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イリアの世界  作者: 一集
第二章
41/75

32.森の終わりと中央組

「どこまで行けばいい!シリル!」


森を転がり出るように走り抜けて、その足は硬さの違う地面を踏みつけた。

足元に絡みつく視界一杯に広がる下草は、ここ数日、障害物を避けながら走ることに慣れた足にはひどく負担になる。


森と草原では走り方が違う。

当たり前の話だ。

もともとそんなことを意識したことはない彼らだが、すぐにその事実に気付く。


試す。

どうすれば一番効率よく踏破できるのか。

順応することで命を拾ってきた連中だ、対処は恐ろしいほどに早かった。


足を止めずにそれぞれが試行錯誤している様を横目に確認して、思わずシリルは口の端を上げる。

正解もヒントも、注意すら必要ないらしい。


結構なことだ。


あの男は愚鈍な馬鹿かと思われていたが、順応力が高い連中だけが生き残ってきたというのに、その中でも群を抜いてその一点に優れている。

事実、もう森の中と同じように最も負担の少ない走り方を見つけたらしい。


気の弱いあの女の水属性魔法は最初とは比べ物にならないほど精度を上げた。

無視できない怪我をした者が、今も皆と同じように走っているのは彼女のおかげ。

他グループにはなかった恩恵だろう。


光属性の少女、些細な問題、小さな変化、それらに気付くのはいつも彼女。

危機察知能力を見事開花させたようだ。


優秀と名高かった男、その評判に違わず目を見張る速度で魔物との戦闘における対処を覚えていく。

剣と魔法と、その手と足と、全てを使い何としてでも生き残ろうとする意志の見える、まるで傭兵のような泥臭い戦い方は、貴族では類を見ない。


そんな彼らが焦った表情でシリルを振り返る。

その目は言っていた。


はやく判断を、と。


これ以上を求めるのは酷かと、シリルは口を開く。


「まだだよ、もうすこし。先に出た連中が合流を待ってるみたいだから」


シリルを急かしていた目は見開かれ、そこに浮かぶ驚愕をシリルは真面目な顔を保ちながら、心の中で予想通りの反応を笑う。


言葉を咀嚼した彼らに、次いで表れたのは喜色。


「他にいたのか!生きてるやつが!?」


自分たち以外の生存者を絶望視するほど、過酷な二日間だったのだ。

魔法音は絶えて久しかった。

魔物たちの足音や咆哮にかき消されていたのだとしても、それはただ命の絶えていく過程だと思っていた。


「生存者と合流できれば、戦力が増えるわ!」


そしてもう、彼らは生存者の存在をただ喜ぶことはない。

その先を考える。


手が増えることを。

助かる可能性の増加を。

戦力の補充を。


「…けれど、それ(・・)はマトモ?」


小さな疑念の声に黙ったのは、懸念を払拭できないから。


今まで生存者に出会わなかったかと言えば否。

ではなぜ今共に行動していないのかと言えば、その理由はいくつかあった。


満身創痍だった。

魔法で治せない怪我を負った足手まといを連れてはいけない。

断腸の思いで見捨てた、あるいは懇願に折れてこの手で止めを刺した。

彼らとの出会いが一番堪える。


弱者であった。

体も心も、弱者である自分を肯定し、哀れを装い同情を誘う者。

彼らは誰も救わず、弱い自分を救ってくれる誰かを探して他者に依存しようとする。

あるいは一人は嫌だと道連れを探していた。

彼らは狂人に似ている。


そして、心根の腐ったもの。

彼らは狂人以上に性質が悪く、そしてずる賢い。

他人を食い物にして、犠牲を嘲笑うその性根。

到底受け入れられるものではない。

彼らの生存率が最も高いのは皮肉としか言いようがなかった。


そんな者と一人出会った。

自らの仲間を奴隷のように扱って生き延びていた男。


「ヤツらと共同戦線を張るくらいなら魔物に食べられた方がマシ」


思い出したのか、顔を歪めて固い決意を口にする少女。

休憩時間確保に周囲を一人哨戒していた時、発言した当の本人(彼女自身)が襲われたのだから説得力がある。

ヤツの言い様は随分と身勝手だった。


「一人で生き延びてきたのか、大したもんだな。だがこれからは俺がいる、俺の言うことに従ってさえいれば助けてやる」


誰がそんな口車にもなっていないような戯言に従うというのか。


本能なのか、本性なのか、服の中に手を突っ込んでくる男の目は欲望でぎらついていて、生理的嫌悪を覚える。

極限の状況で、箍が外れて人格を取り繕うことをやめた者。

あるいはそうすることで自分の精神を守っていたのかもしれない。

ただ一人、自分だけを。


同情には値しない。

誰もが例外なく、同じ状況に置かれた『力なき者』なのだ。

こうして組み敷かれている自分も圧し掛かっている男も、同じように弱者。


そして同じ弱者として、マトモな人間としての心を捨てずに生き残ろうともがいている自分が、少なくともそう在ろうとしている自分が、彼よりも弱いとはどうしたって思えない。


