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イリアの世界  作者: 一集
第二章
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59.飛ぶ者と墜とす者


屋根の上をひょいひょいと飛び移りながら、たまに空に放つ魔法。

それは違わず中空の魔物の翼やら頭やらを貫いた。

くるくると錐もみしながら地上へ落下していく姿を確認することはない。

結果への絶対の自信がそうさせる。


「もっろ……」


クラッカーを砕く方がまだ硬い。

数を減らすには効率を考えるべきで、シリルもそのセオリーに則って柔い魔物を重点的に狙っているのだから当然と言えば当然なのだが、あまりの手ごたえのなさに思わず呟いてしまった。


そうこうしているうちに城の威容が近付く。

三本の塔もはっきりと見えてきた。


正面の立派な尖塔は城の象徴でもある。

その先端には太陽神を主神として祀るこの国らしく、巨大な光の魔法石が燦然と輝いていた。

あれだけでこの城の建設費が賄える程だというのに、なかなかどうして堂々としたものだ。


とはいえ、盗まれる心配はほぼ皆無。

なにせ人の手が届くような場所ではないし、狙うなら空からの強奪を目指すしかない。

そして空を飛ぶ飛竜はセンチ単位で飛行路を調整できるような器用な性質ではないのだ。

そうなると見世物として飾らない方が愚かというもの。


もちろんいままでは、という但し書きがつくが。


但し書きをつけることになる本人、シリルはもちろんそんなものに欠片も興味はなかった。

むしろあれだけの魔法石なのだから何らかの術を施して魔力供給装置として使うべきだと考えていた。

使えばなくなるのは当然だが、そこを惜しめば本末転倒になりかねない。

神聖なものだから、勿体ないから、そんな馬鹿げた理由でただの装飾として遊ばせていたりするからこんなこと(王都が戦場)になるのだ。


人心を得る道具としては優秀なのだろうが、自分なら危急の際には結界を発動させる動力源として術を仕込んでおく。

あれだけの大きさならこの王都を囲む結界を三日は持たせられるだろう。

あるいは巨砲として使うのもロマンがある。

眼下の草原を焼き払うくらいは出来ようし、収束させれば遠く霊峰まで届くかもしれない。


残念ながらどちらも魔法石など頼らず、仲間の誰か(グレンかウィル)に頼めば再現可能なのだが……。

シリルは仲間たちのでたらめさに思わず遠い目になった。


取り留めのないことを考えながら近づいてきた三塔のうち、南棟に進路を取る。

無駄に良い視力にははっきりとメルたちが映るようになっていた。


ひらひらと遠くから手を振るメルは先ほど城壁を崩した魔物への対処を宣言していた。

が、いまだ塔に留まっているのには当然訳がある。


>シリル、移動手段!


