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イリアの世界  作者: 一集
第二章
47/75

38.神の先兵と対極にある者

キメラ、あるいはキマイラと呼ばれる怪物。

ニールたちはなんとなく二種までの複合種をキメラ、それ以上をキマイラと呼ぶことが多いが厳密な決まりはない。

要は語感程度の違いだ。


キマイラは基本的に一番多い身体特徴を呼称にする。

この怪物ならば猿キマイラとなるだろう。

より特徴を明確にするなら色を付けたいところだが、白猿と呼ぶとキマイラと続けるよりはキメラと呼びたいところ。

この辺りは日本語に浸っているイリアには理解できない感覚だった。


リィンとニールは白猿キメラを前後から挟み、思考を巡らせる。


体積で勝り、膂力は明らかに敵が上。

剣士としての誇りに賭けて、速さで遅れは取らない。

まして魔力で負けるなんてことはあり得ない。

手数でもこちらが勝っている。


負ける要素の方が少ない気がするが、魔物が持つ純粋な基礎体力と驚異的な回復力を含めて考えてみるとこれで同等と言ったところだ。


向こうの攻撃手段は牙と爪とその膂力を生かした力技。

それから尾。

あの形状で毒がないなどという楽観的観測はできない。


だからこそニールは先刻、背後からの攻撃を試みたリィンに警告を発したのだ。


「ニール、当たりだ。さっき掠った服の繊維が崩れてきてる」


尾の攻撃を受けた際に紙一重で犠牲になった上着が、その裂け目からほろほろと崩れ出しているのに視線を向けて、リィンは皮膚を侵食する前にと投げ捨てながらニールと情報を共有する。


