第12話 東からの報せ
第12話 東からの報せ
いつもの夕暮れ時。
メリダの街の外で、人々は夕陽を見ながら、一日の終わりを感じる。そして、今日もこうしていられる事を、沈む夕陽に感謝する。
あの大崩壊が起こってから、1週間は経った。街は半壊し、死傷者も多く出た。生き残った人々の生活も、優しいものではない。直後に駆けつけてくれた兵士たちと、エメリア姫が率いる救援部隊が来てくれなかったら、人々はここに留まることが出来ず、早々にメリダを離れる必要に迫られただろう。治療が間に合わず、助からなかった怪我人も多かったはずだ。
現在も、人々に復興の事を考えられる程の余裕は無い。だが、少しずつ落ち着きを取り戻して来ている。
でも…あれはなんだ?
あの異様な光景は、いつ見ても不安を掻き立てる。
あんなに高い山が崩れただけでも異常なのに、あんな光景があっていいものだろうか?
「もう昔とは違う風景になっちまったな。変わらないのは、夕陽だけか」
南門の壁の上で見張りをしていたフラガは、近くの椅子に勢いよく腰掛ける。大きめのクロスボウを手にしているが、矢は装填していない。
「まったく…世界の終わりが来ちまったのかねぇ」
そう言うと、自分の禿頭を撫でながら、苦笑いをする。まだ頭髪が薄くなる歳では無いが、フラガは自分で頭髪を剃っていた。
「おや?またフラガが何やらブツブツ言ってるな?」
フラガの背中から、女性の声が飛んでくる。一緒に見張りをしていた、同僚のサラだ。
サラは女性としては長身だが、他の兵士たちに比べると、少し華奢な印象を受ける。それでも、背中に弓と矢筒を担ぎ、腰にはショートソードと投げナイフを差している。実際、兵士としての実力は誰もが認めていた。
「俺はブツブツ言ってねぇよ」
「じゃあ、グチグチか?」
サラはフラガの背中をつつく。フラガは渋い顔で振り向く。
「お前なぁ…俺はそんなにため息の似合う男か?」
「いやいや、赤ら顔が似合う男だとは思ってたね」
二人は揃って吹き出し、笑い出した。この二人の、兵士としての付き合いは長い方だ。テオ・ルーが率いる部隊においても、信頼のおけるベテラン兵士であり、三人は阿吽の呼吸で部隊を指揮することができる。大崩壊が起こったその日も、メリダに駆けつけてからはテオと共に救助活動と周辺警備に尽力し、救援部隊が到着するまでの混乱を耐え抜いた。
「しかしまあ、俺たちも落ち着いたもんだな。あの大崩壊…正直、もうダメかと思ったぜ」
「なんだ?何を今更、そんなことを言っているんだ?」
「だってよ、あの巨大な山脈が崩れちまってるんだぜ?おまけにその北は、なんなんだよ、あれ。世界の終わりじゃないか」
フラガは似合わないため息をつく。サラも北の方を振り返り、少し考え込んだ。
「確かにな…あの光景は凄まじいものだ。街の中も多くが瓦礫と化していた。まったく、酷いものだったな。でも、悪い事ばかりじゃない。よく隊長の娘さんたちは助かってくれた。あの報せは私も嬉しかったよ」
サラはテオが家族と再会した時のことを思い出す。フラガも嬉しそうに微笑んだ。
「ほんと、その報せには俺も救われたぜ。そういや、あの時一緒にいた御老人が、娘さんたちを助けてくれたんだってな。俺からも礼をしたいぜ。酒とか一杯やりてえなぁ」
フラガはそう言うと、酒のジョッキを傾けるジェスチャーをする。
「やっぱりお前は、赤ら顔のフラガ様だね」
サラはクスクスと笑う。
「へへ、違いないな」
二人が談笑していると、見張り兵の一人が突然叫びだした。
「…!接近する砂塵を確認!夕陽の下です!!」
二人は素早く兵士の顔に戻る。急いでクロスボウと弓を手に取り、砂塵の方を覗き込む。
「騎馬隊…?15、いや、20はいるな。サラ、見えるか?」
「ああ。だが、速い。そして、大きいな。なんだ、あのでかい影は?」
「わからん。だが、射撃準備はしておいた方がいい。それと、隊長に合図を送れ。指示を請うぞ」
サラは頷くと、即座に南門の下に視線を向ける。そして周囲を見回し、テオの位置を確認した…その時
「な…?ちょっと待て!!」
サラは裏返りそうな声で叫ぶ。
「おい!?どうしたんだ!?」
フラガが怒鳴り返すと、サラは震えた声で答えた。
「なんで…陛下がいらっしゃるんだ!!?」
「な…おいおいおい、冗談だろ!?」
あり得ないことを言い出すサラを見ると、南門の下を覗き込み、固まっている。フラガも急いで下を見ると…そこには隊長のテオとエメリア姫、そして…紛れも無い、アリアス王国の国王陛下が立っていた。