心身共にぼろぼろの、汚れた布切れのような女が向こうの木にもたれ掛かっているのが見えた。

見覚えはない。

たぶん、下級生だろう。

使い潰されて、その命を終えようとしている。


弱肉強食の世界がここにある。

弱い少女は弱さゆえに男に命を食われた。


こんな世界の在り方を、ほんの一日地獄を駆けまわっただけで、心は肯定しつつある。

マトモな人間なんて、自分を含めて本当はもうどこにもいない。


けれど、思うのだ。

まだ、ちゃんと思えるのだ。


目の前の光景を不快だと。

この男を、唾棄すべき最低の人間だと。


厳しい自然の掟に立ち戻って考える。

弱き者の運命が、強者の手に委ねられるというのなら、自分は強者になろう。


だって、狩りたい命がある。


―死ぬべき人間はきっと、居る。


この主張を貫きたいのなら、少なくともこの目の前の弱者より強くなければならない。


そう思った時には、髪の毛を掴んで圧し掛かっていた男の目から鋭い凶器が生えていた。

脳天から突き刺された剣が眼球を突き破ったらしい。


「…ありがとう」


助けてくれたのは同じグループの双子の姉。

顔を汚した血は、今まで屠ってきた魔物の血と混じってすぐにわからなくなった。


姉の手を借り男の体の下から這い出た後に、力の抜けた男の体を加減なく蹴り飛ばしたのは生き残った者(強者)として当然の権利だ。

彼の薄汚い命を絶った剣を引き抜き、虫の息だった男の連れの哀れな少女に止めを刺したのは自分だった。


「弱かった自分を恨みなさい」


零れ落ちた言葉は多分自分に対する戒め。

命を奪うことしかできない弱い自分に対する訓告。


苦く、痛い思い出だった。


この先にいる生存者がそんな者ではないと誰が言える?

ヤツらはしぶとく、強かだ。


警戒しても、し足りないということはないだろう。


「大丈夫だと思うけどね」

「根拠は?」

「さすがに誰もが、気付いてるでしょ。一人じゃ逃げきれないって。誰かの助けが必要なんだって。他者の手を求めるのなら、求めるだけの対価が必要。万が一腐った果実が混じっててもちゃんと繕ってくれるさ」

「そうは言っても、いざという時に背を預けられない相手を仲間にはしたくないな」

「同感、腐った果実が腐っている事実に変わりはない」

「混じってる確率自体限りなく少ないと思うけど」

「どうしてそう思うの?」

「え?だってさあ?もしそんなヤツが仲間にいたと発覚したらどうする?黙って従う?ぼくなら、問答無用で置き去りか、後腐れなく殺しちゃうな」


いつもの口調でそう言ったシリルに、ぞわりと総毛立つ。

あっさりと口にされた言葉に瞬間的忌避感を覚えて、それからすぐにシリルが言ったことは当たり前だと納得した。


肯定。

命は狩られるもの。


もう、なぜ一瞬恐れを抱いたのかも思い出せない。

人の生死をこんなにも簡単に語り、消えた命を軽く口にする。

すでに違和感は消えつつあった。


「それに、どうせ合流しなけりゃ未来はない。大体、みんなは腐った果実に黙って腐らせられるほど甘くはないでしょ?この地獄を生き延びた実力を、ぼくは過大評価してると思わないけどね?」


