48.民の剣と王国の剣
この都市の戦力組織は主に王族や城を守る近衛兵、緊急時には一番槍となる騎士団、神殿に所属する神官、それから市民からなる警邏隊。
もう一つ挙げるとすれば、七層構造の王都、それぞれの層を区切る門や高い城壁を守っている、一般的に兵士と呼ばれる者たちがいた。
彼らは実は紙面上は騎士団の下部組織に当たる。
実際のところは、その仕事内容的に市民に接する機会の多い兵士たちは心情的に大分市民に寄っていた。
かつては騎士団としての実力を持たない貴族たちの受け皿となっていたその人員の構成階級も年々一般市民からの登用が多くなっている。
では、元々そこに所属していた貴族の落ちこぼれたちはどこに行ったのかといえば、何のことはない、騎士団に吸収された。
大々的な戦争が近年起こっていないこともあるだろう、騎士団に所属するための厳しい制限は緩められ、あえて良く言えば組織に未熟な人員も受け入れる余裕ができたのだ。
まさしく平和の象徴的事象である。
そんな理由から、最早上部組織である騎士団とは思想が乖離し過ぎていて誰も彼らを騎士団と紐付けて考えてはいない。
故に、もう戦力組織の一つとして独立して数えた方が良い現状。
右往左往する貴族たちとその意見に振り回されている騎士団と比べれば、城壁の守りに勢力を集結させた彼らと、市内を守る警邏隊の奮闘はまさに目ざましいものだったと言えるだろう。
たとえそれが大海で子供が起こす水飛沫程度の抵抗だとしても。
騎士団が貴族の盾なら警邏隊が市民の盾。
そして彼らは民の剣。
城壁の上、人が行き交うに十分な歩廊は、普段は数人が目視警備に歩き回っているだけの場所だ。
当然、三つの門の上には常時厚い監視の目が置かれていたが、その日の城壁はついぞ経験したことのない喧騒と攻撃に喘いでいた。
「殺せ!落とせ!払え!壁を超えさせるな!!」
「俺たちの後ろに誰がいるか、わかってるな!!奮起しろ!死力を尽くせ!!一匹でも多く殺せぇえええ!!!」
魔物第一波の到着から数時間後には、そこは数多の戦場に勝る激戦地になった。
黒い川が無数に流れてくる目前の草原。
白灰色の城壁はペンキをぶちまけたように黒一色。
威嚇、悲鳴、興奮、歓喜、狂喜。
人と魔物の喉から絞り出されるあらゆる音が、無数の足音に飲み込まれていく。
断末魔だけが不思議と生者の耳まで届き、戦場を凄惨に彩った。
学園の生き残りがそこにいたならロガードの再現のようだと思っただろう。
だが、突破されても後があるロガートとは状況が違う。
一番の攻勢に晒されている北門で悲鳴が上がる。
「いってぇえええ!くっそお!」
「いったん下がれ!治療部隊のところまで自分で行けるな!!?」
「っぐ、はい!」
「お前に代えはないぞ!ここが崩れる前に戻ってこい!俺たちが最後の砦だ!!」
「必ずや!」
「急げ!」
足掻くのをやめるわけにはいかなかった。
最悪の事態に備えることも。
「伝令!警邏隊に伝えろ!」
「は!応援要請ですね!」
「馬鹿野郎!!警邏隊とて俺たちが守るべき市民だぞ!!なにをとち狂ったことを言ってやがる!」
「そ、そうは言っても隊長!このままでは遠からず…」
「みなまで言うな。警邏隊を頼らないでいられる状況ではないことくらいわかっている」
「では!」
「だが、彼らを城壁に立たせて何の役に立つ?いたずらに犠牲者を増やすだけだ」
言いながら振るった剣は滑り、魔物の皮を撫でるから、舌打ちと共に削ぐように肉をこそぎ落とす。
跳躍してきた魔物の鼻を叩き切り、駆け上ってきた魔物の足を打撃で折る。
弱った者から餌になる。
間髪入れずに隣の部下がそれらを槍で突き刺し、壁下に落とせば魔物が瞬く間に群がった。
こんな判断は警邏隊に望めない。
警邏隊に魔物との戦闘経験があるものは少ない。
彼らは市内の治安維持が主な仕事内容なのだ、戦闘能力の高さはあまり求められていなかった。
言われた伝令も頭ではわかっていたのだろう、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「それでは一体何を伝えろと」
「第七層、封鎖だ。七層の全市民を六層以降に避難誘導させるように伝えろ」
壁のすぐ後ろに広がる地区、壁に接した第七層。
そこを空にするという。
危険だからだ。
それは敗北宣言のように聞こえた。
この壁が突破されること。
つまりは自分たちの全滅を示唆しているように。
「なんて顔してやがる、阿呆が。悲観的になるな、俺たちは負けない、ここは突破させない。何年俺の部下やってるんだ、俺の諦めが悪い事くらい知ってるだろう。七層を封鎖してもここが最後の砦であることに変わりはないぞ」
