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イリアの世界  作者: 一集
第二章
55/75

45.戦士の休息と出陣準備




覚醒の時は唐突だった。

寝起き直後のぼんやりとした時間はなく、ひどくすっきりとした頭と軽い体に少し驚く。


無意識に広げるのは『探索(サーチ)』。


敵の気配はない。

レベッカが探索できる範囲はそこまで広くはないが、微かに聞こえてくる表の喧騒が敵のせいではないとわかれば十分。


サーチ、と呼ばれる魔法は実のところ二種類存在した。

「探索」と「探知」だ。


敵の位置把握に優れるのが「探索」。

周囲の状況把握に優れるのが「探知」とでも思っておけばいい。


実のところ、探索でも状況把握はできるし、探知で敵を探ることもできる。

大いに互いの領分を侵し合っている魔法故に、冒険者として活躍している魔法使いでもなければその違いを正確には知らないだろう。


事実、名前すら混同されているほどだ。


自分が婚約者を失う原因となったのは、多分これだろうとレベッカは思っている。

彼が使っていたのは「探知」。

自分が使っていたのは「探索」。

きっとその違い。


言葉にしてみれば同じ「サーチ」だから気付かなかったのだ。

互いの齟齬を今さら悔やんでも仕方がないけれど、もし生き残ることができたら、絶対にこの曖昧な魔法を明確に分離して人々の認識を改めてやろうと密かに決意していた。


レベッカは自分の部屋で服を脱ぎ捨て、倒れ込む様にベッドに入ったのを最後に途切れた記憶から簡単に現状を理解する。


どれくらい寝ていたのか、尋ねようと思ったが探知から知れる家人の動きは忙しない。

今までのように自分の都合で呼び出してもいいのだが、そうはせずに一人でベッドを出てクローゼットを開く。


起きたら使用人を呼び、支度の手伝いをさせる。

かつて当たり前だったことが、レベッカにとってはもう当たり前ではない。


支度は自分一人でもできる。

貴族としての体面を取り繕う意味はあるかもしれないが、今はまだ時間を優先するべき状況だ。


「…まあ、ドレスばっかり」


クローゼットの中身を見渡して、ため息のように呟いた。

自分で覗く必要がなかったから、当然その中の把握もしていない。


「一着ぐらい実用的なものを置いておけばよかったのに」


レベッカは貴族令嬢なのだから普段着もパーティーも一様にドレスだ。

当たり前のクローゼットの中身。


それでも、どうしても過去の自分に呆れたような声が出てしまう。

せめてズボンくらいは欲しかった。


「平和だったんだもの、仕方がないわよね」


思い出す過去の自分は楽園の中で幸せそうに微笑んでいる。

懐かしく、脆いガラスのように大切に思うのに、同時に言い様のない憤りも覚えた。


あの頃をもっと真剣に生きていたなら、少しは今を変えられていたかもしれないのに。

理不尽とわかっていても思わずにはいられない。


レベッカは城で着替えにと渡され、そのまま着て帰ってきた騎士団見習いの隊服を手に取る。

脱ぎ捨てたはずだが、さすがに畳んでおいてあった。

皺にならずにすんだのは使用人たちの仕事のおかげだ。


レベッカはそれを着直して鏡の前に立つ。

少し無駄な装飾が多いのが気になって、邪魔になりそうなものを切り落とす。

白地は汚れが目立つからあまり推奨しないのだが、白と銀糸だけのシンプルさは気に入った。


最後に騎士団の紋章をべりっと引き剝がした。

そこに学園の校章を付け直す。


「やっぱりこうじゃないとね」


自分の所属を示すそれを満足そうに眺めた。

貴族であること、そして自分の家名、それと同じように今はこの校章にも愛着が出来ていた。


苛酷な道程を生き延びた誇りだろうか。

仲間たちとの絆だろうか。


なんにしてもこれで隊服は返せなくなったが、今は些細な問題だ。


家に置いてあった父に強請って買ってもらった加護付きのアクセサリーは、触るとぴりっと痛みが走る。

身に着けても痛い目を見るだけだろう。


「…嫌われたもんね」


神の加護は受けられない。

もう神の子とは呼ばれない。

きっと神殿に入ることも出来なくなっているだろう。


神殿で加工された装飾品はことごとくこの手にあることを拒否してくる。

ならばと普通に宝飾店から買ったアクセサリーを手に取った。

特に魔力を内包した魔石を宝石として使っているものを。


案の定ちゃんと手に馴染む。


「う~ん、どっちもどっちかしら」


神殿製は効力が決まっているが、魔石はただの魔力の塊だ。

人の手が入っていない分、融通は利かない。


「ギリギリに使い始めるのがよさそうね」


呟いて、最後に部屋の隅に置いてあった、レベッカが扱うには少し長く見える剣を手に取る。


先日城に入る際一時的に預けなければならなくなったが、手放した瞬間に覚えた心細さはこの剣がレベッカの相棒になっていたからに他ならない。


手にした時から鞘はない。

けれど取り替えるつもりはなかった。


抜き身の剣を危なげなく手にして、レベッカは部屋を出る。

表の騒がしさとは裏腹に、個人の部屋が並ぶ屋敷の奥では誰ともすれ違わず、無事に兄の部屋の前に辿り着いた。

目的地を間違ってはいない。

兄は領地を任されているからここにはいないだが、承知でレベッカは堂々と侵入する。


目当ては以前見たことのあるマント。

兄がかつて騎士団に所属していた頃に使っていたものだ。

あれは中々の性能だったと記憶している。

買い物に付き合った当時は地味な見た目に散々反対したものだが、何がわが身を助けるかわからない。


現在の兄には、それこそ貴族然としたマントがお供しているはずで、騎士団を出てから彼がそれを着ているのを一度も目にしたことがないからきっと部屋にあるだろうと踏んでいた。


