37.白い魔物と偽りの精霊
あの遺跡群での咆哮が始まりの鐘だとしたら、この振動はきっと第二幕への誘いだろう。
「起きてるか?」
「寝てられるワケないだろ、こんな状況で」
「さすがに目が覚めますわ」
覚醒は早い。
さっと立ち上がって寝崩れていた服装を整える。
荷物を背負い、意識を警戒態勢に移行。
「……レオ先輩、ちょっと、起きてくださいよ。恥ずかしいからはやく!」
「う、もうちょっと、寝させて…」
そんなやり取りは聞こえなかったことにして、ニールはネプターと女生徒の一人に『探索』を依頼する。
時間は無駄にしない。
さっと歩き出したリィンの後を追い、部屋を出る。
「攻撃を受けているのか?」
「ええ、群れがついに追いついてきたようです」
「魔物だらけですよ、壁の向こうは」
「一晩か、持った方か…」
「本隊か?」
「いえ、先遣隊です。小型で足の速いのばかりだ」
「わたくしたちならば相手に出来ないことはないと思います」
「この振動は?」
「障害物を除こうとひたすらに壁に体当たりする魔物の攻撃ですね」
「…とにかく歩廊に出よう」
長壁は厚い。
上には歩くのに困らない程度の道がある。
状況が一目で見渡せるだろうそこを目指して、螺旋の階段を急ぎ足で上る。
近付けば攻撃音と怒号が聞こえてきた。
「ど、どうなってるんだ!こんな数の魔物の群れなど聞いたことがないぞ!」
「うわあ、登ってくる!来るな、こっちに来るな!」
「ええい、黙れ!とにかく投石機で数を減らせ!近寄ってきたものは矢だ、魔法が使えるなら焼き尽くせ!」
「無理です、切りがありませんよ!隊長!」
「焦るな!落ち着け!まずは遠距離班と近距離班で分かれて敵にあたるんだ!どうした、返事は!」
「「「は!了解です!」」」
混乱具合は耳でわかる。
思わず先頭を行っていたリィンは後ろの仲間たちに目をやってしまった。
リィンの見える範囲に、平常心を乱している者はいない。
満足だと頷いて最後の階段を上がる。
歩廊に出た途端に懐かしい、嗅ぎ慣れた獣の臭いがした。
戦場だ。
かつては非日常であり、今となっては日常になった光景。
生徒たちの突然の出現に、混乱した現場を指揮する立場にある隊長と副隊長はすぐに気付いたらしい。
「君たち!なぜこんなところに!」
「ええい、お前たちが来るような場所ではないぞ、ここは」
驚愕の声と悪態の声。
副隊長の方は詰問をする時間を惜しんですぐに現場の兵士たちへの激励へと変えた。
「おい、お前たち!背後には子供たちがいるんだぞ、しっかりしろ!俺たちの守るべきものがそこにあるぞ!」
「「おお!!」」
激励は確かに効果的だったようで、逃げ腰だった兵たちの体に攻撃の意志が宿る。
その一方で、ダシにされた生徒たちは一瞬の虚をつかれていた。
子供。
守られるべき者。
「そうか、俺たち、まだ守られる立場だったのか」
レオナルドが皆の心情を代表して口に出した。
隊長の方はどけだとか邪魔だとかを喚いていたが、生徒たちを危険から遠ざけようとしていることは確か。
「どうする、みんな」
「個人的には逃げるが勝ちだと思ってるけど」
「見捨てるってのか?」
「何よ、今までだってそうしてきたじゃない」
「そうね、ここで食い止めてる間に少しでも群れとの距離を稼ぐべきだわ」
「一宿の恩くらいは返したい」
「恩なんて喰えもしないもので生存率を下げたくないな」
「この壁がなくなればそれこそ生存率なんてあっという間に底辺よ。せめて対処法だけでも教えるべきだわ」
