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イリアの世界  作者: 一集
第二章
64/75

53.神の作為と反逆者




ひらりと高い壁を飛び降り、着地点に向けて一閃。

魔法混じりの剣風に煽られ、それだけで魔物はニールのために場所を開けた。


脆い魔物は肉片に、形を保った魔物は飛び退り。

上から魔物たちを相手にしていた兵士は視界の端に映った光景に唖然と、生徒たちは飛び降りたのがニールだと知ると、さもありなんと自分の仕事に集中し出した。


とん、とあの高さからの着地とは思えない身軽さでニールは地面に足を着き、風に翻ったマントが重力に捉えられる前に剣を掲げて駆け出す。


「さて、どのくらい骨があるかな? 現実世界の魔物の暴走(スタンピード)は」


くつくつと笑う。

脅威を欠片とも感じていないのがよくわかった。


ワールド・アトラスで、ニールは無謀とよく称される。

その理由はただ一つ、怖いものがないからだ。


そして、今、偶然とはいえこの現実世界でも近くにイリアは居ない。

とあっては、ニールには弱点もないと同義語。


ニールは温厚な貴公子の皮を捨て、本来の自分を取り戻し。

慎重さも捨て、ワールド・アトラスでの姿を晒す。


事実、魔物はニールの足を一瞬たりとも止めることは出来なかった。

道を作るために前方に魔法を照射して魔物を焼き殺す。

左右から襲ってくる魔物は純粋な剣技で叩き落し、無謀にも頭上から狙ってくる魔物は敵の着地点を避け、ついでにくるりと前転ついでに足で頭をかち割る。

後方からニールに追いつける魔物は居なかった。

近付いたら、それが魔物の最期となる。


だがニールは脆いだけの雑魚に興味はなかった。

今のニールならそよ風程度の認識の魔法で砕ける魔物たちは、学園の生徒や兵士でも十分に対処できる。

ならばそれはニールの仕事ではない。


ある程度強い個体を見つけては跳び上がる。

誰かさんと違って、重力魔法はニールにとって効率が良くない。

だからニールが空中移動で多用するのは空気を圧縮する魔法だ。

空気を固めて足場を作り、圧縮空気を解放する方向をコントロールして加速にも使う。


「頭おかしいんじゃないの?」

とは、燃費の悪い重力魔法を極力使うことを避けた末に編み出したニールのこの方法を見たシリルの言。

説明だけを聞いていると至極簡単そうなのだが、実際にやってみると気の遠くなるような繊細な操作が必要だとわかる。


もちろんニールは、「お前の重力魔法の方がよほど難しいと思うんだが?」と返したのだが、この点において二人はいまだに結論を得ないまま平行線だ。

単純に得手不得手の問題だ、と指摘してやるような親切な人間は残念ながらいなかった。


生徒や兵士たちでは手こずりそうな魔物を処理してまた次へ。

今の所交戦は一瞬だが、場所移動が効率悪いことこの上ない。


たまに生徒たちの近くを横断することもあった。


「くそ、こいつ強いぞ。誰か手を貸してくれ! 一人じゃ無理だ!」

「無理! 自分で何とかして!」

「……俺が行こう」

「――え、ニールさま!?」


止まることをせずに、答えることもなく、風のように駆け抜けていく。

一瞬で接近して、敵の注意を自分に向けた。

速さを生かし、そのまま後ろに回り込んで目標を見失わせる。


突然敵のヘイトを掻っ攫われて唖然とした生徒と目があった。

器用に攻撃を避けながら一つ問題を。


「対処の仕方は今までと基本同じだ。獣は足を、昆虫は腹を、――じゃあ爬虫類は?」

「あ、頭、です」

「正解。ついでに言えば、後ろを取れば楽に頭を潰せる」


言いながら背中に飛び乗り、脳天を突き刺した。

爬虫類型の厄介なところは生命力の強さだ。


このクラス(中型)なら、武器伝いに魔法でも放てば完璧だ」


ニールの足元で剣を導線に脳を焼かれた魔物がびくんびくんと跳ねた。

