42.ルインとミ・ラロニア
乗合馬車の中は平和だった。
のどかな牧草地帯が続き、村から村の距離も遠くない。
だから気軽に行き来も出来るし、このような乗り物も需要が高い。
「旅人かい?」
いつもこの乗合馬車を使っているらしい女が目の前の乗客に声をかけた。
往きなれた、つまりは退屈な道中。
暇つぶしと言えば言葉は悪いが、見知らぬ乗客と言葉を交わして道中を楽しく過ごそうというのはそう悪い考えではないだろう。
「ええ、まあ。そのようなものです」
柔和な印象を抱かせる顔を見せた男は明確な答えを避けたが、女にとってはそう重要なことではなかったらしい。
男は冒険者にしては細く、村人にしてはしっかりとした旅装姿だ。
この国は治安が悪い方ではないから、一般の者でも時には生まれた場所を離れることもある。
勝手に納得してくれたようだ。
男は若くはない、だが年寄りというほどの年でもない。
壮年というには貫禄がないが、それは彼個人の問題だろう。
村にいれば働き盛りの年齢だろうが、一人旅であることを考えれば嫁を貰いそびれたか先立たれたのだろう。
女にはどうにも、男の苦労が偲ばれた。
「そうかい、それは大変だねぇ。これはうちの村の特産の飲み物だよ、せっかくだから」
そう言って水袋を掲げた女に、男は礼を言いながら自分のコップを出した。
男が飲み物に口をつける前に、気前のいい女は他の乗合仲間にも差し入れを聞いて回る。
それならと道中のおやつにと携帯していた柔らかめの干し肉を配りだす者や、会話のきっかけをつかんで隣同士で話し始める者と、一気に馬車の中は騒がしくなる。
それを眺めながら旅装の男、ルインは「まあ悪くはない国だ」と思った。
無礼ではない程度の礼儀を知り、基本的に他人に友好的な国柄なのだろう。
―なにせ南の国はひどかった。
ルインですら二度と行きたくないと思うくらいには弁えない人間ばかり。
思い出してルインは顔を顰めた。
あそこは劣悪な家畜農場のようなところだった。
ここは、まあ家畜は家畜でも広々とした牧場のようなものだ。
牧場散策は悪くはない。
飼われている家畜ものびのびとしているようで、こちらに対して威嚇をしてきたりもしない。
南の国で荒んだ心はそれなりに癒えた。
あそこではあまりの不快さに幾人か殺してしまったが、それも仕方のないことだ。
自分以外ならどうだっただろうと、ふと思いを馳せてみる。
多分今頃血の海になっている。
だからこその「自分」なのだけど、とルインは憂鬱なため息を吐いた。
大体、みなが皆、過激すぎるのだ。
もっと穏やかに生きられないものかとルインは常々思っていた。
他者に牙ばかり剥いていたら面倒なだけではないか。
下手をすればすべてを焼き尽くさなければならない事態になる。
適当に友好的な態度を取っていれば大抵はやり過ごせるというのに。
例えば、ルインならこうして何かを他者からもらった時に礼くらいは言う。
けれど、仲間たちはこう思うだろう。
―有るべくして、成すべき事として、当たり前で、当然だ、と。
下賤の者に話しかけられることを許してやっているとも思うだろうし、機嫌によっては許可もなく話しかける無礼に命での贖いを求めるかもしれない。
ルインは自分の主張が少数派であることを自覚していた。
だが、だからこそルインに白羽の矢が立ったのだ。
波風を立てるリスクが最も少ない人物、それがルイン。
そんなわけでルインは国を出て、各地を転々としてきた。
好きで国を出た訳ではない。
命令だから仕方なかったのだ。
そして適任も自分以外にいなさそうだった。
前任者は国の穏健派としてそれなりに勢力を持っていることだし、帰った暁には同じ道を辿れるだろうという打算もあった。
大任は無事に果たし、少々のトラブルはあったが所詮は些末事。
現在は帰途についている最中だった。
―早く国に帰りたい。
それにしても、我慢ができるというだけであって、ルインとて根本は他の者と変わらない。
国を一歩出れば、どこもかしこも程度の低い人間ばかりで、ランクで言えばE級ばかり。
ずっと他者との会話を許してやっている状況。
対等に言葉すら交わせないストレスはやはり少しずつ溜まっていくものだ。
E級では、国では市民にもなれず、労働力としてすら価値がない。
何らかの性能、例えば見目や手先の器用さなどに優れたものが唯一D級として認められるくらいだろう。
階級と言えば、あまり感情を表に出さないルインが思わず爆笑してしまった話がある。
