34.中央組とロガートの砦
劫火に舐められた魔物たちが消炭になっていくのがここからでも見える。
後から後から湧くように森から出て来る魔物たちも、足を止めることなく焔の壁に突っ込んでいく。
しばらく眺めて、やっとその事実を認識する。
じわじわと広がる歓喜。
つまり。
「い、いやったー!!!」
「これで助かる!」
「……よかった」
「ざまあみろ、魔物ども!」
「はあはっはははっは!万歳!人間万歳!!」
黒い波が赤い壁にぶつかり、散っていく。
馬鹿の一つ覚えのように、危険を回避することもなくただひたすらに自らを殺す炎の中に身を投じていく魔物。
あまりにも圧倒的な光景を前に、晒されていた危機からの逆転がそうさせたのか、少年少女は魔物たちを侮るに足る光景のように思えた。
知能のない獣。
火力さえと伴えば敵にもならない。
実際に声にも出した。
「あいつら阿呆か。自殺志願とは獣の考えることはわからんな!」
どっと追随する笑いは安堵に溢れている。
それほどに怖かった。
震えるほどに恐怖した。
彼らとの命を懸けた逃走劇は、もう二度と経験したくないと思えるほどの悪夢。
だから無理にでも笑った。
だが、全員が全員、笑えたわけではない。
頬を引き攣らせて、森から滲み出る黒い波の終わりに目を凝らす者もまた居る。
願うように、早く、と。
早く、途切れるようにと。
この断罪の焔が消える前に、燃え尽きろ、と。
一心不乱に祈る。
笑いで恐怖を打ち払っていた彼らもそんな仲間の様子に、思い出したくもない、あるいは忘れたふりをしていた事実に目を向けざるを得ないかのような苦々しい顔をした。
「頼む、終わってくれ!」
「これ以上はいやだ」
「もういやよ、死にたくない」
魔物の大量発生の怖さを一番知っている三人は、もちろん騒ぐことなく、かといって仲間たちの泣き言に応えることもなくタイミングを見計らっていた。
魔物の大量発生の怖さ、それは物量、その一言に尽きる。
多種多様かつ大量の魔物に、たった一つの、終わりある魔術で対抗しようという方が間違っているのだ。
ウィルたちにとって炎は最初の一撃、それだけの意味。
落胆も、驚愕もないがそうではない者もいる。
「見ろ!」
「炎を越えた!?」
「うああ、どうしてだ」
「まだ火力は落ちてないはずだろう!?」
「終わらないの?これでも、ダメなの!?」
「あああああ、嘘だろおお」
火に耐性のある魔物などごまんといる。
これだけ削ぎ落とせたことをむしろメルたちは意外に思ったほどだ。
「メル、次はどうする?水属性でいくか?」
炎を超えてきたのなら、反対属性には弱いだろうというウィルの憶測にメルはあっさりと否定を返した。
「いや、こうする」
瞬時に流れたのは地属性の魔力。
二本目の魔術帯が地響きを立てて沈んだ。
「落とし穴?」
シリルが不思議そうに口にしたが、それを傍で聞いていた仲間たちはそんなかわいい物ではないだろうと頭の片隅で思う。
堀、溝、壕、言い方は様々あるだろうが、それは突然地面に入った亀裂のように見えた。
地を裂いたその深さがどれほどなのかはここからは見て取れない。
離れた場所から見る亀裂は頼りなく細くも見えるが、魔物の大きさと比較すれば、それは人間には決して越えられない幅を持っていることがよくわかる。
魔物たちの多くにとっても同じ。
炎を超えてきた魔物は、吸い込まれるように黒い線の中に落ちていく。
目を凝らしても、這い上がってくる者はない。
実際のところは幅7m、深さ10mほどの小さな谷だ。
自然に作られるにしては小さく、魔術で作られたにしては規格外。
「中に仕掛けでもしてるの?」
「針で埋め尽くされてる。土で作ってるから強度はイマイチだけどね」
『土の槍』という一般的な魔法がある。
単純に地面から名前通りに槍を生やす魔法だ。
敵に当てるには難しいが、攻撃性は高いとされるそれを、強度はイマイチと言われても困る。
少なくとも、大概の魔物を貫く強度はあるのだから。
真実、メルがウィルの馬鹿魔力を惜しげもなく使って固めたそれは一般に言われる『土の槍』よりよほど強度があった。
錬金術師でもあるメルは比べるものが鉱石や金属になるためにこういった感想になる。
