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イリアの世界  作者: 一集
第二章

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39.ヒースとレベッカ



生きたい、生きたい、生きたい。

―生きなければ。


自分には少し大きい剣を手にレベッカはただそれを繰り返した。

強く前を見据える。


「おい、レベッカ」


そんな声が聞こえて、レベッカは反射的に返した。


「なによ、なんか文句ある?」


可愛くない答え。

気の強さは昔からで、この年まで直っていない。

もう直りはしないだろうと自分で諦めてすらいる。


声の主、ヒースとは仲が良かったとは言えない。

顔見知り程度だった。

この惨劇が起きるまでは。


だが、まったく関係がなかったかというとそれも違う。

互いに望まずとも大きな繋がりが二人の間にはある。

婚約者、という名の絆。

ほんの一学年しか違わない年齢と同格の身分は、さしたる困難のない二人の家を簡単に結びつけた。

無難な婚約、とは友人たちに漏らしたレベッカ自身の言葉。


嫌だとは思わなかった。

不満もない。

きっと相手も同じだろう。

貴族とはそういうものだ。


婚約が決まってからもレベッカとヒースは、不必要に互いの距離を詰めたりはしなかった。

そのことだけは好感が抱ける。


夢を抱く少年少女たちの中には、政略結婚であろうともそこに愛を見出そうと歩み寄りを見せる者が少なくない。

レベッカはどうだったかといえば、そんなことは欠片とも望んでいなかった。


どうせ卒業したら強制的に共に過ごさなければならなくなるというのに、自由な学園生活の中でまで入り込んではもらいたくない。

ヒースも同じ考えだったと見え、レベッカとヒースはここに至るまで完全なる婚約者という名の赤の他人でしかなかった。


恋多き男ヒースには噂が絶えない。

それが事実であることも、現在進行形の可愛らしい恋人がいることも、レベッカ自身にすら想い人がいることも、互いに知られて困るものではない。


自分たちの関係は結婚後に始まる。

その時にすべて清算していれば問題はない。

学園という檻はレベッカにとっても、多分ヒースにとっても、泡沫の夢のようなもの。


一生のパートナーとして手を取り、貴族社会の荒波を乗り越える覚悟を得るために与えられたこの猶予期間(モラトリアム)を精一杯楽しむべきだ。

そんな考えの持ち主が婚約者であったことは互いに幸運だった。


学園生活を楽しみ、卒業後に妻として、やがては母として一生を歩んでいくだろう明確な道筋が霞んだのはヒースにとっての卒業試験で、レベッカにとっては三度目になる合同実習。


