第10話 千年の時間
第10話 千年の時間
一同は老人が語り始めるのを待つ。外はまだ明るいが、テントの中は人目に触れないよう、窓を閉め、薄暗くなっていた。テーブルに置かれたランプの、小さな灯りだけが一同を静かに照らしている。
"古狼"と呼ばれ、メリダでは花の老人とも呼ばれている、リゴ・ソラン。これからリゴが話すのは、千年前の話。
リゴの古い友人であるヒース・オーランド陛下は、何か知っているらしい。エメリア姫も、リゴから先に話を聞いていたようだ。リゴは、これからソフィアたちのために話す。
ソフィアは今朝からのことを思い出していた。あの災厄を知っていて、教えてくれなかったリゴ。そのことに対して、どう思えばいいのかわからない。ソフィアは首を横に振る。
(今はリゴの話を聞きたい。ただ、それだけ)
ソフィアは心を決め、ルーナの顔を見る。ルーナもこちらを見ており、軽く頷いた。父と母も、ソフィアとルーナの肩に手を当て、優しく微笑む。話を聞く準備が出来た。
その様子を静かに見ていたリゴは、少し嬉しそうだった。
「さて、この年寄りの長話を始めよう。準備は出来たようだが、その前に一つ皆さんに聞かねばならない。これから話すことは、あなたたちの常識を変えてしまう話なんだ。それは、すぐには信じられないような事だ。だが、もうあまり時間は残されていない。この国の人々は皆、ある選択をしなければならないのだ。それを選択した結果、後に後悔するかもしれない。メリダで災厄に襲われたあの日、私からソフィアに思わせぶりな話をしておいてなんだが…それでもこの話を聞いてくれるだろうか?」
リゴは四人に改めて、話を聞く準備があるか問う。ソフィアたちはしっかりと頷いた。
「そうか…。ありがとう。それでは、改めて話を始めよう。この災厄の発端は千年以上も前に遡る。結論から言うと、私たちが住むこの世界、いや、この星は、間も無く滅びる。そう、おそらく数日以内に。あの地震と北の山脈の大崩壊は、始まりに過ぎない」
四人は半信半疑ながらも、言葉を失う。あと数日で、世界が滅びる。あの大崩壊は始まりに過ぎないというのだ。リゴは話を続ける。
「私たちが住む世界は、そうだね、わかりやすく言うと、夜空に浮かぶ星の一つと同じなんだ。そう、私たちは星に住んでいるんだよ」
「夜空のお星様と、同じ?」
「そうだよ、ソフィア。星なんだ。そして、他の星にも人間は住んでいた。今は…私にもわからないが、千年以上前の世界では、私たち人間は星を渡れる船で、夜空の海を渡っていた。その海を、私たちは"宇宙"と呼んでいたんだ」
リゴは上を向いて、遠い目をした。遥か空の上を眺めるように。
「なぜ、私がこんな事を知っているか、気になるだろう。先に言っておくと、私と、古狼のように各地で"獣"と呼ばれている者たちは、その時代から生き続けているのだ。そう、かつては皆、人間だったんだ」
「みんな、人間だった?」
今度はテオが聞き返す。
「そう、理由は後で話すが、紛れもなく人間だったのだ。当時、私たちの世界は今とは異なる文明が栄えていた。勿論、歴史を紐解けば、今のような文化の時代もあったが。"科学"という…いや、"魔法"とも言えるような、非常に高度な技術が発展し、それが星を渡る船を作り出し、私たちのような獣…獣人を作り出したのだ」
「獣人…ですか。それが本当ならば、魔法としか例えようがないですな…」
この世界において、実際に魔法の類は存在しない。しかし、魔法としか言えないような、説明のつかないことは起こる。テオはあの日、崩れる山脈の岩からメリダを守った見えない盾の事を思い出す。
「しかし、千年以上前からリゴ殿たちが生きているとは…正直なところ、私にはまだ信じられません」
