部活動はどうしますか
帰宅部という部活動は存在しない。
だが帰宅部という名は全国に広く流布している――そんな部活など存在しないというのに。部長もなく、副部長もおらず、予算も支給されない、非公認のそんな部活は。
なんとなれば、話は簡単だ。帰宅部の発端は、部活動に所属していない自分たちの存在を正当化するための見栄によるのだ。自分たちは文化を嗜むことも運動で汗を流すこともしていないが、だからといって青春していないわけではないのだ。帰宅部という部活動にて、日夜研鑽を積んでいるのだ――と。
そんなわけがあるか。
何を情けないことを言っている。帰宅部で日夜積む研鑽って一体何だ。
繰り返す。
帰宅部など存在しない。
全校生徒の部活所属が義務化されている高校などになれば言うまでもなく、そんな名前の部活動は存在しない。
「でも、帰宅部があったら入りたいんでしょ?」
正面に座る宮本統也のからかいを含んだ声音に、俺は手元の部活動一覧から視線を上げた。
「……まあ、な。非公認ならただの自己正当化だけど、公認なら文句なく最高の部活だろうし」
「帰るだけだからね。確かに、そんな部活があったら最高だ」
肩をすくめなどして、やや投げやりに統也は肯定する。俺もまたプリントに目を落とした。
放課後の教室だ。入学して数週間ではまだまともな授業など始まっていないからほとんどが早くに終わり、誰もが部活動の新入生勧誘に引っ掛けられている時間である。
西日のよく差し込む教室は、茜色に眩しい。
「にしても、部活動の所属が義務って、いったい誰が考えたんだろうな。無理矢理入れられたって、まともに活動する奴なんて最初からやる気のある奴だけだろ」
「そうなんだけどね。義務化されたのは、確か十年とちょっと前だったはずだよ」
「よく知ってるな、お前。相変わらず無駄なことばっかり」
「無駄なこととか言わないでほしいな。どんな情報でも持っていて損はないからね。より多く知っている人間が、これからの時代を制するんだよ」
「それならもっと成績を上げるべきだと思うが?」
「うぇ、誰からそれを……そうか。うちの母さんからだね、全く……まあ、そっちもぼちぼちやってくよ。――それより、ほら、この高校、東高は部活動の所属が義務化されているけれど、義務になっているのは部活動の所属まで、だからね。実際の活動までは決められてない」
「ま、そうなんだが……」
輪をかけて、義務化の意義が疑わしくなる現実だ。入れるまでが学校の責任で、入ってしまえば後は知らないというのは、明らかに制度として片手落ちだと思われるのだが。
まあ、活動まで強制されるよりはいい、か。
「それよりタッキー、それの提出期限って今日だったろ? まだ決まってないの?」
統也が俺の手元を覗き込んで言う。そこにあるのは、二枚の書類だ。さっきからずっと見ている部活動一覧と、入部届である。
上から下まで、何周も眺めているのだが、
「それにしても、ずいぶんと変な名前の部活が多いな……」
「まあね。部活動の所属が義務になっている代わりに、人数さえ集まれば好きに新しい部活を立ち上げてもいいことになってるから。まあ、ほとんどが部活動未満の、同好会なんだけど」
「部活と同好会の違いって何だ?」
「部活は生徒会から予算が下りる。同好会は百パーセント会員からの集金だね」
成程。確かにこうして見ると同好会の方が割合として多いし、あからさまに金のかかりそうな同好会というのはそれほどないようだが。しかしながら、名前から活動内容が全く想像できない同好会も多いな。スターダスト同好会って何だ。星でも観るのだろうか。天文部あるのに。
「今日まで見学期間だったじゃないか。見学行かなかったのかい? パンフレットとかも、いろんなところで配ってるだろうに」
「道をただ歩いてるだけなのに、誰も俺には渡してくれないんだよな、なぜか」
「目が死んでるからじゃない? 何か触れちゃいけないもののオーラ出してるとか」
「お前、さらっと酷いこと言うな……」ちょっと傷ついたぞ。
