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イリアの世界  作者: 一集
第二章

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49.北門と遥かなる背中




壁の向こう、前線からひらりと舞い戻る。

壁を駆け上ってくる魔物たちは圧倒的に少なくなった。

彼らの登場でなんとか持ち直し、弓や剣を払っていた歩廊の兵士たちの前に立つ。


ランスはついでとばかりに、魔物を虫を払うかのようになぎ倒した。

必死に魔物の攻勢を凌いでいた兵士たちが動きを止め、ぽかんと見上げてくる中、言葉少なに聞く。


「水はあるか?」


さすがのランスといえども顎から汗を滴らせて、額に浮かぶ汗を拭う。

ちらりと前線を見れば、他の仲間たちが危なげなく魔物を削っていた。


ワールド・アトラスに入ったばかりの自分たちを彷彿とさせる成長ぶりだ。

ランスは戦場を任せられる彼らの姿にほのかな満足感を覚える。


その目線はどこか傲慢で、しかし圧倒的な威厳を放っていた。

学園の生徒ならば高学年だったとしても、少年と青年の狭間にいるはずの年齢だが、兵士たちは彼らを最早子ども扱いは出来ない。

そもそもランスは同学年でも体格の良さは随一だ。

少年、などという呼び方は口が裂けても言えそうにない。


兵士たちは先ほどまで黒い波の防波堤になっていた男の突然の登場に、敬意を払えばいいのか、讃えればいいのか、畏まればいいのか、頭を下げればいいのかの判断がつかない。

一瞬の戸惑いで沈黙を返されることになったランスは小首を傾げた。


「…ん? すでに水不足だったか?」


ないものねだりはご法度だ。

少々の休憩ついでと思っていたが、脱水症状が出るほどではなし、いざとなれば魔法もある。

魔力的に効率が悪いので、この状況下ではできれば控えたかった程度のことだ。


「あ、いえ、あります! どうぞこちらへ」


慌てたのは彼らの方。

身を挺して敵の侵攻を防いでくれている英雄にならば、ないものでも用意するような心情だ。

ましてや消費する者があっという間に減っていたこの場所では、哀しいかな水は豊富に残っている。


生徒たちが作ってくれた余裕のおかげで、兵士たちも順次休む時間を確保できるようになっていた。

そのうちの一人が水袋を取り出して恭しく差し出す。


「ありがたく貰おう」


ランスが鷹揚に頷く仕草は見ようによっては大変偉そうなものだった。

だが、兵士たちは息子たち程の年齢差も感じず、苛つきもしない。


彼がいかに規格外の能力を有しているかを目の当たりにしている。


市民は魔法というものを万能な力だと勘違いしているが、職業として警備に当たっていた兵士たちは知っていた。

魔法は知識と経験さえあれば、剣一つでも対処できない事はない。

魔力は有限で、種類もまた限定されるものだからだ。


下級貴族などは自らの優位性を誇示するために自慢気に、これ見よがしに魔法を披露してくることもある。

兵士たちは彼らの神経を逆なでしないように大袈裟に驚いてみせるのが常だった。


思っていることは一つだ。

魔法とはなんと貧弱な力か。


あるいは物珍しい魔法であることもあった。

そんな時に考えるのは、ただその魔法への対処法。


彼らを倒そうなどという思考ではなく、いかなる事態にも冷静に対応できるようにという兵士の(さが)故だ。


今になって兵士たちは自分たちの認識に戸惑っている。

自分たちが魔法を舐めていたのか。

見せられてきた魔法に恐怖を覚えたことはないし、対抗できないと思ったこともない。


しかし考えてみれば、自己を誇示しようとする人間ほど矮小であるものだ。

であれば、自分たちは小物がひけらかすそれを本物(魔法)と勘違いしていたにすぎない。


そう思うほどに目の前で繰り広げられる魔法は今まで見てきた魔法とは段違いだった。