自分に降りかかった火の粉は自分で振り払えるはずだとシリルがいう。

いつも通りの穏やかな笑顔で。

変わらない軽い言葉で。


けれど、もう彼らは知っている。

この小柄な少年の本質が見た目通り弱々しい小動物ではないことを。


魔物に遭遇して誰もが恐慌を来した折、一人冷静だったのはこの少年。

無言で敵を屠り続けるその眼光の鋭さを見たときに、彼らはシリルに従うことを決めた。

英断だった。


彼は牙を隠した肉食獣だ。

敵を食い破る術を教えてくれた。


小さく穏やかな見た目は、彼らの目にはもうそうは映っていない。

ここまで群れを先導してきた絶対的リーダーに対する信望。


不意の刃になど倒れるはずがないと、彼が言う。


必死に追ってきた背が、振り返ってかけてくれた期待に応えないわけにはいかなかった。

ごくりと唾を飲み、覚悟を決める。


「シリルの言うとおりだ。ヤツらがいたら返り討ちにしてやるくらいの気概を持とう。」


結論が出たらしい。

だが、まあ、彼らの心配は杞憂に終わるだろう。


なぜなら、自分たちがいる。

そんな暴挙に出る人間を許すわけがない。


「いた、あの丘の上だ」


シリルは複数の人影を目ざとく見つけて指をさした。

草原は見晴らしがいい。


追いついてくる魔物の種類も違う。

追い払い方すら変化があった。


森を素早く移動していた魔物の足が鈍り、平地に特化した魔物へと攻守を後退したのだ。


交替の合間、つかの間の空白時間で距離を稼ぐ。


人の足と獣の足。

速いのはどうしても獣形が基本の魔物の方だった。

今まで遭遇していたのはあくまでも先行した、速度に特化した魔物たち。

人間でいえば斥候隊に近い。


それにすら抗うのが精一杯。

人間という生き物の、根本的な脆弱さが露見している。


魔物の大量発生の危険性は、何といってもその数。

飲まれたら圧倒的物量に押しつぶされるだけ。

まして、今回はいくつの遺跡から湧き出しているのかわからない状況。


だから魔物の本隊に捕捉される前に森を出ることが第一の目標だった。


魔物は森を出ない、などという都合のいい事実はない。

依然、危機は危機のまま。

じりじりと追いつかれている現状。


では何故それを目標にしたのか、と言えば、答えは一つ。


「駆け上るぞ!」


小さくとも丘は丘。

鈍る足を叱咤して速度を落とさずに上る。


丘の上に陣取っている連中の姿がはっきりと見えるようになった。

当然、シリルたちの接近に気付いていた彼らは時々襲い来る魔物を的確に散らしてくれる。


驚いた。

動いている物体()を正確に穿つ技術。

動いている物体(味方)を誤射しない技術。


少なくとも、学園内にこんな精密に弓を、あるいは魔法を操れる者は数えるほどしかいなかったはずだ。

それが全員生き残ってここに集合している、なんて奇跡はない。


つまりはそういうことだ。


「なるほど、誰もが地獄からの生還者だってことだ」


この自分たちのように。


辿り着いた丘の上には疎らに人が立っていた。

周囲を警戒して、魔物を退ける者。

座って休息を得る者。

立ったまま、森を睨み付けている者もいる。


警戒心を持っていたというのに、自分たち以外に生きている者がいるという事実に我知らずほっとした。

心とはままならないものだ。


「よく辿り着いたな。ようこそ」


微かに見覚えのある最上級生がさわやかに笑って手を差し伸べる。


「どれくらいの人数が生き延びた?」


その手を取りながら端的に聞く。

ぞんざいな口調を誰も咎めなかった。


ここに学年の上下はない。

もう、彼らにとっては関係がなかった。


「さてな、北と南組は遠すぎて合流できそうにもない。向こうの状況がわからないとなると見当もつかないな」

「中央組だけなら?」

「残念ながらというか当然というか、全滅が多い。けど、生き残りがいるグループは不思議と複数人生き残るんだけどね」


見ての通りだと肩を竦めた彼に苦笑を返す。

わかりきったことを「不思議」と嘯く態度の裏に過酷な旅が透けて見えた。


「あ、おい、シリル?」


そんな会話をしている仲間たちを尻目に、シリルは呼び掛けの声に手だけで応えて歩いて行ってしまった。


なぜか、ついて行く足は動かない。


丘の上をぐるりと囲む、均等に配置された狙撃隊の輪の中。

巨大な森を正面に臨む場所に、少年が二人立っていた。


経験則から気付く。

彼らがこの群れのリーダーだ。


「ウィル、メル」


その後ろから声をかける。


「やっと来たかシリル。随分と待ったぞ」

「ごめん、ちょっとルート選択に手間取ってね。斜め移動は少し辛かったよ」


シリルたちがいた場所は少し中央から外れていた。

真っすぐ最短距離を進めば辿り着くメルたちのグループよりはよほど移動距離が長かった。

斜めに進路を取っていた分、魔物との遭遇もまた必然多い。


「で、ぼくは何番目?」

「7、だな」

「最後はセオ?」

「ああ、最奥にいたから最後なのは仕方がない。リィンとニールは北で合流したようだ。グレンとランスも南で無事に」

「どうもセオはこっちじゃなくて南に進路を取ったみたいですよ。時間はギリギリですね」

「こっちに合流できなかったのは魔物の本隊のせい?」

「いや、まだ遭遇はしていなかったらしい。が、こっちの進路の方が本隊の進みが速いのは事実みたいだ。危険性を考えて向こうに回ったんだな、距離的にはほとんど変わらないのが幸いした」