このグランドリエという国ではC級程度が貴族を名乗っているらしい。
行きの道中に茶を噴き出す程の、この衝撃の事実を知ったのだが、前任者がにやにやしながら世界は広いと笑っていた意味もやっとわかった。
が、それも南方国家を見てきた今ではかわいいものだと思えるようになった。
あそこではD級が貴族だったり、どころか階級すらつけられない二束三文の人間が王を名乗っていた。
それを考えればグランドリエは謙虚なもの。
こんな風に考えを改めることが出来るからやはり世界は広いとルインは思う。
嫌々受けた仕事だが、そんな利点は素直に認める。
「お客さん、終点だよ」
声を掛けられてルインは重い腰を上げた。
アルグマート。
それがこの街の名。
ここからグランドリエの王都に向かい、王都からフォルメド山脈の麓を目指し北へ抜けようという考えだった。
しかし着いて早々にルインは街に違和感を覚える。
はて、長い旅程の中でこのようなことは今までなかった。
一体なんだろうと自分の感覚を探っていると、合点するものがある。
魔力だ。
随分と荒れている。
例えるなら、強い風の日の雲のようだ。
「ふむ」
考えるようにため息とも頷きとも取れない声を出して、ルインは街を囲う壁に足を向けた。
乗合馬車が入ってきた方向とは別方面の入り口を迷いなく目指す。
街の中の人々はいつも通りの日常を思い思いに過ごしている。
時々冒険者らしき人間がぎょっとルインに目を向けるのに気付いて、ここは質の高い人間がそこそこいるようだと思う。
自国より南の地域を担当したルインは国という国をつぶさにみてきた。
それが仕事だ。
当然そこに下した評価は正当だと思っている。
だが、国という枠に収まらない流浪の民、冒険者という人種をルインは測りかねていた。
あれは国とは別に評価すべき対象だと思うだけの勢力を持っている。
しかし困ったことに、その実力はまさに千差万別。
思わず自国の民にならないかと誘いすらかけた人間がいたかと思えば、家畜にすら劣るような者もいる。
冒険者にもまた、野蛮な剣を扱う者や荷運び専門の者もあったのだ。
目を向けてくる冒険者は多分「魔法使い」と呼ばれるものなのだろう。
国元ではただの「市民」と言われる者たちだ。
そんな彼らも、よく見るとルインと同じ方向に足を向けていた。
そのうちに街の常備兵たちであろう者たちも慌ただしく動き始める。
―なるほど、確かに何かが起きているらしい。
ルインは確信して、それでもまだ日常を装う街を足早に抜けた。
辿り着いた門では外に出ようとする民と門番が押し問答をしている。
門はしっかりと閉じられていた。
「早く出ないと日暮れまでに村に帰れない!」
この街まで買い出しや卸に来ていた人間がちょうど出ていく頃合いだったのだろう。
対して門番の答えは「駄目だ」の一点張り。
その横を冒険者たちがするすると兵士用の小さな扉から外へと出ていく。
ルインも当然そちらに足を向けた。
「あ、そこのローブの男!止まれ!ここから外に出ることは禁止されている!出るなら反対に回ってくれ!あっちからならまだ出られる」
閉じられているのは西向きの門だけだという。
それを聞きつけた人々は「なぜだ」という文句を垂れる者とさっさと東門に向かうものに分かれた。
喧騒は段々と広がっていく。
それを横目にルインはただ一言「魔術師だ」と言いながら通行書を見せた。
民と押し合いをしていた兵はぽかんと間抜け面を晒し、騒いでいた人々は一歩を退いた。
その隙にルインは門を抜ける。
後ろから悲鳴なのか歓声なのか図りかねる声がわっと聞こえた。
「きききき聞こえたか!?」
「魔術師!?嘘だろう!」
人々にとって、魔術師とは貴族よりも希少だ。
奇跡を成す、神の使い。
特に寵愛を受けた、魔法を超える魔術を扱う者。
その名乗りに大騒ぎしている人々を余所に、門番はそっと隣の同僚に聞いた。
「おい、見たか、あの通行書…」
「ああ……ミラロニアだ」
乾いて張り付いた喉に無理矢理唾を流し込む。
喉の音は自分の耳にひどく大きく聞こえた。
所属国を示す国璽に見覚えはない。
わかるわけがない、見る機会など一生ないはずのものなのだ。
けれど、国名くらいは読める。
ミラロニア。
その名を知らない者は少ない。
「な、なんでそんな人間が?」
兵士たちは迫り来る魔物の大群の報を聞いた時より強く、大きな震えを感じた。
アルグマートを出て、悠々とルインは進む。
他の冒険者たちは各々自分の足を確保していて、その背に乗り軽快に駆けていく。