これが本物の魔法使いかと思う。

そう、彼らはあまりに巧みだった。


魔法が強力なのではない、彼らが巧いだけの話なのだ。

いや、圧倒的な火力の魔法も時折混ざる。

だが小物たち(下級貴族)が使っていたものと同じような効果の魔法を繰り出す方が多い。


牽制に、目くらましに、あるいはフェイクに。


なにより彼らは本来魔法使いが頑なに忌避する「武器」を持つ。

最小限の動きで敵を無力化していく手腕の何と見事な事か。


兵士たちにとっては黒い飛沫の様にしか見えない、迫りくる魔物。

彼らは一瞬の間に状況を見て取り、最も少数を相手取れる位置を確保し、最も対処しやすい魔物を相手に、最も効果的な攻撃を加える。


本職である兵士たちだからこそわかることだ。

尾を落とし、足を斬り、鼻を叩き、牙を折る。


彼らの知っている貴族とは明らかに違う。

生徒たちにとって魔法とは、剣や槍や弓と同じく、ただの武器の一種なのだ。


仲間の様子を横目に捉え、戦闘場所を調整し、魔法の範囲を定め、射程を決める。

他の仲間が射程上に魔物を誘い出すこともあれば、魔法の範囲外に逃れるために素早く退くこともある。


それを少ない言葉と、動きと、視線だけで実現してみせる。

どれほどの訓練を積めばこうも無駄のない連携を組めるのか。


学園の訓練とはどれほど厳しいものなのか、兵士たちは想像を巡らせる。

若い彼らでこれだ、落ちこぼれの下級貴族ならまだしも、優秀な成績を収めて卒業した、国政に関わっている様な大物貴族たちはどれほどの戦力と成り得るのか。

そんなことにまで想像は広がった。


魔法がこれほどまでに使えるものだとは思っていなかった。

自分たちが「魔法使い」を見誤っていたのだ。

彼らが参戦すれば、あっという間に戦況はひっくり返せるかもしれないとすら思う。


そんなことを興奮気味に話す兵士に、ランスは極めて呑気に返した。


「連携? これはまた妙なことを。あいつらの初陣はこの魔物の大暴走(スタンピード)だし、何なら今日が初対面の者も多いんじゃないかな?」

「…はい?」

「ん、聞いてないのか? コレ(・・)がどこから始まったのか」

「あ、いえ、遺跡群から発生したとか。定かな情報ではありませんが」


質問に答える兵士たちは自然敬語になるが、ランスはそれを当たり前に受け入れていた。

なにせワールド・アトラスでも最近は名を上げすぎてこんな扱いなものだから。


「今の時期、学園の生徒たちが毎年何をやっているか知っているか? 丁度、合同実習をしてんだな、まさしくその遺跡群で」


内容的に一切笑えない台詞をおどけたように披露する。


「まさか…」

「そ、つまり俺たちは学園の生徒の生き残りだ。どれくらいかね、多分ほとんどが死んだんじゃないかな」


あっけらかんと伝えられた事実に、彼は前線の生徒たちを見た。


「人間、死にもの狂いになれば何とかなるもんだ。ってか、何とかならなかったヤツらは全員死んだだけの話だがな」


ははとランスが軽い笑い声を上げる。

絶句を返すしかなくなった兵士たちの反応に、気遣いのないランスを咎める声が後ろから掛かった。


「ランス殿、士気を落とすようなことを言うのはやめてください」

「お? ブルーノか。お前も休憩に?」

「はい。―おい、ベル! こちらに回復魔法を頼む!」


壁の奥で兵士たちの治療に魔法を行使していた仲間に手を振る。

どうやら体力より先に魔力量が心もとなくなったらしい。

仲間が了承の合図に手を振り返してきた。


ひとまず彼女を待つことしかできなくなったブルーノが周囲へと目を向けてランスを呼んだ。


「あれはニール様からの連絡では?」

「ん、おお。そうみたいだな」


北に配置されたランス達とは違って、北門を除く壁全体を割り振られたニールたちからは仲間への連絡用の閃光弾が絶え間なく打ち上げられていた。