「同感、この壁が長く持ちこたえれば持ちこたえた分だけ助かる確率は上がる」
「むしろ彼らも一緒に逃げればいいんじゃないか?」
「無理よ、練度が違うわ。彼らの足に合わせていたら時間切れよ」
シビアな意見が大半。
一見良心的に聞こえても、裏を返せば基本的にどれもこれも自分たちの事ばかり。
だがそれだけ苛酷な旅で、捨てるものの多い道程だったのだ。
見守っていたリィンとニールはそろそろ結論をまとめようと仲間たちに声を掛けようとした。
―掛けようとして、口を閉じた。
ゆっくりと視界の端に映ったものに目を向ける。
白い毛並みが同じ城壁の上に、鳴き声の一つもなく佇んでいた。
背中を丸め、長い四肢を器用にまとめて。
「…逃げるのは、無理そうだ」
リィンが頬を引き攣らせたのか、皮肉気に歪めたのか、呟く。
いち早く二人の変化に気付いた仲間が鋭く悲鳴のような息を飲む。
声は魔物を呼び寄せる。
いつの間にか身に着けてしまった、驚愕をやり過ごす方法。
白い獣が空を見上げた。
その咆哮は遠吠えに似ていた。
オロロンと喉を震わせ、人間の身を竦ませる。
何事かと振り返った兵士たちには脇目も振らず、白い影が伸びた。
咄嗟にリィンが剣を抜く。
銀色の一閃はきっと長く伸びた爪の色。
仲間たちの前に出たリィンは何をどうしたのか、指のように自在に動く爪を三本とも受け止めていた。
さすがに勢いまでは殺しきれなかったようで、小さく後ろに下がる。
「こいつ!」
唇から漏れる。
「猿じゃない、複合種だ!!」
剣で弾くように距離を取る。
仲間たちも内容を把握できなくとも、リィンが伝えようとした危険性を正確に感じ取って咄嗟に散開していた。
「…複合種」
名だけは、その存在だけは伝え聞いている。
最早、一般人にとっては天災。
魔法を使える貴族にとっても悪夢としか言いようのない魔物。
決して増えることのない、一代限りの希少種。
複数の魔物の特徴を宿した、総じて能力の高い魔物の総称だ。
「神よ…」
「どんな悪夢だよ、これ」
「はは、伝説の魔物がこんなところに出現するわけない」
唐突に降りかかる災厄に心が折れかかっているのは仲間たちではなく、城郭の兵士たちだ。
「こ、小僧!」
そんな中でリィンたちに声を掛ける気力があった隊長は大したものだろう。
だが、彼ですらその先の言葉はない。
逃げろと言って逃げられる魔物ではなく、では戦って勝てるかと言えば答えは明白、自分の命を賭してすら彼らの命は救えない。
未来を背負った若い魂が消えていくのを見ている以外に出来ることはないと、押し付けられるような暴圧のプレッシャーが教えてくる。
その魔物は見た目は猿。
だが正面に目はない。
両脇についた目はぎょろりと縦に入った瞳孔を自在に動かす。
顔を埋めるのは、固い鱗だった。
白い魔物は喜色を湛えるように喉を鳴らした。
「こんなところでネームドモンスター級と出会うとは。さすが『歩くエンカウンター』の称号は伊達じゃない」
ニールの呟きは無視されて、一瞬力を抜いたように見えたリィンが弛緩の瞬間に足を踏み出す。
「っふ!」
ニールに次ぐ初速から最高速に至る時間の短さを存分に生かして一瞬で敵の背後に回り込む。
完璧なタイミングだ。
が。
「リィン!」
ニールの咄嗟の警告は名を呼ぶ程度の時間しか許されなかった。
「ぐ!」
一瞬、尾に跳ね飛ばされたように見えたリィンは咄嗟に浮いた足をバク転の要領で地面に返すことに成功し、そのまま滑るように勢いを殺す。
「リィン!」
「大丈夫、無事だ」
ニールに片手を上げて制する。
