第8話 姫と古狼と国王
第8話 姫と古狼と国王
「お前が古狼だと!?ふざけたことを抜かすな!」
"古狼"は北のエバ山脈に縄張りを持つ、漆黒の狼の姿をした獣だ。自分がその"古狼"だ、と告げる老人に、エメリアは怒鳴る。
「貴様はどこから見ても老人、人間ではないか!さあ、答えろ。貴様は何者だ!」
エメリアは老人の話に聞く耳を持たない。今にも切りかかりそうな剣幕で、老人を睨みつける。
老人はふぅ、と息を吐き、エメリアの目をまっすぐ見据える。そして、しばし膠着状態になる。30秒も経っていないが、二人にとっては長い時が流れた。そして急に二人の間に白い光が広がり、部屋の中は何も見えなくなった。
「なんだこれは…。煙幕?いや、幻術の類か?貴様!一体なに…を…?」
エメリアが固まった。突然、視界が晴れ、部屋の中が鮮明に見えた。と、思った瞬間、目の前に巨大な狼が現れた。漆黒の毛並み、屈強な体躯。その鋭い視線は、エメリアを射抜いている。
「な、な、ななな、なぁ!?」
エメリアは驚きのあまり、その場に尻もちをついた。頭の中が今にも爆発しそうだ。硬直するエメリアを、目の前の狼は見下ろす。
「改めて申し上げます、姫様。私の名はリゴ・ソラン。300年前の王より名を授かりました。人々が噂する、"古狼"の一人です。この短剣は、アリアス王家との約束の証です。時は来ました。今日は姫様にお伝えしなければならない、大切なお話があります。どうか、聞いて下さいますか?」
リゴと名乗る狼がそう言うと、床に落ちた短剣を咬え、エメリアの前に差し出す。エメリアはまだ状況が飲み込めていないが、目の前の狼が急に襲ってくるわけではないと確信し、ゆっくりと短剣を手に取った。
「そ、そうだな。まずは落ち着こう。これは王家の紋章に間違いはない。だが…約束とはなんだ?初耳だぞ。それに、なぜ国王陛下ではなく、私の所に来たのだ?」
そう言ったものの、国王陛下の前に現れられても困る。内心そう思いながら、エメリアは話を続けた。
「名前は、リゴ・ソランと言ったな?そしてお前は、自分のことを北の山脈に住むと言われている"古狼"とも言った。名前はともかく、色々と信じ難いが…実際に見たものを安易に否定もできん。いいだろう。そちらの話を聞かせて貰おうか」
エメリアは倒れた椅子を拾い、どかっと音を立てて座る。助けを呼びたいくらいに緊張しているが、自分は王国の姫であり、ひとかどの将だ。無様な姿は晒せない。覚悟を決めて、漆黒の狼と向かい合う。
「では…まずは王家に伝わる言葉について、姫はご存知ですか?」
「ん?あの、世界がもう終わっているとか、始めるとかいう?昔からある言葉だな。言い回しが…何というか、王族らしくない、古いわりには少し雑な感じの言葉だったな。あれがどうかしたか?」
正直なところ、自分も普段から相当雑な言葉遣いをしているとは思っていたが、エメリアはそこに触れないようにした。
「それは失礼しました。あの言葉は、私が当時の王に贈った言葉です」
「はぁ!?」
エメリアは思わず声をあげる。そんなはずがない。
「おい、あの言葉は300年くらい前からあるのだぞ?」
「その通りです。300年前に私が言いました」
また信じ難い話が増えた、そうエメリアが思っていると、狼が続きを話し出す。
「それ以前から、この世界、いえ、この星は終わりを迎えていました。長いお話になりますが、聞いて下さいますか?」
理解が追いつかない気がして、どうしようか迷っていたが、エバ山脈の大崩壊、浮き上がる大地、見えない盾…エメリアはこの数日に見た光景を思い出し、心を決めた。
「構わない。全て聞こう」
話が終わると、既に昼を過ぎていた。聞いた話は、あまりにも現実離れしているが、妙に納得のいく話だった。
そして、深刻な話だ。エメリアは考える。この話は、自分だけが聞いても仕方がない話だ。
「それで、なぜ私に話した?」
当然の疑問を投げかける。
「無論、このお話は国王陛下、並びに全ての国民にも話さなければならない話です。しかし、まだ準備しなければならない事が残っています。今話しても、国民は誰も信じて下さいません。そうなると、大勢の犠牲が出ます。今、メリダにいる姫様に、御協力をお願いしたいのです」
「そうか…私も正直なところ、今の段階で信じることは難しいのだがな。だが、あの光景を見て…お前のその姿を見て、信じないわけにもいくまい。いずれにしても、運命を選択する日が来る。それはとても近い。いいだろう…私に何ができるかわからないが、お前に協力する」
「感謝します。姫様」
リゴは狼の頭を下げ、お辞儀をした。エメリアも軽く頷く。
「それで?具体的にはまず何をすればいいのだ?」
「はい。東の国境を越えて、ある大きな建物を目指します。そこに保管されている箱には、計画の要となるものが入っています。それを持ち帰りたいのです」