魔物の攻勢、壁の修復、怪我人の救助、ひとまずの安全圏確保、補給物資の必要性、応援の要請。

北門の兵士たちはランス達を素晴らしい連携と評したが、あちらの密で複雑なフォローを見ていると自慢の一つも口にできるものではない。


同じように、壁の中でも閃光弾と笛の音が忙しなく状況の変化を伝えあっている。

あちらの担当は確かセオと、その補佐としてシリルがいたはずだ。

小賢しいコンビである。

ランスは心配の欠片もしていなかった。


その中でも壁際で一際高く打ち上げられた光をブルーノが指さす。


閃光弾は高くに上げれば上げるほど、遠くの者への伝達の意味合いを持つ。

あの閃光弾は、すなわち自分たちへの注意喚起だ。


「ニール様はなんと?」


ブルーノはランスに聞いた。

ブルーノにわかるのは、あれが自分たち前線で戦う者たちに向けたもので、その種類が「注意」を促す色だという事までだ。


閃光弾の種類は無数にある。

使いこなせば会話の様に伝えられるらしいが、戦闘の最中、最低限の情報だけを必死に叩き込んだブルーノにはまだ大雑把な判断しかつかない。


もっと真面目に勉学に励むべきだったとは、今さらな後悔だ。

あの頃はいつか必要になる知識だなどと考えていたものは、自分を含め、皆無だったにちがいない。


そんなブルーノにランスは顎で壁の外をくいっと指す。

言うまでもなく、明らかなものがそこに見えるからだ。


ブルーノは目を細めて黒い川の上流を見た。

地平線から相変わらず途切れずに滔々と流れてくる河。


―いや、明らかにその密度が減っている。

遥か彼方に目を眇めれば、黒い川はただの飛沫になり黒い影は疎らになっていた。

速度は減退し、支流のように線が散らばるのみで、地平はもう黒くはない。


だがそれは終焉を指すものではなかった。


無数の足が巻き上げた砂埃が靄を作っている。


「…なんだ?」


地平線に揺れる陽炎。

それらは横に広がるのではなく、縦に滲む。


黒い波は、黒い点になった。

ゆっくりと行進するように侵攻する黒点。


「…ついに来たか、大型種」


巨体を揺らして、殴る様に地を蹴る。

威嚇のような咆哮が微かに耳に届いた。


いつかは相手取ることになると思ってはいた。


けれど、ブルーノは思わず喉を鳴らす。

遺跡群崩落から、ボーナスゲームの様に積み上げてきた経験値の中に、大型種はいない。


彼ら、生き残った生徒たちにとっても、再びの正念場がやってきたのだ。


「ブルーノ、臆するな。お前たちは同じことをするだけだ。死にもの狂いで生き残り、学び、強くなる。それだけ」


もうすでに一度はやったことだろうとランスが笑いもせずに言う。

軽口ではない。

ただの、事実。

苛酷で苛烈な試練。


一度は乗り越えた。

もう二度と味わいたくはない。


だが。


ブルーノは思い出す。

その過程で死んでいった者が数多(あまた)いたことを。

今度も、欠けずに乗り越えることは不可能だろう。

その中に自分がいないとは限らない。


それでも、今ここに居るのは自分の意志だった。


逃げ出すには、命を賭ける覚悟が決まり過ぎている。


背にしているのは、王都。

熱に浮かされたような騒乱の最中にある、国の中枢。


守るほどの価値がそこにあるのかなど、今は考えていない。

守る、そう決めた。

ゼロかイチか。

生か、死か。

生き残ることは課題ではない、どうせ決めた目標を達成しなければ心が死ぬ。

折れたプライドはもう二度とブルーノを起さないだろう。


脆い強さを得たと自分でも思う。


「さて、奴らが到達する前に出来ることをやっておこうか。門の強化と、壁の補修。大型種の体積にもいくらかは耐えてもらわないと困る。それから、あいつらが到達して以後は、中型以下は兵士たちに引き受けてもらうことになる。そのつもりで兵士の再編を。ついでに効率のいい倒し方を叩き込んでおけ」


