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イリアの世界  作者: 一集
第二章
74/75

63.顔のない魔物と赤い花

ぐろいよ。




足をすべて切り落とされた魔物の巨体がドスンと地面に落ちる。

喝采を叫ぶ冒険者。

後方で恐る恐る覗いていた住民たちが首を伸ばし、足をのばし、瓦礫の影から喜色を湛えて顔を出す。


魔物とて足がなければ移動はできない。

触手を持つとは言え、先ほどの攻撃を見るに範囲外だとわかっていたからだろう。


そんな中、リディアナだけが油断なくソレをじっと見つめていた。


それにしても、奇妙な生き物だ。

細い足に乗っていた、幹のような胴体。


ようやく足はなくなったが、今も明らかにまっすぐに立っていた。


胴体は無数の蠢く触手でできている。

顔面はない。

目鼻もない。

心臓の在り処もわからない。


だからこそ、地道に移動手段である足を奪った、のだが。

足を無くした今、寸胴な円柱にも見えた。


……このまま胴体を叩き、本体を暴ければいいのだけど。


「一体、何の(・・)魔物なの?」


ついそんな言葉が不安となって零れ落ちた。

教科書で見たことはない。

この数日間の道中でも見かけなかった。

経験豊富な冒険者たちも知らない様子だった。


とはいえ、冒険者は名前とは裏腹に、安定した収入が得られるならば、同じ場所で同じ仕事を受け続けることも多い。得てして現地の、更に絞られた魔物しか相手にしたことはない、なんてこともあるのだ。知らない魔物がいても別におかしなことではなかった。


だから彼らも魔物の正体なんて話題にも上らず、特に気に留めていない。

自分たちが知らないことを知っているが故の、無関心。


知識としての広さならば、学園の生徒であったリディアナたちの方がよほど広範囲を網羅している。

それは狭く深くか、広く浅くかの違いであって、善し悪しの話ではない。


だがこうなるともうリディアナには見当もつかない。

分析が得意だった同級生のユリウス辺りが居てくれたら、とは思うがない物ねだりとわかっている。


あるいは、

あの方(・・・)たちなら、わかったかしら」


例えば弱点。

例えば『してはいけない事』。


必要なものを持っていない現状の心許無さと、呑気に生きていた過去の自分への憤り。

心中で臍を噛む。


だが、リディアナ自分の感情に浸っていられたのはほんの少しの間。

住民たちが喜びの声をあげていられたもの。

冒険者たちが互いの健闘を讃えていられたのも同じく。


魔物の上部が不意に深くのけ反った。


「っ!? 気を付けて! なにかしようとしてる!!」


それは人間でいう、深呼吸。

どこが顔かもわからない魔物は、――――ゴッと叫んだ。

風を伴う衝撃波のような吐息。


触手に覆われていた表面がその瞬間だけ避けるように動き、その奥に赤い眼が見える。


「あれが、本体! っ!? ぐ、ごほっ、げほ」


叫ぶ合間に吸い込んだ酸素が喉を締め上げた。


空気が濁っている。

涙で滲んだ視界のせいかと思ったが、辺りは確かに靄がかかったようにくすんだ色をしていた。


「毒!?」


肺を絞られるような咳をしながら戦慄する。


空気に毒を撒く!?