指揮を執っていた二人に自然と混ざる新顔の様子に、彼らは当然のようにシリルを強者と認めた。

彼もまた、自分たちが従うべき者だ。


ウィルの声が少し柔らかいこと。

メルの表情が少し穏やかなこと。

シリルの肩が、少し力を抜いていること。


彼らについてきたそれぞれの仲間だけが気付く。


少し目を細めて、憧憬に似た色を瞬かせる。

不意にその仲に割って入りたい衝動が過ぎた。


つい先ほどまで自分たちを導いていたシリルの後ろ姿を、ぼんやりと目で追っていた仲間たち。

その肩を叩く者がいる。


怪訝に振り向けば、無言で首を振る先人。

同じ感情をその目に見つけて、そうだなと納得する。


自分たちは率いられる者だった。

仲間ではあったかもしれない。

だが、同じ場所に立つものではなかった。


三人の周りには見えない壁がある。

彼らが作ったのではない、多分自分たちが築いた壁だった。


「ふーん、じゃあ本隊と最初にお目見えするのはぼくらだね」


まるでそれが嬉しいとでもいうように弾んだ声。


「ま、ちょうどいい」


ウィルが首を回しながら答えた。


「どうせ、ここが防衛ラインですからね」


ふっとメルが笑う。


「あとどれくらいかな?」

「小一時間、といったところでしょうか」

「あら、けっこうぼくたちもギリギリだったのね」

「少々、心配しましたよ」


シリルは最も疲れているだろう仲間たちに休息を命じて、再び三人で顔を突き合わせての作戦会議に戻る。


「ウィルはどれくらい溜めこめたの?」

「道中まったく魔力は消費してない」

「うわあ、同行者は苦労しただろうねぇ」


ウィルは考えるように目を宙に彷徨わせてから答えた。


「いざとなったら使うつもりだったんだがな。…どうやらみな、優秀だったらしい。そっちは?」

「私ですか?まあ、騒ぐ者もいましたが、殴りつけてやったら大人しくなりましたよ。それからは大変優等生でした。結構なことです」

「「…あ、うん」」


逸らした目線が二人の心情を物語る。


変にたまっていた凝りを解すように、馬鹿話に興じた。


真実を言えばこの仲間たちだけでなら、解決は無理でも、いつだって脱出は可能だったのだ。

なぜ留まってのろのろと、彼らにとっては牛歩のような生徒たちの行進に付き合っているのかと言えば、見捨てるのは寝覚めが悪いという、ただそれだけの理由。


助けられるなら助けるべきだ。

その身を賭してまでとはけして言わない。

今だって、もしも自分たちの身に危機が訪れることがあるのなら、取る道は決まっている。


けれども、自分たちがいつでも安全圏に逃げられるのなら、その安全が確保されている限りは、片手を差し伸べても構わないだろう。


そう、少なくとも彼らが生き足掻く限りは。

そう、その力の異端を露呈しても。


彼らの命に敬意を表して。

命を懸けられずとも、そのくらいは、自分たちも賭けてもいいと思う。


程なくして、人の命を糧にする黒い波を視界に捉える。


「さあて、おいでなすったぞ」


まるで声に導かれるように、魔物の撃退に励んでいた者も休んでいた者も、吸い寄せられるように一様に森を見た。


軽い声にはそぐわない、怖気を誘う現実がそこにはある。


森が草原を侵食しているかのような光景。

黒い森から黒い影が液体のように染み出す。


地が揺れているような錯覚を抱かせる、低い音。

森からそれなりに距離を取っているはずのこの場所まで聞こえてくるような、無数の足音と咆哮。

入り混じり、それは狂乱の様相を呈していた。


前へ、前へ。

本能に従って、解き放たれた災厄が牙を剥く。


「…なんだ、あれは」


驚愕に震えだす者を誰も笑わなかった。

その勢いの前には人間など塵芥に等しいと、嫌でも理解させられる。


地獄を駆け抜け、その先にはもっと深い絶望があるのだと突きつけられて、怯えない者はいない。

地獄は、その規模を拡大して、追い迫ってくるものだった。