与えられた多くの課題。

雑念が紛れていた頭の中は一瞬でそれらに取って代わられた。


「は!」


ランスの声は不思議と身に沁みる。

浸透して、あっという間に熱に変わる。


ちらとランスが兵士たちを見れば、慌てて彼らも動き出す。

ブルーノは幾分か強張った顔をしながらも、兵士たちと役割の分担をすべく隊長らと頭を突き合わせた。


恐怖を打ち消す高揚が彼らの目を覆っている。

大型種だろうと、正面からやり合う気だ。


それでこそ戦士だとランスは小さく頷く。


真剣な表情を作っていたランスは、人々の目線が消えたのを確認してから肩を下した。

同時に弛緩した頬が、抑えていた感情を少しだけ表情に乗せた。


それはグリーンカードに勝手に浸透してしまうような大きな感情。

強制的に受け取らされた友人たちがカードを通して反射のように文句を言ってくるのを、周りには見せない配慮を覚えただけ褒めて欲しいと堂々とのたまう。


ランスは笑っていた。

頬を引き上げ、唇には弧。

贔屓目に見ても、それは獣のような獰猛さに溢れている。


本当なら声を上げて笑いたい。

友人たちの前なら遠慮なくテンションを上げて準備運動の一つでも見せて窘められているところだろう。


出来ないから、かわりに喉の奥でくつくつと笑う。


「久しぶりに楽しめそうだ」


大型種との連戦なんて、ワールド・アトラスで訪れた東の森以来かもしれない。

最近は人型や人間を相手取ってばかりだ。

それはそれで楽しいのだが、体力勝負のあれはあれで楽しかった。


ランスは戦っている時間が好きだ。

強敵であればあるほどそれは望ましい。

雑魚を幾ら屠っても得られない、あの充足感。

頭を空っぽに、視界は狭まり、なのに知覚できる範囲だけはひどく広い。


勝つことだけ、避けることだけ、当てることだけを体に命令として染み込ませる。

ランスはメルやセオのように小難しいことを戦闘中に考えたことはない。

ただ無心に戦いにのめり込む時間が、楽しくてたまらないだけだ。


故にワールド・アトラスではないこの現実で、あの研ぎ澄まされていく感覚を得られるかもしれない機会に喜色が湧き上がってしまう。


抑えた感情は代わりにグリーンカードに怒涛のような勢いで流し込まれた。


>うっわ、不謹慎~


とは呆れたようなセオの声だ。

だが、何と言われようと、これがランスの(さが)なのだ。

仕方がないだろうと嘯く。


>そんなこと知ってる。

>ランスらしくていいと思うけど?


リィンとメルがさらりと言って、否定したわけではないと教えてくる。

シリルに至っては同意の一言しかなかった。

そうやって肯定する人間がいるから、まともな思考ではないと知りながら自分はこうして振り返りもせずに、走り続けているのだろう。


きっとこれは、良い事ではない。

でも、それでいい。

それがかつても今も、ランスの単純思考が弾き出す結論。


「ブルーノ」


大型種を迎え撃つ準備に取り掛かっている級友にランスは声をかける。

大きな声ではないが、よく通る声だ。

戦場で上官に望まれる資質の一つが、ランスには初めから備わっている。


ブルーノが振り返ったのを見て、返事を聞く前に言いたいことを口にした。


「先に行く」


ワールド・アトラスでも、ランスに付いて来られる人間はほとんどいなかった。

同じ実力の人間とパーティーを組んでも、ランスはあっという間に彼らを置き去りにする。

感覚で生きている自分では誰かに何かを教えることも難しい。

出来ることは一つ。

ひたすらに前へ。

生き方を、戦い方を、その背で示す。


去るものは去るし、追うものは追ってくる。

同じように駆けても尚見えない程に離れてしまうこともあるし、追い縋ってくるものもいる。


――彼らはどちらだろう。


思いながら、ランスは身を翻して歩廊の端に足をかける。

ひらりと身を躍らせる直前、ブルーノの声が聞こえた。


「見て、学びます」


ランスは口の端を密かに上げる。


期待している(気張り過ぎるなよ?)


ランスが言うから意味を持つ言葉だ。


身長に比例して体重もあるランスがそうとは見えないほど軽やかに地面に降り立ち、ぎょっとした仲間たちを置いて、そのまま黒い川を割って前進していく。

重装騎士を乗せる武装した軍馬の突進のように、簡単に敵が跳ね飛んだ。


「おい、ブルーノ! なにがあった! ランスが爆走していったぞ!?」


北門から魔物を追いやっていたクラスメイトの声が下から聞こえた。


「大型種が迫ってきてる! ランス殿が間引きに先行した! 休憩に歩廊に上がったものは彼をよく見ておけ! 自分なりの対処法を探っておくんだ!」

「そういうことかよ、了解! だが、そろそろお前も交代の時間だ! いい加減降りてこい!」


急かされてブルーノは確かに予定より長居したと気付く。

話している間に回復も十分に得た。

ランスの雄姿を見られないのは残念だが、自分のせいで仲間を失うわけにはいかないから素直に休憩交代を了承する。


最後にちらと見たランスの背中は、大型種の先頭とちょうどぶつかるところだった。

ブルーノでは振るえもしないだろう大剣を背から抜く。


風を切る切っ先に胸が燃えた。


単純で、明快で、明白な感情が一つ生まれ、ブルーノを満たす。




ブルーノは、ただ、強くなりたくなった。






ニール側を書こうかと思いましたが、リハビリがてらなので話が進行しない北門組を。

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