馬と人間の足、その差は歴然だというのに冒険者たちとルインの進行速度は変わらない。
冒険者たちがルインの技に畏怖を覚え、距離を取るのは当然の話。
空いた道をルインは汗もかかずに駆け抜けた。
やがて魔力のうねりが大きくなって、ルインの顔を顰めさせるに至った頃、街を守るために築かれた壁が見えた。
街から数えて三枚目に当たる。
防波堤の役割を果たす壁は、一枚目は背丈より高く、二枚目は顔が見える程度で、三枚目になると腰までの高さしかなくなる。
大した力のない人間たちの知恵とも思えば、ルインはその苦労を憐れむことができた。
実際ここまでの備えをしている街は少ない。
アルグマートは遺跡群に近く、尚且つ南との重要な行路に当たるからこその措置だろう。
その低い壁に先に、辿り着いていた冒険者たちが張り付いている。
先を進む気はないらしい。
ここで何かを、十中八九魔物だろうが、迎え撃つもりかと思っていると、そう耳の良くないルインにも微かに響く音が聞こえた。
「すでに交戦中か」
冒険者たちが壁に隠れているのに対してルインは堂々と立ったまま腕を組んだ。
余波がここまで飛んでくる。
魔物がふりまく瘴気は、呼び名が違うだけで魔力と同じものだ。
けれど飛散する力場は魔物からではなく、明らかに何者かの魔力によるもの。
どうやら腕のいい人間がいるらしい。
そう、国に勧誘してもいいほどの。
「お、おい、あんた危ないぞ」
親切な誰かが声を掛けたが、慌てた仲間に口を塞がれる。
抗議した親切男は、「あれは上級魔法使いだ」と窘められていた。
冒険者には魔法使いなる人間が一定数いる。
強さに目安をつけるために下級、中級、上級と分けているようだ。
冒険者たちにとっては魔法を使う者として、最も強い人間だと表現したつもりだった。
それでもルインは不満に鼻を鳴らす。
周りの冒険者たちはそれだけで身を竦めた。
まったく、「魔法使い」などという呼ばれ方は不本意でしかない。
こればかりは故郷の者と同じように不快に思う。
だがルインは訂正の言葉を口には出せなかった。
冒険者たちがここに留まっていたわけが分かったからだ。
火柱が見えた。
いや、柱といえるほど細くはない。
もはや壁だ。
それが黒い点を消炭にしていく。
遠目ではまるで風で布が千切れるような呆気なさ。
どれほどの高温なのか、それだけで想像がついた。
さすがのルインも目を見開く。
「魔術師だと?」
魔法ではありえない威力だ。
それはすなわち魔術という。
火壁の向こうからぱらぱらとまた黒い点が現れた。
魔物の群れだろう。
だが今度は散弾が飛ぶ。
線にすら見える無数の火の弾。
まるで弾幕だ。
それらが空気を震わせて、音となり、ここまで届くのに数拍を必要とした。
聞き慣れることのない魔術の音は冒険者たちの身を叩く。
目の前の脅威と、それを阻止しようと押しとどめている者が繰り広げる炎の宴は、彼らが参加できるようなものではなかったのだ。
宴を盛り上げるための薪はまだまだ途切れそうにない。
そう、薪だ。
燃料だ。
魔物はここではただ燃やされるためだけの存在となり果てていた。
ルインは自分と、この野良魔術師を比べてみる。
同じ魔術を使えるか。
是。
同じ威力で使えるか。
否。
同じだけの魔物を退けられるか。
是。
結論、魔力は大したものだが、技術が未熟だ。
火の魔術一点の力押し。
ルインは攻撃魔術が苦手ゆえに同じ手段はとれない。
けれど同じ結果を出すことなら可能だろう。
そして、国にならば同じ手段取り、同じ成果を出せる者も多くいる。
実に惜しいというのが素直な感想だった。
それでも外の世界で初めて見た魔術だ。
興味を惹かれた。
使っているのはどんな人間だろうと目を細める。
ルインは探知も苦手なら鑑定も苦手で、身体強化すら苦手の部類。
聴力も視力もあまり上がらない。
「…男、か。冒険者のようだな」
ルインの身体強化術がどれくらいの効力を持つかと言えば、日々戦闘に励んでいる冒険者たちと同じくらいだ。
壁から恐る恐る覗いている冒険者たちは裸眼でそれくらいを捉えている。
まったく野蛮人らしく、身体能力が無駄に高い。
忌々しさに口元を歪めながらルインは魔術師の傍に女が一人いることに気付いた。
けれどすぐに気は逸れる。
「…ん?」
あまりはっきりとは見えない、冒険者の魔術師の顔。
何かが引っかかった。
違和感ではない。
それはなにかが思い出せないもどかしさだった。
なにか、どこか、だれか。
そう、だれかに、似ている気がする。
誰だろう。
