が、ある日突然死んでしまう。神の計らいにより異世界へと転生し、生まれ持ったハイスペックを駆使して勇者になり、ナイスバディなかわいい女の子に囲まれてハーレムを形成しながら魔王を倒すべく奮闘する物語。
ありきたりなライトノベル。
大事な大事なこの聖書を胸に抱き、俺は決意した。
この幸薄い人生は無難にやり過ごそう。
しかし来世は! 来世こそは!
金持ちか絶世の美女か美男か、はたまた類稀なる能力をもった人間に生まれ変わろう!
誰もが羨み、焦がれ、見惚れる、そんな人間に!
そうと決まれば話は早い。
それ以来、俺はただひたすら徳を積むことだけを考えて生きぬいた。
何もせずに生きていくより、その方が来世で良い人生を送れそうだから、という安易な理由で。
「死ね!」「消えろ!」「近寄るな!」と罵倒され、石を投げられようと耐えた。耐え抜いたのだ。
自殺をするだなんてもってのほか。
そんなことするなら一つでも多く徳を積み、来世への生まれ変わりへの期待値を上げる。
上げて、上げて、上げまくった。
やっと手にした日雇いで稼いだ雀の涙ほどの給料も、毎月毎月欠かさず孤児院の子供たちへと寄付した。
じりじり太陽が照りつける炎天下の中、道端に落ちているゴミを山ほど拾った。
殴られている人がいたら、なんの関係もないのに身を盾にして庇って逃がしてあげた。
上げて、上げて、上げまくったのだ。
無勉学無教養の阿呆な俺が思いつく限り、すべてのことをやってのけた。
すべては夢と希望と未来溢れる来世のために!
◆◆◆
「で、俺はどうしてまた俺に生まれ変わってるんだ?」
ある朝、目が覚めて気がついてしまった。
俺が再び俺として生まれ変わっていることに。
うんうんと頭を捻る。
そうだ。俺は一度死んだんだ。
前世の俺の最期はいとも呆気なかった。
空腹のあまり森に入って、食べ頃の野草を漁っていたら熊と勘違いされて、銃で撃たれて死亡した。
享年わずか三十一歳。
悲しむ人間など一人もいない、なんとも呆気ない人生だったが、俺は内心ほくそ笑んだ。
これでやっと過去の俺とおさらばして、新しい俺に生まれ変われるのだから。
生まれ変わるまでの過程はよく知らない。
でも人間みなそんなものだろう。
むしろ前世の記憶がある俺こそがおかしいのだ。
でもこれも、前世で徳を積んだがゆえの賜物ならば悪くないと思えてくる。
だが、現実はそう甘くはなかった。
「また俺は俺の人生をやり直すのか……?」
気づくに至り、俺は頭を抱えた。
「ふざけるなよ! 俺がどれだけ徳を積み上げたと思ってんだ! 他のやつらはホイホイホイホイいとも簡単に勇者だ王子だ令嬢だ聖女だって生まれ変わってるのに! 不公平だろ!」
どうして俺だけ、と。
続く言葉は出なかった。
もしかして。もしかすると。
「まだ足りないのか……?」
考えつくや、再び行動開始。
あれで足りなかったのだ。
ならば今度は倍やればいい。それしかない。
上げて、上げて、上げて、上げて、上げまくった。
寄付にゴミ拾いに人助けは当たり前。
世界中の誰よりも惨めな生活を送ればいい。
俺より恵まれない人間がこの世にいてはいけない。
ある種の強迫観念が俺の中に生まれていた。
そうだ、世界で一番不幸で、世界で一番優しい人物になればいいのだと。
そんな毎日を繰り返し、徳を積み上げていた途中、前世にはなかった記憶が追加された。
たいしたものではない。
ふらふらあてもなく道を歩いていたら、おかっぱ幼女が無言で三つ葉のクローバーを渡してきたのだ。
もちろん空腹の俺はその場でそれを食べた。
さらにもうひとつ。
たいしたものではない。
河原の橋の下で段ボールに入れて捨てられていた子犬に懐かれた。
それだけだ。
死に様は少し違った。
森で野草を漁っていたまでは同じだったが、今回は本物の熊が現れた。
そのまま死んでも良かったのだが、抵抗もせずに命を粗末にした罰が当たるような気がなんとなくしたので、一応走って逃げてみた。
結果、熊を捕える罠に俺が引っかかり、そのまま数日放置されて衰弱死した。
最期は苦しかったが、たぶん死んだ俺の表情は晴れやかな顔をしていたと思う。
ようやく二度目の追加人生を終え、やり遂げた充実感で満たされていた俺は確信していた。
今度こそ、俺の理想に生まれ変われると!
