第15話 国境を越えた先には
第15話 国境を越えた先には
「あそこが東の国境だ。それにしても、リゴよ。ここを昼前に越えられるとは思わなかったぞ」
エメリアはリゴの背中に跨りながら、感嘆の声を上げた。リゴはこれまでの常識では考えられない速さで移動しているのだ。
「リゴ、速いね〜」
もう一人、背中に乗っているソフィアもはしゃいでいる。こうして見ると、年齢よりも幼く見えてしまう。そうエメリアは思っていた。
朝方にメリダを出立した一行は、森林の中の街道を真っ直ぐ東へ向かっていた。
そして昼になろうかというところで、アリアス王国東の国境にまで差し掛かる。メリダから東の国境までの距離は決して遠くはない。だが、馬が全力で走ってもこんなに早くはつけない。リゴたち"古狼"の駿足は想像以上だった。
「でもリゴ、こんなに飛ばして大丈夫?疲れてない?」
ソフィアがリゴの頭を撫でながら、心配そうな顔で尋ねる。
「ありがとう、ソフィア。だが、私たちの全速はもっと速いんだ」
リゴが余裕の表情を見せる。普段の老人の姿では考えられないが、その顔はとても若々しい。
「そんなに速く走れるの?でも、それならどうして全速を出さないの?」
「それはね、流石に全速を出すとソフィアたちが落っこちてしまうからなんだ。それに、そんなに速く走ると止まるのも大変なんだよ」
リゴにそう言われて、ソフィアはなんとなく納得した。ところが、エメリアが少しムッとしている。何か不満らしい。
「私は落っこちない自信があるぞ。うん」
「むむ。じゃあ、私も落っこちない!」
エメリアが自信満々に言うと、なぜかソフィアがそれに対抗する。なんでソフィアはそんなに意地を張ってるんだろうか?リゴは首を傾げる。
「姫様、そんなに頑張って速く走らなくても、予定通りに着きますよ?」
「わ、私は頑張っていないぞ!将軍だからな!」
将軍が何に関係あるのだろうか。エメリア姫の意図は少し読みづらい感じだが、ここでリゴが考える。そして、閃いた。
(そうか!姫様は私の全速を体験してみたいのだ!ソフィアみたいにはしゃぐ訳にはいかないから…。姫様の童心に返りたい、ささやかな願い。私が叶えて差し上げなければ!)
リゴはまるで少女に仕える老執事のような気持ちで満たされており、これが年寄りの冷や水になろうとは、思いもしなかった。
「わかりました!姫様、ソフィア。少しばかり本気を出してみましょう。しっかりとお掴まり下さいね」
そう言うとリゴが穏やかに笑った。エメリアたちは顔を引きつらせる。リゴのこの笑顔、嫌な予感しかしない。
「え?待て待て、リゴよ。おまえ一体なに…を!?」
エメリアが止まる間も無く、リゴが今までにない加速を始める。空気の壁がエメリアたちを前から押さえつける。
「ひゃ!リゴ、速い!速いよ!?」
ソフィアがリゴの背中にギュッと掴まりながら絶叫する。リゴは更に加速を続けた。後ろのエメリアも必死にしがみつきながら絶叫を発していた。
「リゴ!!!??」
あまりの速さに、周囲の景色がよく見えない。この速さは命の危険を感じるほどだ。エメリアとソフィアは、ただ叫ぶしかなかった。
(…さて、楽しんで貰えただろうか?)
リゴは少しずつ速度を緩める。背中から声が聞こえない。おかしい。しがみついてはいるようだが。
「姫様?大丈夫ですか?ソフィア?」
恐る恐る、背中に声をかけるが返事がない。リゴは少し不安になってきた。そこで、追従してきている仲間に背中を確認してもらうことにした。案の定、不安が的中する。
「リゴ。姫様たち、気絶してるぞ」
リゴの顔がサーっと青くなる。
「いかん…やり過ぎた」
背中にしっかり掴まりながら気絶する二人を乗せて、リゴは後に待ってる説教を覚悟した。どうやら、甘い夢を見過ぎたようだ。数分後、目覚めたエメリアは激昂しており、背中の毛を勢いよく毟られたのは言うまでもない。
ソフィアが目覚めた時には、エメリアが凄い剣幕でリゴに説教をしている最中だった。その光景がなんだか可笑しくて、ソフィアはクスクスと笑ってしまう。
こうしてソフィアたちは、いつの間にか国境を越えて荒地に入っていた。もう少し進むと、いよいよ砂漠に入る。
果てしなく続く、何もない砂漠。そこにリゴが言う、東の施設があるらしい。
「さて…。砂漠に入ったら、もう少しの辛抱です。目的地までそう遠くはありませんが、ここからは警戒しながら進みます」
リゴと仲間の狼たちが速度を緩め、左右に広がる。それから斥候も放ち、警戒を強める。
「ねえ、リゴ。この先には何がいるの?」
父からもらったダガーの鞘を握りしめ、ソフィアは尋ねる。リゴは一度歩みを止め、ゆっくりと頷いた。
「ソフィア、よく聞くんだ。この先には恐ろしい敵がいる。私たちが昔から戦ってきた、とても冷酷で非情な敵だ。数も多いだろう。ここから先は油断出来ない。私の言うことを聞いて、決して離れないようにするんだ。できるね?」
ソフィアの身が固く強張る。リゴの雰囲気が先程までとは全然違う。エメリアも短弓を構え、周囲を見渡していた。
ソフィアは急に怖くなる。我儘を言ってついて来たが、この状況の中で本当に自分はリゴの力になれるのだろうか?そう思うと、今度は体が勝手に震え始める。
(だめ…!止めなきゃ!止まって!)
