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空色パレット、海色キャンバス  作者: FRIDAY
弐 混色交錯
12/33

先輩の青

 あ。


 と言う間に時間が経つ、というのは時間が驚くほど早く経つことの慣用表現だが、それならばいっそ、あっと言う間もなく、と言った方がより時間経過が表せるのではないか、と今ふと思った。

 それはともかく。


 あ、


 と言う間に、あるいは言う間もなく、夏休みは過ぎ去って行った。

 勿論、その間俺が何もしていなかったのかと言えば、それなりにいろいろとやっていたと言えなくないこともない。基本的に個人的な、夏休みの宿題とか夏期講習とかで暮れ、それ以外は美術室で絵を描いている沢城先輩を眺めながら本を読んだり、議論を白熱させている沢城先輩と古谷先輩を横目に本を読んだり、時々戸木沢先輩と遊んだりしていた(ふたりでババ抜きをするというのは初めての体験だった)。


 その間、俺の第一目的――『青』についての件は、全く進展なしだった。西高の美術部に持ち帰って訊いてみると言ってくれた古谷先輩の厚意も、残念ながら空振りだったのだそうだ。もっともこれについては、古谷先輩には悪いがそれほど期待もしていなかったのであまり落胆はしなかった。

 問題はそちらよりも、戸木沢先輩からもたらされた情報の方だ。



 全国統一の絵画コンクール、そこで最優秀賞を受賞した絵。

 その絵は、俺が探している『青』と、そっくり瓜二つの『あお』だった。

 そして、それを描いたのは誰有ろう、沢城先輩だった――



 それだけ考えれば、短絡的に「それなら沢城先輩はやはり『青』と何かしらの関係があるんじゃないか」と思ってしまいそうになるが、しかしそうあっさりとは飛びつけない大きな要因が、厳然として俺の前にはあった。


 時間だ。時系列といってもいい。


 絶対的に、合わないのだ。あの『青』は、少なくとも十年以上前には既に俺の卒業した中学に飾られていたという。沢城先輩が最優秀賞を受賞したのは三年前、ざっとわかりやすく沢城先輩が中学二年生のときだ。仮にあの『青』が十年前ぴったりからあったとして、それを沢城先輩が描いたとなると、沢城先輩は七歳であれを描いたことになる……何が何でも、それは在り得ない。万が一に描いていたとしても、その当時沢城先輩は中学生じゃないし、そもそも沢城先輩は第三中学の出身じゃない。


 あの後の打ち合わせの際、それとなく戸木沢先輩にも訊いてみたが、戸木沢先輩はやはりと言うか何と言うか、何も知らなかった。ただ、似たような絵を見たことがある、というだけのことだったのだそうだ。勿論その当時のコンクール関連の事柄にも当たってみたが、目覚ましいものは何ひとつ見つけられなかった。

 振り出しよりは、進んだのか。いや、前に一歩も出た気がしない。まだスタート地点で足踏みをしているような気分だ。


 要は、問題は「沢城先輩は『青』に関係あるのか?」


 普通に考えれば、ないはずだ。ただ、そっくりな絵を偶然描いていた、というだけだとしか言えまい。これは訊いていないから何とも言えないが、あの絵を見たことはあると言っていた沢城先輩が、あの絵を見たのが中学校以前であったのなら、影響を受けていたのだと言えないこともない。


 つまるところ、はっきりしたことは何も言えない状態だ。そもそも、沢城先輩はあの絵を見たことがあるが、それだけだとも言っていた。

 五里霧中、である。


「――成程ねえ。確かにそれは、興味深い情報だ」

 ズココ、とストローでコーラをすすり、統也は言った。

 夏休みも終わりに差し掛かった某日、美術部を冷やかしに来ていた統也を連れて入ったファストフード店だ。情報屋を標榜する統也のこと、何か新しい情報でもないかと思い、俺の得た情報の開陳がてらに少なくない期待をもって訊いてみたのだが、