今度こそ、蠅ではなく女に囲まれた生活を送ることができると!
◆◆◆
「おい。またかよ……」
ある朝、俺は目が覚めて気がついてしまった。
俺が三回目となる俺に生まれ変わっていることに。
泣いた。俺の全てが泣いた。
どうやら俺は俺でしか生まれ変われないらしい。
最悪だ。
前世どころか前前世の記憶まである分、さらにタチが悪い。
俺が俺の生まれ変わりだと自覚するのは決まって今日、二十歳の誕生日だ。
もちろん誰に祝ってもらう予定もなく、親も蒸発し行方知れず、ホームレス生活を経て、すでに独り暮らし。頼れる者など誰もいない。
カビの生えた布団と、真冬なのに薄いバスタオル一枚の寝床からもそりと上体を這い出す。
前世でホームレスになったはずの俺がまたこの部屋にいるということが、何よりの証拠だろう。
平成の世とは思えない、古びた木造建ての長屋、家賃二千円の四畳半の部屋。
右側の壁には、隙間なく無数のお札が貼ってある。
いわゆる事故物件。その中でも最たるレベルで危険値数が高い部屋らしい。
幸いにも、ここに住み始めてからはまだ一度も遭遇したことはない。
(今の俺に会ったら、あちらさんの方が逃げ出すだろうな)
それほど、ひどいなりをしていた。
伸ばしきった髪に無精髭。
痩せこけた骨と皮だけの身体。
穴だらけの黄ばんだ白い肌襦袢。
擦り切れて色もなくなった長ズボン。
夏場よりはましだが、それでも抑えきれない体臭。
世捨て人を具現化した俺にはもう慣れた。
恥ずかしいなどという感情は微塵もない。
むしろ欠落している。
部屋の中だというのに、息は白く煙る。臭いは最悪。大便に似た悪臭だ。
ぽつり、と涙がぽたぽた落ちてくる。
水道料金を払うのもままならず、時には雨水を飲んで凌ぐ日もあるのに。勿体ない。
これ以上身体から水分が抜ければ、脱水症状で死ぬかもしれないのに。阿呆か俺は。
泣いている場合ではない。
独り、がむしゃらに涙を拭く。
それでも悔しさは消えなかった。
どうして俺はこんな目に遭わなくてはいけないのか。
俺がいったい何をしたっていうのか。
この世に生きる人間全員から嫌われ、神からも嫌われているというのか、俺は。
考えたって思い浮かぶこともない。
思い出したくない過去ばかりだからだ。
ふとテレビに目が止まる。
廃品回収の仕事をこなし、給料とは別に餞別として貰ったものだ。
親切というよりか、情けをかけられたんだと思う。
「まだ若いのに」と言った、電気屋の親父の眉尻が下がった顔。今でも忘れられない。
ほぼ無意識にリモコンを手に取り、テレビの電源をつけてみる。
ぶつっと音がしてから数秒後、画面が灯った。
違法で通した電気はどうやらまだつくらしい。
そうか。これは俺が生まれ変わった俺だと気がつく前の俺がしたんだったか?