そんな魔物は聞いたことがない。


住処の湖を毒水に変える西の固有種。麻痺毒を歯から注ぎ込む砂漠の希少種。

あるいは毒針を飛ばす魔物、喉から酸を撒く魔物。

聞いたことはあるが、どれも珍種だ。


そしてその中にすら、空気を汚す魔物は居なかった。


「ッ! かはっ、あ゛」


焼けるような痛みに続いて、吐き出した血がびしゃりと手を濡らした。

内臓のどこかをやられたらしい。


「まずい」


声は掠れていた。

喉はまだ無事。でも指先が重い。

無理矢理動かそうとすれば、逆らうように痙攣をおこした。


息をするたび体に毒が回る。

目眩がして膝をついた。


前のめりに倒れ込みそうになる体を支えようとした腕は、意志に反してぐにゃりと力が抜ける。


地面に倒れ伏す前に、見えた光景――。


「……あ」


当たり前だとリディアナは霞む思考で思った。

ここで抵抗力が一番高いのは光属性の魔力を持つ「自分」。

なら、他の誰かがどうなっているかなんて、考えなくてもわかること。


「こなくそっ」


起死回生の呪文だと、死んだ誰かが言っていた言葉を負け惜しみの様に呟く。


体から全ての自由が奪われる前に、力まかせに耳を飾っていたピアスを引きちぎる。


貴族の自分からして高い買い物だった。

純度の高い宝石。


けど、誕生日だったから。少しのわがままくらいいいだろうと両親にねだったことを思い出す。

両親がいい顔をしなかったのは、それがほとんど原石だったせい。

磨かれただけで、加護すら乗せられていなかった。


けどリディアナが惹かれたのはそのおかげ。

神殿の加工は、透明度を失わせる。


当時のリディアナが神殿に思うところがあるわけもなく、それは単なるリディアナの美意識の賜物。

それがまさか自分の身を助けることになるとは、あの時は夢にも思わなかったけど。


宝石として売られていた魔石を躊躇いなく口に放り込んで飲み込む。


「い、たっ!! う、うう! なにこれ、毒より痛いじゃないの!!」


体内で解放された魔石の純粋なる魔力が、そこかしこで大暴れをしている。

殴られている、というよりは体内から千の針で突き刺されているような心地だった。


文句を垂れながら、痛みに悶えて体を丸める。


毒の代わりに激痛で視界が霞んだ。

目眩は吹っ飛んで、痙攣も忘れた。


それでもリディアナは死んだ方がマシだとは思わない。

本当に死んでいった仲間たちがいる。彼らはきっと何をしても生きたかったはずだから。


体内の毒をあまりにも乱暴な方法で制しながら、リディアナは倒れたまま地面から魔物を見上げた。

これでもかと見開いた目で、獲物から逸らさない。


視線が殺意に変わるなら、魔物は跡形もなく蒸発していたことだろう。


もがく様に手を伸ばす。

一矢報いてやりたい相手に向けて。

屍の様に伏して動かない人々に向けて。


「間に合え、――『浄化』」


しゃん、と鈴のような高い音が鳴った。

それは多分、リディアナにだけ聞こえていた音。


リディアナを中心に波紋が広がる。

靄を払うように、晴れていく。


「ギ、ギギギギギ、イイイイィィィ」


目に見えた劇的な変化。

巨大な魔物が空に叫ぶ。

――まるで断末魔だ。


やがて苦しそうに叫んでいた魔物は、突如動きを止めた。


柔軟にしなっていた触手は石のように固まり。

太い胴体は塔のように聳えていたが、その胎動の一切がない。


「……たお、した?」


そういえば、光属性が弱点だったと思い出す。

魔石でブーストをかけて、魔法陣の上で放った、渾身の一撃。

効かないわけがない。


空気がきらきらと輝くように降り注ぐ。

神々しいまでの光景に、思わず座り込んで清々しい空を見上げる。


自分にまで『浄化』の影響が及んでいたのか、手足の痺れは取れていた。

澱のような毒素の影響はすでにない。


動ける者はたった一人。

そんな戦場に緊張感のない声が響く。


「……ああ? なんだ、一体なにが起きた」


はっと顔を上げれば、朦朧とした意識を取り戻そうとでもいうのか、頭を振りながらふらふらと立ち上がる者がある。

一人二人。ぽつぽつと。決して少なくない人数が。


場にざわめきが戻る。

人の声と、呼吸と、気配。

