52.ユリウスとレベッカ
「あとは任せた」
その言葉を放つと、ぽかんとした顔を向けられた。
傲慢を装っている節のある不敵なウィルなら絶対にしない表情だ。
空気を飲む魚のように口を開閉させるだけだったユリウスがやっと声を出す。
「む、」
「む?」
「無理です」
ふむとニールは顎を撫でる。
少しの黙考。
「では閃光弾を打ち上げてくれ。レベッカを呼び戻そう」
そう時間をかけずニールは結論を出した。
「えっ!?」
どこか焦ったような声がユリウスから漏れる。
ニールは彼を振り返り、安心させるように丁寧な説明を試みた。
「大丈夫、レベッカはチーム6。壁の修復担当だ。一人抜けるのは確かにキツい。だが、外に出ず、壁の中での作業に終始すれば残り二人でもなんとかなるだろう」
「あの、いえ、そうではなく……」
はて。
では何が心配なのだろう。
阿吽の呼吸で閃光弾を飛ばしていたユリウスの動作はニールから見れば緩慢で、明らかな戸惑いが透けて見える。
「一体なにが心配なんだ?」
「い、いえ、何でもないです。……閃光弾を撃ちます」
「ああ、頼む」
間を置かずチームから、というよりレベッカ本人から返ってきたのだろう閃光弾。
「あ~……、簡単に訳しますと、「ふざけるな」ですかね」
それとも『ほざくな』の方が良かっただろうか。
「彼女らしいな。でもまあ、来てくれるんだろう?」
「そのようです」
閃光弾での伝言はともかく、レベッカの行動は迅速だった。
「ちょっと! 突然呼び出したりして一体なんなの! チームから一人抜けることの危険性は理解してます!? それを冒してまでも私を呼ぶなんて、それはそれは相当な事態なんでしょうね!?」
開口一番は閃光弾と同じく文句。
そうでないと許さないとばかりの口調だ。
あのニールに食ってかかれる度胸は買うが、それよりは不愉快さに眉を顰める。
ユリウスはニールが判断を間違えた所を見たことがない。
素直に従うことが正しい道であるはずだ。
レベッカは女性にしては大きな剣を持ち、長い髪を一括りにして魔物の黒い返り血と埃にまみれていた。
きつい顔立ちも相まって、貴族というよりは女騎士にすら見える。
ユリウスは見た目を裏切らず気の強い女だと思った。
「あら? ニールさま?」
反応の薄いニールにレベッカが怪訝そうに問いかけた。
「……何でもない」
ニールは辿り着いたレベッカを見て少しだけ驚いた様な顔をみせていたが、それがどこに起因するのか、当の本人であるレベッカですら気付かない。
ただ、レベッカに向けて、レベッカにすら聞こえないような小さな声で囁いただけ。
「あまり勝手しすぎるな、『火の精霊』」
最近では精霊王と呼ばれる火の精霊の姿はそこにはない。
レベッカがいるだけだ。
呆れたようなため息は、精霊王に届いただろうか。
「え?」
「いや、……君を呼んだのはここの指揮を頼みたくてね。僕も少々運動に参加したい。大型種が辿り着く前にある程度壁の前の掃除をしておかないと、後々困ったことになるだろうし」
そもそも押され気味な箇所が多すぎる。
全体的に劣勢だ。
加勢に来てこの状況、もう少し遅ければ王都の中は魔物だらけだったかもしれない。
「運動に掃除とは、聞いてあきれるわ。ま、私を評価してくださったことには感謝しますけど」
「頼めるか?」
「あなたが私ならできると思ったのなら、引き受けない理由はないわ」
ぽんぽんと小気味いい速さでやり取りが進む。
顎を上げて、ふっと笑うレベッカは不敵にすら見えた。
ユリウスは、他人の評価を遠慮なく自信に出来るレベッカに、羨ましさと疎ましさが混じった複雑な反感を覚える。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ。指示は言葉にしてもらえれば、ここにいるユリウスが閃光弾を打ち上げてくれる。仲間が打ち上げた閃光弾も一々見る必要はない。ユリウスの優秀さは僕のお墨付きだ」
「へえ、それは助かるわ。集中できる」
「では、――きみに、精霊の加護があるように」
「ええ、ニール様にも精霊の加護がありますように」
指揮官の任から離れたニールは軽やかな足音を残し、ふわりと壁の向こう側に消えていく。
まるで籠から解き放たれた鳥のようだ。
そもそも、先ほどレベッカは彼が空を飛んでいたのを実際に見た。
その表現もあながち間違えではないだろう。
「本当に、規格外にも程がある人たちね……」
後姿を見送って、レベッカは頭を振り思考を切り替える。
レベッカはニールではない。
やれることには限度がある。
自分では目一杯やって、それでやっとニールの求めるものに及第点が貰えるくらいだろう。
「さあ、こっちはこっちの仕事をしましょう」
ユリウス、と紹介された相棒にそう開始の合図を伝える。
「はい」