もう自分でも何を言っているのかよくわからない。
昼の情報番組。
スーツを着た司会の男がやかましく騒いでいる。芸能人の不倫がどうたらこうたら。興味ない。
そもそも他人に興味がない。
人物が映り変わり、たまたまゲストに出ていた偉そうな坊さんが言う。
「徳とは積もうと思って積み上げるものではありません。自然と積み重なってくるものなのです」と。
なるほど。一理ある。
(待てよ)
俺はわざとらしく徳を積み上げたからだめなのか。
上げて、上げて、上げまくるんじゃなく、
重ねて、重ねて、重ねまくるものなのか。
なるほど。なるほど。なるほど。
ここまでの俺の人生の中で、一番ためになる良い事を聞いた。
なるほど。なるほど。なるほど。
◆◆◆
「もうだめだ。終わった」
四度目の人生も俺だった。
三度目の人生はなかなかのものだった。
坊さんの言っていた通り。
自然に徳を重ねるには、まず人と触れ合わなければいけないことを俺は学んだ。
気持ち少しだけ身綺麗にし、背筋を伸ばして生きた。
それでもたいした人生とは言えなかったが。
女子高生に話しかけられたのは、トータルの人生を合わせても今回が初めてだったから、なかなかのものだったと言える。
俺にしては。
話の内容はたいしたものではない。
日課になりつつあったゴミ拾いの最中に「お疲れさまです」と軽めに挨拶されただけだ。
たった一度きりの出来事だったけれど、悪い気はしなかった。
着の身着のままで、引っ越しをしたりなんかもした。
過疎地域の田畑開墾ボランティアに参加するためだけに。
今まで独りソロ活動が主だった俺には奇跡にも勝る大進歩だ。
しかし、慣れ合うことに関して微塵の器量をも持ち合わせていない俺はやはりどこに行こうと浮いてしまう存在だった。
〝人に感謝をされて〟の条件付きで、徳を重ねていこうと計画していたけれど。
田舎の仲間内大事意識に到底ついていけるはずもない。
都会の端暮らしと変わらず、やはり田舎でも俺は独りだった。
そんな慣れない田舎暮らしにも、突然別れがやってきた。
畑を耕し終えた年寄りが、俺を放って皆で休憩していた折、人の背丈二倍ほどもある熊が出現したのだ。
逃げ惑う年寄りたちを逃す時間稼ぎをし、身を呈して庇ったが、結局最後には熊に噛まれて襲われて死亡。
正直な話。もう三度目ともなると慣れた。
恐怖も特になかった。むしろ悟った。
俺、熊とは相性が悪いらしいことを。
そんなこんなで、心を改めて徳を重ねたというのに。
また、一からしなければいけないのか。
こんなことを思っている時点で、すでに俺は俺にしかなれないことが決まっているようなものか。
自虐気味に、笑いが口から漏れる。
もう無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。
「俺には俺の人生しかないのかよ」
だとしたら。
何もせず、ここで命を断てばどうなる?
ちょうどいい塩梅に、荷造り用のビニールテープが床に転がっていた。
アルミ缶収拾に必須のやつ、の残り物。
どうして何度も何度も生まれ変わっておきながら、これに気がつかなかったのか。
しゅるり、とテープの端を引っ張る。
思いのほか強度のあるそれは、急かすようにテレビの光を受けて鈍くきらめいた。
ピンポーン
タイミング悪く、呼び鈴が鳴る。
無視を決めこもうと思った矢先、「すみません。光一さん、いらっしゃいますか?」と遠慮がちな声が扉の外から聞こえた。
若い女の声だった。
一拍ほど時間を要する。
昔から、人に名を呼ばれた記憶が欠片もないから、すっかり自分の名を忘れていた。
俺の名前は、光一。さて、苗字は何だったか。
(阿呆か、俺は)
もはやそんなことどうでもいい。
俺は今から死ぬのだから。
だがしかし。
(死ぬ前に、一度ぐらい悪事を働いてもいいんじゃないか?)