実際は穴の中で例外なく串刺しだろう。
炎から抜けてくる魔物たちは自分たちの進路を妨げる谷に気付き、跳躍で超えようと試み始めた。
残念ながら幅のある亀裂を超える者は今のところいない。
「火耐性を持ってて跳躍力に優れた魔物ってーと、さすがに多くはないかな」
ウィルが呟けば、シリルが頭の後ろで腕を組んでのん気に答える。
「でも、いないわけでもない」
ぱぱっと頭に思い浮かぶだけでも十数種はいる。
「そう言うと思ってたよ」
メルが舌なめずりをしそうな顔でにやりと笑う。
「うっわー、嬉しそうな顔」
「うっわ~、悪そうな顔」
前者はウィルで後者はシリル。
二人は揃って魔物に冥福を祈った。
三本目の魔術帯にメルの命令が走る。
二本目と同じ、地属性だなと気付きウィルとシリルは起きる現象に目を向ける。
三本目もまた地響きを立てたが、二本目が沈んだのに対して三本目は盛り上がった。
自然界にはあり得ない、断面を見たなら頂点角度が低い二等辺三角形。
二本目が谷なら三本目は谷から聳え立つ山。
いや崖と言える。
谷だけなら、山だけなら許容も出来ただろう高低差はいか程にもなるだろうか。
幅は谷より狭い、5mほどだろうか、その分角度が増して、魔物たちから見ればまさしく壁。
登るにはあまりにも垂直に近い。
「跳んだら山に跳ね返されて谷落ちか」
「いや、たぶん串刺しかな?」
「…えげつな」
「抜かりねぇな」
こちら側から見える山の背面にはなにもないが、メルの発言から向こう側には土の槍でもご丁寧に作っているのだろう。
「時間稼ぎにはこっちの方がいい」
炎は燃料なしに燃え続けてはくれない。
氷はいつか溶ける。
だが変えられた地形はそのままだ。
「溝が魔物の死体で埋まるまでは防波堤として十分機能してくれるでしょう」
納得顔のウィルとシリルを余所に、残った仲間たちはぞっとした。
溝が死体で埋まるまで。
あれほどの規模の谷が、魔物で覆いつくされるのか?
それほどまでに魔物はいるのか?
やがて、あの山を超えて来るのか?
「時間稼ぎはしましたし、そろそろ行きましょうか」
そうだなと同意した彼らが振り向いた先には当然自失した少年少女がいる。
地面に座り込んで動かない者もいれば、声もなく泣く者もいた。
「どうした、お前たち」
ウィルは彼らの様子に戸惑いを覚え、助けを求めてシリルを見た。
シリルの答えはあっさりとしたものだ。
「さあ?…でもまあ、どうでもいいかな。時間がもったいないし、先を進もう」
切り開く意思のない者に未来は訪れない。
何が彼らの心に暗雲を齎しているのかはわからないが、その目には暗い色がある。
先ほどまであった強い光が消えてしまったことに落胆を感じて、シリルは彼らを顧みる価値を失くした。
「生きたい者も生きられない状況だよ?生きたくないヤツとは居たくない」
「相変わらずはっきり言いますね」
メルが苦笑し、ウィルは肩を竦め、つまりは同意を示した。
我に返ったのは切り捨てられそうになった彼ら。
「待て、待ってくれ、大丈夫だ。もう、大丈夫」
「ええ、少しの期待に心が折れそうになっただけ。楽ばかりしたがる悪い癖が出たわ、ごめんなさい」
「正直、立ち直っちゃいないけど、死にたくない、生きたい。まだ、足掻きたい」
「死んでいったみんなの分まで生きないと。無駄死にだけはごめんだ」
言い募る彼らにシリルが少しだけ首を傾げて、これまた「まあいいか」と呟いた。
後ろではメルとウィルが算段を付けている。
「ウィル、次はどれくらいでいけそう?」
「三本か?」
「いえ、一本で結構」
「ふ~む、なら7時間、いや6時間で回復してみせる」
「無理は禁物ですよ?」
「ああ、わかってる。俺を誰だと思ってるんだ」
メルは了承したらしい。
「シリル、信号をお願いできるかな。6時間後で。リミット時間と地点を指定して」
「りょーかい」
シリルは空に細く長く、けれど誰の目にも明らかな線を描く。
閃光弾の線バージョン。
瞬きを加え、色を変えてから空に浮かんだ線を動かす。
それを進行方向、地平線の彼方に落としてシリルの仕事は終了。
閃光弾は色と点滅で意味が決まる。
授業で習っているのだからそれでわかるだろう。