必死に止めようと試みるが、震えは一層強くなる。ソフィアは泣きそうになるのを堪えながら、懸命に震えと闘っていた。
「ソフィア、大丈夫か?」
背中からの声に、ソフィアは心臓が止まりそうになる。気づかれてしまった。
「姫様…。すみません、震えが…」
「ん?武者震いというやつか?」
「…武者震い?」
ソフィアにら聞き慣れない言葉だ。
「武者震いというのはな、これから敵に対峙する戦士がよくなるのだ。私も盗賊相手の初陣でなったことがある」
「そうなんですか?」
「おう。震えはひどくなり、足が竦む。まあ、通過儀礼みたいなものさ。当たり前だが、ソフィアは初めて戦場にその身を置いているのだ。怖くて当然だろ?」
エメリアはソフィアの頭を優しく撫でる。普段のエメリアの態度とは少し違い、お姫様の優しさに触れたようだった。ソフィアは不思議と、震えが収まっていくのを感じる。それでも、不安な気持ちには変わりない。
「でも私…どうしたらいいんですか?」
俯くソフィア。エメリアは少し目を閉じ、時間を置いた。そして慎重に言葉を選び、再びソフィアに語りかける。
「そうだなソフィア。ソフィアは戦士ではない。戦場にいる事自体がおかしいのだ。でも、戦場が怖くない戦士もいない。怖いのは皆同じなんだ。それでも、怖い中で己を鼓舞し、勇気を奮い立たせる。それは、大切な目的があるからだ」
「大切な目的?」
「そうだ。出発する時に言っただろう?私やリゴたちはアリアスの守護者。未来のために戦うと。あれが、私たちが戦う目的だ。あの言葉が私たちを鼓舞し、恐怖に立ち向かう勇気を与えてくれるのだ。形は違えど、ソフィアにも勇気が湧いてくる目的があるはずだよ」
エメリアの言葉を聞いて、ソフィアは落ち着きを取り戻す。怖いことには何も変わりはない。戦いで力になれる自信もない。だけど、ここにいる目的が、ソフィアの中にもしっかりとあった。
(なんだっていい。私はリゴを助けるんだ)
ソフィアは心の奥底から力が湧いてくるのを感じる。これが勇気なんだろうか。自分に何ができるかわからない。でも、もう迷いはなかった。
「姫様、ありがとうございます。私、勇気が出せそうです」
決意に満ちた表情を浮かべるソフィアの頭を、エメリアは再び撫でる。
「そうか…良かったな、ソフィア。でも、私たちの言うことをちゃんと聞くんだぞ?お前は敵と戦うために来たのではないのだ。リゴの側を絶対に離れるな」
「はい!」
「よし!いい返事だ!さあ、リゴ。行こうじゃないか」
ソフィアの返事と、エメリアの掛け声に応えるように、リゴは力強く足を運ぶ。
(未熟ではあるが、ソフィアの心は強い。姫様も、お優しい心をお持ちだ。久しいな…この温かさに触れるのは)
懐かしい気持ちに満たされる。かつてリゴは、その温かさに満たされたひと時を過ごしたことがある。遠い遠い、昔の話だが。
そんな回想に浸っていた、その時。
空に青白い閃光が走る。
「こ、これは!!まさか、"ミナリスの矢"が放たれただと!?」
リゴが驚愕する。青白い閃光に心当たりがあるようだ。
「リゴ!どうした?あの閃光は一体なんなのだ?」
周囲を警戒しつつ、エメリアが尋ねる。
「あれはミナリスの矢。空を飛ぶものを全て撃ち落とす兵器です。かつての私たちの文明が作り出したもので…あれがマルセラの仲間を撃ち落としました」
「なんだと!?」
「そして今、再びあれが放たれたということは…」
「まさか、船を狙っている!?」
「そんな…嘘でしょ!?」
南方では突如侵攻してきた人形の軍勢を食い止めるため、国王が率いる軍と二隻の宇宙船、サダリアとルースが迎撃に出ていた。その二隻の船目掛けて、ミナリスの矢が放たれた可能性がある。
「リゴ、船の無事を確かめる術はないのか?」
「ここにはありません。ですが、あのミナリスの矢がある施設、つまり、私たちの目的地に行けば手段があります」
リゴの言う東の施設は、やはりミナリスの矢があるところのようだ。
「一刻を争う。急ごう!ソフィア、準備はいいか?」
エメリアがソフィアに尋ねる。ソフィアは頷き、真っ直ぐにエメリアの目を見た。
「姫様、行きましょう!リゴ!」
「二人とも、掴まって下さい!一気に接近します!」
リゴは力強く地面の砂を蹴り、全速で施設に向かう。エメリアとソフィアは先程のように気絶する事はなく、ただ前を見据えていた。
最後の砂丘を越えた眼前には白い建物が聳え立ち、その頂きには青白い光を蓄えるミナリスの矢が見えた。そして行く手を阻むかのように立ちふさがる、様々な武器を構えた顔のない人形たち。中央には一際巨大な、獣型の人形の姿もあった。
リゴたちは一斉に人形たちへ突っ込んでいった。