「で、ですが」
「万が一に備えての話だ。言っちゃ悪いが、この状況だ、一匹二匹の突破は仕方がないと思わないか?」
「そ、う、です、よね。確かに。ええ、そうかもしれません」
「どんなに小型でも魔物は民には脅威だ。魔物の駆除は警邏隊に気張ってもらう」
警邏隊に魔物の相手は少し荷が重いが、戦力を遊ばせておくわけにもいかず、現状彼ら以外に人手はない。
なんにしても民が犠牲にならないに越したことはないだろうと彼が言う。
「どうだ、納得できたか?」
「はい」
「なら御託を言わず、さっさと行け!第七層の住民がどれだけいると思ってる!?時間との勝負だ!!」
「はい!!!!!」
黒い高波を前にして説得する苦労を背負った隊長たちの心情は何たるか。
内心の苦々しさを飲み込み、自分すら騙し、部下を叱咤する。
「殺せ殺せ殺せ殺せ!とにかく殺せ!!増援が来るまでの辛抱だ!!」
だが、彼らの予想通り、多勢に無勢、やがては王都を囲む壁を突破してくる魔物が出始めた。
「騎士団か神官どもはまだか!」
負傷者が手当に一時戦線を下がる余裕もなくなってきた。
唯一の頼みの綱である増援はいまだ姿が見えず。
薄々彼らも気づき始めていた。
自分たちが孤軍であることを。
この場所の防衛が軽視され、無視されている事実。
「おいおい、貴族たちはそこまで馬鹿なのか?」
城壁を突破されても下階層を切り捨てればいいとでも思っているのか。
確かに守る範囲が狭くなる分、守りも厚くなる。
だが、条件は魔物たちも同じ。
そして、もっとも強固な壁という名の盾はそこにはない。
あるのは蹂躙し尽されるわかり切った未来のみだというのに、貴族たちはその未来予想図を共有してないらしい。
「神殿に動きは!」
「ありません!息を顰めるように扉を閉ざしています!」
不気味なのは神殿の方だ。
彼らは完全に沈黙を保っている。
どころか、民の避難場所として開放されるはずの扉を施錠し侵入者には実力行使を伴った排除を敢行していた。
貴族たちですら不信の目を向ける所業だ。
いくら神の使徒と言えども事態が落ち着いた暁には糾弾を、と貴族たちの意見も一致を見せていた。
そんなお上の事情などどうでもいい兵士たちでも、神殿に関してわかることが一つだけある。
自分たちの住処がなくなるかもしれないという危急の時に彼らが動かない理由。
―それが神の意志だからだ。
「ならば、神に用はない!」
自らを救わない神に頼る意味はどこにもない。
神に届くことを恐れない大声に、苦戦する兵たちは迷わず心の中で同意した。
切れ味の落ちた剣は勢いで補助する。
大げさな動作は体力を大幅に削っていくが、人間相手の戦争とは違い、使えなくなった武器を捨て倒れた相手の武器を拾う事も出来ない。
「最早、助けはない!!神なき今、奇跡もない!!!俺たち以外にこの国を守る者はない!!覚悟を決めろ!怯むな!止まるな!!命を削れ!!!!」
国という形など、本当の所どうでもいい。
だが、守りたい者が暮らす場所、それを国と呼ぶなら、守る意味はある。
悲鳴もなく、喉を食い破られた部下が隣で崩れるように倒れた。
「ちい!」
群がった魔物ごと城壁から蹴り落とす。
餌につられた魔物が壁から剥がれてそれを追いかけて落ちていく。
死体を足蹴にする行為に、けれど謝罪の言葉すら浮かばない。
ただ血と汗を振り撒いて、間断なく歩廊に現れるようになった魔物を串刺しにした。
赤い血はあっという間に黒い血で塗りつぶされていく。
遠くから眺める者があったなら、それは白い都が黒く侵食されていく不吉な光景に見えただろう。
「地獄か、ここは…」
遥か彼方、地平線から続く無数の黒い川に終わりは見えない。
城壁に張り付いた鉤爪を持つ魔物を、跳躍力に優れた魔物が足場にして昇ってくる。
目の前に飛び込んできたそれを叩くように落とす。
押し寄せる魔物は痛みも知らず互いを踏み台にひたすら壁をよじ登る。
壁を削るようにそぎ落とす。
「生きてるヤツがいるなら返事をしろ!」
「おう!」
「まだ生きてますよ!」
「無事とは言えませんがね!」
聞こえない声は多い。
互いを目に入れる暇さえなく、だから互いの惨状も知らずに済む。
せめて声だけは空元気に。
次の瞬間に途絶える命だとしても。
圧死した魔物の死骸が積み上がり、壁は徐々に低くなってくる。
その勢いは増すばかりで、心にじわじわと染みが広がった。
小型の魔物の中に混じり始めた中型の魔物は、固く閉ざされた門に勢いを殺さず当たって砕ける。
扉は黒波の圧力にミシミシと不気味な音を立て始めた。
壁が超えられるか、扉が破られるか、あるいは城壁が崩されるか。
目の前の脅威、それをどうにかしれくれるなら何でも構わなかった。