リディアナはそんな密かな息遣いが、涙が出るほど嬉しかった。


「うお!? ……って、死体? はあ、なんかよくわかんねぇけど、危機一髪助かったってとこか」


ぴくりともしない者を悲しむよりは、生きていた者を喜ぶべきだ。

リディアナは深く息を吐いて力を抜いた。身を支配しているのは安堵。


ギリギリだった。危なかった。

考えなしに全力で魔法を放ったけれど、あれでどうにもならなければ、残るは敗北の二文字のみ。


だがさすがは冒険者と言うべきか、彼らはほとんどが息を吹き返している。

犠牲者はどうやら不用意に出てきていた市民たちが多いようだった。


「貸しを作るつもりが、どうやら借りを作ったらしいな。お嬢さん」


なにが起きたのかもわからず倒れたはずなのに、正確に状況を把握した冒険者がへへと軽く笑った。

リディアナも、倣って頬だけで笑う。


全てじゃない。

でも助けられた者もいる。

それがどれほどの救いになるか。自分だけが知っていればいいことだろう。


幾人かの冒険者が固まった魔物に近づき、見分を終えてから大きくジェスチャーを送っていた。


『完全沈黙』

限りなく『死』に近い状態をいう。

正体不明なだけに、どうやって『死』と断じるのかがわからないのだろう。


それを目にして、くたびれた冒険者が隣で伸びをした。

『終わった』途端にきれいに力を抜く様子は感心すら覚える。


「さぁて、わけのわからん魔物も倒したことだし。――凱旋といこうか、聖女様」


リディアナは聞き慣れない言葉に首を傾げた。

聖女とは、はて。


その言葉で思い浮かぶのは、どちらかと言うと姉の方だ。

外傷を治すことにかけては右に出るものがない。

あれぞ奇跡というに相応しい御業。精霊信仰の神輿として彼女ほど相応しいものもいないだろう。


私では、精々灰かぶりの見習い魔法使いがいいところ。

……けど、まあ。

共闘者からの名誉なら、受け取るのも悪くない。


リディアナは肩を竦めた。


「でも、もう一歩も動けないわ」


真実だ。

狂熱が過ぎて、身体がオーバーヒートしているのか、言うことを聞かなくなっていた。

全力の死闘を繰り広げれば、当然の結果ともいえる。


「そりゃ、あれだけ無茶をすればな」

「八面六臂の大活躍とは、ああいうのをいうんだ」

「一生自慢できるいいネタができた」


いますぐにでも祝杯をあげかねない彼らに苦笑する。

まだ崩れた壁も塞いでいないし、壁の外では魔物の猛攻が途切れていない。

獅子奮迅の戦いを、今も尚繰り広げている者たちがいる。


リディアナも無気力に陥った体を無理矢理満たし、また新たな戦場へ向かわなければならない。


だから小鹿のように震える足を叱咤して立ち上がる。

背筋を伸ばして。

ボロボロな見た目だけど、それでも少しでも立派に見えたらいい。


リディアナは微笑を浮かべて、精一杯の心を乗せた。


「皆さんのご助力に心から感謝いたします。本当にありがとうございました」


つまり、彼らとはここでお別れだ。


自分の足元が危うくならねば動かないのが冒険者で、金で動くのもまた彼ら。

前者ゆえに一緒に戦ってくれた。そして後者故に、ここからは一人。


リディアナに彼らを雇うだけの金はない。彼らに報いるための何かを持っていないのだ。

だから感謝を覚えこそすれ、恨み言をいう気持ちは欠片とも湧かなかった。


貴族としての義務。

戦士としての矜持。

事件の発端を知る者としてのけじめ。

死んでいった仲間たちへの弔い。


それらはすべてリディアナだけのものであって、彼らが共有するものではないことを知っている。


軽口ばかりの冒険者から返る言葉がなくて、頭を下げたままリディアナは少し意外に思った。

「いいってことよ!」そんな声を予想していたのに。


やはり言葉だけの感謝ではマズかっただろうか。だが、持っているもので価値があると思われた唯一の宝石は先ほど自ら食べてしまった。


しかし恐る恐る顔を上げた先に待っていたのは金を無心する人々ではなく、決まり悪げに頭や頬を掻いている彼ら。


「……いやはや、本当に惜しい」

「貴族でさえなければねぇ」


貴族でなければなんだというのか。


答えは返ってこなかった。