予想通り、レベッカの部屋と同じような作りのクローゼットでそれを見つける。


ばさりと肩にかけて少しの重みにほっとした。

遺跡群から王都までの極限サバイバルの間中マントを羽織っていたせいだろうか、ないと何とも心もとない気分にさせられる。


兄の部屋で、再び鏡の前に立って見た自分は随分と隙のない目をしていた。

ただでさえキツイ顔立ちなのに、シャープになった輪郭が女性らしい甘さを消してしまっている。


レベッカは手早く頭の高い位置で髪を一つに縛り上げた。

隊服のせいもあって、もう女性騎士にしか見えない。


そうして準備を整えたレベッカはやっとリビングや食堂のある屋敷の表部分に足を向けた。


「お嬢さま!?お目覚めになって、」

「食事の用意を。胃に負担の少ないものがいいわ」


途中出会った使用人の言葉を遮って要求を口にする。

言われた方は別の仕事中だったようで一瞬戸惑った顔をしたが、レベッカがちらりと目を向けると慌てて踵を返した。


そのまま食堂に向かう間に幾人かとすれ違ったが、なぜか誰も声を掛けてはこない。

疑問に思ったまま食堂に辿り着くと、何とか準備を間に合わせた家人の姿があった。


椅子に腰かけながら、傍にいた使用人に聞く。


「私、どれくらい寝ていたかしら」

「お嬢さまがお帰りになられたのは昨日の昼頃でした」

「そう、よく寝たものね」


答えたのはレベッカ付きの侍女だ。

お疲れになっていたのでしょう、と慈愛の満ちた顔で微笑む彼女に少しだけ頬を緩める。


日の高さを見るに夜が明けてから二時間程度といったところだろう。

夜明けとともに王都に入り、城を経由し、家に帰ってきたのが昼。

そのまま眠りについたのだから一日近く爆睡していたことになる。


「王都の様子はどう?」

「騎士団が貴族街の警護にあたっております。ご心配はないかと」


レベッカはそれを聞いて顔を顰めた。


「ということは、城壁を突破されたの?」


目の前には透き通ったスープとパン。

スープの中の野菜は形を保っていたが、口の中に入れるとほろほろと崩れる絶妙な具合。

レベッカはそれを身体の糧にする。


「小物がいくらか壁を駆け上って王都内に侵入した模様です。といっても警邏隊で対処できる程度の低級魔物だと聞いております」

「ですが、魔物と聞いて市民がいたずらに騒ぎ始めたようで」

「それにより市街に混乱が広がり、助けを求めて市民たちが中心部に押し寄せているもので、貴族街もこの騒ぎです」


それで慌てて騎士団を身の回りの警護に回したわけか。

貴族街の門は閉ざされ、その前で市民と貴族街を守る騎士団が押し合いへし合いの大騒ぎだという。


彼らの話からすると、街中の魔物の掃討は警邏隊だけで行っていることになる。

まったくもって効率が悪い事この上ない。


混乱ぶりが目に見えるようでレベッカは眠る前に予想した通りの現実に、それでも少し落胆した。


ちなみに最悪のパターンは、寝ている間に王都陥落。

それに比べたら大いにマシとでも思わなければやっていられない。


あるいは現実を見ずに死ねる、それが一番幸せなパターンだったかもしれないが。

そんなことを考えてレベッカは頭を振った。