「助かった、ニール」
おかげで少々服が破れた程度で済んだ。
攻撃の意志はニールの声に咄嗟に防御に切り替えた。
踏み込んだ足は勢いを反転させて後ろに飛び退る動作に繋げた。
よくぞあの一瞬でそこまで対処が出来たと、ニールは感心するばかり。
リィンとしては何のことはない、ニールの声にただ従ったまでの行動。
攻撃のタイミング、自分の意志、相手の動向。
ニールの存在はその全てに勝る、最優先事項だった。
「だが、ニール…」
「ああ、こいつは厄介だ。思った以上の大物に出くわした」
正面と背後から油断なく構え、会話で確認をする。
猿だと思ったら複合種だった。
「複合種は複合種でも三種キマイラか」
「…さすがの俺も初めて見たぞ」
「同じく」
ワールド・アトラス内で過ごした時間はいか程か。
しょうもない称号が示すようにその中で最も敵をなぎ倒してきた数は多いと自負している。
だがそれでも遭遇したことはない。
それほどの希少種だ。
二つ以上の魔物の特徴。
白い毛に覆われてわかりにくいが、その尾は猿のものではない。
推測するに鋏角に類される複数の節を持つ鞭状の尾。
「これは、さすがに本気を出してもらわないと困るぞ、リィン」
「……わかってる」
いやそうな顔で返事をしたリィンに、本当にわかってるのだろうかとニールは少し笑う。
さて、とニールは細く息を吐きながら自身も剣を抜いた。
リィンに覚悟を求めた、ならば自分も同じこと。
掛けた声は相棒にではない。
「この化け物はリィンと二人で対処する。壁の向こうの魔物は任せた」
顔面を蒼白にして突っ立っている仲間たちへ。
呆然としている暇があるのかと問う。
どうせ自分たち以外にこれの相手は出来ないのだから、各々出来ることをするべきなのだ。
さしあたっては自分たちの踏みしめる土台を揺らす魔物、あるいは壁を駆けあがってくる乱入者。
ニールが諦めたようなため息を吐いて、それから八つ当たりのように仲間たちを脅す。
「一切の邪魔だては許さんぞ」
低い声にびくりと反応して、仲間たちは弾かれたように魔物が押し寄せてくる壁側に取りついた。
レオナルドの声が鼓舞する。
「一匹たりとも後ろに通すなよ、お前ら!」
「わかってるよ!」
「っちょっと、あなたどいてよ!寝てるんだったらその絶好の攻撃場所譲りなさいよ」
「ってか、おっさんもしっかりしろよ!矢残ってんじゃん、なにこの緊急時にサボってんだよ」
「さ、さぼ……ああ、そうだな。俺の仕事、弓を打つことだ」
「戦う気がないなら下がんなよ、俺の後ろなら割と安全だし」
「な、な、な、子供に守られて良い訳がないだろう!?」
突然わいわいと騒がしくなった面々。
少し気が逸れたらしい白猿モドキにニールは魔力を当てる。
お前の相手はこちらだと示すように。
「さて、伝説級の魔物であるお前は、俺たち相手にどこまで耐えられるかね?」
リィンがいる限り、ここにある戦力は二つではない。
ぱきんと、リィンの腕を飾っていた細い金環が一つ折れた。
濃密な魔力が流れ出て、地面に漂う。
リィンが言葉をその中に落とした。
「混沌より生まれいずる。古の理。原初の生命。はじまりを司る精霊。そは水の王。名を『 』」
魔力を糧に、言葉を鍵に、嬉々として形を作る命。
『わらわを呼んだかえ?愛しき子よ』
人でなく、魔でもなく、神でもなく。
幼い少年たちに作られ、人々の祈りで育った、紛れもない偽りの命。
だが確かに精霊と呼ばれるものがそこにいた。
ぬ~ん。まだ南組が残ってるんですが。あとイリアも。