肩を竦め、あるいは苦笑を零し、――そして彼らは大仰に腰を折った。


「先を、ご一緒させて頂きましょう」


我らが冒険者の守護者。


己の身一つ。金に命を賭ける、薄汚い命でも。

他に価値があるものを知っている。


冒険者たちは灰色の聖女ににやりと笑った。


「さあ、次の戦場はいずこへ?」


ぽかんとして、数度瞬いて。

言われた言葉を反芻し、意味を飲み込んで。


何かを口にしようと。

驚きと、喜びと、感謝を伝えるはずの声は、


――――悲鳴になった。


「んな!?」


冒険者たちはリディアナの視線を辿り、振り返る。

ぎこちない動きで、伏していた死体がカクリカクリと起き上がった。


「生きて、!?」

「さっき確かに脈はなかった!」

「測り間違えたんじゃ、」

「んなわけあるかー!!!」

「な、なにが起きてるんだ!?」

「とにかく近寄らせるな!!」


そこから起きたことを、リディアナはよく覚えていない。


リディアナの前に出た冒険者たちが死体を殺す。

死体は動かなくなる。

当たり前だ。死体は動かない。


ならなぜ。


他の死体が歩く。近寄る。

恐慌のまま切り伏せる。


二度目の死体となった身体から、どろりとした黒いものが這いだした。

動転したままの彼らは誰も気付かない。

リディアナは最後の一滴の魔力を絞り出して『浄化』をかけた。

効かない。


コレはなに?


気を付けて。

注意喚起の声を上げようとしたリディアナは、足元に落ちる影に気付いた。

雲の影?

そう思いつつ、首を上に。


「え」


見上げて、声を飲む。


顔のない魔物が幹のような胴体を伸ばして、頭上で口を開けていた。

全員をまるごと飲み込めるほどの大口。


その先に、赤い眼と。

赤い、花。


ぼとり、と口から黒い汚泥が落ちてくる。

涎のように頭に降り注ぐ。

一つ二つ。避ける意味などない質量で。


まるで魔物を溶かし込んだような漆黒。


触れるのはまずい。本能が警鐘を鳴らしても、もうすべてが遅かった。


「う、」


誰かが傍で呻いて、胸を掻いている。


「が、が、」


何かを吐き出そうと嘔吐(えず)く音は、自分が出した声だった。


黒い液体が喉の奥からあふれ出す。

体の中を満たしていたのではないかと思う程の量を地面に撒き散らし、それが最後のあがきのようにぴくりぴくりと動くのを戦慄のまま目にした。


リディアナは生理的な涙を流しながら気付く。


毒を中和した魔石だ。

たぶんあれがまだ体の中で生きていた。

そうでもなければ――。


……そうでもなければ?


そろりと視線を動かした。

目が、合う。


粗野で、気のいい。

リディアナを一番気に入ってくれていた、くたびれた外見の中年男。


「お、嬢さん、ハやく、逃げ、にげ、にげにげにげ、にげにげにニゲニゲニゲロ、ニゲられなイ。オイデ、ホラ、こっち。――ちがう。行け、行くんだ、はや、くッ!!」


リディアナは呼吸を忘れた。

意味のない言葉だけが閉じることを忘れた口から零れ落ちる。


「あ、あ、あああ………!」


だって、逃げる場所などない。

変わり果てた男を見上げ。ただ涙を流す以外に、できることはない。


「はやくううううウウウウゥゥ。イッテ、イッテ、イカナイデエエエエェェ!!」


口の中に花が咲く。

赤い、花。

蜘蛛の足のようにはみ出していた触手が、花を大事そうに抱えて男の体の中に消えていった。


「うっ、――うあ、ああああ゛あ゛あぁぁああぁぁぁぁぁぁ゛ッ!!」


恐怖か、絶望か、あるいは狂気か。


こっちに来るなと、手足を振り回して。

ただ泣きわめきながら必死に叫んだ。

みっともなく、惨めに這う。


リディアナには彼らのように剣を振る技術などない。

あるのは魔法だけ。


使い尽くした魔法だけ。

空っぽの、役立たずの聖女は喘ぐように祈った。


「だれか、……誰か、たすけて。――たすけてよぉ!!」






「呼んだ?」


その男は、空から降ってきた。








(彼はヒーローより性質の悪い、悪魔みたいな男です)

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