ニールが無言で頷いた。

厄介だが、形状から推測するに毒は尾の先端にあるはずだ。

まずはそれを確かめたい。


他に知るべきことは速さの程度と、あの毛皮の耐性。

キメラともなると魔法の一つくらいは使ってくるはずだ。

種類を知りたかった。


本格的な攻撃はその後だ。

だからこそある程度の安全マージンを得るために一つ手(精霊)を増やしてみたのだが。


「なんだ?」


リィンとニールは目にしたことのない魔物の反応に眉を顰める。

どうしたことか、精霊の姿を目にした白猿キメラが鋭い歯を剥いて威嚇を強くした。


最初から害意はあった。

獲物を狩る楽しみを白猿キメラは覚えていたようだったし、先ほどの攻撃を凌いで見せてからは敵意が迸っていた。


けれど、オロロンと鳴いていたはずの音は低く喉を鳴らす唸り声に変わり、警戒心と明らかな殺意、もっと言えば絶対殲滅の意志が突如宿ったように見える。


まるで天敵に出会ったような反応にさすがの二人も戸惑う。

こういった上位種の魔物は得てして格下相手には遊び感覚で向かってくるものだ。

その間に出来る限りの情報をかき集めるつもりだったのに。


最初から全力のこの状況は予想外。


「なにか、知っているか?」


白猿キメラの様子が変わった切欠に見える精霊王に聞いてみる。


精霊王は口を開かず空間に漂ったままだったが、リィンとニールの頭の中には声が響く。


『ソレは神の産物。われらに敵愾心を持つのは当然のこと。生まれ持った(さが)であるぞ。』


他の誰にも聞こえない声で彼女は笑う。

誰かが耳にしようものなら世界を変えであろう情報を軽く口にしながら、優雅にくるりと宙を回って見せた。


人は魔を恐れ、神に縋る。

だが、精霊王は言うのだ。

魔物ですら、神の創った命だと。


リィンとニールは互いに、魔物越しに目を合わせ小さくため息を吐いた。

意味は、『精霊の声が自分たちの他に聞こえなくてよかった』。

もし聞こえていたとしたら、信じるも信じないも、どちらにしても大事(おおごと)になる。

それは避けたい。


人の世界を転覆させるような事ですら、二人にとってはその程度の話だった。


個人的な話をすれば、二人は精霊王の言葉は真実だと思っている。

むしろ今更な言葉だとすら。


ワールド・アトラスの旅はあるいは知識探索の道程だった。

現実世界のすべてがそこにはある。

ニールたちが望む全てを、そして望まれる以上の全てを教えるために作り出された世界。

それがワールド・アトラス。


ニールたちはワールド・アトラスの全てを知り尽そうと冒険を繰り返した。

旅は楽しくて、力を得られることが嬉しくて、苦しい経験すら成長の痛みだと知っていたから、歩みは止めなかった。

だがそれは世界の成り立ちを知り、理の意味を知り、生命の起源を知ることに等しい。


そうして頭に集め蓄えた世界を構成する地図(アカシックレコード)を眺めていれば、誰だって気づく。

地図(世界)には空白()がある。

明らかなるミッシングリンク。

その顕著な一例が魔物という存在だ。

互いに手にした、それぞれが描き出した地図(知り得た事実)を突き合わせてみれば答えは明白。


―神とは魔。

神は神であり、神は魔でもある。


単純な話だ。

神は自作自演(マッチポンプ)で神と崇められている。


仲間内では当の昔に出た結論だった。


水の精霊王が腕を広げる。

自らの存在を誇示するかのように。


『神の関与しない唯一の存在であるからの、われらは』


神が認めないもの当たり前だと嘯く。


神の治める世界。

均衡を崩し始めたのは、明らかに目の前の存在たちだ。

かつては存在しなかった、いや神話以前の口伝でのみ囁かれていた伝説。

だが、今は違う。


伝説の存在に成り替わった者がいる。

この『精霊』と呼ばれる生き物。


作ったのは他の誰でもない、イリアと自分たち。


幼い頃に、戯れに作ったもの。

やがて人々の信仰に寄生し、確固とした存在を築いて、いまや『生命』となった。

『精霊』と呼ばれ、まさしくそう在るものに。


精霊とは、神を生んだ原初(・・)の命。

生まれたばかり(・・・・・・・)の彼らはそういうものになった。


精霊王は創造主にすら聞こえない声で嗤った。