いわゆる『最後の力』で爪痕を残すことが多いこんな魔物も、こうして体内からダメージを与えればその心配も薄まる。


「いやいや、冗談だろ。武器伝いに魔法だって?」

「腐っても魔物だから外皮は天然の鎧だ。正面から勝負してたんじゃ、いくら魔力があっても足りなくなるぞ。こうすれば、遠隔より圧倒的に楽だろう?」

「え!? ……は、はい。ソウデスネ」


どうやら彼の顔を見るに、それなりに難易度が高いらしい。

だがこれくらいはやってもらわないと、大型に出くわした瞬間に死亡確定だ。


困った顔を少しだけ覗かせながら、難しい顔をした生徒の後ろに魔法を放つ。

醜悪な口を開いていた魔物は頭ごと破裂した。


「うわああ!」

びちゃびちゃと頭に降り注ぐ体液に悲鳴を上げながら、慌てて彼も戦闘に戻っていく。

悩むより実践。

死ぬ前に試行。


「くそが! やってやんぜ!」


すぐに、わあ、手が焦げた!なんて悲鳴が上がったが、ニールは心の中だけで肩を竦めた。

まあ、彼が実践で使いこなせず、対処しきれず死んだとして、ニールは欠片とも心を痛めることはない。


結局のところ、ニールは昔から根底部分が変わっていないのだ。


そう、変わっていない。

いつから?

ふと自分に問いかけた。


答えはすぐに見つかる。

姉と出会う前、まだ、ニールが一人だった頃から、だ。


――姉さん。

ニールは呪文のように心の中で呟く。


ニールとて、できればイリアが思い込んでいるような、優しいだけの弟でいたかった。

だが、生まれ持った(さが)、というものがある。

それは如何ともしがたく、イリアの愛ですら変質させられなかった。


イリアができたのは、一人の人間に詰め込まれるには多すぎる熱量を持っているくせにひどく冷え切った感情、それに方向性を与えることだけだった。


ニールは生き物が密集する中で生命が発する熱に煽られながら、ふと凍えるような寒さを覚える。


記憶は厄介だ。

闇の底に潜んで、こうして隙を見せるとすぐに補足されてしまう。


ああ、『あの記憶』だと瞬時にわかるのに、ニールは相も変わらずそれに飲まれた。


思い出すのは、闇。

それから血と、死の匂い。


自分の手はまだ幼く、小さく、短く、そして痩せていた。


なにかの遠吠えが聞こえて、ニールは自分が生きていることを知る。


月も星もない。

暗闇に慣れた目でも、真の闇は晴らせない。


見えなくて幸いだったのかもしれないと、幼いニールは思ったものだ。


強烈な匂いは、赤い惨劇を示している。

生の気配は自分以外にない。

タールのようにぬめる液体と、最早物体になり果てた障害物を避けて手探りで進む。


なぜ自分だけが生き残ったのか?

そんな疑問すら湧かなかった。

そも、単なる幸い、それ以外に理由などないだろう。


手を地に縫い付けようと、重力を感じさせる鉄の塊がじゃらりと音を立てた。

思いの外大きな音にニールは思わず身を竦める。


耳を澄ませて気配を探ったが、特に周りに変化はない。

襲撃者が生存者の気配を嗅ぎ取って戻ってくることはなかった。


ほっとしながら人間としてのパーツを失くした人々の体を探る。

欠落部は多分襲撃者の腹の中だろう。


――死にたくはない。


幼いニールが、故郷の貧しく侘しい農村を思い浮かべたのはそう思った一瞬だけだ。

あそこが安全な場所かというとそうではないから、すぐに脳裏から消えた。


だから、薄情なのは生まれつきなのだろう。


今さら、記憶の底を探ってみれば、両親はいた気がする。

兄妹も、いた気がする。


切れ切れの記憶から推測するに、食うに困った村か両親だかに売られたのだろうと、今は淡々と思うだけ。


あの時、狭い劣悪な環境の馬車にどれくらい押し込められていたかは定かではないが、幾ら賢しくとも、世界の広さを知らない世間知らずの子どもが故郷へ戻る道を見つけるのは最初から不可能だった。


