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イリアの世界  作者: 一集
第二章
72/75

61.リディアナと謎の魔物




なにが起きたのか、わからなかった。


「ぅう」


リディアナは痛みに呻く自分の声で目を開ける。

次いではっと辺りを見回した。


一瞬でも意識を失った自分が情けない。

戦場に立ったのなら、死ぬ瞬間まで目を開け、敵を屠り続けるべきなのだ。


「みんな!!」


ほんの一時の油断や隙で命を落としていった者のなんと多いことか。

そうはなるまいと心に刻んでいたというのに、なんたる失態。

再び目を開けられたのはただの幸運。


なぜなら、答えは返らない。

ほんの少し前まで共に戦っていた仲間の声は絶えていた。


「っく!」


身体に積もった礫と埃を落としながら立ち上がる。

周囲は酷い有様だった。


ふらつく体を叱咤して、崩れた壁に向かい合う。


歩廊の上にいた仲間。

下の救護場。

門を守るために詰めていた戦士たち。


音はない。

からからと、時折瓦礫が崩れる音だけ。


感情に揺さぶられて乱れる息を噛み殺し、必死に歯を食いしばった。


絶望。

そんな文字が脳内で乱舞する。


崩れた瓦礫の向こうから覗く無数の黒い影と、歓喜の咆哮。


リディアナは絞り出すように声にした。


「……誰が、」


いまさら。


「諦めるもんですか!!」


リディアナは絶望を知っていた。

あの日からずっと、身近だ。


無数の魔物は見慣れたもの。

思い出す場面で、リディアナはいつも、いつも、黒い影に囲まれている。

その戦場を掻い潜り、生き延び、何百という死を齎そうとする殺意を退け、いまここに居た。


だから、『いまさら』。


この戦場には自分以外に誰もいない。

接近戦は得意ではない。

光属性に攻撃魔法は多くない。

その中でも特に支援寄りの自分が残されたのが悔やまれる。


でも、リディアナの後ろには街がある。

無数の命がある。

そして、リディアナは貴族だった。

人々を守る義務がある。


――広い舞台だ。

崩れた壁の幅は30mはあった。

そこから雪崩を打って駆け込んでくるだろう魔物の数はいか程か。


戦士は一人。

自分、一人。


強い風が、埃にくすんだ髪を弄った。

思考は凪いで、心は燃えていた。


この身体が燃え尽きるまで、この血がなくなるまで。

戦うのだ。

生きるのだ。叫ぶのだ。奮うのだ。


「泣く意味はない」


だというのに。

ぼたぼたと流れる涙の理由を、リディアナは知らない。


怒りも、悲しみも、覚悟もある。

それらが混じって、鎮めきれなかった感情が流れ出しているのだろうか。


――精霊さま。

敵は待ってはくれないから。

構わず。祈って、叫ぶ。


「『光槍』!!」


黒い影が瓦礫を乗り越え、跳躍してきた。


「裂けろ!」


視認した影の分だけ、光を裂く。

17に分かれたそれは寸分の狂いなく、黒い命を地面に縫い付けた。


その顛末を見ずに、リディアナは叫ぶ。


「『雷槌』!!」


第二陣には空から降る雷を。


威力を高めるための装飾語。

制御を易くするための接続詞。

ロスを防ぐための誘導文。


そんなものはこの数日言えたためしがない。

魔法名すら長すぎるから、やがては発動語(キーワード)だけになった。


「『雷、撃』!!」

「『燦弾』!!」


三陣は数が多い。身体信号を狂わせる麻痺をお見舞いして。続いて脅威にも見えない緩さで飛ぶ光で体内を灼いた。