「東の国境を越えるとはな…。その箱はかなり大きいのか?」
「いえ、箱はそう大きくはありません。少し重いですが、人間一人でもなんとか運べます。それよりも…」
リゴが急に言葉を切る。なんだ?と、エメリアは続きを促した。
「あそこは警備が厳重です。それに、相手は人間ではないのです」
「人間ではない?どういうことだ?」
「相手は、この国にとっては未知のもの。強いていうなら、人よりも大きい、武装した人形です」
「人形?しかも、武装している?」
生きているものが相手ならともかく、人形が武装して襲ってくるなど、わけがわからない。リゴはさらに話を続ける。
「姫様。その人形たちは非常に危険です。硬い鎧に身を包み、その剛腕は人間のものではなく、感情もありません。手足を失おうとも戦い続ける…殺戮のための人形なのです」
恐るべき敵だ。エメリアは息をのみ、心の中で叫ぶ。そんな相手がいてたまるものか。
「私たち人間が敵うのか?」
「正直に申し上げます。敵いません。だから、私が相手をします。その隙に箱を運び出して欲しいのです」
「なるほどな…。お前なら大丈夫かもしれない。だが、私一人で運び切るのは不可能ではないか?時間もそんなに余裕が無いのだろう?」
東の国境を越えて、その建物に向かうだけでも一苦労のはずだ。
「運搬の方法は考えてあります。東の獣、"疾き大鷹"に私たちを運んでもらうように手筈を整えています」
「東の…"疾き大鷹"だと?」
聞きなれない名前に、エメリアは首を傾げる。恐らく"古狼"と同じように、各地に縄張りを持つ獣なのだろうが。
「はい。彼女も我々の仲間です。山脈の崩壊前に、私の同族を各地へ伝令に出しました。明日には、大鷹がこちらに到着するはずです。後は、南の獣である"心強き大熊"と、西の獣である"優しき山猫"が各地で準備を進めます」
次々と新しい獣の名前が増え、エメリアは考えるのをやめたくなった。副官とテオに丸ごと任せてしまいたいくらいだ。しかし、話を聞いた者の責任もあるだろう。自分の心に喝を入れる。
「わかった。では明日、東へ出立するとしよう。ここの事は副官に任せるとして…言い訳を考えとかないとな。まあ、何とでもなるか。"疾き大鷹"ならばひとっ飛びだろうし。問題は、お前たち獣の事をどう伝えたらいい?」
「それは…」
「その事は私に任せたまえ」
リゴの言葉を遮るように、また入り口の方から別の声が聞こえてくる。リゴとエメリアはハッとして、声のする方を振り返ると、身なりの良い年輩の男が立っていた。アリアス王国国王、ヒース・オーランドだ。
「陛下!?」
「お父様!?」
二人は同時に叫ぶ。国王陛下にもいずれは事情を話す事になっているが、これは予想外の事態だ。
「お父様、なぜこちらに?」
「なぜとは、冷たいな?エメリアよ。救援を派遣したのは私だし、後続部隊の手筈を整えていたのも私だぞ?後続とはいえ、国王として災厄に見舞われた国民の元に駆けつける事は、間違っておるのか?」
そう言われて、エメリアは押し黙る。国王は軽く頷くと、狼姿のリゴの方を振り返る。
「さて…話は全部聞かせてもらったぞ。いや、盗み聞きするつもりは無かったんだがな?水臭いじゃないか、リゴよ。私とお主の仲だろうに」
国王がそう言うと、リゴはうーん、と唸った。エメリアは国王とリゴの思いがけない反応に、呆然としている。
「おい、リゴよ。お前と陛下は知り合いなのか?」
エメリアは恐る恐る尋ねる。
「まあ…そうですな。この国の代々の王とは、少なからず面識があります」
「ならば、なぜ陛下に黙って動いてるのだ?!」
「そうだぞ、リゴよ。私も代々の王と同じく、お主と色々話し合ったじゃないか。悪巧みをしているわけでもあるまいのに、何を今更自分たちだけで事を進めようとするのだ?」
エメリアと国王の二人に迫られ、リゴは白状せざるを得なかった。
「実は…早い段階で陛下にお話をすると、類い稀な行動力に溢れる陛下はすぐに動き出して、国民への説明が空回りすると思ってました。国民に理解してもらうには、この話はあまりにも現実感がない話ですから…。それで、私たちで色々と下準備をしてからと、考えておりまして…」
確かに、と、エメリアは思ってしまう。思わず頷きそうになるのを、ぐっと堪えた。
「はっはっは!それが水臭いと言うんだ!少しは旧知の友を信用しろ、リゴ!私はこれでも国王を務めている身だ。先程の話の深刻さは理解している。とうとう、その時が来たのだな…。さあ、私がすべき事を教えてくれ」
国王が言うと、リゴは敗北を認め、狼の顔で苦笑いをした。
「やれやれ、あなたはご先祖に似て、昔から良き友ですな」
リゴが素の態度で言うと、国王とリゴの二人の老人が高らかに笑った。エメリアはどっと疲れた感じで、その様子を微笑みながら眺めていた。