ユリウスにとっては指示を出す人間が変わっただけ。
やることは変わらないはずだが、どうしてだろう、小さな不快感が心の底に残っていた。
「……で、ニール様のように飛べないのに、どうやって戦況を把握するんです?」
極力感情を排して冷静に指摘したつもりだったが、ユリウスを振り返ったレベッカは口の端を綺麗に上げて煽るように笑った。
「……なあに? あなた、声に不満が滲んでるわよ。こんな女に使われたくないとでも?」
「そんなことは、」
「後ろから突然刺されるより、先に口に出してもらった方がこちらとしてはありがたいのだけど? 別に私、あなたがどうしても必要なわけではないのだし」
「必要ないって……」
「やろうと思えば、一人でもできるもの」
「無茶だ」
「私、出来ることしか出来るって言わないわ」
そう言ってレベッカはトントンと自分で閃光弾を打ちあげた。
それを慌てて目で追い、ユリウスはそれが適切な指示であることに目を細める。
ね? とばかりに目線を向けられて、ユリウスは黙り込んだ。
レベッカはその頑なさに首を傾げる。
「本当に、一体何が不満なの?」
ユリウスは答えない。
本人にすらわかっていない事だから答えようもない。
「ま、いいわ。仕事さえしてくれれば。してくれるわよね、もちろん」
それくらいは出来る? という副音声が聞こえた気がした。
どうやらユリウスがレベッカから下された評価は最低ラインらしい。
彼女は、頷くだけで言葉を発さないユリウスの態度にも、くすりと笑うだけで怒ることもなかった。
そんな価値もないと思われたのか。
その不敵な顔が崩れることはあるのだろうか。
あるいは、激昂することは。
とはいえ、ニールには及ばずともレベッカは優秀だった。
ユリウスの心の声を意訳すれば、『超』、優秀になる。
ユリウスはレベッカの指示が出るたびに心の中で自分の考えと照らし合わせた。
ニールの時には、片隅にも思わなかったことだ。
その判断が合っているか、など考えるのもおこがましくて。
――僕でもそうする。
……悪くない。それも有りだ。
なるほど、そう読んだか。
それがひたすら積み上がっていった。
そして時に思う。
――どうしてその判断が出来た?
マズい指示なのではと思いながら打ち上げる閃光弾。
結果は、大正解だ。
危惧した事態を引き起こすどころか、最適解。
ユリウスでは絶対に出せない指示だった。
それが、とても悔しい。
「チーム6に前に絶対に出るな、と。自殺行為よ。かわりにチーム1を動かして」
「それは無茶だ! いまチーム1が手が離せない状態だったらどうするんですか!」
「大丈夫、ちょうど群れの空白地帯よ」
「見えないのになんでわかる。仮定の話ならやめてくれ! 確実性を取るならチーム1をそのままに、回復に入ると言っていたチーム7を寄せるべきだ!」
「悪くない案ね、でも却下。言うとおりにしなさいよ。ニール様に指揮を任されたのは私なんだから」
あなたじゃなくてね。
そんな言葉にしない声がユリウスには聞こえた。
反射的に心の中で言い返す。
僕にだって資格はあるはずだ。
だって、ニール様は最初に僕を指名したんだから。
「いやだ」
それは見下す人間と尊敬する人間しかいなかったユリウスに、初めて芽生えた競争心だった。
「せめて、僕を納得させる理由を説明してくれ。いたずらに仲間を死地に追いやる命令は出せない!」
「顔に見合わず頑固ね。……ふふ、嫌いじゃないわ」
そう言いながら、レベッカは命令無視を敢行したユリウスを余所に自分で閃光弾を打ちあげる。
自分の指示に対する自信と責任感。
それを果たしてから、レベッカはユリウスに向き直った。
レベッカが無理矢理実行した案はハマればロスも少なく効率的。
ただし、指示通りに動けないチームが一つでもあると全てが瓦解する危険性も孕んでいる。
ユリウスの案は移動に時間が取られるものの確実だ。
「ん~、どこから説明しましょうか。……簡潔に言うなら、私にも状況が見えているってことかしら。ニール様とは違う方法で、だけど」
ユリウスは顔を顰める。
言っている意味がよくわからなかった。
それを察したのかレベッカはくすくすと笑って再び口を開く。
「ねえ、魔法を使うために毎回精霊様を呼ぶのは大変じゃない?」
突然の話題変換。
ユリウスの目が余計に険しくなった。
それに頓着せずに、レベッカは喋り続ける。
「だから、仮宿を用意してみたの」
レベッカは、つい最近まで傷一つなかったはずの指で煤にまみれた自分の顔を指した。
「今は私の左目に宿ってくださってるわ。時間短縮できるし、魔力の消費も抑えられるし、魔法の連射もできるし、いいこと尽くめ」
精霊を宿らせる。
衝撃の告白だ。
ユリウスにだってその危険性はいくつも挙げられるというのに。
