表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空色パレット、海色キャンバス  作者: FRIDAY
参 無色透明
25/33

沢城小春の青


 完全に、陽が沈んだ。

 部屋は暗くなる――けれど、私は電気をつけることもなく座っている。

 真っ暗なわけではない。カーテンも開け放したままのお陰で、月明り、街灯りが差し込んで、薄ぼんやりとはいえ部屋の中は見える。

 机も、本棚も、画材が並べられた戸棚も。

 右手に握られたままの絵筆も。

 左手に載せられたままのパレットも。

 目の前にそびえるキャンバスも。



 ――青を、使ってください。



 滝崎くんに詰め寄られてから、もう一週間以上が過ぎた。あれから私は滝崎くんとは一度も会っていない。それどころか、私は美術室にすら行っていなかった。授業が終わるとまっすぐに家に帰り、こうして自分の部屋にこもって、キャンバスを前にして黙って座っている。その繰り返し。

 画材は、揃えてある。もともと持っていた物だって多かったし――ずっと避けてきた青系統の油絵具をあっさり購入できたときは、何だか拍子抜けしたような気もした。

 けれど、いざキャンバスと向き合うと、手が動かない。

 調色どころか、絵具をパレットに載せることすらできない。

 他の色なら、難なくできるのに。どうして。



 ――二か月後の高校国際美術コンクール、それに、出品してください。



 高校国際美術コンクール。それは、高校生の部でも最大のコンクールだ。――滝崎くんが知っていたのかはわからないけれど、実のところ、母も学生時代に出品して、しかも大賞を取っていた。――母が大好きだった、青で。


 母も通った道。

 だからだろうか。


 国内最大級のコンクールなのだから、中途半端な作品なんて出せない。けれど、ゼロから始めるには二か月という期間はただでさえ短くて、しかも私はそれを、既に一週間以上空費してしまっている。


「…………」


 滝崎くんの顔を思い出す。口調を、語勢を、視線の強さを思い出す。

 私は、私に詰め寄る滝崎くんに、何も言えなかった。

 思いはあった。言いたいことは、確かにあった。けれど、何ひとつとして言葉にできないまま、滝崎くんを力なく見返すことしかできなかった。


「…………」


 滝崎くんが、どうして私の母のことや、私自身のことを知ることができたのか。はるかちゃんが教えた、ということも多いだろうけれど、でもそれだけでもないと思う。私の知る限りのはるかちゃんの性格からして、全てを簡単に教えてしまうようにも思われない。調べたんだろう。本当に。滝崎くんの友達で、夕海ともよく漫才めいた掛け合いをしている宮本くんも、知っているようなことを言っていた。私自身、強いて隠そうとしていたわけでもない。真剣に調べれば、いずれ誰にでも知られることだった。

 真剣に調べれば。


「…………」


 どうして、そんな真剣に調べたの?



 ――俺は、『永遠の青』が好きでした。



 好きだから。それだけの理由で、調べられてしまうの?

 いや……好きだからっていう、それだけの理由で十分なのか。

 私が、母が好きで、母の青が好きだったという理由で、青が使えなくなっているように。

 でもね、滝崎くん。母はもう――



 ――若菜さんは、いなくなってしまった。



 そう、お母さんはもういない。

 いなくなってしまった。



 ――若菜さんの代わりを、小春先輩に求めているわけじゃない。



 代わりになんか、なれっこない。お母さんの青は、私が描けるどんな青よりも、綺麗だ。

 届かない。

 届かないまま、お母さんは逝ってしまった。



 ――青が嫌いになりましたか。



 なってない。

「嫌いになんか、なるわけがない」



 ――絵は、好きなんですよね。



「好きだよ」



 ――今の小春先輩は、ただ中途半端に逃げているだけだ。



「……そうなのかな」

 逃げているだけ、なのかな。



 ――小春先輩が大好きで、憧れて、目指した青がどんな青なのか、見たい。



「有り難う、滝崎くん。でもね――」

 私は、自分の手を見下ろした。

 絵筆を持つ指は、手は、震えていた。

 真っ白なままのキャンバス。

 彩ることのできない筆。

 囁く私の声は、震えていて。

「使わないんじゃないんだ」

 濡れているような、そんな気もした。


「使えないんだよ――」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