第18話 落日
第18話 落日
「ソフィア、落ち着いたか?」
「はい…。姫様、ありがとうございます」
エメリアの胸で泣いていたソフィアは顔を上げ、ゴシゴシと涙を拭う。
「よかった。さて、これからどうするか考えなければな…」
突然の衝撃、リゴの負傷。先程の混乱からようやく落ち着きを取り戻したが、まだ状況が理解出来たわけではない。それに、建物のあちこちから壁が破壊されるような音と衝撃が伝わってくる。
「壁を壊したのが何かはわからないが…とにかく、周囲の状況を確認しよう」
そう言うとエメリアは立ち上がり、横になっているリゴの方を見る。リゴはまだ気を失っているが、容態は落ち着いているようだ。
「まったく…リゴの回復力は常識を超えているな。この様子だと、間も無く意識も戻るだろう。しかし、あの衝撃から私たちを守るためとはいえ、その身でまともに受け止めるとは…なんて奴だ」
「リゴが庇ってくれた…?」
「そうだ、ソフィア。だから私たちは無事なんだ」
それを聞いたソフィアは、再び泣きそうな顔をしている。
「だからと言って、また自分を責めるなよ? 今はリゴのために自分が出来る事をちゃんと考えるんだ。ソフィア、大丈夫だな?」
ソフィアはエメリアの言葉を飲み込む。
エメリアの言う通りだった。
「…私は口ばかりで、何も覚悟が出来ていませんでした。すごく情けないです。でも、私は姫様とリゴの力になりたい。そのために来たんです!」
ソフィアは拳を握りしめる。
「まあ…及第点といったところかな。頼むぞ、ソフィア」
「は、はい!」
嬉しそうなソフィアの返事が響き、その場が少し和む。その時、奥から妙な声が聞こえてきた。
"……ください…!こち……で……"
「…声? 誰かそこにいるのか?」
ここにはエメリアとソフィア、そしてリゴの他には誰もいない。エメリアは剣をゆっくりと鞘から抜き、声の方向へ剣先を向ける。ソフィアもエメリアに倣い、短剣を鞘から抜こうとしたが、エメリアに止められた。
「ソフィアはまだ剣を抜くな。脅威とみなされれば、私より先に狙われるかもしれん。まあ、勘だがな。まずはゆっくりとリゴの元に行くんだ」
「わ、わかりました!」
ソフィアがリゴの横に座るのを見届けると、エメリアはゆっくり歩き出し、謎の声の正体を確かめようと試みる。
「…何者だ!? 姿を現せ!!」
"こ……マ……!……応答…さい!"
声のようだが、耳障りな雑音が混じり、言葉がはっきり聞こえない。
(奇妙な音だな? それに、人の気配を感じない。なんだ?)
エメリアは更に近づき、薄暗がりを凝視する。すると、暗がりの中では何かチカチカと光が見えた。それは小さく、宝石のようだが、規則的に並んでいた。
「…おい? 誰かいるのか?」
エメリアが再び呼びかけるが、相変わらず言葉が聞き取れない。誰かがそこにいるわけではないようだが、得体のしれないものが確かにあった。エメリアが手に構えている剣で、触れてみようと考えていたところで、後ろから聞き慣れた声が飛んできた。
「…姫様。それは大丈夫です。私に任せて下さい」
エメリアは心臓が飛び出そうなくらい驚き、後ろを振り返ると、目を覚ました。リゴが立っていた。しかも、狼の姿から老人の姿になっている。
「リゴ!? 驚かすな!心臓が止まるかと思ったぞ!!」
「いやはや、すみません。それに向かって剣を抜いて斬りかかるのではと思って…」
「まったく…私はそんなに短慮ではないぞ。それより、怪我はいいのか?」
「はい。とりあえず、動けるぐらいには回復しました。すみません。ご心配をおかけしました。それで…ソフィアは?」
「ソフィア? お前の背中にしがみついているぞ?」
リゴが首を回すと、ソフィアが背中におぶさりながらポカンとして固まっていた。
「ソ、ソフィア!? なんで背中に?」
少し間が空いて、ソフィアはハッと我にかえる。
「リ、リ、リゴにしがみついてたら、一瞬光ったと思ったら…こうなってた…」
「そう…なのかい? まあ、大丈夫だけど…?」
「…はははは!! まったく、緊張感も何もないな!!」
このおかしな空気に耐えきれず、エメリアは大笑いする。その笑い方がまた父親にそっくりで豪快だった。リゴもソフィアも、エメリアにつられて笑い出し、また場が和んでいた。
「さてさて、とりあえず今の状況を確認しましょう。私が気を失ってからどのくらい経ちましたか?」
「そんなに経っていない。応急処置をしてから、一息ついたくらいだからな」
「というと、長く見積もって30分くらいになりますか…」
「リゴ、怪我は本当に大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ、ソフィア。心配をかけてすまなかったね」
「ううん。私の方こそ、リゴに助けてもらったんだもん。お礼を言わなきゃ。リゴ、ありがとう」
「それは私も言わなければな。リゴ、お前の身を呈した行動がなければ、私たちもただではすまなかった。感謝する」
「姫様…ソフィア…」
リゴは少し照れ臭そうにしていたが、エメリアとソフィアの手を取り、頭を下げた。
「…私からもお礼を言わせて下さい。二人がいなければ、私は更に深手を負っていました。ありがとう」
エメリアとソフィアは少し頰を赤らめる。そして同時に、こうして三人が手を取れることを素直に喜んだ。