検証も実験も、その身をもって。
そしてそれは幸運にも成功したのだという。
――結果論だ。
自分なら絶対にやらない。
成功例を見せられても、絶対に。
睨むようなユリウスに、レベッカは頷いた。
偶然のタイミングなのだろうけど、まるでそれでいいのだとでも言われたような気がしてしまう。
目の前の無謀な女は両手をひらひらと振っておどけてみせた。
「でもこれって、もっと素敵な副産物があったのよ」
気を取り直すようににっこりと、汚れても不思議と失われない美しい顔が笑いかけてくる。
「私の左目は普通の視力がなくなった。代わりに不思議な世界が見えるようになったの。たぶん、精霊様が見てる世界なんだと思う」
レベッカの左目を注視すると、燃えるように赤かった。
宿っているのは火の精霊かもしれない。
気性の強い彼女らしいと、ユリウスは思う。
「どんな世界かって? そうね、物質は関係ないの。生命の活力だけが、その流れだけが見える」
つまり、壁も距離も関係がない。
「例えば、こういうこと、ね!!!」
そう言って、壁を登ってきた魔物を剣で一閃した。
先ほどのニールを彷彿とさせたが、彼女の剣はニールのそれより圧倒的に軽い。
「浅い!」
軽く薙いだだけのように見えてユリウスは喚起の声をあげる。
だが、予想を裏切って魔物はそのまま動かなくなった。
エネルギーの一番太い流れを断つ。
魔物を殺すにはそれだけでいいのだとレベッカが得意そうに教えてくる。
だがユリウスにはエネルギーの流れなど見えない。
つまりそのアドバイスに意味はなかったが、彼は懸命にも口に出さなかった。
「ね? 私の左目で見えてるものが、どんなものか。少しは理解してくれたかしら」
だから戦況がわかるのだという。
それ故の、判断力。
そもそも持っている情報量が違ったのだ。
「まあ、それでも所詮仮宿ね。残念ながら長くは留まってくれなさそう。精霊様を縛るなんて、人間の身ではおこがましい事だもの、仕方がないわ。……せめて収束の目途がつくまでは居てくれるとありがたいのだけど」
そう上手くはいかなさそうだとレベッカはため息を吐いた。
自由を求めていまにも瞳から飛び出したそうにうずうずとしている気配がする。
一個の生命体でしかない人間の、しかもその一部を器とするには狭すぎるのだろう。
悩まし気なレベッカに、聞いていいものか散々迷った挙句、ユリウスは恐る恐る声をかけた。
「……もし、精霊様がいなくなったら」
どうなるのだろう。
それを彼女は知っているのか、それとも精霊を招いた彼女自身も知らないのか。
レベッカは肩を竦めた。
「隻眼の女貴族なんて、カッコいいと思わない?」
死にはしない、と笑った彼女に悲壮感はない。
けれど、いつまで続くかわからない短いボーナスタイムのために、彼女は片目の視力を犠牲にしたのだ。
その覚悟に心の中でユリウスは素直に頭を下げた。
負けだと、白旗を。
「ね、ユリウス。――もしそうなったら、あとは頼むわよ?」
ばちりと精霊の瞳を閉じてレベッカがウィンクを飛ばす。
「あなたは優秀だわ。精霊様のいない私と比べたら、ずっと的確な状況判断ができるはず」
レベッカはその時が遠くない事をすでに予感しているのだと、ユリウスは気付いた。
ぐっと、一度だけ拳を強く握り、答える。
「……はい」
意味を噛みしめながら、そうはっきりと口にした。
「ふふ、最初からそう答えてればよかったのに」
レベッカがまるで見て来たかのようにそう笑った。
事実、ユリウスがニールに指揮権を託されたことくらいお見通しだ。
ユリウスは目線を地面に向ける。
その通り。
答えるべきだったのだ、ニールに言われた時も、この言葉を。
きっと『できる』という密かな自信があったから、あっさりと代わりを提示されて焦ったのだろう。
だから、自分の立場に取って代わるように登場した彼女に反感を抱いた。
「お前しかいない」そんな言葉を言ってほしかったのか。
単なる承認欲求を満たすための無駄なやり取りで、認めてくれていたニールの自分へ評価を下げたと思えば恥じ入るばかり。
小さな自尊心で張り合おうとしていた目の前の女性にも顔向けができない。
「『次』があったんだからいいのよ。今度こそ、チャンスを生かしなさいよ?」
レベッカからは、最初に感じた気の強さはない。
くすくすと笑う声が耳朶を叩く。
多分、彼女は最初から変わっていない。
ユリウスの見る目が変わっただけ。
やっと顔を上げ、向き合ったレベッカからは、今はただ真っすぐに立ち向かう強さだけが見えた。
レベッカの言う通り、『次』がなかった者はみな死んだ。
だから、『次』を与えられ者は幸運である。
「必ずや」
失敗の先に未来があることは、至上の喜びだとユリウスは思った。
本筋的には必要ないけど、書きたいから書いた。