「いや、残念ながら、僕も真新しい情報はないね」

 至極あっさりと肩をすくめて見せた。


「むしろタッキーのそれが、僕の最新情報だよ」

「何だ、使えない奴だな」

「タッキーも大概だけどね……そもそも僕、情報屋じゃないし」

 半目で俺を見ながら、統也は購入したハンバーガーにかぶりつく。まあ、仕方がない。ないものはないのだ、お互いに。


「で、どう思う」

「どうって?」

「沢城先輩と、この絵。関係あると思うか」

 うーん、と統也は俺が机の上に並べた二枚の写真を見比べた。一方は俺がいつも持ち歩いている『永遠の青』、もう一方はあの後沢城先輩には何となく内密に写しを取った『境界の青』だ。

 並べて見るとより一層、ふたつの類似性が際立つ。


「どうなんだろうねえ……普通に考えれば、関係ないと思うけど。強いて言うならさっきタッキーが言ってた仮説、沢城先輩がこの『永遠の青』から影響を受けた、という説が一番可能性として高いと思うけど。そう考えれば、タイトルがそっくりなことにも説明として無理もないし。少なくとも、『永遠の青』を沢城先輩が描いたっていうのはありえないでしょ」

「……そうだよな」


 自分で結論づけるのと、同じ結論でも他人から聞くのとではやはり重みが違う。俺は隠しきれない落胆をにじませながら、深く背もたれに身を沈めた。

「でも、何はともあれ凄いことだよね、これは……統一絵画コンクールって言えば、日本の学生の部で一番凄いコンクールでしょ。その最優秀賞、つまりは大賞だもんね」

「ああ、よく知ってるな。それには俺も、素直に感服した」


 俺も、調べて初めて分かったことだ。過去に遡ってみても、その賞を得た人物は将来的に業界で活躍している人間が多いとも知った。運動部で言えばインターハイ優勝のようなものだろう。そんな凄い人物がすぐ傍にいたとは、驚きだった。沢城先輩の描いている絵なら林檎も林檎でないものも見慣れているのに、やはり絵心のない人間の審美眼などこんなものか。我ながら、どうして『永遠の青』に執着しているのか見失いそうだ。


 それにしても、と統也は行儀悪くストローを噛みながら言う。

「何で今まで気付かなかったんだろうね。タッキーだって、沢城先輩の絵には見慣れているんだろうに」

「ああ、たった今俺もそう思ったよ。所詮は俺の目はその程度だってこともな……」

 卑屈だね、と統也は笑い、しかしふと真顔になった。

「……ん」

「何だ、どうした。俺が卑屈なのはそんなに珍しいことじゃないだろう」

「うん。それはそうなんだけど」冗談のつもりだったので否定してほしかった。「でもさ、タッキー。これは僕も今思ったんだけど」


 卑屈なのを否定してもらえなかった俺はいっそ開き直って投げやりに、何だ、と返した。対して統也は、統也にしては珍しく真面目な顔のままで、言った。


「僕さ、沢城先輩が青色使ってるのって今まで見たことがない気がするんだけど」

「…………」

「タッキー、見たことある?」


 言われて、俺は咄嗟に記憶をひっくり返す勢いで検索した。沢城先輩が絵を描いている風景。その色使い、調色、パレット、キャンバス。

 ない。思い出せない。

 沢城先輩は別に、林檎しか描かないわけではない。それは毎日のルーチンワークというだけで、まず林檎を描いてから、本来の、コンクールなどに出品するであろう絵などを描いている。それらの絵を、思い出す。


 静物画があった。森の風景があった。人をモデルにした絵があった。

 しかし――ない。それらのどれひとつとして、青が一筆も使われていない。

 空を描いた、あるいは空も描かれた絵は少なくない数あるのだ。だがどれも、夜や、夕赤の絵で、青が使われていない。


 どうして気付かなかった?