笑顔の向こうからそんな思念を送ってくる。

そこにはプランもなにもない、ただの要求のみが詰まっていた。


わかっている。

そう言われるのがわかり切っていたから言われる前に移動していたのである。


そう、メルと言えば逆の意味で飛行魔法。

思い出して欲しい、彼はまったくもって飛べないのである。

昔も、そして現在に至るまでずっと。

ここまで来ると、多分未来においても無理だろう。

仲間以外に知らないメル最大の弱点だ。


まあ、普通の人間は飛行魔法など使えないので、それが弱点になるかといったら疑問なところではあるが。


筋力を強化して跳ぶことは出来るが、重力魔法を操ってその跳躍距離を伸ばすことも着地への衝撃を和らげることもできない。

跳躍場所や着地場所が地面ならばそれでもいいが、それが家屋となると確実に踏み抜く羽目になる。

密集した住宅環境ほどメルの移動手段を奪うのに適したものはない。


そんな理由でメルは、こと移動という一点において他に追随を許さないシリルの到着を待っていたのだ。


シリルがどうやって移動を手助けするのか、など考えてもいない。

どうにかしてくれるだろう、という全幅の信頼、というか丸投げである。


思わず空を仰いでため息を吐きそうになったが、メルたちのいる塔の上階でたむろしている生物に気付いてそれを飲み込む。


飛竜だ。


この国が誇るエリート騎士のみが乗ることを許された、人類唯一の制空手段。

近辺の国家を含め、この辺りは空を飛ぶ魔物が少ない故に実は需要もそれほどはない。

この国でも飛竜は常に十匹前後しかいなかった。


それでも、空を飛ぶというのは人類の夢。

飛竜を持つ、というのは豊かな国の象徴でもあるのだ。

事実グランドリエはわざわざ飛竜産出国に大量の魔法石と引き換えにして譲ってもらっているという経緯があった。


とどのつまりグランドリエには飛竜を一から育てるノウハウも、野生の飛竜の生息場所も捕まえる手段も方法もなく、調教する術もないということだとシリルは思っている。


そんな国ご自慢の飛竜に、シリルは眉を顰めた。


興奮状態なのか、塔の上の彼らはうろうろと動きが忙しない。

あまり竜の質も良くないらしい。


いい竜というのはいついかなる時でも落ち着いているものだ。

それが来たるべき時に体力を温存する最善の方法だと知っているから。


比べるとこの飛竜たちは出番前にすでに疲弊しているのが目に見えてわかった。


「なっさけな……」


鼻を鳴らしながら呟いた声は、家族が聞こうものならば空耳かと疑うような冷たさが滲んでいる。


本来の事情でいうならもっと酷い。

出番前以前に出番でも人の手に余るので使えない、というのが本当なのだから。


「ん? まあ、それでもいいか」


少々の疲弊ならかまわないだろう。

ちょっとくらい役に立ってもらうのも悪くはない。


決めるが早いか、シリルはメルたちのいる下層から目標を変える。


「ま、まて! 上は危険だ!」

「飛んでるぞ! あれはなんの魔法だ!」


悲鳴染みた警告の声とざわめきが下層から聞こえてきたが、シリルは気にも留めない。


騎士からは竜の興奮具合を注意喚起する声。

貴族どもからは飛行魔法に対する驚きが。


シリルにとっては足場を使って移動しているこの状況を飛行魔法と言われるのは心外だった。

飛行魔法の神髄というものをこの程度だと思われたくはない。


だが奴らの見世物にしてやるほど、この魔法だって安くない。

シリルが空を飛ぶとき、そこには相応しい敵がいるべきなのだ。


「らしいっちゃらしいですけど……」


周りを無駄に右往左往させ、本人は我が道を往く。

実にシリルらしい。

メルたちはシリルの姿を上に見送りながら苦笑した。


シリルはひょいひょいと外壁を足場にして上階に駆けのぼり、すとんと南塔の屋上に踊り出る。

うろついていた飛竜が一斉に動きを止めて驚いたようにギュっと鳴いた。


もちろん止まったのは一瞬で、飛竜たちはすぐに目の色を変えて侵入者を威嚇する。

赤く色付いた目は、こちらを敵と認識している証拠だ。


「ぎゃあぎゃあとうるさいよ。躾がなってないな」


誰が人間の乗り物として仕込んだのがしらないけど、脳みその少ない畜生にだって最低限の事くらいは教えておくべきだ。

たった一つのルールだけでいいのだから簡単だろうに。


強者()には絶対服従って、……ね」


にやりと笑い、わざとらしく魔力を漏らす。


足元を這うような、凍える闘志。

例えるなら冷たい炎。

例えるなら熱い氷。

シリルの魔力は、そういう不思議な感覚で捉えられる。


人間からすればシリルは紛うことない紅顔の美少年なのだが、飛竜たちからすれば人間の美醜などわかるはずもない。

もはやただの魔王だ。

見た目に騙される人間と違って、本質を見抜いたと言えなくもない。


竜たちはまるで触れれば切れるとでも言うかの如く、忍び寄ってくる魔力から大げさに逃げようと翼を広げ風圧を作り、地を歩くのには向いていな足で後ろへ後ろへと飛び退る。


「本当に竜?」


思わずあきれ果てるくらいにはプライドのない行動だ。

これでは本能だけで生きる野生にも劣る。


「……まあいいか。それならそういう扱いをするまでさ」