覚えているのは、寒い土地だったこと。


大破した馬車から投げ出されたその時も、やはり寒かった。


凍える手で必死に商人の死体を探し出し、鍵を手に入れ自由を奪っていた枷を外す。

凝った造りの鍵や魔法の枷ではなかったことは幸いだったが、あんな田舎町でそんなものに投資する馬鹿はいない。


ほっと息を吐く暇もなく、死体や荷物袋から持てるものを持ち、奪えるものを奪う。

死体の温かさに指先の感覚が戻って、少しほっとしたなんて、絶対に口には出来ない。

裸足の足には大きさの合わない靴を。

寒さを凌ぐために、ボロボロの服を重ねた。


同じ年頃の子供たちも幾人か馬車に乗っていたが、ニールと同じくロクなものは身に着けていなかった。

彼らも他に違わず、物言わぬ死体と成り果てている。

けれどニールは悼むこともなく、嘆きも悲しみもせず、同情もなく、時間を掛けず惨劇現場を後にして逃げ出した。


それが、ニールがはっきりと思い出せる最初の記憶。


それから何度も繰り返すこと。

得るものは限りなく少なく、それすら簡単に失い、誰も譲ってはくれないから、誰かから奪う。

手を差し伸べる人はみな、嘘ばかり。

裏切りに痛む心を、最初は持っていたのかもしれない。

だが、信じることは真っ先に忘れた。

拒絶され、疎まれ、利用され、罵倒され、暴力に晒され。

人とは、冷たく、風も冷たく、緑を育てる土ですら、ニールを育ててはくれなかった。


世界は冷たい。

身を凍らせるのは、なにも冬という季節だけではなかった。

自分を守るのは自分でしかないと知らされるだけの、長い日々。


それが、ニールが生まれる前に捻じ込まれた神の作為(運命)

彼らが作り出そうとしていたモノが何かを、今のニールは理解しているつもりだった。


群れを作り、輪を作り、仲間を慈しむ生き物(人間)

ニールがそこに交じることは許されなかった。

同じ姿をしているのに。

忌まれ、追い払われ、攻撃された。

胸のうちに育まれたのは、妬みと、憎しみと恨みと。

積もり、募り、それはいつかきっと人間という社会に牙を剥いただろう。


人間の信仰心を育てるために、何度も、何度も、繰り返されてきた歴史の一つ。

そういうものに、ニールはなるはずだった。

人類には、敵が必要なのだ。

信仰を糧に放つ魔法によって倒される敵が。


だけど、そうはならなかった。

神々が用意した駒は、幸か不幸か運命から足を踏み外した。


ニールには姉がいる。

孤独を運命づけられたニールの鎖を断ち切った、神を知らぬ娘。


運命なんてものは、姉が傍に居れば無かったことにすらなる過去だった。

そして、


>お前たち、放っとくと破滅に突っ込んで行くから。俺が見てないと。


友の声が風のように、澱んだ記憶を払う。

赤い惨劇も、月のない夜も、凍える寒さも、そこにはなかった。


イリアだけではない。

今はもう、捨て去ろうと思っても捨てられないものがあるらしい。


そう思い知らされて、ニールはままならない世を嘆く。

一人になれない悲しさを。

孤独が癒される痛みを。


ニールはずっと持て余し続けていた。


『――幸福ですか? わが主よ』

『われらは、お役に立てましたか?』

『さあ、往きましょう。我らを阻むものは滅びる定め』

『世界は、――世界こそが、変わるべきなのです』

『すべては、あなたのために』


耳元で誰かが次々に囁いた。


運命(世界)を変えにいこうじゃないか。


軽率な提案に、賛成だと、簡単に仲間たちが同意する。


気付けば闇は晴れ、現実だけが目の前にあった。


魔物だらけの、王都。

魔物を屠り続けながら、じんじんと熱をくべる友の声を聞く。


>ニール、どう考えてもお前の負けだ。観念して大人しく活躍してろ。


にやりと笑う友の顔が頭に浮かぶ。

無表情な友が自分たちだけに見せる顔。


「……お前ら、馬鹿しかいないのか」


そんな顔が、ニールにもある。


>そうさせるのは、誰だと思う?

「イリア」

>と?