 俺の表情が変わったことを見て取った統也が、うっすらと笑う。


「やっぱりね。今まで気付かなかったけれど、沢城先輩は徹底して青を使っていない――確か、いつも使っているパレットにも青は載ってなかったんじゃないかな。そもそも青の絵の具もなかったと思うし。でも沢城先輩の持ち物には割と普通に青系の色が使われているものがあるから、青が嫌いだっていうわけでもないだろうけれど」

 統也の言葉に、俺は頷く。統也がそんなに細かく観察し、しかも記憶していたことにも驚きだが、いま大事なのはそこではない。

 どういうこと、なのだ。


「何か、あるんだろうね」

「知ってるか」

「いや、さすがに。沢城先輩が青を使うことを避けてるってことにも、今気付いたわけだし」

 軽く肩をすくめる統也。そうか、と返しつつも、俺は必死で考える。


 どういうこと、だ?

 『永遠の青』と沢城先輩に関係がないとしても、どうして沢城先輩は青を避けているんだ? 青が嫌いだとか、苦手だとかいうことはあるまい。少なくとも沢城先輩は、三年前の時点で『境界の青』を描いているのだ。偶然では絶対に片付けられない。こうも徹底して青を使っていないことには、いっそ病的な何かさえ感じられてしまう。


 十年以上前に描かれた、『永遠の青』。

 三年前に沢城先輩によって描かれた、『境界の青』。

 そして、青を絶対的に使わない沢城先輩。


「…………」

 当人に、つまりは沢城先輩に訊くのが、一番早道なのだ。何も、深刻な顔をして訊くこともない。何気なく、たった今気付いた調子で、「沢城先輩って、そういえば青色使ってないんですね」とでも問えば。

 けれど、何かが、俺を躊躇わせる。

 そうかといって、別手段で調べるのは、それも気が引ける――顔も気性も知った相手の過去を探るような真似は背徳的で気が進まない。そもそも、沢城先輩に何があって現在青を使わなくなったのだとしても、それが『永遠の青』に関係があるとは限らないのだ。

 だが――


「調べてみよっかな」

 俺の迷いをよそに、統也は非常に軽い調子でそう言った。だから俺は、俺自身の葛藤も含めて眉をひそめる。

「おい」

「覗き見精神野次馬根性。情報屋さんは汚れ仕事さ。――ま、どのみち『永遠の青』に関しては僕も結構興味があるからね。それを調べている過程で、沢城先輩についての何かしらが明らかにならないとも限らないし」

 都合よく情報屋に身代わりする奴だ。だが、正直なところを言えば、俺も知り得るものなら知りたいと思うところだった。


「どうやって調べる?」

「うーん……僕は美術に関しては全く専門外だから、美術雑誌って言うのはまさに盲点だったわけだよ。だから、そういうアナログな文献媒体に当たってみるって言うのは、結構有用な手なんじゃないかと思ってる。『永遠の青』の描かれたと思われる時期と近い年代のをザッピングして。あれだけの絵なんだから、沢城先輩みたいに何らかの賞をもらってる可能性は高いと思うんだ。そんな感じで、似たような絵をピックアップしていけば、ね」

 成程、それはかなり有効なんじゃないかと思われる――俺も、そんな感じで調べてみるか。他にも、探せるアテがないか探してみよう。合わせて、沢城先輩が実際にはいつから青を使っていないのか、も。


「…………」

 現実には、恐らく一歩も前には進んでいない。今に至っても、『永遠の青』と沢城先輩の間には何の繋がりもない可能性の方が遥かに高いからだ。

 けれど、直感的に。

 何かに、確実に近づいている気がしていた――だが、その感覚と同時に、ふとなぜか戸木沢先輩の台詞が耳によみがえった。



――それがどんな現実だったとしても?



 初めて戸木沢先輩に会って、何か心当たりがあるんじゃないかと確認したときの反問だ。戸木沢先輩のあの台詞は、振り返るとただ無駄に思わせぶりな台詞になっただけで、戸木沢先輩に深い意図があったわけではないと思うのだが。

 それがどんな現実だったとしても?

 知る覚悟は、あるのかと。知る覚悟? そんなものが必要になるようなことなのか?


 わからない。

 必要になったときに果たして腹を括ることができるのかも、今はまだわからない。


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