「タッキーは中学生の時は、陸上部だったっけね」流しやがった。「陸上部は見てきた? 顧問の先生は結構有名な人らしいけど」
「まあ、遠目には見たな。かなり熱血系で、俺は入り込めそうになかった。……もともと、中学の時だって、運動不足になりたくなかったから入ってただけだし、部活もゆるゆるだったからな」
「まあ、ね……確か陸上部顧問の土門先生って、自分でも学生のときインターハイに出場しているような実力派の先生で、教え子も何人もインターハイに出してるんだよね。確かに、タッキーには合わなそうな熱血系だ」
「へえ……よく知ってるな」
「ふふ、まあね」
統也の得意げな顔はやや癪だが。
「自慢じゃないけど、僕はそこに載っている部活動には全部見学に行っている」
「そうなのか」
「同好会は、残念ながら全部とはいかなかったけれどね。半分くらいかな」
それでも大したものだとは思うが……そんな時間がどこにあった。
「それじゃあ、お前はどこに決めたんだ? 写真部か? 裁縫部か?」
「ま、文化系なのは確かだけどね。魔術部、手芸部、紙飛行機同好会だよ」
「三つもやるのか」
「兼部も認められているからね。それより、気にならない? 魔術部だよ魔術部!」
統也は目を輝かせて拳を握る。
「一体どんな怪しくていかがわしいことをしているのか、わくわくしてしょうがないよね!」
「そ、そうか?」怪しくていかがわしいって。
「そうだよ! 床にチョークで魔法陣書いたりとか、よくわかんない文字で書かれた本を音読したりするんだよね!」
「そ、そうか」
意外とこいつ、そういうオカルトが好きだからな。俺はちょっとついて行けないんだが。
「まあ、実際は古今東西の魔術について調べたりするのが基本みたいなんだけどね」
「ああ、そうなのか」
「うん。魔法陣とかはたまにしかやらない」
たまにはやるのか。
「魔術部はそれとして……じゃあ、手芸部は何だ? 裁縫部とは違うのか」
「裁縫部は本当に裁縫しかしないんだけどね。手芸部は縫い物や編み物の他にも、綾取りとか、トランプをやってる先輩もいたね」
「自由だな」
トランプって。まあ、カード捌きも広い意味では手芸なのかもしれないけど……やってることは手芸というより手品だろう。他の部活にもっとそれ向きのがあったぞ。
「んー、でも、それじゃあどうするんだい? 別に活動しなくてもいいんだから、籍を置くだけでもいいと思うけど。ちょっと探せばタッキー好みのゆるゆるな部活もあるだろうし」
「ま、そうかとも思うけどな。――実のところ、入る部活は決めてある」
「え、そうなの?」
がたっと音を立てて統也が勢い身を乗り出してきた。教室には俺と統也の他に誰もいないから、それで驚くような人間もいないが。
「どこどこ? なに同好会に入るんだい?」
「同好会に決め打ちするな」
「これは純粋な親切心から言うんだけれど、同好会はマニアックで少人数な分、本気で取り組んでいるところがほとんどだから、タッキーみたいに中途半端な志で入ってもすぐに追い出されるか、居場所がなくなることになるよ」
「だから同好会に決めるなって。何が純粋な親切心だ。返って邪悪だぞそれは……部活だよ。学校公認の」
「え、なに部? ネガティ部は同好会扱いで、公認の部活動じゃないよ?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ……ほら、これだ」
俺はプリントをずいっと統也の前に突き出した。鼻先に触れそうになった統也は首をひっこめ、まじまじとそれを見つめた。
部活動名の欄に俺の悪筆で書いてあるそれを見て、それを突き出す俺を見て、もう一度それを見て、
「……え」
「何だよその反応。もっと派手なリアクションを期待してたんだが。リアクション芸人の名が泣くぞ」
「僕はリアクション芸人を名乗ったことはかつて一度もないんだけどね」
「驚きで一週間くらい記憶が飛ぶくらいの根性を見せてほしいものだ」