四陣。五陣。

やがて、敵は波になる。


範囲攻撃は苦手じゃない。


「『雷波』!!」


ぶわりと押し寄せる黒波に、光の波がぶつかり合う。

魔物たちの体の中で最も脆い、眼球が熱ではじけ飛んだ。


「『光刃』! 『光刃』! 『光刃』!! 『雷、落』!!」


合間に素早く手に取った水薬のコルクを片手で飛ばして喉に流し込む。

もう一本は頭からかぶった。


出し惜しみはナシだ。

中型では一体一体をまともに相手していられない。


手にした三本の瓶を一気に前方に放り投げる。

ガラス瓶が軽い音と共に砕け散り、地面を濡らした。


ダン、と足を踏み鳴らし、地面を這わせて水薬を起点にして陣を熾す。設置型魔法だ。

他と違い、陣を使った魔法は持続可能。ここで使っておくべき切り札。


込める魔法は一つ。


「『弱体』」


敵の体内の電気信号の一部を遮断するのだ。

踏んだ魔物ががくりと前足を崩した。


「『弾弓』! 『光槍』!!」


弓矢のように放物上に空に放ち、太い光の槍がまっすぐに飛ぶ。


「『浮、光』!!!」


危険を察知して地面を踏まない魔物が増えれば、ふわりとそこら中に光の玉を浮かべる。

用途は設置型の弱体魔法と同じだ。

魔物に触れれば一回限りで消えてしまうが致し方なし。


「『雷槌』ッ!!」


そろそろ、キーワードだけの発動が危うくなってきた。


喉を潤す水の代わりに水薬を飲み下す。

使用限度なんてとっくに超えている。だが、今が無ければ明日もない。


「爆ぜろ、『雷、槌』!!」


荒い息に合わせて肩が大きく上下する。

心臓が一つ打つたびに、爪の先までじんじんと痛んだ。


しらない。そんなもの、いまはいい。

心なんて、なくていい。

戦える体と、少しでも多くの敵を殺す、頭さえあればいい。


魔物の数が急に減る。


「――……?」


怪訝に眉を顰めると、


ずるりずるりと、地面を這う音がした。

のろまで、強大な、頭上の脅威。


「ああ」


そう納得する。

やっと動き出したのか。


指のような黒い幾本もの触手が崩れた壁の端にかかった。

重すぎる自重を支えるように、その手に力が籠る。


本体が姿を現した。

体を支えるには細すぎる六本の足。

事実、足は進むたびにポキリポキリと折れては、汚泥のような触手が覆って治る。

瓦礫の山を乗り越えようと、哀れな足が懸命に動いていた。


幹のように太い体が崩れた壁ギリギリを通る。

おかげで他の魔物の通り道も塞がれたが、なんの慰めにもならなさそうだ。


リディアナはすらりと剣を抜く。

貴族は持たない、斬るための武器。


必要だったから、使えるようになった。

あの悪夢の森を駆けるために。あの地獄のような草原を踏破するために。

共に駆けて、やがては欠けた、もう顔も思いだせない友の剣。


考えるたびに胸が痛む。

いらないのに。

涙が流れる。

邪魔なのに。


見上げる魔物に憤怒を覚える。


「わが手に、加護を。――『強化』」


剣に付与。身体に付与。

五メートル四方に陣を敷いて、そこをホームとする。

最も効率的に、自分を運用するための魔法陣。


リディアナがこの陣を離れることはない。


「さあ、こい。化け物。私が相手よ」


だから、その目を、その足を、自分に向けなければならない。

倒さねば先に進まないほど。殺さねば気が済まない程。


「下れ、落ちろ。地に、這いつくばるがいい。――――神に(・・)精霊の(・・・)鉄槌』をッ!!」


憎め。

自分のように。


ズ、と何かがずれる様な感覚。

がん!!!