―神の畏れとは、なんと心地よい。


陶酔すら覚えるような声。

聞こえるはずのない白猿キメラが、まるでその増長を止めるように歩廊から飛び出した。


精霊王はおやと首を傾げる。

形のない、それが水を司る自らの特性だというのに、白猿キメラは長い爪で現身を斬ろうと腕を振りかぶる。


悠然と受け止めようと微笑みながら待っていると声がした。


ミル(・・)、避けろ!」


命じる声だ。

縛る名を呼ばれては逆らえない。

もとより、逆らうつもりが初めからないから宙に留まっていた姿形は一拍の遅れもなく示された通りの行動を取った。


回避行動の最後に残された指の先が、文字通りそこに残された。

叫んだニールも、事態を注視していたリィンも息を飲んだ。

呼び出した術者の魔力が切れる以外の理由で消えたことのない精霊が、一部とはいえ断たれるなど。


『おや?……おや、これは異なこと。わらわを削る術を持つとは』


壮絶な笑みが、彼女ののっぺりとした液体で出来た顔を彩る。


『宣戦布告かえ?』


もし神に語る口があったなら、そう聞いた声に反論する言葉があっただろう。

そちらが先に仕掛けてきた事だ、と。


生憎とそこに神の言葉を代弁する者はいなかった。


代わりに魔物がいた。


巨体に似合わぬ速さで再度歩廊を駆け抜ける。


「ち!」


その尾を振り回され、リィンは回避行動を取らざるを得なくなった。

後退を選んでも自在に動く尾はまるでそこにもう一つの頭があるかのように正確にリィンを狙う。


防御と見せかけ尾を受け止める振りをして、迫りくる尾に刃を向けてみてもそれは尾を断ち切ったりはしなかった。

逆に触れた刃を起点に急回転してきた凶器に肝を冷やす。


「こ、の、膂力と速度は随分と厄介だ!」


慌てて剣を引きつつ、体を沈めることで頭上を毒針が霞めていく。

目敏く毒を持つのが尾の針状の先端だけであることを見て取るのはさすがとしか言いようがない。


「切り落としてやろうじゃないか」


尾は最早三本目の手とすら言える。

そう思ったところで、目の前でめりっと音がした。


「はあ!?」


リィンにしては珍しく、思わず目を剥いて叫んだ訳は、うねうねと存在を主張してくる二本の尾だ。


「ありなのか!?」


尾の根元から分かれた尾はもちろん別々の動きをしてみせる。


「くそが!ミル、手伝え!」


リィンの口から高位貴族らしからぬ罵り言葉が飛び出して、自らが呼び出した精霊に助力を請う。


「…だが慎重に、攻撃の一切に当たるなよ」


どうやら精霊の存在(・・)に対する攻撃手段を持っている相手だ。

相変わらず甘い主たちだと思いながら、彼女は困ったように囁く。


『なかなに難しいことを要求する』


そう言いながらも精霊王はリィンの頬に了承の意を伝えるために優美な腕で触れた。




正面から立ち会うことになったニールもまたその速度と攻撃の重さに歯を食いしばる。

速さでは負けていない。

だが、重い。


受け止める瞬間に飛ばされないために一瞬足に入れる力がニールの強みである速度を落としてしまう。

しかもこちらの剣は一つだというのに、相手は腕が二本。

さらに爪に気を取られていると時々牙が飛んでくる。


凌いでいること自体が人間を辞めている所業だったが、ニールにとっては何の慰めにもならない。

畳みかけるような攻撃に勝利を確信している色を感じ取ってニールは目を眇める。


プライドがあった。

器用で、出来ないことがないニールは、その実突出するものが少ない。

姉の一番である以外に拘る意味もなく、ニールのプライドは長い間成長の兆しを見せなかった。


けれど、今はある。

ワールド・アトラスでの長い旅の中、ゆっくりと育てられた自信と自負。


仲間たちは言うだろう。

誰が一番強いのか。

答えるはずだ。

ニールだ、と。


言われるたびに、枝を伸ばし葉を茂らせたそれは今やニールの心の中心で揺るがぬ大木になった。


「そう喜ぶなよ。侮られると、殺したくなる」


声にした一言が頭の中の何かを切り替える。

カチリと、戦闘と目の前の相手以外の一切が思考から消える。


勝つには?

自分が(まさ)るのは?

足りないのは?

それを補うには?