「期待が過剰だよ。仮に僕がリアクション芸人を標榜していたとしても、そんな期待をされていたんじゃ裸足で逃げ出すよ」
で、と統也は改めて俺が突き出しっぱなしのそれを見て、吐息しつつ言った。
「――美術部?」
「そうだ」
「へえ、まさか美術部とはね。これは全く、誰にも予想がつかなかったところだよ。タッキー、実は絵が好きだったの?」
「ま、嫌いじゃないがな。でも別に、絵が描きたくて入るわけじゃない」
「美術部に絵を描きたい以外の動機で入部希望する人なんてこの世にいてもいいのかい……? ああ、彫刻とか、陶芸とかってこと?」
「いや、それも違うな」
じゃあなんで、という目で俺を見る統也に、俺はすぐには答えない。
リアクション芸人は名乗らずとも情報通は標榜しているのだから、これくらいのことは類推してもらおう。
情報は、ただ持っているだけでは何の意味もないんだからな。
「お前は美術部についてどれだけ知っている?」
「そうだねえ……ちゃんと見学には行ったからね。でも正直言って、あれは部と名乗ってもいいのか疑問なところだよ」
何せ、と統也は肩をすくめる。
「部員がひとりしかいないんだからね。普通なら廃部か、同好会に降格だ。もとが歴史と伝統ある部活だから、辛うじて部としての体裁を保っているというだけで――ああ、そうか。成程ね」
美術部について思い出しながら、何か悟るところがあったらしい。統也は感心したような呆れたような、そんな微妙な笑みを浮かべた。
俺も頷いて返す。多分、それで正解だ。
「集団行動が嫌、という点はこれでクリアだね。何せ部員がひとりしかいないんだから。静かに自分に集中できる」
それがまずひとつ、と統也は指を一本立てた。
正解だ。
だが統也は、まだあるよね、と二本目の指を立てた。
「美術っていうのはそれなりに場所を取る。だから部室は広く作られている。狭い空間で誰かと息苦しい思いもせずにすむだろうし、防音ではさすがにないにしても、文化系部の部室が集まる文化棟は基本的にいつでも静かだ」
おお、と俺は感心したように応じた。
「さすが、伊達に情報屋を名乗ってはいないな」
「全く嬉しくならない賞賛を有り難う。そして僕は別に情報屋を名乗ったこともないけどね」
肩をすくめて見せながらも、なかなかまんざらでもないような顔をしている。
まあ、とにかく、そういうわけだ。
俺が欲しいのは慣れ合いの少ない空間。
そして静かな空間だ。
美術室という空間は、まさにその条件を満たしている。
と、俺の解答はそこまでで終わりのつもりだったのだが、統也はまださらに続けて三本目の指を立てた。
「なんだ?」
「いや、今思い出したんだよタッキー――美術部。もっと探せばもうひとつかふたつは絞れそうなその条件の部活動同好会から、タッキーはあえて美術部を選んだ」
「……何が言いたい。持って回った言い方で」
「だからさ、今思い出したんだよタッキー……もしかしてタッキーは、まだあの『青』を探してるんじゃないかな?」
統也の言葉に、俺は咄嗟に何も言えなかった。口ごもる。
そんな俺を見て、統也はにやりと笑った。
「当たりだね。そっか、まだ諦めてなかったんだね」
「……まあ、な。別にいいだろ」
俺はそっぽを向きながらそう返す。それがやっとのことだった。
全く、小中高と付き合いが長いと、そういうところまで見抜かれるから厄介だ。
そう必死になって隠すこともないのだけれど。
「うん。別にいい」
統也の反応はあっさりとしたものだった。そのあっさり加減も、古い仲ゆえと思えばトントンか。
「タッキーにしては割と頑張って探してたけれど、結局見つからなかったあれを、ね……僕は細かいところまで覚えてないんだけれど、何ていう絵なんだっけ」
「『永遠の青』、だ」
あの絵の題は。
後にも先にも他に見たことのないあの『青』は。
「もしかしたらその唯一の部員さんが知っているかもしれないし、例え知らなかったとしても糸口くらいは掴めるかも、って心境かな?」
「まあな。お前も、情報屋の端くれならちょっとは調べてみてくれよ」