すっと魔力を収めてずかずかと歩き出す。

竜は相変わらずギャアギャアと威嚇モドキを叫んでいた。

ここは塔の上で、足場は限られていて、彼らはこれ以上下がれないから出来ることが他にないのだ。


魔力をそこらかしこで無理矢理使ってる連中のせいで偏差が酷い戦場、好き好んで空を飛びたいものは飛竜だっていない。

下手に魔力の空白地帯に入ろうものなら墜落したっておかしくない。

ここを飛ぶのは余程飛行に自信のあるものか、向こう見ずな魔物か、馬鹿だけだ。


その中で、叫びもせず、頭を翼で隠し体を丸めて地に伏せている竜が一匹いた。

身体の大きさからみるに雌だろう。

しかも殊更臆病だ。

コレでいいかと、シリルはその首についている輪をぐいと力任せに引っ張る。


竜は何が起きたのかわからなかっただろう。

気が付いた時には宙に投げ出されていた。

しかも首輪は掴まれたまま。

小さな人間は彼女の息苦しさと不自由さに頓着することもなく、悠々と塔の外へ飛び降りた。


「おまたせ!」


シリルは言いながら下階の外庭の端に足をかける。

もちろん着地点など知らされていない竜はそのまま落下していった。


シリルは首輪を掴んでいた腕が竜の重みでぐんと引かれて、はじめて気付いたように「おっととと」なんて蹈鞴を踏みながら、掴んでいた首輪を力任せに引き上げた。


自分より大きい竜を引き上げるなど普通人間に出来ることではないのだが、とにかくシリルはやった。


落下速度に逆らった逆向きの力。

人間なら首が折れているだろうが、さすがは竜といったところで、首は無事だった。

代わりに空気が圧縮されるような音が喉から漏れていたので、多分窒息寸前ではあっただろう。

しかも勢い余って石造りの外庭の地に叩き付けられた。


くて、と力なく広がった飛竜の体にシリルは小首を傾げる。


「な、なんてことを! 貴重な飛竜なんだぞ!」


真っ青になったのは塔に残っていた騎士と貴族だ。

騎士の多くは竜騎士の誉れに憧れている。

貴族は莫大な金がその飼育費に飛んでいっていることを知っている。

そして誰もが周辺国を見渡してもほとんど存在しない希少な生物であることを知っていた。


過保護になるのは当然のこと。

それがこの国の竜を腐らせていったのだが、シリルにそれを頓着する理由はない。


「別に死んでないでしょ。腐っても竜なんだし」


そう言いながらシリルは首輪から手を離して、どさりと重力に従い落ちた頭に悲鳴を飲み込む連中を無視したまま、竜の腹を蹴っ飛ばす。


ギャアと叫んで竜は飛び起きた。

ぎゃあと騎士と貴族はあまりの暴挙に叫んだ。


「ほらね。ただの死んだふりだって」


人間たちは唖然呆然、驚愕憤怒、心中様々だったが、目の前で起きたあんまりな光景に誰もが言葉を失った。

シリルの見た目が中性的で細く儚い印象なものだから余計に酷いギャップだ。

にこやかにのたまうシリルは状況を知らないものからすれば、戦場に咲く一輪の清らかな聖花にも見えただろう。


こんな無茶苦茶なシリルだが、意外と『地を這う獣』には寛大なのだ。

地を移動する際の相棒として付き合いの長い、自らの乗獣、輓獣、駄載獣などは呆れるほど丁寧に世話されていたりする。

年老いても手放さず、息を引き取るまで手厚い看護を施し、死した際は涙さえ見せる。

その姿は優しさを体現したようなタリルタロス家そのもの。


こと、空を飛ぶ手段を持つ生き物に対してだけが、異様なほど厳しい。


そんなシリルから少しでも距離を取ろうと、竜がもたもたと地に落ちた蝙蝠のように地面を這う。


「あーこらこら、どこにいくの。やってもらうことがあるから連れてきたんだから。――まさか、なにも出来ないなんてことはないよね? だって、それって生きてる意味ないじゃない?」


殺す?

そんな言外の言葉が竜に通じたのかはわからない。

だが事実竜はぴたりと動きを止めた。

恐る恐る振り返り、喉を鳴らす。

キュウ、と飼育係が一度も聞いたことのないそれは、シリルがいつも当たり前に聞いている媚を売る音だった。


「ほい、メル。優秀な移動手段だ。大人しめのやつ見繕ったから、メルでも乗れると思うよ!」

「助かったよ、シリル。時間もない事だし、早速借りるね」


メルは当然のごとくシリルの親切を受け取る通常運転。


実の所、メルは乗獣の扱いに関してはピカイチだ。

わざわざ大人しい性格を選ばなくても乗りこなすことは出来ただろう。

空を飛べない故に、移動手段となる乗獣の腕はこれでもかと磨いてきたのだから。

もちろん仲間たちはそれを知っているが、触れないでおいてやるのが優しさというもの。


最後にシリルはぐいとくだんの竜を顔を掴んで引き寄せた。

鼻面を合わせて目を細める。


「目的地はあそこだ。無事にメルを届けるんだよ?」


竜の瞳が小刻みに揺れる。

恐怖。

それだけが目の中に蔓延していた。


小さな二本足の生き物は自分たちを甘やかすためにいるはずなのに、こんな怖いのがいるなんて聞いていない。

だがそんな悲鳴でもあげようものなら、目の前の怖い生き物は自分の首を落とし別のヤツを連れてくるだけだとわかるから、彼女は賢明にも口を閉ざしその首を下げて人間が背に乗りやすいように地面に伏せた。