「嘘だろ!?なんで陛下がいらっしゃるんだ!?王都から後続の指揮を執られていたはずだろ!」
フラガも困惑する。この状況を誰かに説明してほしい。そう願わずにはいられなかった。そこでサラが我に返る。
「フラガ、まずいぞ!あの砂塵がこちらに向かっているのならば、陛下が危険だ!おい!直ちに警鐘を鳴らせ!!」
「目一杯鳴らしまくれ!!」
二人の怒鳴り声に、警鐘の側にいた兵士が慌てふためく。そして必死に警鐘を鳴らした。その音はメリダ中に響き渡った。
リゴの仲間たちが駆けつけてくる最中、壁の上から警鐘が鳴り響いてくるのを聞いて、テオたちはハッとする。
「おっと…部下たちも気づいたようだな。この様子だと、臨戦態勢に入ってしまう」
テオは落ち着いた様子で言う。エメリアも頷くと、ヒースが大きく息を吸い、上に向かって叫ぶ。
「見張りの兵士諸君、任務御苦労!!だが安心せい!あの砂塵は味方だ!決して矢を射かけてはならんぞ!!」
人間はこんなに大声が出せるものなのかと疑いたくなるような、国王の大声が辺りに響き渡る。すると、警鐘が鳴り止み、見張り兵が武器を下げていく。
「陛下、相変わらずよく通るお声ですな」
リゴが耳を押さえながら言う。エメリアもテオも、その場にいたソフィアたちも含め、南門の下にいた人々は驚きのあまり呆然と立ち尽くしていた。この国の国王陛下は、誰もの想像を超えていた。
程なくして、砂塵がリゴの元へ到着し、整列する。
壁の上では、フラガとサラ、そして全ての見張り兵たちが立ち尽くしていた。陛下の大声もさることながら、南門に物凄い勢いで現れた一団の姿が、予想外だった。全く状況がわからない様子だ。
「おい…何が来たかと思ったら、あれは獣…もしかして、"古狼"か!?」
フラガが顔を真っ赤にして言う。酒は入っていないが、驚きのあまり顔を赤くして、鼻息を荒くしている。
「あれがそうなのか…?伝説の獣が、我々の目の前に現れたと言うのか…なぜだ!?」
サラも、この異常な事態が呑み込めずにいた。
「おい、フラガ。陛下はあの獣たちを味方だと仰ったな?これはどういう意味なんだ?」
「お前な…なんで聞くんだよ!?俺が知りたいぜ!」
二人は全く状況が掴めない。そこに、更に目を疑いたくなるようなことが起こる。突然、獣の一団が光を発し、何も見えなくなった。
「うお!?なんだこの光は!?」
フラガが目を覆う。サラも同様の反応をしていた。
「眩しい…何も見えない!陛下たちは!?」
そう言うと、急に光が収まる。恐る恐る二人が目を開けると、そこに獣の一団はいなかった。が、代わりに灰色のマント姿と革の鎧を身に纏った人間たちが並んでいた。
「おいおい、何者だ?」
「それはこっちのセリフだ、フラガ。もう訳がわからん…」
目の前に現れた謎の一団の事を必死に考えていたその時、更に追い討ちをかけるような出来事が起こる。突然、フラガとサラの頭上を大きな影が通過した。
「うおあ!」
フラガがその場に倒れ込む。サラもよろめき、壁の手すりにぶつかった。
「今度はなんなのよ!もう!」
頭上を飛び越えた影は、門の下の一団めがけて降りていった。
「ねえ、お姉ちゃん。なんか飛んでくるよ?」
ルーナが空を指差す。ソフィアが見上げると、何か巨大な影が迫ってくる。
「…鳥?」
ソフィアが巨大な影の正体を確かめる間も無く、それは目の前に勢いよく降り立った。影の主は、巨大な鷹だった。
「リゴ。久しぶりね」
鷹がリゴに向かって話し出す。女性の声だ。
「マルセラ!なぜここに?合流は明日の昼頃になるのではなかったのか?」
「リゴ、問題が起きたの。かなり不味い状況よ」
「不味い状況…?東で何が起こったのだ?」
リゴの顔つきも険しくなる。ソフィアは前に見た、リゴの鋭い目つきを思い出した。
「説明するわ。でも…この場にいる方々は?」
「そうだったな。紹介しよう」
リゴとマルセラは振り返り、ソフィアたちの方を向いた。
「皆さん。驚かせてしまい、申し訳ない。こちらの鷹は、マルセラ・リュネーと言います。私と同じ獣人です」
「初めまして。マルセラとお呼び下さい」
ヒースとエメリアが一歩前に出る。
「初めまして、マルセラ殿。私はヒース・オーランド。この国の王をつとめています。こちらは我が娘、エメリアです」
「初めまして。私はエメリアです。あなたが"疾き大鷹"ですね。お話はリゴからお聞きしています」
「国王陛下と、姫様でしたか。これは御身の前、失礼致しました。うーん、この姿では…少々お待ちください」
マルセラはそう言うと、エメリアたちから少し距離を置いた。すると、眩い光が広がる。