当たり前だと思っていた決められた一生が、どれほど脆く儚いものだったのか。

今は惜しいと思う心がある。

淡々とした感情がさざ波のように揺らぎ、そんな無難な人生を歩みたかったと、レベッカの強がる本心を暴く。


レベッカの足は単調にリズムを刻む。

共に走る仲間たちも同じ。


多分、ここら一帯で生き残ったのは自分たちだけだろう。

他に人間の息吹は感じられない。


ちらと目線を走らせると疲れも見せず皆を引っ張る大きな背中が見えた。

少しの安心感。

ヒースに似た背だ。

彼よりも若干背が高いだろうか。

最初、筋肉質で鈍重そうに見えていた体は、今は無駄なものを削ぎ切った研ぎ澄まされた刃のように見える。


ランス、と呼ばれる男だ。

彼とは最初から同じグループで、その時の仲間はもう誰もいない。


レベッカも五クラスの王様と揶揄されていたこの男を侮っていなかったかと言ったら否。

五クラスは得てして学力面に劣り、技術面に劣り、魔法で劣る。

その頂点に立つ男はそれでも「高が知れている」と思われていたのだ。


だがレベッカは少なくとも人間性で劣っていると思ったことはない。

それが仲間たちと明暗の分かれ目だったのではないだろうか。


とにかくあの遺跡群の森を駆け抜け、草原特有の短い下草を踏めたのはランスとレベッカだけだった。

レベッカはそのことに関してランスを責める言葉はない。

よくぞ耐えた、とすら思う。


最終的にランスに不信感を募らせ、離反した仲間たちは自ら死に向かって行進していった。

剣と魔法を携えて。

「神に栄光あれ」と突っ込んでいく姿は正気の沙汰ではない。

唯一ランスに付いて行くと宣言したレベッカに掛けられた「正気か?」という言葉は彼らにこそ相応しい。


草原の小山で合流できた生徒たちの中に幾人か目立つ人物がいた。


グレンとセオ。

共に同学年の顔見知りだ。

入学から一度も二クラス以外に所属したことのないレベッカは彼らと同じクラスになったことはない。


どちらも音に聞く一点特化の魔法スペシャリスト。

確かシールド魔法と闇魔法だったと記憶している。

心強い。


それからヒース。


「レベッカ、無事だったか」

「あなたも、ご無事で何よりです」


互いにボロボロの姿で再会を喜んだ。


「ひどい卒業試験になったもんだ」

「こちらも、こんなに酷い合同実習は初めて。来年はもう少しマシな運営を期待するわ」


皮肉の利いたレベッカの言葉にヒースは行儀悪く口笛を吹いた。


「なかなか言うな。だが、好ましい。泣くばかりの女はもうこりごりだ」


どうやら道中女に苦労させられてきたらしい。

彼の同行者は全員男だったから、途中で挫折でもしたか、あるいは捨て置いてきたか。

レベッカも同じことをしてきたのだから想像はついた。


「わたくしの性格を今までご存じなくて?嘆くのは性に合いませんの」


そんな言葉で全部を切って捨てる。


「おーおー、頼もしいね未来の奥さん」


ヒースの方こそ皮肉が利いている。

レベッカは声を出して笑った。

災厄の始まりから実に二日、笑ってすらいなかったのだとレベッカは今更気付く。


空に描かれるラインに助けられながらレベッカたちはひた走った。


顔見知りだったヒースとレベッカは自然共に組むことになる。

武器と魔法の相性もよかった。

ヒースは長身を生かした長い両刃の、その長さにあっては幅の細さが目に付く剣が武器。

対するレベッカはほとんどの女性が選ぶ武器、細身の剣レイピア。

魔法の属性はヒースが地、レベッカは火だ。


レベッカの攻撃的な性格は生き残るには吉と出た。


「ビー、前に出過ぎだ!」


戦闘中にレベッカと呼ぶには長すぎるのか、ヒースはいつの間にかレベッカを愛称で呼んでいた。

いやな気分ではない。


「フォローが仕事でしょう!」


しっかり役目を果たせと叱咤するとヒースは悪態を吐きながらレベッカの願いを叶える。

彼の戦闘能力は申し分がなかった。


なにせやりやすい。

分かりやすいとも言う。


思考が似ているのかもしれない。

次にどう動くのか、何を望んでいるのか、戦闘を重ねるごとにわからないことがなくなっていく。


全能感。


ヒースが左の魔物に魔法を使う。

レベッカはヒースの牽制を頼りに正面に躍り出た魔物を突き刺す。

動きがとまったレベッカの右から襲いくる魔物はヒースの剣が払い、牽制から解き放たれた左の魔物はレベッカが止めを。


互いに目を合わせてにやりと笑った。

危険がないことを確認してからヒースの上げた手に自分の手を叩き付ける。

小気味いい音が乾いた空気に響いてレベッカとヒースは危なげない勝利を祝った。


「まさかここまでとは」


長年組んだ相棒とでも言うべき連携。


「こんなことがなければ知らなくて済んだことですけどね」


好悪の感情は別にして、パズルのようにぴったりと嵌る相手がいることに対する驚きを、得意の遠回しな皮肉で返した。

けれど、ヒースには過不足なく伝わっている事だろう。


「悪くない」

「ええ、まったくもって悪くありませんわ」


こんな状況を、少し楽しんですらいた。

負ける気がしない。

油断はしないけれど、この程度の魔物は二人には敵ではなかった。


かつてニールたちも体験した陶酔感がレベッカとヒースを支配しつつあった。


南組は、固まって動いていた中央や北組とは違い広く散開して移動している。

セオは傍に居たグレンに話しかけた。


「あの二人、ヒースとレベッカだっけ?」

「ああ、たしかそうだ」


グレンはセオの指した方角を見る。

少しばかり遠いが、人物の判断がつかない程ではない。


「わりとセンスいいと思ってたけど、思った以上だわ」

「どういうことだ?」

「戦闘時の一体感っての?あの域まで至ってる」

「そうか、…それは気をつけなければな」

「死なせるのはもったいないから、ちょっと忠告にでも行ってこようかな」