と続いた衝撃。


轟音を響かせて、正体不明の魔物の頭を雷が叩く。

渾身の力で叩き込まれた魔法に、魔物の一部が爆ぜる。

ぱっと触手に覆われていた頭が赤く咲いた。


「赤い、目と。……あれは?」


真っ赤な、ルビーのような目がリディアナを見ていた。

憎悪と怒りで靄のような黒が混じる。

目は、あっという間に新たな触手の向こうに消えた。


「もう一度、」


見たい。

……なにかがあった。

触手の向こう。赤い眼の奥。


拒絶の意志を乗せ。爆ぜた触手がくるくるとまとまり、錐のような形を作る。

そのまま予備動作もなく突き出されたそれは、さきほどまでの愚鈍さは欠片もない。


「ッは!!」


きるきるきると、不快な音を立てて光の壁が錐の先端を止めていた。

陣の自立防御が作動したのだ。

……自分では間に合わなかった。


ほっとしたのもつかの間、視界の向こうで別の触手たちがまとまり出す。

錐のようではなく、槌のような、いや拳のような形。


壁を切るほどの、体重のほとんどをかけた物理的で、だからこそ強い攻撃。

それを一個人に振り下ろそうというのだ。


「光栄ね」


目に落ちてくる汗を拭うこともせず、リディアナは鼻で笑った。

槌で叩いたら、拳が返ってくるとは。

魔物風情が、なかなかシャレが利いている。


光属性の防御魔法は優秀だ。

陣を利用しているならなおさら。

だが壁を壊すほどの破壊力を受け止められるか?

陣を離れて立て直す?

いや、もう一度陣を張り直す余力も時間も有りはしない。

ここを離れたら、それ即ち敗北だ。


ならば、耐える!!


――と。

野太い男の声が戦場に響いた。


「勇猛な馬鹿か、無謀な英雄が誰かと野次馬に来たら。おいおい、まさかのきれいな姉ちゃんじゃねーか!!」


同時に魔物が構えていた拳に無数の弓と魔法が飛んだ。

不快そうに、魔物はそれでも迎撃に動く。


唐突に割り込んできた場違いな闖入者にリディアナは思わず「へ?」と間抜けな声をあげて振り返った。


「こりゃ助太刀しなきゃ、冒険者の名が廃るなぁ。……なあ、みんな!!」

「「おお!!!」」

「ねえちゃんってか、小娘じゃねーか」

「そりゃ、なおさらあたしたちの力が必要だね」

「ちげーねえ!!」


ぞろぞろと姿を見せたのは装備も年齢も、なんなら性別もバラバラな集団。


「あ、あの?」


思わずリディアナは目を白黒させた。


「てーわけで、手を貸すぜ。お嬢さん」

「この街はあたしの生まれ故郷だしね!」

「俺は違うけど。……ここを凌がなきゃどうにもならない」

「ここらで一発名を売らせてもらうぜ!」

「逃げ隠れしてられる状況でもないしな。一蓮托生ってやつよ!」


理由は様々。

だが、頼もしい助っ人には違いなかった。


リディアナは小さく息を吐く。気付かれないように吐いたつもりだったが、人生経験はどうやら彼らの方が上。


「随分と一人で頑張らせちまったみたいだ」

「――っ! も、問題ありませんでした! 一人でも!」

「あはは、嫌いじゃないよ、そういう強がり」


気遣われる屈辱に、リディアナは汗を腕で拭う動作で顔を隠す。

さっきまでは汗を払う時間すらなかったのだ。


汗ごと、心を拭う。


振り払った涙は、止まっていた。

一人で戦い抜く覚悟も。

憎しみも。

濁る心も、拭い去る。


顔を上げた先には、にやりと笑うふてぶてしい集団。


「さて、一世一代の大勝負といこうか」


冒険者代表のむさ苦しい髭男が、再び触手を構えた魔物に向き合って言った。


「――勝利条件は?」

「生き残った者が勝者」

「単純でいいね!」


わいわいと各々の武器を構える人々をリディアナは見やる。


剣、剣、大剣。槍、弓。無手だけど、きっと強化魔法。双剣、杖、槌。槍、細剣。

筋肉の付き方を見る。戦い方を予想する。得意な敵を想像する。

――必要な支援を考える。


もう癖だった。


「さあ、俺たちはどう動けばいい? お嬢さん」

「え、私ですか!?」


指揮権を託されるとは思っていなかった。

だが、驚いたのは一瞬。


「――――お好きにどうぞ。勝手に助けます」

「いい判断だ。これが終わったらうちに勧誘したいくらいの掘り出し物だぜ、あんた」


冒険者というものは、統率に向いていない。命令に慣れていないのだ。

自らの判断で、自らの命を繋ぎ、危機を乗り切ってきた自負。

自分に対する絶対の自信。それこそが冒険者たる所以。


リディアナは笑った。

根っこの部分は、自分にそっくりだから。


「光栄ね」


貴族として、最高の賛辞だと思った。






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