「わたくし共も旦那様より避難指示を預かっております。荷造りはあと半日もあれば終わるかと」

「…そう」


レベッカは食べる手を止めずに答えた。

作法としてはあり得ないが、今は目を瞑ってもらおう。


それにしても父は財産だけを持ってどこに行こうと言うのか。

王都を脱出するには機を逸しているだろう。

レベッカたちが使った、当時はまだ攻撃が散発的だった南門もすでに魔物が押し寄せているはずだ。


一時的に城に身を移し、安全を確認できてから屋敷に戻るつもりなのだと侍女から聞いて、父が恐れているのは、魔物ではなく、押し寄せるかもしれない暴徒と化した市民だという事に思い至ってレベッカは少し力なく笑った。


「では、先に屋敷中の水薬(ポーション)をあるだけ集めて」

「…はい?」

「食べ終わったら登城するわ。それまでに玄関に用意を」

「お嬢さま?」


城に行くべきか、学園に行くべきか少し迷ったが、単純に『見晴らし』という点で城に勝る場所はない。

城がこの王都で最も高い建物だ。

その利点は大きい。


「聞こえなかったの?もう一度言いましょうか?」

「は、いえ!すぐにでもご用意いたします」


せっかくの一大戦力を貴族街を守らせるだけに使うとは、何ともあの老人たちは目先のことしか見えていない。


最終防衛線は城ではない。

まして貴族街の門でもなく。

城郭都市である王都を囲む、高く厚く頑丈なあの城壁こそ。


なのに現状、城壁を守る兵は背後からの強襲にも晒されているという。

それでどうやって満足に城壁を守れと言うのか。


「…三日と言ったけど、このままだと今日中にも崩れかねないわね」


レベッカはゆっくりとスープを飲み干した。

三杯ほどおかわりをして使用人たちを仰天させたが、睡眠を得た後の欲求は食欲だ。

二番目の欲も程よく宥め終わってレベッカは宣言通り玄関に向かった。


玄関にはきちんと水薬が用意してあった。

体力回復薬、魔力回復薬、再生薬、種類ごとにまとめられているのも素晴らしい。

家人の仕事に満足して、レベッカは最後に玄関から屋敷を振り返る。


「お前たちも家に帰りなさい。王都は戦場になるわ。今は一番守りたい者の傍にいるべき時よ」


それはこの家ではないはずだ。

そう言ったレベッカに、彼らは目を見張った。


長年仕えてきたというのに、初めて見た人物であるかのような錯覚を抱く。


「で、では、お嬢さまはどうなさるのですか」


気は強かったけれど、貴族らしい華やかさのある娘。

朗らかに笑い、傲慢に命じ、時に慈愛を持った彼女。


だがそこにいるのは、もう彼らが知るレベッカではなかった。


隊服に身を包み、抜き身の剣を手に。

レベッカは彼らが見たことのない強い光を瞳に瞬かせて、押し開いた扉の向こうで不敵に笑う。


「私?当然、守るべきものを守りに行くのよ」


それが民に支えられ生きてきた貴族としての義務だ、と。


全てを捨てて王都を出るか(逃げるか)、ここで国と心中か(死ぬか)

眠る前に突きつけられていた選択にレベッカは心の中で答えを返した。


いいえ、守って生きればいい。




―出陣だ。






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