テオがそう言うと、リゴも頷いた。
「それは無理もない。証明は難しい。だが…真実なのだ」
「リゴさん、1,000歳?」
「そうだね、ルーナ。1,000歳は過ぎているな」
「ふーん。その割には結構若く見えるけど…。お姉ちゃんもそう思わない?」
ソフィアもルーナも、驚きよりも興味津々な感じだ。
「こら、ルーナ。そんな言い方をしては、リゴさんに失礼でしょう?ごめんなさいね、リゴさん。娘が失礼なことを…」
カトラが謝ると、ルーナは頰をぷーっと膨らませる。普段はソフィアよりも姉らしい、しっかり者の感じなのだが、こういう顔をしていると年相応の無邪気さも見られた。
「いいえ、カトラさん。私は大丈夫だ。ルーナはすっかり元気になったようで良かったよ」
リゴにそう言われて、ルーナは顔を赤くする。リゴは怪我をして倒れていた時に、姉とともに助けに来てくれた恩人なのだ。ソフィアほど付き合いは長くないが、ルーナもリゴとはこの数日で、少し打ち解けていた。
「さて、話を続けよう。ここからが核心だ。高度な技術で栄えた私たちの世界は、ある日突然の終焉を迎えた。そう…遠い宇宙から敵が現れたのだ」
そう言って、リゴは拳を握り締める。その目は鋭くなっていた。ソフィアたちは息をのむ。
「…奴らは星々を船で渡って侵攻してきた。その勢いは凄まじく、迎え撃っていた私たちの軍は防戦一方で、奴らがこの星に辿り着くのも時間の問題だった。私たちは…苦渋の決断をした」
言葉を区切り、一呼吸おいて、リゴは続ける。
「私たちの多くは、この星から…故郷から逃げる事を決めた。故郷を捨てる事にしたんだ」
「故郷から…」
呟いたのは、ルーナだった。彼女は家を失ったことに一番心を痛めていた。その上、故郷を失ってしまったら…そう思ったのだろう。声が震えていた。
「辛い決断だった…。確かに家族を失う事に比べればまだ良いと、考えられなくもない。しかし、帰るところを失う事は、とても悲しい事だ」
リゴはルーナの方を向き、ルーナの痛みに同意したように頷く。
「そして残念ながら、全ての人々が脱出できるわけでもなかった。戦いの最中に脱出することは危険な賭けだ。準備も不充分であれば、尚更だ。それにルーナ、君と同じように、故郷や家を失うことに耐えられない人々もいたのだ。だが、残された時間は刻一刻と過ぎて行く。そして、人々は最終的に二つの道を選択した」
「二つの道?」
ソフィアは尋ねる。
「そう、総攻撃で敵を引きつけている間に、脱出する。多くの人々がそうした。もう一つは、星に残って戦う道だ。星が敵に占領されても、いつの日か故郷を取り戻すために、隠れながら戦い続ける。私たちはその二つの道を選択した。私は後者の方だ。科学の技を使って自らを獣人に作り変えたのも、この頃だ。だが、多くの犠牲が出た…」
リゴは俯き、静かなため息を吐く。
「総攻撃に出た軍は壊滅した。脱出できた船も、全てではない。残った私たちも、度重なる攻撃で散り散りになり、生き残れた者は僅かだった。奴らは占領ではなく、破壊を欲していた。そして、奴らは私たちに最悪の結末をもたらした」
リゴは顔を上げ、ソフィアたちを悲しい目で見つめる。
「奴らはある日、急にこの星から撤退した。その直後、この星そのものを激しく攻撃したのだ。奴らには…この星はもう必要では無くなったのだろう。その攻撃で、この星は致命的な深手を負ってしまった…。辛うじて完全な崩壊は免れたが、大地の大半は崩壊してしまった。あのエバ山脈の向こう側のように。人々が住める地は、ほんの僅かしか残されていなかった」
ソフィアたちはあの日、エバ山脈が崩れた先に見えた異様な光景を思い出して、沈黙する。世界の大半が、あのような状態なのだと思うと、体中を寒気が襲う。