「さあ、話を進めよう。リゴ、これからどうすればいい?」
「そうですね…。まず、私の推測ではありますが、現在の状況を説明します」
リゴの説明によると、先ほど三人を襲った衝撃はミナリスの矢が自壊しているせいらしい。何故そうなったのか詳細は定かではないが、発射には相当な力が使われており、その力の制御に問題が生じたようだ。
「つまり…ミナリスの矢は勝手に壊れて止まっちゃったの?」
「まあ…ソフィアの言う通りかな。だが、これで問題が解決したわけではないんだ。矢は既に何度か発射されてしまっていた。だから…」
「…その目的が達せられている可能性もあるわけだな」
「…はい。これ以上の発射はないにせよ、どの程度被害が出ているかはわかりません」
「くっ…!」
エメリアは悔しさを堪えきれず、地面を強く叩いた。
「そんな…リゴ、どうしたらいいの?」
「うむ…。私たちに出来ることをやるしかないが…まずは向こうの状況を確認できるかやってみよう。さっきのアレを使ってね」
そう言うとリゴはツカツカと歩き出す。先には、先ほどエメリアが警戒していた、謎の声が聞こえてきたところだ。
「リゴ、何を? それはなんなんだ?」
「これは…通信機というものです。簡単に言うと、遠くの人と話ができる道具です」
「え! そんな道具があるの!? すごい!」
「とはいえ…これは長距離専用なので、使い勝手は悪いですが。今、調整してみます」
リゴは通信機と呼ばれる大きな箱の、小さな光に手を触れていく。見ている二人には全く理解ができないが、その道具が光を増していき、周囲が明るくなってきた。どうやら、部屋全体に道具の影響が及ぶらしい。その様子を、二人はただ驚きの表情で見守っていた。
それから程なくして、急にまた謎の声が聞こえてくる。先ほどよりもその声は鮮明だった。
"こちら…マルセラです! リゴ! 無事ですか!? 応答して下さい!"
声の主はリゴの仲間であり大鷹の獣人、マルセラのものだった。
「マルセラさん!? あの声はマルセラさんの声だったの!?」
「ああ…どうやらそうみたいだ。よし、繋がった!」
その時、目の前に鏡のような何かが映し出される。それには、マルセラの顔が映っていた。
「マルセラ、聞こえるか? こちらはリゴ。現在、ミナリスの矢の内部に侵入している。そちらの状況を教えてくれ」
「ああ…リゴ! 無事だったのね! 本当によかった…」
目の前に映るマルセラは泣いていた。
「こちらは大丈夫だ。トラブルはあったが、作戦を継続している。そちらは大丈夫か?」
「…リゴ、説明するわ。よく聞いて。今、私は"サダリア"の通信機を使って話しているの。サダリアは現在、西に撤退中よ」
「撤退?君は陛下と合流して…時間的には王都に着いて間もないはずだ。何があった?」
「確かに、私はあの後すぐに陛下と合流したわ。それから、私が陛下を背に乗せて、低空飛行で王都に向かったの。でも…」
マルセラは言葉が詰まる。それから深呼吸をして、震えた声で話を続ける。
「王都は…既に人形に破壊されていたわ。守備していた兵士や民たちは散り散りになって敗走していた。迎撃していたサダリアとルースの二隻は、私の目の前でミナリスの矢を受けていた。間も無くして、ルースは轟沈…サダリアも中破していたわ」
「そんな…では…王都より南の民たちは?」
エメリアが消え入りそうな声で問う。マルセラは首を振り、答える。
「…王都を含め、王国の南と東は全滅です。残されたのは、メリダの人たちが避難した、北西部のみです」
「なんで…。陛下は?陛下は無事か?」
「陛下は…先ほど、生き残った民と兵士をまとめるためにサダリアを降りて指揮を執っています。ですが、すぐに人形たちが押し寄せてきて…サダリアも迎撃を試みたのですが…。ごめんなさい、姫様。リゴ。ソフィア。私もこれまでです」
「マルセラ、何を言っているんだ!」
「そうだよ、マルセラさん!諦めちゃダメだよ!頑張って!」
「ソフィア、ありがとう。でも、無理なのよ。ミナリスの矢にエンジンをやられたわ。なんとか飛んでいたけど、間も無くサダリアは轟沈する。脱出もできないから、後は敵を巻き込んで大爆発かな…。リゴ、後はあなたたちに託すわ」
「マルセラさん!! いやだ!! いやだ!!」
「泣かないで…ソフィア。大丈夫。まだあなたたちの未来は終わっていない。生きて」
「マルセラさん…いやだ…」
「リゴ…いえ、先生。後はお願いします」
「…そうか。マルセラ君…すまない」
「ふふ。そんな顔をしていると、娘さんに怒られますよ? 先生…さようなら」
"ザ…ザザ…ザ………。"
マルセラの姿は消え、音も消えた。静寂。今、それが意味するのは…死。
「マルセラさん…」
ソフィアはリゴにしがみつき、大声で泣くのを我慢しているが、ボロボロと涙を流していた。リゴはソフィアに腕を回して抱きしめ、祈るように目を閉じた。そうしていると、リゴの反対の腕をエメリアがガシッと掴み、顔を俯きながら肩を震わせている。エメリアも声に出さずに泣いていた。
リゴは涙を流す二人を抱きしめ、ただ沈黙していた。何もかもが突然起こり、無力感に包まれる。
(マルセラ君…この子達は、必ず私が助けてみせる。約束だ)
この日、日が沈む頃に、アリアス王国の大半が破壊され、王国は消滅した。