「こんなにいたなんて」


今更、どれほどの危機の中を掻い潜ってきたのかを知らしめる。

こんなものに追われていたと知っていれば、きっと誰も希望など抱かず、足掻くこともやめて死への階段を自ら上っていったことだろう。


そういう、圧倒的な光景。


誰も、これで終わったなどと思ってはいなかった。

命を拾ったのだと安堵していたわけでもない。

あの森を生き抜き、培われた自信もある。


「…いつまで続くんだ、この悪夢は」


けれどかの光景にはその全てを吹き飛ばす威力があった。


「神さま」


無意識に誰かの口から零れ落ちた言葉は、ただの驚愕を示すためだけの意味のない音。

無象に助けを求める声は続かない。


なぜならここに生き残った者は知っている。

祈りは届かない。

仮定、届いたとしても、救いは訪れない。


死んでいった者たちはきっと、必死に祈っただろう。

死にたくない、助けてくれ、と。

人間の矮小な力ではどうにもならないことを悟って、命を懸けて巨大な力(奇跡)に縋った。

神よ、と。


けれど彼らが目にした光景は、覆らない。

死は平等に訪れる。

死は命の終わりでしかなかった。


暗い森を抜けて、歓喜の声を上げる獣ども。

それはまさしく黒い波、と表現するに相応しい。


無数という言葉ではまだ足りない。

無限といっても彼らは納得しただろう。

途切れることを知らず、湧き出す災厄。


その絶望を見せる悪夢の光景を前に、変わらない者がいる。

最初から最後まで、そして今も。


声は震えず、会話は途切れず、その揺るぎのない存在感に希望を見た。

絶望を前に、自らの無力さを知る彼らは、もはや神に縋れず、だから人に救いを見た。


「いつかのことを思い出すな」

「…ああ、まあ。あれよりはマシ、かな?」

「あの時は回復薬とか持てるだけ持ってたじゃん。準備が万全だった分、今の方が不利かもよ」


脳裏によぎるのは、かつて皆で夢中になったワールド・アトラスでの凶事。

似たような光景はこの三人の手足の指の数を足してもたりないほどに目にした。

それほど、幾度も苦汁を舐めさせられた経験。


「あれすら乗り越えたんだから、今回も大丈夫さ」

「セオは?」

「…待って。ああ、いま森を出たみたいだ。向こうはまだ本隊が森から出てきてない、問題はないね」


メルが手を振る。

それを合図にするかのように、ウィルが深く息を吸った。


仲間たち八人、森を出ることが第一目標だった。

何故か。


敵の大群に抗する術は。

その始まりの一撃は。

最も効果的に打撃を与えられるものであるべきだ。


ならば、それを為すのは彼以外にいない。


ウィルだ。


その彼が重々しく口を開いた。


「制御は任せるぞ、アリア」

「「…………ん?」」

「……あ?」


一瞬の沈黙が過ぎる。


「…あーはいはい、どうもごちそうさま」

「悪いね、ウィル。今回はアリアじゃなくて私がその役目を引き受けますよ。残念ながらここはワールド・アトラスじゃないからね」

「あっはっはっは!愛しの彼女(アリア)に今度話して聞かせてあげよう!」

「こっの!」


一気に顔に血が上ったウィルが口を開閉させたけれど、さすがに言い訳をする時間はなかった。


「ウィル、シリル、じゃれてないで。そろそろ準備に入るよ」


止められたウィルが羞恥心と相まって、破れかぶれに叫ぶ。


「燃やし尽してやるぞ、魔物ども!」


シリルは地面を叩いてまだ笑っていた。


「締まらないなぁ…」


メルが頬を掻いて、まあ自分たちらしいからいいかと、苦笑を漏らした。




そうして、周囲に濃密な魔力が満ちる。









どこかで誰かが笑った。


『見よ、われらが主の御業を』






牛歩なのはわたしの執筆速度と話の展開。すみません。

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