「そして、この星は間も無く完全に崩壊してしまうのだ。これはもう、避けることは出来ない」
「そんなことって、ないよ…」
ソフィアの目からは、涙が溢れていた。残酷だった。嘘だと思いたかった。だが、リゴの話が真実なのだと、自分が目にしたあの光景が語っている。そしてもう、あの平穏な日々に戻ることは出来ないのだ。
横に座っているルーナも、テーブルに突っ伏して泣いていた。娘たちが泣いている姿を見ていた父と母は、娘たちを優しく抱きしめ慰めたかったが、その場を動けなかった。しばらくの間、ソフィアたちのすすり泣く声だけが聞こえていた。
やがて、重い空気の中、リゴが再び口を開く。
「ソフィア、ルーナ。すまない。辛い話を聞かせてしまったね。テオとカトラにも、娘さんたちを悲しませてしまった。どうか許してほしい…」
リゴは優しい口調でソフィアたちに謝る。
「いえ…リゴ殿こそ、ご自身も辛い話をして下さった。本来は…私たち家族が聞ける話ではなかったのかもしれない。それでも、お話しして下さった。娘たちの事も気遣って下さった。御礼を申し上げねばなりません。リゴ殿、誠に感謝致します」
テオはその場で立ち上がり、深々と頭を下げた。カトラも立ち上がる。
「私からも御礼を言わせて下さい、リゴさん。あなたはソフィアやルーナの事を、親身に考えて下さいました。娘たちの命と、心を救って下さいました。もっと早く御礼を申し上げるべきでした。リゴさん、ありがとうございます」
カトラも、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとう。私も刻一刻と迫る破滅の中、残された人々を救うという重圧に心を閉ざしていた。だが、独りで悩んでいた私の目の前に、底抜けの明るい笑顔を見せてくれたソフィアが訪ねてきてくれた。姉を想い、家族との思い出を誰よりも大切にする優しい心を、ルーナが私に思い出させてくれた。テオ殿、カトラさん、私の方こそお礼を言わせてほしい。ありがとう。」
リゴはそう言うと、微笑みを返した。ソフィアとルーナも泣き止み、その表情に少し明るさが戻る。テオとカトラも安心したように微笑む。
「さて…続きを話そう」
リゴはお茶を一口飲み、続きを話し始める。
「全部で数百人くらいだった。生き残れた人々は集まり、対策を考えた。敵は去ったが、星の崩壊は続いている。私たちは獣人の仲間たちと共に駆け回った。残されたものをかき集め、何か崩壊を止める手立てがないか、様々な手段を試した。そして、完全に崩壊するまでの時間を遅らせることには、かろうじて成功した。だが、代償を払うことになった」
「代償?何があったの?」
ソフィアが聞くと、リゴは
「私たちが各地から、この地に戻って来た時、奇妙な事が起きていた。一ヶ月程で帰って来たはずなのに、ここは別の世界になっていたのだ」
「別の世界?どういうこと?」
「ソフィア、言葉の通りなんだ。私たちがいない間に、この地には国があり、人々の数が急激に増えていた。だが、見知った顔は一人もなく、文化も過去に逆行していた。明らかに不可解な状況だった。それに、人々が私たちの獣の姿を見た時、恐れられたのだ。まるで…はじめてみる怪物を見るかのように…」
リゴは目を閉じた。その表情は険しく、苦しそうだ。
「私たちはひとまず隠れ、情報を集める事にした。そして、この地に残っていた獣人の仲間に会えたが、彼はこの一ヶ月ではありえないほどに老化していた。事情を尋ねると、私たちは驚愕した。私たちの一ヶ月は、700年だったのだ」
「700年!?どういうこと!?」