投げやりに言う。はは、と統也は笑った。
「りょーかい。まあ、覚えておくよ。何かわかったら教えてあげる。ジュース一本で」
「や」すいなと言いかけてすんでのところで呑み込む。「わかった。頼む」
不用意に対価を吊り上げることもない。
「しかしそうなるとだね、タッキー。一応は聞き込み的な調査をしようと思うのなら、もうちょっと社交的にならないと難しいと思うんだよ。少なくとも、その根暗で理屈っぽい性格もちょっとは矯正しないと」
「根暗で理屈っぽいとは失礼な。寡黙で思慮深いと言え」
「ものは言いようって奴かい。それこそ屁理屈だね。そんなんじゃ、女性受けしないよ」
「女性受けする必要性が感じられない。というか万人受けする必要がどこにある? 誰が俺を好こうが嫌おうが、俺には全く関係ないんだからな。世界は俺以外の他の誰かを中心に、俺の知らないところで回ってるんだ」
「壮大なんだか矮小なんだかわからないね……まあ、ある意味真理というか、逆もまた然りというか……」いや、と統也はまた首を振った。「まあいいんだよ。そんなことよりさ、それ、入部希望するのはいいけれど、入部届を提出するには部長のサインがいるでしょ。早く行かないと部長さんも先生も帰っちゃうよ。先生の方は、机の上に置いておけばいいとしても、部長さんのサインは急がないと」
「ああ。今から行くんだ。だから悪いが、今日はお前にジュースを奢ってもらうことはできない」
「いや、奢ってあげたことなんて一度もないんだけどね……しかもなぜに上から目線」
俺はプリントを束ねて立ち上がった。美術部の所在は既に確認してある。抜かりはない。速やかにその部長とやらのサインを頂戴し、担任に提出し、そして、
「帰る」
「え、帰っちゃうの?」
「ああ。別段することもないからな。他に入部希望者なんかがいても面倒だし、適当に理由をつけて帰る」
「その性格を矯正する気が微塵もないね……あ、でも多少の説明はあるかもよ。その部長さんから。デモンストレーションなりレクリエーションなりイニシエーションなり」
「それを全部似たような意味だと思っているのなら俺はお前の今後が心配だが、目下どうでもいいことなのでスルーするとして……お前はどうするんだ? 早速どこぞの部活に参加するのか? その、魔術部とか」
「うーん」統也はポケットから取り出した手帳をぱらぱらとめくり、「いや、今日はどれもお休みだね。オフの日になってる」
「そうか」
それは平和でいいことだな、と俺は頷いて、立ち上がる。
「それじゃあ、寄り道もしないでさっさと帰るんだな。車に気を付けろよ」
「そうだねえ」
頷いて、統也も鞄を持って立ち上がった。すたすたと歩いていく俺の後に続いて教室を出て、戸を閉める。俺は昇降口には向かわず、美術室に向かうわけだからここでお別れだ。じゃあな、とおざなりに手を振って、俺は美術室の方へ向かう。東高は妙に構造が複雑だから、迷わないように注意しないといけない。だから周囲に気を配って歩くのだが、
「……おい、どうしてついてくる」
俺の後ろをぴったりとついてくる統也を睨み付ける。えへえへ、と統也は頭を掻きながら愛想笑いなどした。
「暇だからさ、一緒に行ってあげようと思って」
「いらん。帰れ」
「いやいや、結構人見知りのタッキーが初対面の先輩相手にどんな挙動不審な態度を取るのか、これを見逃す手はないよね」
言うに事欠いて失礼極まりない奴だ。俺は結構本気で拳を振るうが、統也はやはり飄々と回避してしまう。
「暴力はよくないよタッキー。平和に平和に、でしょ?」
「お前は……ああ、わかったよ。勝手にしろ」
どうせ追い払っても勝手についてくるのだろう。前例がないわけではない、どころか大量にあって数えきれない。無益に疲労するくらいなら、放置しておいた方がいいだろう。俺は諦めた。人生、諦めが肝心だ。
「そうそう、諦めが肝心」
「お前が言うな」
不意を打ったつもりで放った裏拳は、これもやっぱり避けられた。