「…得意分野が似ているらしい。封じることもできるが、やめておこう。ねじ伏せてやるよ、全てで(まさ)って」


剣に、魔力を乗せる。

爪を弾く。

まだ足りない。

魔力をもっと。


パキリと腕の金環が一本折れて落ちた。


爪と剣が火花を散らせる。

一瞬地面を踏みしめる足が浮く。

防ぐことで手が一杯だ。

攻撃に転じる隙が無い。


研ぎ澄まされた感覚だけを頼りに剣一本でやり過ごす。

回避、退避、時に踏み込み、フェイントに魔術を叩き込む。

白い毛皮は高い耐性を持つらしい、そのほとんどを弾いてしまう。

大して期待を寄せていたわけではない。

むしろ期待通りの効果はあった。

ほんの一瞬の白猿の硬直はニールに息を整える暇をくれる。


白猿キメラが凶悪なツラを見せて牙を剥いた。

鰐の様な牙が並んだ、人間の体など軽く噛み砕けるだろうそれ。

身構えたが、喉の奥で蟠る魔力に気付く。


「随分と多彩だな!」


咄嗟に障壁を展開。

展開速度を優先したからか、見えない力にあっという間に破られる障壁。

猿が笑った気がした。

ニールも笑い返す。

だから?と。


一枚、二枚、三枚。

ほんの数センチの間に無数に乱立させた障壁が勢いを削ぐ。

ぱりぱりと氷を砕くような音が響いた。


防御の腕はグレンには及ばずとも、練り込まれていない衝撃波程度なら何とかなる。

障壁で稼いだ一瞬の時間でグレンから手解きを受けた『結界』を張って、ニールにはそよ風の一つも届かなかった。


リィンはちらと速度戦をしている両者に目をやる。

ニールは全てにおいて二番手だった。

だがその意味が自分たちの他の誰かにわかるだろうか。


仲間たちの中で、ニールの魔力は多い方ではない。

だからニールの魔力運用は本来、放つより効率的な方法がある。


剣を振る度に零れ落とした魔力が蠢いた。

電撃の様なスパークが鳴って、鮮やかに秩序立った魔力がばらばらと羅列されていく。


他の誰にも見えていないだろう、美しいデザインコード。

あのメルにすら手を加えられないと言わしめる完結型閉鎖陣こそが彼の真骨頂。


刀身に効率的に魔力を巡らせるために鍔に陣を描く。

イリアが目にすれば芸術的だと称するであろう、あらゆる無駄を排除した、最早シンプルにすら見える短縮式。


柄にはブーストを命じる文字列と数式を紋様として昇華させた術帯を焼き付ける。

三次元空間を利用して何重にも巻かれたそれは二重陣として機能し、三重陣となり、全体俯瞰図もまた陣として作用する。


瞬きの間に作られたのは、一個の完全なる魔術。


器用貧乏と自らを称するニールは、本人以外の誰もが認める紛れもない『天才』だった。

戦いの最中に、新たな魔術陣をこうも精密に構築する者はいない。

過去も、現在も、そして未来永劫いなかった。


膂力には、魔力を。

ニールが出した、対白猿キメラへの対抗策がこれらしい。


三本目の金環が腕から滑り落ちたところでにやりと口の端が上がる。


「これで同等だ」


足を止める重さを刀身に巡らせた魔力で相殺して、ニールは封じられていた速度を取り戻す。


「さあ、どっちが強いかな」


飛ぶように駆ける。

全身に巡らせた魔力は速度に肉体が千切れないように。


もうニールがいるのはそういう次元だった。


傷一つつけられなかった白猿キメラの毛皮も、これほどの魔力を乗せれば刃は通る。

白猿はよくついてきた。


だが、限界値を超えて酷使していたのだろう体が、一瞬がくりと体勢を崩した。


これ幸いと背後でリィンが渾身の魔力を込めた剣を振り下ろす。

水の精霊王がそこに魔力を乗せてさらに切れ味を底上げする。


尾の根元に到達した剣は少しの抵抗をリィンの腕に伝えて、そう長く持たず地面に抜けた。


白猿キメラが遠吠えのように鳴く。

悲鳴、ではない。


そう気付いた時には白猿キメラの体がビキビキと筋の千切れるような音をさせて膨れ上がった。


「まさか存在進化か!?」

「ちがう、狂化だ!」


遠吠えは途切れない。

ますます強くなって、声を媒介に魔力が広く薄く撒かれる。


「ニール、鳴き声をとめろ!これはヤバい!」

「わかってる!」


だが遅かった。

異変は白猿キメラ以外に起こった。


「な、なんだ?魔物たちの攻撃がやんだ?」


歩廊の影から無数の魔物たちを相手にしていた兵士と生徒が戸惑う声が聞こえた。


「まさか!?」

「ネプター、レオナルド!気を付けろ!!」


一斉に動きを止めた魔物たちは、また一斉に動き出す。

それは不気味な光景だった。


無数の獣が一個の意志を共有しているかのように見える。

秩序を持った動きはまるで巨大な生き物だ。


「こいつ統率能力持ちだ!」


それがこの白猿の固有魔法、いやもうここまで広範囲に影響を及ぼすのだから魔術と言って差し支えない。


「そんな…」

「もう終わりだ!伝説の魔物が、最低最悪の魔術を持ってるなんて」


圧倒的強者である魔物に人がなぜ抗えているのか。

人間が唯一魔物に勝る点は何か。


徒党を組むことだ。

短所を補い、長所を生かし、数で対処する。


魔物はただひたすらに自分以外の生命を食い散らかし、進むだけ。

そこに人間の様な思考はない。


だが、もしも魔物を統率する者がいたら?

人間より圧倒的に強い生命を効率的に運用できるものがいたら?

人間に勝ち目などあるわけがない。


―そう、人間には。


『なれば、あの有象無象は人で無きわが身が対処しよう』

「ミル?」

『この身を構成する魔力を使いつくしても構わぬか、我が愛しき主よ』


呼び出した魔力を糧に現身している精霊が魔力を失えば消える。

ただ姿が消えるだけだ。

存在を失うわけではない。

呼び出したリィンは彼女を止める理由もなく頷いた。


「構わないが、」

『代わりにあの元凶の方はお願い申し上げる。あの憐れな姿はどうやらわらわの存在が引き金のようでの。わらわに出会わなければアレら()に目をつけられることもなかったかと思うと不憫にもなる』


白猿キメラはまるで外部から何かを注がれたかのように膨らみ、倍ほどの巨体になり果てていた。

あまりにも急激な変化に耐えられなかった皮膚からは血が噴き出し、驚異的な回復力がそれを塞ぐことを醜悪に繰り返している。

毛皮は増えた体表を覆うことは出来ず、まばらに芝の生える草原のようにも見えた。

口からは絶えず涎が流れ出て、荒い息は高熱を伴い白く空気をくすませる。

ニールたちを見る瞳孔は明らかに先ほどまでの様子とは異にして細かく揺れていた。


「…頼まれた」


ニールとリィンは白猿に剣を構え、精霊(ミル)は集団でロガートの壁を突破しようとする魔物たちへと腕を広げる。


そうして人間は初めて、精霊の奇跡を目にした。


それは神以外に、人間に寄り添う超常存在が確認された、歴史上初めての出来事だった。






なんか、倒しきってないけど長くなったので北組終わります。


大丈夫です、この後白猿さんはさくっとやられました。

ここいら一帯の魔物はミル姉さんに殲滅されました。



おまけ②

―ちょっとした事情―


「てか、なんで水の精霊(ミル)しか呼ばないんだ?」

「消去法。(イグ)はシリルが呼べば戦闘中だろうとなんだろうと向こうに飛んでいくだろ?」

「…まあ、確かに切羽詰まった場面でやられちゃたまんないな」

(ヴォル)は誰か、多分グレンかセオあたりが力を借りているようだし。(イグ)と同じ理由で(エン)もパス」

「そうなると(アビ)は戦闘向きじゃないしな。でも(ライ)なら呼べたんじゃないのか?」

「それは絶対にいやだ」

「なんで?万能具合で言うなら(ミル)を超えるだろ?」

「この国が主神として祀ってるのは何だ?言ってみろニール」

「太陽神だな」

(ライ)なんて呼び出そうものならどうなるかわからない」

「…ああ、太陽神に通じるものあるしな、あいつ」

「下手すると俺が祀り上げられかねん」


そんな理由。

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