ソフィアは驚きのあまり、椅子をガタッとひっくり返して立ち上がる。
「信じられない話だが、一つ可能性があった。それは、星の崩壊によって重力場…いや、わかりやすく言うと、この地から離れるほど、不規則だが時間の流れがずれてしまっていたのだ。だから、私たちの一ヶ月はこの地の700年に相当する。残っていた人々は世代を重ね、次第に過去の技術や記憶を失い、文明は過去へと巻き戻っていた。アリアス王国もそうした中で生まれていた。私たちは、自分たちの時間を代償に、成果をあげたのだ…」
「そんな…それじゃ、みんながリゴを見て恐がったのは、リゴの姿を見たことがないから?」
「そういう事になるんだ…ソフィア。私たちはある意味で、再び同胞と別れる事になってしまった」
「そんな…あんまりだよ…」
「お姉ちゃん…」
再び重い空気が流れる。リゴはしばし、沈黙する。そうしていると、国王のヒースが話し出した。
「その話の頃、つまり300年前になるな。その頃に、私たちアリアス王国の王家は、リゴに会ったのだ。そして、王家に伝承を残した。まったく…もう少し詳しい話を残してくれると有り難かったんだがなぁ?リゴよ」
「申し訳ありません、陛下。300年前は、まだ私たち獣人の言葉を聞いてくれる者はほとんどおりませんでした。偶然ですが、その頃の王子と出会うことが出来たのは幸運でした。彼は私の話を聞いてくれた…私の親友となってくれました。ですが、このお話を他の者には伝えることが出来ず、伝承のような形で残しておいてもらう事になったのです」
「まあ…そうであろうな。変な伝承だったが。お前、もう少し言葉を考えて伝えんか。世界の終わりをナゾナゾにしてどうする?それでも、なんだ、こうして縁が繋がったのだ。これも幸運だな」
国王陛下はそう言うと、大声で笑う。重い空気は一息に吹き飛んでしまった。
「やれやれ、陛下にはかないませんな」
リゴは嬉しそうに言うと、一緒に笑った。ソフィアたちは少しあきれた溜め息をついて、一緒に笑っていた。
「話は長くなったが、私たちが300年前に各地から持ち帰ったものがあるんだ。それの準備にまた300年近くかかったが…」
「持って帰ってきたものって?」
「船だよ、ソフィア。この星から脱出するために、星を渡れる船、宇宙船を持って帰ってきた。あと少しで動かせる」
「宇宙船!?」
声を揃えて、ソフィアたちは驚く。話に聞いていた宇宙船。星を渡れる船。千年前の人々が作り出した、魔法の船。ソフィアの胸が激しく鳴り始める。
「宇宙船…星の世界に行けるの?あの夜空の上に?」
「そうだ。あの夜空の海に行く事が出来る船だ。この国の人々がみんな乗れるように準備した。あと一隻の準備が整えば、出発出来る。まあ…それが一仕事ではあるんだが…」
「あと一隻?ちょっと待って、リゴ。船は何隻あるの?それに、この国の人たちが全員乗れる程大きい船なの?」
ソフィアが聞くと、ヒースもエメリアも、家族全員もリゴの方を向く。リゴはしまった、という顔をして苦笑いをする。
「おっと、また言葉足らずだったかな。私たちが用意した船は数百。つまり、船団なんだ。船の大きさは三隻を除けば、そんなに大きくはないが…みんなからしたら、巨大な船だよ。一隻に千人は乗船出来る。船団の核となる三隻は特別で、船団を護衛出来るように武器もあるし、盾もあるんだ」
「盾ですって!?まさか…」
テオとエメリアが顔を見合す。
「そう、この街を守るためにも使用した。まだ力が足りず、すぐに消えてしまったが」
「では、この街にあるのか、リゴ?その船の一隻が」
エメリアがリゴに尋ねると、リゴは頷いた。
「はい、姫様。この街にあります。ここにある船の名前は…メリダです」