「――俺」

>よくできました。


拍手まで聞こえてきそうな、陽気な声。


ニールは思いついたように、ふと決めた。

前触れもなく、なにかが噛み合ったかのように唐突に。

霧が晴れたような気分で。


――怯えるのはもうやめよう。


孤独を友として生きるはずだった。

だから一人ではない事に違和感を抱く。

この違和感はきっと一生なくならない。

でも、それがいい。

違和感と共に、生きるのだ。


得るはずではなかった感情に戸惑い、得てしまった事を憂い、だから何事もない日々を祈った。

それでも、奪われるのが怖くて、何もしないのも怖くて、必死に戦い方を学んだ。


運命を仕込む神が、自らの思惑通りにニールが育っていない事を知った時、きっと手にしたものは取り上げる。

そんな制裁を恐れ、見つからないために息を潜めてきたけれど。


魔物の暴走により、ニールは表舞台に引きずり出された。

イリアの存在が露見していない事が救いだが。


見つかった。

だから、もう諦めろ。

と、天を落としたい精霊たちが笑う。


>――さあ、共に世界を変えよう。


諦めて、覚悟を決めて、奪われる前に、奪おう。

奪われる者であるはずの彼らがそう誘う。


拳を、ことさら強く握り込む。

そうやって抑え込んだのは心の声。

大丈夫だろうか、カードから彼らに漏れてはいないだろうかと、なんだか二の次なはずの思考が浮かんでは消える。


何度か覚えのあるこの感情は、「泣きたい」のだと昔イリアが教えてくれた。


イリアなら泣いてもいいのよ、と抱きしめてくれるだろう。

イリアの傍ならニールもそうしたかもしれない。


だがいくら友人でもこの感情を知られるのは恥ずかしい。

男のプライド、というやつだ。


>より良き世界に。住みやすい世界に。都合のいい世界に。そうすることの、何が悪い?


友人たちがニールを唆す。


ばかやろう、と言葉を零した。


>俺を、悪の道に引きずり込むなよ。


姉さんが、悲しむじゃないか。


>僕たちに優しい世界なら、それはイリアにとっても優しい世界でしょう?

>問題ないよ。世界のルールは、これからはわたしたちが作るんだから。


間断なく押し寄せる魔物に危なげなく剣を振るいながら、ニールは諦めと呆れだけを強く乗せて呟く。


>そりゃ、悪魔の所業って言うんだぞ。


はは、と声を上げたのは誰だったか。


>ニール、それは違うよ。これはね、神の所業って言うんだよ。


「……そうか、神か」


それは、


>悪くない。


>だろ?

と悪戯な笑い声が同意する。


「ああ、悪くない」


>なら結論は?


もちろん、


「答えは、イエスだ」


是、是、是、是。


預けるよ。

信じるよ。

受け渡すよ。


奪われる者は、簡単には奪われないだろう。


神は、きっと知る。

自らが操ろうとした者の、足掻きを。

足元を掬われる焦りを。

冷たい刃が喉元に突きつけられる感触を。


「メル、俺のやるべきことは?」


神が血眼で探すのは多分、運命を捻じ曲げた姉。

その運命力を歪ませる力を恐れている。


歪ませられた人形(盗まれた道具)に、あまり興味はないのかもしれない。

いつもでも取り戻せる(操れる)とでも思っているのか、今の所、神々の気配は薄い。

舐められたものだ。


>英雄になれ。


神の目を、引き付けろ。


友からの指示にニールは笑った。

晴れやかに。


「承知した!」


運命に従わなかった道具はただの役立たずか?

無益で、無害か?