命が助かるとはもう思わない。
限界を突破して揮い続けていた腕もついに重くのしかかる疲労に膝を屈する。
膝が笑って立っている事すら億劫になってきた。
ただ背後に守るものの無事を願う。
仲間たちの、任務完遂を祈る。
ちかちかとぼやける視界が命を燃やして供給し続けていた体力の終わりを告げた。
最後の力で身投げでもして、落ちるついでに壁の魔物をいくらか引き剥がしてやろうかと思っていた時。
声がした。
「よお、助太刀に来たぜ」
国を守る重責も、命の覚悟もないような、軽い声。
けれど。
それは確かに、来るはずのない助けだった。
霞んできた目を目一杯見開く。
起きるはずのない奇跡を必死に見ようと。
ごうっと突如吹いた強風が咄嗟にその目を閉じさせる。
風は黒い気配を攫った。
「さあて、ここまで身を挺して守ってきた者たちだ。他でもない俺たちが報いようじゃないか」
「おう!!!」
「わかってるさ!」
「これで奮起しないなら嘘でしょう」
「兵士の皆さま、あなた方救国の士に敬意を表しますわ」
「当然ですね」
「はい!!」
まとまりのない返事がそこここで聞こえた。
思ったよりも幼さを残す声。
薄っすらと開いた視界に捉えたのは、マントを翻した後姿。
瘴気の風に煽られてもびくともしない背が、満身創痍の彼らを守るように歩廊の端に立っていた。
男が、いや、少年が肩口から顔だけを向けて笑った。
「討ち漏らしの処理は頼んだぞ?」
女が、いや、少女が鈴のような可憐な声で挑発的に笑った。
「それくらいは、頼りにしていますよ?」
まるでそれを合図にしたように、それぞれが武器を掲げる。
獲物を構えた姿はただひたすらに大きく、眩しく見えた。
見た目は役立たず。
あるいは足手まとい。
だが軽い声とは裏腹に、ちらりと見えた前を見据える横顔に甘さの欠片も見えなかった。
眼下を睥睨するその瞳に油断はなく、それだけで彼らが自らの意志で正しく戦力としてここに居ることを指し示す。
そしてその期待は裏切られないのだろうと、思わせる何かが、彼らにはある。
ごくりと無意識に唾を飲み込んだ。
「君たちが民を守る剣ならば、我々が民の剣を守る壁になろう」
その時に湧き出した感情を何と言おう。
その時に生まれた信仰を何と言葉にしよう。
誰とも知れない、大人にも満たない身姿。
だが兵士たちは確かにその背に言い知れぬ衝動を覚えた。
「行くぞ」
最初から変わらず、気負いもない声が戦闘開始を告げる。
次の瞬間、彼らは次々と城壁を蹴り、躊躇いなく外へと飛び降りた。
魔物蠢く地獄へと。
無謀な行為に、思わず叫ぶ。
悲鳴交じりの、祈りのような声だった。
「何を!」
「バカな!」
「っ!」
自殺行為どころの話ではない。
アリの群れに砂糖を放り込むに等しい所業だ。
疲労も忘れて歩廊の端に取りつき、身を乗り出すように彼らの行方を目で探す。
なぜだろう、彼らを死なせてはいけないと心の奥が命じるのだ。
何としてでも助けなければと悲壮感に染められた顔は、だが驚きに彩られる。
予想した骨すら残らないはずの一瞬の暴虐は、そこにはない。
足元を覆う黒い水が薙ぎ払われるように浚われ、彼らは当然のように無事に地面の上に降り立った。
久しく目にしなかった土色。
一閃。
黒い飛沫が、彼らを中心にまき散らされる。
それでも一瞬後には倍の量が押し寄せる。
二閃。
赤い炎が地面を舐めて、射線上の生物を焼き尽す。
それでも一瞬後には倍の量が押し寄せる。
けれど小さな台風は、「だから?」と不敵に笑うのだ。
死力を尽くし、文字通り一瞬前まで死を待つばかりだった兵士たちは唖然と眼下で繰り広げられる光景を眺める。
彼らの正体が貴族の子息たちだと気付いた者は多かった。
胸に光る校章はよく目立つ。
だが、それがなんだというのだろう。
神が救わないこの命を、この国を、未来を。
夜と見紛うばかりの重い暗雲を、たとえたった一瞬でも払ってくれたのは誰だ?
「…はは」
「は、ははは」
あまりの光景を目の当たりにすると人は笑うものらしい。
はじめて知ったと、兵士たちは互いに目を合わせた。
引きつったような乾いた笑いは時を置かず腹を抱える大声に取って代わられる。
「あっはははははは!」
「こりゃ傑作だ!はははは!」
「はっはははははっは、笑いずぎで、せ、背中が痛い!!!あはははっは!」
その笑いは染み広がっていた黒い絶望を根こそぎ払って。
やがて兵士たちは叫んだ。
喝采を。
心からの歓喜を。
王国の若き剣に。
「「「「うおおおおお―――――――!!!!!」」」」
「「万歳!グランドリエ、万歳―――――!!!」」
「「我らの未来に栄光あれ!!!」」
北門組。