「…お待たせ致しました、陛下。エメリア姫。マルセラ・リュネーと申します。以後お見知り置きを」
一同は息を飲む。目の前に現れたのは、長い茶色の髪を後ろに編み束ねた、美しい女性だった。ライトグリーンの瞳はパッチリとしており、背丈も平均的な女性より高い。リゴと同じような緑色のマントを纏い、下に革鎧を着込んでいる。どうやら獣人たちの服装は、ある程度統一されているようだ。
「わあ…」
ソフィアもルーナも、マルセラの姿にため息をもらす。
「リゴ…こちらの可愛らしいお嬢さんたちは?」
マルセラはソフィアたちの方を振り向く。ソフィアとルーナはドキッとして心臓が跳ね上がりそうだったが、なんとか堪える。マルセラは優しく微笑んだ。
「ふふ。大丈夫よ。あのリゴと一緒にいるということは、何か素敵な縁があったのね?良ければ、あなたたちの名前を教えてくれない?」
「わ、わたしは、ソフィア。ソフィア・ルーです!」
「えっと、あの、わたしは、ルーナです。ルーナ・ルーです」
「ソフィアとルーナ。素敵な名前ね!二人に会えて嬉しいわ。宜しくね」
そう言うと、マルセラはソフィアとルーナの頭を撫でる。二人は頰を赤く染めて照れてきた。
「さて、マルセラ。聞かせてくれないか?東で何があったのだ?」
マルセラはソフィアたちの頭から手を下ろし、しばらく考え込む。沈黙した時間が過ぎ、やがてマルセラがリゴの方を振り向いた。その目には、何かの決意が現れている。
「リゴ…東の施設に偵察に行った、私の仲間がやられたわ。全滅よ」
「全滅…?どういう事だ?あそこの敵には飛び道具は無いはずだ。空ならば安全に行けるはずだが…」
「敵にやられたんじゃないのよ。仲間を撃ち落としたのは…我々の対空システムよ」
「なんだと!?バカな!」
リゴは今までにない程の動揺をみせる。余程の事が起こってしまったのだ。
「なぜ…あれが動いている?あそこのシステムは破壊されていたはずだ。それに、味方を撃ち落とすなんて…あり得ない」
マルセラは涙ぐむ。しかし、必死に堪えていた。
「おそらく…あのシステムは、千年もの長い時間をかけて自己修復したのよ。でも、敵味方識別の機能はまだ回復していない。そして、この星の異変を検知した時に、惑星外からの攻撃と判断したんだわ」
「だとしたら…まさか!」
「そう…今、この星で空に上がったものは、全て撃ち落とされる。あの施設のメインフレームを破壊しない限り、私たちは脱出できないのよ。それから…もう一つ悪い話がある」
「なんだ?まだあるのか?」
リゴの顔が暗くなる。予期せぬトラブルには、まだまだ続きがあるらしい。
「あそこにいた敵の人形。奴ら、私たちが各地へ赴いていなかった700年の間に、隠れて軍勢を作っていたのよ。そして奴らは王国に侵攻してきているわ」
「な…侵攻してきているだと?」
驚くリゴの横から、ヒースたちが割って入っていた。
「マルセラ殿。それは真か?今、王国は侵攻を受けているのか?」
「そうです、陛下。南東の国境を越えて来ています。三日前です。私たちの仲間が先んじて迎撃に駆けつけましたが、数で圧倒されており、押されています。私たちの仲間…南の大熊と、西の猫の獣人たちは、ほぼ全滅しました。今、伝令に走ったリゴの部下と私の残された部下たちが、脱出船団の護衛を務める船"ルース"と"サダリア"の武器で迎撃していますが…」
そう言うと、悔しそうに拳を握りしめ、顔を歪める。結局、マルセラは涙を堪え切る事が出来なかった。大勢の仲間を失った悲しみが押し寄せている。傍にいたリゴがマルセラの肩を抱き、慰める。事態は一刻を争っていた。
「…リゴよ。私はすぐに王都に向かい、国民の避難と迎撃の準備をせねばならんようだ」
ヒースはそう言うと、兵士の伝令を呼び寄せ、あれこれ指示を出す。出立の準備を指示し、エメリアの方を向き直す。
「エメリアよ…私は侵攻する敵を迎え撃ってくる。私が帰らぬ時は…後のことは頼むぞ」
「…はい。お父様も御武運を…」
エメリアにはわかっていた。王である父が、これから果たさねばならない使命を。リゴたちのような力を持つ、伝説の獣たちが敵わない程の敵、それも、殺戮に特化した人形を相手に、人間の軍勢がどれ程の抵抗を出来るのだろうか。星を渡る船の援護があっても、どのくらい時を稼げるのだろうか。
王は決死の覚悟を決めたのだ。
エメリアたちは、王が率いる一団の背を見送る。これが、アリアス王国の国王、ヒース・オーランドの最後の姿になった。
決死の脱出が、間も無く始まろうとしている。