「なかなかどうして、シリルも厳しいね」
「それなりに急がないと間に合わないな」
線の消えていった場所を見ながら二人が少々キツイとシリルに苦言する。
シリルの閃光線が示したのは、6時間以内に線を超えろというメッセージ。
線である理由はもちろん、北と南組への伝言だからだ。
彼らの目に留まらなければ意味がない。
6時間後にその線上で、もう一度ウィルの魔術を発動させるのだ。
「水と食料と体力と魔物の進行具合と相談するとこれでギリギリ」
体力を消耗し、魔物に追いつかれる頃合い。
無意味に定めた距離ではないとシリルが口にする。
「私たちはロガートの砦を目指すことになるでしょうから体力を削って何とかなるとして。北組も長壁の範囲内ですから城郭のどこかしらに辿り着けるでしょう。問題は南組ですね」
遺跡群と王都との中間地点ほどに、遺跡群と王都を隔てる長壁がある。
古王国の遺跡群に対する備えだったと考えられているが現在もそれは利用されていた。
長壁は、かつてはもっと広い範囲を覆っていたのだろう。
それこそ南組の進路上まで。
「南組、グレンとランスと、合流したセオか」
「…何とかしてくれると信じましょう」
現在は長い年月に崩れ、北組と中央組の進路上にしか存在しない。
それでも十分に長大。
壁の要所要所には櫓や砦が存在する、と言えばその長さがよくわかるだろう。
街道が通る場所には関所も設けられ、壁の内側は王都を除き国内でも最も治安に優れた地区になっている。
その中で最も大きな砦兼関所がロガート。
実習の折、ウィルたちももちろんこのロガートを通った。
先ほどメルが作った小山が遊びに見えるくらいには迫力のある砦だ。
近隣の治安を一手に担い、城郭駐在兵や見回り隊はこの砦から回されていると聞く。
故にこの長く伸びる長壁はロガートの壁と呼ばれていた。
「こうなると、古王国の遺産に感謝だな」
「古王国時代にもこんな災厄に見舞われたことがあったのかもしれませんね」
その言葉に騒めいたのはやはり神経をすり減らしてきた仲間たち。
「そうか、ロガートの壁があったか!」
「…砦には兵士が多くいたな」
「助けてくれるわよね?」
「すでに逃げてたらどうするよ」
「国を守る兵士がか?馬鹿なことを言うな」
「大体この異変はどこまで伝わってる?ロガートの砦から助けが来ないのならまだ誰も知らないのか?それとも見捨てられた?」
「先生たちが逃げ切れてたら、今頃砦に伝わってるかもな」
「…俺たちを助けずに?報告だって?」
「怒るなよ、正しい選択だ。ましてや今の自分たちにとってはそうしてくれていた方がまだ希望がある。…ま、気持ちはわかるけどな」
「とにかく、最悪の展開は考えておこう」
「そうね、どちらにしてもあれだけの砦よ、食料を全部持ち出すことは不可能だわ。補給くらいは出来るし、壁があれば少しは足止めになる」
「居てもいなくても、助けてくれてもくれなくても、ロガートがわたくしたちに有利に働くことは間違いないわ、希望は捨てずにいましょう」
遠い、霞むような目標は心を削るだけ。
どこまで逃げれば救いがあるのか分からない中を進むよりずっといい。
目の前に出来た目的は彼らを奮い立たせた。
「…随分と変わってしまったな」
つい三日ほど前ならば、遺跡群からロガートまでの道程を徒歩で踏破するなど無謀の一言。
それこそ気の遠くなるような距離だと思っていた。
なのに、今は思うのだ。
近い目標だ、と。
心境の変化が面白かった。
そして悲しかった。
「死にもの狂いって、いい言葉よね」
誰かがくすくすと笑いながら言った。
一瞬の沈黙過ぎて、誰もが弾けるように笑う。
泣きながら笑って、彼らはそれを最後にした。
「さあ、死にもの狂いで、生きようか」
「準備はいいわよ、我らがリーダー?」
そうして、甘さを残していた貴族のお坊ちゃんとお嬢ちゃんは居なくなった。
「なんか、あれだね?彼ら、生き残っても、親が卒倒する気がするよ」
「個人的には好ましいけどな」
「せっかくだから出来る限り生き残ってもらいたいですね。上手く誘導すれば国を変えてくれる人材になりそう」
「……メル、こわい」
「…メル、どうどう」