ルインは頭の中の人物事典をぱらぱらとめくる。
比喩ではない。
ルインの頭の中には本当にそれがある。
固有魔術、といわれる物の一端だ。
どんなに習っても、教えても、他人には取得できない魔術を国ではそう呼称している。
ルインの場合は自身でも魔術なのか?と疑問に思うような能力だが、長々とした実験の末、魔力を封じられては使えないものだと認められ、固有魔術列記書の新たな一行として加えられた。
随分と変わり種だが、これもまたルインが諸国外遊に出された理由の一つ。
なにせ出会った人物について、事典をめくれば記されているのでは忘れようもない。
だが万能なわけではない。
この事典、自動検索もできるし、目次もある。
しかし、こうした曖昧な情報の場合、該当人物を探し当ててはくれない。
本来、明確な該当人物がいる場合に使うものなのだ。
これは無理かと諦めかけていたが、ヒントは意外なところから出された。
「あれ、グリーンカードのリューンだろ?」
「多分そうだ。王都で見たことがある」
「魔法を使うとは聞いていたけど、桁が違うぞ、これは」
「迷宮に一人で潜れるわけだよ…はは」
小さくなっている冒険者たちにちらと目線を向ける。
リューン。
「リューン…」
なにかを思い出すようにルインは火が舐める空を見た。
「…ああ、スサ家の御曹司か」
ぽつりとつぶやいて、ぱらぱらと事典をめくる。
略名、ラ・ル・リューン。
名家、スサ家の長男。
あれはスサ・ライハル・ラシャリューン、その人だ。
将来を期待された秀才だったと記憶しているが、事典に記された彼の経歴は成人以前に途切れている。
「はて?」
何らかの不祥事で国籍を剥奪される者がいないでもないが、そのような通達は覚えがない。
であるならば、若気の至りによくある家出か。
ルインとは一切の交流がない家だけに詳しい情報はない。
だがあの厳格で有名なスサ家の事だ、若者の一過性の熱を見守ることなどせずに名を消すくらいはやりそうだ。
「だがこれはもったいない」
ルインは言いながら納得していた。
野良魔術師とは、と驚いていたがミ・ラロニアの者であれば頷ける。
そうしてやっと正当な評価ができた。
あの魔力は国でも相当なものだ。
元が貴族、それもかつては四大貴族と呼ばれた名家の出である。
その血のなせる技か、力押しができるだけの魔力量があるという事実は覆らない。
互いに魔術を打ち合ったならルインはあっさりと負けるだろう。
彼の正体が分かった今となっては悔しいとも思わない。
さもありなん、よく考えれば彼は最年少宮廷魔術師リーゼロッテの兄だ。
そう考えれば、同じくマルグリートの兄でもあるのだ。
リーゼロッテが魔術師の道を選んだことで家はマルグリートが継いでいる。
―あのお嬢さんにも困ったものだが…。
苦々しくルインはマルグリートの顔を思い浮かべる。
「そうだ、これだけの実力があるのだから、名を戻せる可能性はあるか」
元は彼が正当な後継者なのだから、ラシャリューンが帰還を果たし、名誉を回復すれば当主交代の可能性すらある。
別に駄目なら駄目で構わない。
ルインの身も名も痛まないし、少しマルグリートに冷や汗をかかせることが出来るだけでも胸がすく。
「故郷によい手土産ができた」
ルインは上機嫌に呟いた。
愛しき故郷、ミ・ラロニア。
その国土は小さい。
フォルメド山脈を越え、その霊峰に守られた山間部にひっそりと佇む小国だ。
このグランドリエで言えば、王都とその手前に広がる平地を含めた一帯程度の土地しか持たない。
街は一つ。
王都のみ。
だから人口もまた多くはない。
だがその影響力は決して小さくなかった。
国力も、戦力も、大国に引けを取らない。
名を知らない者も少ない。
何故か。
魔術大国。
その名は伊達ではないのだ。
ミ・ラロニアには貴族から一般市民に至るまで、魔力のないものはいない。
市民権を得る唯一の条件、それは魔力の有無。
彼らは魔力を持たない者を対等とは認めない。
憐れな人形と思うならまだいい。
家畜同然に思っている者も多い。
同じ人間ですら差別の対象。
まして亜人や獣人に至っては彼らにとって殲滅するべき敵である。
神に愛された者としての驕り。
究極の選民思想こそがミ・ラロニアを支える柱だった。
要約:
獣人なので魔力もないリューンさん、縁を切ったはずの故郷に(グリーンカードのせいで)なぜか実力者と勘違いされるの巻。
正式名称「ミ・ラロニア」
グランドリエの人たちは耳に慣れないので「ミラロニア」と呼ぶことが多い。




