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空色パレット、海色キャンバス  作者: FRIDAY
参 無色透明
28/33

再確認と、残り一週間


「…………」

 黙って、見上げる。

 それは、俺の記憶の中と寸分たがわず、そこにあった。

 『永遠の青』。

 長らく作者不明で、しかしようやく判明したその絵には、つい先日付けられたばかりの作者名が添えてあった。

 真新しいそのプレートと、かなり古いその絵とでは、妙にアンバランスな印象もあった。

「…………」


 二十七年前。

 若かりし頃の沢城先輩のお母さんが、これを描いた。

 まだ真っ白だったこのキャンバスの上を、沢城先輩のお母さんの絵筆が踊る様を、想像する。

「…………」


 沢城先輩のお母さんを、思う。

 沢城先輩を、思う。

 青を描き続けた沢城先輩のお母さんを。

 青を描けなくなった沢城先輩を。

「…………」

「やあ、物思い?」


 考えに沈んでいたところに、不意に背後から声をかけられて、俺は声を上げこそしなかったものの驚きで勢いよく振り向いた。

 そこに立っていた人物を確認して、吐息する。

「……なんだ、統也か」

「何だとは御挨拶だね。他に誰がいるんだい?」

 気を悪くした様子もなく笑った統也は、俺の横に並んで『永遠の青』を見上げた。


「どうだった」

「うん、僕らの担任だった武田先生も、変わりなく元気そうだったよ。僕の入ってた部活の顧問の先生も元気そうだったし、ああ、美術部の大島先生もいたよ。陸上部の顧問の先生はどうやら部活の練習中みたいだったけど。挨拶には行かないの?」

「ああ、後で行く」

 俺の目的は最初から最後までこれひとつ。

 ただ、もう一度『永遠の青』が見たかっただけだ。


「タッキーからどこかに行こうなんて、一体どこに連れて行かれるのかと思ったけれど、まさか母校に里帰りとはね」

「里帰りと言うほどの距離じゃないがな」むしろ、高校よりもずっと近いし。「悪かったな、無理に誘ったりして」

「いやいや、無理になんて誘われてないよ。僕も、卒業後久々に先生方に会ったわけだしね。夏休みは行かなかったし。ついでに部活にも顔出したりして。いやあ、懐かしいね」

「懐かしい、というほどの時間は経っていないはずなんだけどな……」

 ほんのつい一年前は、まだここの生徒で、この校舎にいたはずなのだ。それが、今ではもうずいぶんと遠くなってしまったような気がする。


 ぽん、と統也は俺の肩に手を置いた。

「まあ、若いうちは時間の流れなんてそんなものだよ」

「お前、俺と同い年だろうが」

「で、収穫はあったの?」

 言われて、俺はまた『永遠の青』へ視線を戻した。

 ああ、と頷く。

「多分……な」


 気持ちを新たに、というわけではない。気分の話をするなら、それはより一層混濁した。

 やっぱり、あんなに沢城先輩に向かって激昂するべきじゃなかったのではないかという、後悔にも似た苦味が去来する。

 俺が感情のままに沢城先輩に向けた激情は、ただ徒に沢城先輩を傷つけただけだったのではないか。

 あんなことをするべきではなかった――そんな迷いが、どこからか差し込まれてくる。

 どんな思いも、今となっては今更でしかないし、仮に今からあの瞬間に立ち戻ったとしても、やっぱり俺は同じことをしていただろうとも思う。だから、どこまでも堂々巡りする。

 想像したところで仕方のないことだとはいえ、『永遠の青』を見上げていると、それでも考えてしまいもする。


 もし、俺が沢城先輩へ向けた言葉を、感情を、沢城先輩のお母さんが知ったら、何を思うだろう、と。

 怒るだろうか。

 呆れるだろうか。

 わからない。わかるはずもない。俺は沢城先輩のお母さんを、直接は知らない。ただ、その作品を知るだけだ。

 だから、俺が沢城先輩のお母さんを語ることなど、できない。牽強付会にしかならない。

 今も、あのときも、俺は沢城先輩のお母さんの気持ちを代弁したつもりなどなかった。故人の思いの代弁など、そんなことは誰にもできない。

 沢城先輩のお母さんだって、沢城先輩に青を使ってほしいはずだ。それを、望んでいるはずだ。自分のせいで大事な娘が絵を描けなくなど、なってほしくないはずだと。

 そう言うのは簡単だ。むしろそんな言葉をこそ、言うべき場面だったのかもしれない。小説や漫画なら、率先してそういう説得をするだろう。


 だが、これは俺の現実だ。

 会ったこともない故人の思惑という到底第三者にわかり得ないものを用いるなど、思い上がった、自意識過剰な不徳だ。

 だから俺は、俺の意志だけで、俺の望みだけで沢城先輩に願った。

 沢城先輩の青が見たいと。

 それが、沢城先輩に伝わったかどうかなんて、それもまたわかり得ない。伝わっていてほしいとは思う。でも伝わっていないだろうとも思う。


 俺は、俺の言いたいことを言った。

 答えはまだ、聞いていない。


 だから今の俺にできることは、沢城先輩の答えを待つことだけだ。

 けれど、その答えを思って、思い悩むことを止められない。

「――なあ、統也」

 俺は、『永遠の青』を見上げながら、同じく横でそれを見ている統也に言った。

「うん?」

「俺は……間違ってたんじゃないか」

 輪廻する迷いの一片。そんなこと、統也に訊いたってわかりっこないことだ。訊かれた統也だって返答に困るだろう。「さあね」と統也は苦笑した。

「正しかったとも、間違っていたとも言えないよ。この世に正解なんてないんだからさ。あるのは妥協とその場しのぎくらいのものでね。人生は迷路さ。迷って迷って、出口を目指す。まあ、よしんば出口にたどり着いたとしても、それがゴールとは限らないんだけどね」

 成程な、と俺は統也の言葉に頷いた。成程、ともう一度頷き、

「やっぱり何か怪しい宗教に入信したんじゃないかお前。やめてくれ、俺の実家は浄土真宗だ。俺は違うが」

「あっれ? 僕、結構いいこと言ってたと思うんだけど何で非難されてるの? それに魔術部は宗教とか関係ないよ? ほんとだよ?」

 横で騒ぐ統也を無視して、俺は目を閉じた。


 瞼の裏に、『境界の青』を見る。

 沢城先輩の青。

 それは、一体どんな青なんだろうか。

 期待と、不安と。混濁した感情の中で、俺は吐息する。

「……俺は」


 統也にも聞き取れないほど小さく、ただの呼気にしか聞こえないほどの音量で、囁く。

 ……沢城先輩の青を、見ることができるだろうか。

 高校国際美術コンクール、その締切まで、残り一週間。



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