「それがいいだろう」


戦いを繰り返し、互いの戦い方を覚え、思考を読み、動きを読み、敵を読む。

壁を超えた先にある世界が全能の世界。

仲間たちとの一体感をもたらす、陶酔すら覚えるあのレベル。


戦うことが楽しいと、この時間を味わえるのならいくらでも戦いに身を投じてもいいとすら思う。

魔物で例えるなら狂化染みた戦い方になりやすいのが特徴。


だが、その全ては幻だ。


幻想でしかない。

グレンたちもついに人の身で至れる最も高みに足を踏み入れたと思ったことがあった。

けれど、最も多くの死を体験したのもその時期。


なぜだろう、こんなにもすべてが手に取る様に把握できるのに。

何が悪かったのだろう。

なにかが悪かったのだろう。

次はきっと大丈夫。

だが死は続き、やっと何かを失敗していることに気付く。


思い込みがその原因だと気付くのに死んだ回数は数知れず。

全能感、それが元凶。

一体感、それはまやかし。


思えば戦場の全てを把握できるはずがない。

思えば、他人の思考を全て理解できるわけがない。


そうして思い込みで組み立てられた戦術は脆く穴だらけだ。


死んで学んだ自分たちと違って、一度も死ねない彼らに、先達としての忠告はあってしかるべきものだとグレンがセオに行動を促す。


だが遅すぎた。


レベッカは目の前の落ちてきたものが魔物の角だと思った。

突如地面から現れた牛のような四つ足の魔物。

ほんの一瞬前に、レベッカはそいつの存在に気付いていた。

地属性を持つヒースは当然(・・)気付いていたはずだ。

その差はどれくらいだろうか。

とうに気付いていたと言われたら少し悔しい。


―だからヒースが魔物を切り落として飛んできたのだとばかり。


ヒースを見ると彼は苦笑していた。


「失敗した」


言葉の意味がわからなかった。

きょとんとしたレベッカにヒースは言った。


「達者でな」

「…ヒース?」


赤い命が流れ、剣を失ったヒースに残された攻撃手段は少ない。


「お前と生きるのは楽しそうだと思ったんだけど、残念だ」


全然残念そうではない口調で言って、ヒースは背を向けた。


「ヒース?」

「ビー、走れ!」


最後の彼の命令にレベッカはびくりと体を揺らした。

睨むような目線を向けられて、恐怖で白く塗りつぶされた思考に一つの言葉だけが残る。


走れ。


レベッカは踵を返した。

足元にある腕と、腕が掴んだままの剣を抱えて駆ける。


後ろで何かが爆ぜる音が響いた。

森の中で何度も聞いた音だ。


人が命と引き換えに最後に上げる花火。


相棒を失ったレベッカは走った。


ほんの数日前から、ありきたりになった出来事。

ヒースはその一つになった。

それだけの事。


レベッカは抱えていた腕から剣を引きはがし、腕を捨てた。

血の滴る腕など、魔物を呼び寄せる餌に等しい。

冷淡で合理的な思考。

思うより冷静なのだな、とレベッカは思った。


剣は重い。

でも捨てようとは思わない。

それなりに感傷があるらしいとレベッカは思った。


「レベッカ」


声を掛けられてはっと顔を上げる。


「飛ばし過ぎだ」


セオという名の同級生。

レベッカはやっと足を止めて、後方を見る。


仲間たちは随分と後ろにいた。

思った以上の速度で走っていたらしい。

気が付けば息が上がっている。


これでは魔物に対処できない。

馬鹿なことをした。


「その剣を」


セオが手を伸ばした。

明らかに自分のものではない荷物(・・)


ぎゅっと胸にかき抱く。


「奪ったりしない」


セオの声はレベッカの心に優しく響いた。


レイピア(自分の武器)を捨ててしまうなんて、本来なら自殺行為だよ」


言われて初めてレイピアがないことに気付く。


「まあ、それが人間だ。それが人を愛しく思う理由でもある。錬金術はあまり得意ではないんだけど。お詫びの印だよ」


彼に詫びられることに何一つ心当たりはなかったけれど、レベッカはセオの手にある剣をただじっと見つめた。


大きな変化はないまま、セオは剣をレベッカに返す。

不思議そうに首を傾げるレベッカにセオは握ってみろと促した。


剣は手に馴染んだ。

ヒースの大きな手に合わせて作られていた握りが、レベッカの手でも握り込めるようになっていた。


「…ありがとう」


ぽつりと呟くように礼を言う。


そうしてレベッカは再会から始まった恋が、ほんの一日で終わったのだと悟った。


走れ、と彼が言ったから、レベッカは走る。


悪くないと思っていたヒースと生きる道。

そんなものはもうない。


ヒースが共に生きられないことが残念だと言った。

彼以上に、自分の方が残念だと思っていたことを伝えたかった。


いつの間にか流れ出していた涙が風に攫われて飛んでいく。


「おい、ビー」


水分がもったいない。

そんな情緒のない非難を含んだ声が聞こえて、レベッカは反射的に返した。


「なによ、なんか文句ある?」


可愛くない答え。

気の強さは昔からで、この年まで直っていない。

もう直りはしないだろうと自分で諦めてすらいる。


近くを駆けていた仲間がぎょっとレベッカを見た。


「ごめん、幻聴」

「…ああ、構わないよ。そんなこともある。僕にも、時々聞こえる。聞きたいと思うこともある」


仲間の答えはなんだか物悲しかった。


自分には少し長い剣をレベッカは握り直す。


生きたい、生きたい、生きたい。

生きとし生けるものが持つ本能がレベッカにもある。


それが叫ぶ声とは別に聞こえる声。


―生きなければ。


レベッカは強く前を見据える。

嘆くのは性に合わない。


この地獄からの生還こそが彼の命に報いる唯一の方法だ。






問:ほのぼのまであと何話?

答:知らん!

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