ニールを認識しながらも、気にも留めず、どこかで何か(イリア)を探している神に反逆を告げる。


「俺を先に始末するべきだったな」


鎖を断ち切った人形は、有害で、脅威になる。


>俺たち(・・)な。


間髪入れずに入った訂正に、ニールはまた声を上げて笑った。

愉快で、気分は爽快だ。


心に熱が溜まるから、吐き出すためにニールは魔法を飛ばす。

四方八方にまき散らされる無数の魔弾は着弾と同時にジュっと嫌な音を立てて魔物の体内に潜り込んだ。

魔物が死の運命を悟って咆哮する暇もなく、彼らは内側から弾ける。


そのまま魔物の密度が濃い場所へと突っ込む。


「おおおお!!」


隙ありとばかりに飛び込んできた狼型の魔物は、獲物を噛み砕くために(あぎと)を閉じようとして下顎を失っていることに気付いた。


小さい魔物は大打撃を与えてこない代わりに、無視できる程度の細かな傷を作ってじりじりと体力を削っていく厄介者。

大物と戦っている間に、手が足りない時の対処に苦戦しがちだ。

生徒たちの現在の状況がまさにそう。


魔法の真骨頂はまさにコレだと、ニールは思っていた。

雑魚敵の一掃。

雑草を除去するが如く、薄く広げた魔力を散布し着火する。

鳥の群れのような鳴き声が断末魔。

この少しばかり面倒な作業を怠ると、後に響くとニールは良く知っていた。


自分の魔力のように自由は利かないし範囲も限定されるが、魔力散布の過程は期限切れの水薬でも代用が可能だと、生徒たちに教えてやった方がよかったかもしれない。

次はそうしよう。

誰かがきっと見ているだろう。

見ていれば、うまく役立てもするだろう。


ざくざくと黒い血を振り撒き、軽快に魔物の動きを奪い、共食いを起させる。


ひゅっと視界を横切ったものを、咄嗟に回避より剣を立てることで防ぐ。

かんと高い音をさせたものの正体を確かめる前に反射で魔力結界を張った。

一瞬だけ身体強化が遅れる。


飛んできたのが石だとわかったのは、次いで重い一撃を受けたから。


「っづ!」


ぐっと歯を噛みしめて踏みこたえる。

生身で受けたら木の葉のように空を舞えただろう。

グレンの結界技と、ランスの身体強化術に感謝だ。

内臓は少々揺れたが、時間経過で治る程度。

ダメージはないと判断していい。

一旦距離を取って、その姿を確認してから呟く。


「中型も骨のあるやつが出てきたな」


四つ足の、角持ち。

突進を得意とし、ほとんどの魔物の弱点となり得る脳天が攻撃武器という、見通しのいい場所を住処とする魔物。

ニールの剣ですら、直角に渾身の力を込めて突き立ててやっと通ると言ったところ。

特徴は、突進する前に足を鳴らすこと。

生憎として、この騒音の戦場で威嚇音に気付くのは至難の業だ。

その副産物として石礫が飛んでくる。

これが馬鹿にならない威力だった。


「こりゃ、壁まで辿り着かせるわけにはいかないな」


突進が得意な魔物は少ない。

少ないが、つまりは物理的防御の天敵だ。


二度ばかり剣を振ってかちゃりと構え直す。

左右で四つばかり濁音が響いた。

振るった剣の起した結果を一瞥すらせずに、ニールは四つ足に向かってくいっと顎を上げた。


「来いよ、勝てると思ってるならな」


煽りが魔物に通じた訳ではないだろうが、魔物は気炎を上げて準備動作に頭を下げた。

荒い鼻息まで聞こえてきそうだ。


「俺にとっては、結界とか、身体強化とか、あくまで補助技でな。使うことを厭いはしないが、好んでいるわけでもない」


がつがつと地をその前足が削る。

今度は剣で弾かず、その細かな礫すらするりするりと避けてみせた。

踏み込んだ先には別の魔物がいるからそれを斬り捨て、小型の魔物が増えてきたとみれば地面を舐める炎を撒く。


突進力の魔物と、速さの剣士。

魔物がニールを強敵と認識するには十分な動きだった。


ごるると喉を鳴らした四つ足は、その発達した前足と肩をいきらせて弾かれるように飛び出した。

まるで走る弾丸だ。


もちろんニールは避けた。

簡単な事だった。

地上で速さ勝負を持ちかけられて、負けたことはないのだから。


だが、危なげなく避けた先。


「なに!?」


それでも敵から目を離さずにいたニールは驚きの声を上げた。

横を通り抜けるはずだった四つ足が、まるで不自然に、唐突に、その勢いを殺すこともなく、むしろ加速して、ニールに頭蓋を向けていた。


「っく」


危うく身を捻って避ける。

頭の横に装備されている角が少しばかり服を引っかけ、ニールは眉間に皺を作った。


魔物が鼻を鳴らした気がした。

ぎりぎりで避けた。

はずだった。


やっぱり、四つ足は真っすぐニールに迫っている。


「なんだと!?」


四つ足が勝利を確信したのか、唇を裏返し、歯と歯肉をむき出しにした。