どうせ何をしようと俺は俺なんだから。
そこに善も悪も関係ないだろう。
ビニールテープを放り投げ、三度目の人生の癖で鏡に直行。寝癖がないことを確認し、口臭も問題ないとわかると、錆びついてはずれかけの玄関扉を開けた。
「あ! こんにちは!」
予想通り、若い女だった。
歳は自分と同じくらい、二十代前半か。
顔も美人だしスタイルも良いし、肌艶も綺麗、澄んだ声もそそる。悪くない。
最後の最後に神もいいことしてくれるじゃねぇかと、下衆な考えしかもう頭には浮かばなかった。
「どちら様ですか?」
「私、橋本あかりと言います。ずっと、ずっと光一さんに会いたくて!」
なんだ、この女。
名前も知らないし会ったことももちろんない。
そもそも俺の人生に女は無縁だ。
(新手の詐欺か?)
たとえ詐欺だったとしても、俺から搾り取れる物なんてひとつもありゃしないけどな。
脅しがてら、眉間に皺を刻み睨みつける。
あかりと名乗った女はすぐ強張った表情になり、びくりと肩を揺らした。
それでも、意を決したように女は口を開く。
「信じてもらえないかもしれないですが、 私! この人生、四度目で! 光一さんに会うために、何度も何度も神様にお願いしたんです!」
「……は?」
時が止まった。
待て。この女、今なんて言った?
「四度目の人生、だって?」
「はい! 前も、その前も! お会いしたことはあったのですが、全く相手にしてもらえなくて!」
記憶を辿る。
前世、前前世、前前前世。
関わりがあった女なんて、あの時しか覚えがない。
「クローバーをくれたおかっぱ頭の?」
「それ! 私です!」
「話しかけてきた女子高生?」
「それも! 私です!」
待て。待て。
理解ができない。意味がわからない。
(いや、もしかしたら)
神様にお願いをしたとこの女は言った。
俺も次こそはいい人生に転生できますようにと願った。神か仏かなんてわからない。何か漠然とした大いなる存在に俺は祈った。
つまり。
(この女のせいで、俺は俺にしか生まれ変われなかったのか?)
――殺意が芽生えた。
目の前でにこにこ機嫌良さそうに笑っているこの女のせいで、俺は四度もこんな人生を歩まなくてはいけなかったのだ。
怒りが腹の底からこみあげてくる。
ごくりとねばついた唾を呑みこんだ。
細く白い、華奢な首だ。
力のない俺でもきっとすぐに締め上げられる。
「私、両親がいなくて。孤児院育ちなんです。一度目の人生で、ぼろぼろの服を着ていても毎月必ず寄付してくれる光一さんに、大人になったら絶対にお礼しようと思っていたのに。亡くなってしまっていて」
「……は?」
「二度目の人生は、まだ小学生で。それも間に合わなくて」
「……?」
「三度目の人生こそ、高校生で! ようやくお礼ができると思ったのに、光一さん、ここの住所を訪ねてもいなくて。そのあとも全然見つからなくて」
「……お前、何を言っている?」
「やっと、四度目で同じ歳に生まれることができました」
「はい?」
女の少しだけ潤んだ瞳を見、胸まで上げかけていた両手から力が抜ける。
なんだ、なんなんだよ、これは。
こんなの俺の人生じゃないぞ! らしくない!
いつも何をしても感謝なんてろくにされなかった俺の人生らしくない!
「やっとお礼が言えます。育てていただいて、本当にありがとうございました」
黒い艶々な髪を垂らし、彼女は俺に向かって深々と頭を下げた。
泣いた。俺の全てが泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣きまくった。
嬉しかった。
俺の、俺の人生は無駄じゃなかったんだと、この瞬間、初めて俺は俺の人生に感謝した。
「もしよろしければ。今からご飯一緒に行きませんか? 私、社会人になって、今日が初めてのお給料日だったので! ぜひ奢らさせてください!」
涙で濡れた俺の汚い顔を、嫌な顔ひとつせずに彼女はハンカチで拭ってくれた。
何度も。何度も。
ぼんやりと思い出す。
そうだ。
あの時、坊さんが言っていたではないか。
「徳とは積もうと思って積み上げるものではありません。自然と積み重なってくるものなのです」
「縁もまた、同じように」と。