「なんだと!? プライドの高い飛竜が自ら人間を背に乗せるなんて!」


叫んでいる騎士の言葉を聞きながら、シリルは「なら普段は一体どうやって乗ってるんだろう」なんて疑問を抱いた。


正解は暴れ馬を馴らすが如く乗るのである。

あるいは謙り、媚を売り、餌で釣り、ご機嫌を窺って、乗らせてもらう(・・・)


シリルに聞かせたら竜騎士、飼育員共々飛竜を残らず殺してしまいそうな話だった。

知られずにすんで実に幸いだ。


メルとメルを乗せた飛竜が無事に飛び立ったのを見送って、シリルは外壁方面へと向き直る。


そこら中に魔物が空を飛んでいた。

圧巻だ。


同じようにシリルの目線を追った人々は言葉を無くし、王都を囲う増え続ける魔物たちを抱えた空を濁った目で眺める。

そんな沈鬱な流れをぶった切るのはもちろんこの少年。


「鬱陶しいなぁ。ああ、ほんとうに目障り。そんな羽根で、そんな速度で、そんな貧弱な魔法で、よく僕の前を飛べたものだよ」


別に声が聞こえた訳ではないだろう。

イラついた瞬間に少しばかり漏れ出た飛行陣の匂いのせかいもしれない。


一斉に空を飛ぶ魔物たちはシリルを見た。

小さな人間たちの中でも更に小さな個体を。


空を飛ぶ者として、なにかを感じたのだろうか。


何十、何百という敵意を持った視線が一身に集まる。

そんな状況でも、シリルは僅かたりとも怯まなかった。


恐怖もなく、ただ心の中を冷たい炎がごうと音を立てる。


怒りだ。

怒りが思考を焼いていく。


頭を垂れることもせず、分不相応に顔を上げ、あまつさえ自分をその視界に入れて、尚且つ敵意を向ける。

許されざる暴挙。


全ての飛行種は自らの足元に身体を投げ出し、崇めるべきなのだ。


「僕が飛ぶほどの価値がお前たちにあるの?」


飛行魔法を使いたいと思える敵はいない。

その程度でしかない雑魚が、どうして楯突いてくるのか。

シリルには不思議で仕方がなかった。


どうわからせてやろうか、そう考えていた時。


「おや?」


ばさりばさりと大きな羽音がすぐ近くで聞こえた。

次いで、強い風。


貴族たちは不意の強風に成すすべなく壁に張り付き、騎士たちは体をかがめて腕で顔を覆い、視界を確保してなんとか状況の把握に努めた。

塔の下から現れた、一瞬の巨体。

それが何かを知っているはずなのに、頭の処理は追いつかない。


魔力の渦巻き。

収束。

死の気配。

確定する絶望。


そして放たれた、ここにいる全員を消炭に出来るだけの一撃。

その凄まじさだけを、感覚で捉えていた。

成す術もない、とはまさにこのこと。


次の瞬間。

炎がまき散らされ、左右に分かれて空気を焦がす。

消えるはずの命は散らず、呆然と目の前を炎が舐めていくのを眺める。


結界だ。

一面だけに張られた、透明の結界。

グレンの無詠唱魔法。


悠々と立っているのはシリルと、リィン、ウィルとグレンの四人だけ。


「イ、イグニス!!?」


やっと思考を復活させた騎士が、塔の外で羽ばたいている姿を目に入れて叫ぶ。

それが、突然現れた飛竜の名。


最強たれと願った人々が付けたかつての英雄の名を持つのは、グランドリエの誇る飛竜の中で唯一国内で生まれた雄竜。

願い叶い、今や最も大きく、最も若く、最も気性が激しく、最も速く、最も巧みで、最も強い竜になった。


その飛竜に疲れは見えない。

戦場の空気に中てられてもいない。

最強と謳われる竜種に相応しく、ただ泰然と力を温存していたに違いない。


「おやおや僕が飛ぶ価値もない戦場で、自ら王の乗り物になりにきたとは、中々殊勝な心掛けじゃないか」


熱風に髪を煽られながらシリルは上機嫌に笑う。


絶対に違う、と塔の人々は誰もが心に思った。


イグニスが熱を孕んだ空気を吐く。

それは殺意を乗せたイグニスからの返事だ。


だが人を軽く消し飛ばすはずの風はシリルに届かない。


「なに、そう急ぐなよ。敵は逃げないんだから」


イグニスは国内最強の竜であったが、最も傲慢でもあった。


――だから、一度も人を乗せたことがない。


そんなイグニスを見下しながらシリルは命じた。

さあ、自ら頭を垂れ、懇願せよ。


「どうぞ、お乗りくださいってね」



イグニスの目が赤く怒りに染まった。




(傲慢さでいうならシリルに勝る者はいないだろうなと、密かにリィンたちは思った。)

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