「――な~んてな」


興ざめしたとばかりに、ニールはするりと地面に這うよう体を落とした。

どう動いたのか前足の間を抜け、魔物の腹を頭上に、股をすり抜け、四つ足が突進を止めた時には何のダメージもなく後ろに飄々と立っていた。


「知ってるよ。知り尽してるさ」


二度の方向転換、二度の加速。

魔法を使う魔物だ。

そしてそれしか魔法を知らない。


四つ足は吼えた。

腹を一文字に裂かれ、重力に体内を引き摺り出される痛みに吼えた。


「歩くエンカウンターの称号を舐めるなよ」


カードでその台詞を聞いていた友人たちが、まったくもって自慢できることではないなと呆れを心に浮かべたが、それは現実の歓声に掻き消される。


「「「わあぁぁああああ! ニール様万歳!」」」


声の出所は歩廊の兵士だろうか、生徒だろうか。


それすらニールは気にも留めず、前を見据えた。

ただ一言、吐き捨てる。


「ぬるい!」


魔物たちが弱すぎてあくびが出る。


>グレン、少しは手ごたえのあるヤツをこっちに寄越せ。


心が、燃えそうだ。

だから魔物を殺す。


グレンが低く笑う。

>仰せのままに。未来の英雄殿。

>阿呆。お前も英雄になるんだよ、グレン。


瞬間、体を揺さぶる様な振動が王都を襲った。


「うわああああ」

「地震か!?」

「こんな時に!」

「やっぱり終わりなんだ! 世界は終わるんだ!」

「ま、まて! 見ろ!」


揺れが収まった後に、人々は目にした。


――奇跡を。


「……神のご加護か?」


そこら中で呆然と神を讃える声が漏れる。

それほどまでに浸透しているのが神の神たる所以なのだろう。


「ちょっと、間違えないでよ! 神がわたくしたちを助けてくれるものですか!」


生徒たちの怒号は別として、少なくとも人間業ではない。


王都の壁の外に、乱立する巨大な壁。

魔物を阻むための一枚壁ではなく、魔物の通り道を狭めるための、無数の、規則正しく突き立った壁。

迷路と言うには単純で、防壁と言うには厚さが足りない。


だが、魔物の流れは変わり、出口は絞られた。


背後の歓声は先ほどよりずっと多く、遠い。

ふいと王都を振り向けば、背の高い建物から人々が顔を覗かせていた。

教会の鐘、王城の塔、警邏隊の物見櫓。

随分と中には余裕が出てきたらしい。

見物客が増えたものだ。

セオたちの手柄だろう。


とはいっても、魔物たちの攻勢が緩んだわけではない。

だからこそ、前線は尚、奇跡に沸き立った。


「神よ!」


その奇跡に感謝の祈りを捧げる兵士を止めるのは、もちろん神を失った子供たち。


「神ではない? なにを言ってるんだ、お前たちは」

「奇跡を起こすのが神以外にいるものか」


至極真っ当な意見だが、生徒たちは素早く食いついた。


「いるだろうが! なんで神の加護を失った俺たちが魔法を使えてると思ってるんだ」

「加護を、失う? 血で信仰を継ぐ貴族が? 一体、この国に何が起きてる」

「大切なのはそこじゃないでしょう!?」

「そうだ、助けてくれた者に無礼だぞ。相手を間違えず、感謝せねば」


そう軽口を叩く生徒は左手の指を幾本か無くした。

戸惑う兵士の顔は魔物の酸で溶けかけていた。

足が砕け、腹の傷を押さえ、肩の肉が削がれ、皆ひどい有様だ。


治療に下がるには、人が足りない。

魔物はそんな猶予をくれはしない。

だから持ち寄った水薬をぶっかけて、何とか命を繋いでいる。


「その通りね! 精霊さま、ありがとうございます!」

「せ、精霊!?」

「精霊さま(・・)!!!! 呼び捨てなんて生意気よ!」

「お、おう。精霊さま、な。精霊さま!」


それでも水薬で指は生えないし、皮は傷を隠しても肉は再生してくれない。

火傷の跡は隠せないし、引きつった爪跡も、牙が貫いた穴も残るだろう。


それもこれも、生きてこそ。


この結果がニールの要望に応えたものだったとしても、その圧に直接晒されている壁を守る生徒や兵士たちにとっては涙を流す程に有り難い援護だった。


彼らは敢えてそうしていた軽快さをすっと潜め、真剣な眼差しで胸に手を当てた。


「……感謝します。心より」


我らが精霊さま。


そして。

剣を掲げて、敵を見据える。


「――敬仰を」


我らが英雄に捧ぐ。




国に花を、人には夢を。


精霊に心臓。

英雄には剣を。



禁じられ、忘れられ、時に埋もれたはずの、古い民謡の一節を、誰かがふと口遊んだ。





神と精霊と神に運命を仕込まれた者

精霊が神を作り、神が彼らを作り、彼らが精霊を作った。


三章で出るはずだった設定だけど、もういいよねパトラッシュ。

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