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イリアの世界  作者: 一集
第二章
40/75

31.ユリウスと兄

茂みから突如として飛び出してきた影にはっと振り返る。

冷静になれ、そうすれば切り抜けられると自分を奮い立たせながらも、もうここまでか、とも思った。


仲間たちはもうボロボロだ。

対処できるのは自分くらいだろう、だからここで失敗すればそれはグループの全滅を意味する。

そんな重荷を背負い続けて、精神が焼き切れそうだ。

少しは助けてくれと、泣きつきたいのは自分だというのに、仲間たちは恐慌ばかりでいまだに手を貸してはくれない。


いつまでこの地獄は続くのかと、ユリウスは荒れ狂う感情の衝動に耐えながら弓を構えた。




森の異変に気付いたのは二日前。


寝泊まりした村をグループごとに出て、草原を往き、最終的に森の深からぬ場所を実習に使っていた二年は、なにが起きているのかを把握する間もなく、教師たちからたった一つの指示を聞く。


現場待機。

万が一が起きたら、実習出発時に泊まった村を目指せ。


教師たちが慌ただしく、自分たちを置いて森へ入っていくのを見送る以外に何か行動を起こせた者はいない。

ユリウスとて同様。


けれど数時間待てども、教師たちは帰ってこなかった。


それからしばらく、「どうする?」以外の疑問と結論が出ないまま時間を浪費したことは今となっては痛恨のミスだとわかる。

彼らの足を強制的に動かしたのは、こんな場所で使われるはずもない上位魔法の炸裂音だった。


遠く、森の奥。

だが、それが頻発して使われる理由は?


それがどれほどの魔力消費量なのか、二年の身ではまだ使いこなせずとも、知識はある。

強力、だがそれ故に後が続かない。

だからこそ使う場面を選ぶ魔法、それが上位魔法。


それを使わざるを得ない状況。


なにか重大な危機が迫っているのだと判断して、一向にまとまる様子のない仲間たちの「どうする会議」を無理矢理打ち切った。


話し合いで結論を出すべきだと不満を漏らすものもいたが、それならばさっさと答えを出してもらいたい。

彼らは平和的な話し合いとやらが、無償でリスクのない方法だと思い込んでいる。

『時間』という重大な浪費物があるにも関わらず。


しぶしぶ森の出口を目指し始めた仲間はリスクの回避に余念がない。

曰く。


「これで失格にされたら、お前のせいだからな」

「だな、お前が中止しようって言ったんだから」

「おれ達は続けようとしたんだぜ?それを無理矢理中断したのはお前」


責任の所在を明らかにされても、肩を竦める以外に出来る事はない。

そうなったら教師の指示に従ったと言えばいいだけだ。

なぜ彼らは「自分たちの判断」に拘るのか、いまいち理解しかねる。


今も時々聞こえる魔法の音。

あれを放った者は、それで状況を打開できたのだろうか。

危機的場面を切り抜けることが出来たのだろうか。


そればかりが気になった。


何が起きているのかを知ったのはそれから一昼夜の後。

どんなに鈍感でも、この迫りくる気配を無視することは不可能。


愚痴を言いながらだらだらと歩いていた彼らを急かす必要はなくなった。

森の奥ではなく、多分同級生たちがいる辺り。

森の同じような場所で散発し出した魔法の炸裂音もそれを加速させる。


自然、早足になり、ついには駆け足になった。


理解はできない。


なぜ、どうして、寄りによって今!

いままで毎年行われてきたイベントに問題なんてなかった。

なのに、なんでこんな目に!


今日の平和が明日も続く。

それが幻想だったと受け入れられたのは自分だけだったのではないかと思う。


原因は知らない。

ただ、今起きていることだけが知れること。


「魔物の大量発生だ。早く国に知らせないと」

「そんなことどうでもいい!先生たちがやってるよ!なんで誰も助けに来てくれないんだ!」


鼻水を垂らしながら泣く彼に、優しさから言葉は返さなかった。


教師たちが帰ってこない、その事実が示す現実。

この森に居る、自分たちを含めた生徒自身が、どうにかする以外にない。


「なんだよ、いやだよ、助けてくれよ、誰か、おい」


泣き言を言う暇があったらその口を詠唱に使ってくれと、追いつかれそうになっていた彼の背後の魔物を、魔力を乗せた矢で射る。

地面に見事縫いとめられた魔物に気付くこともなく、彼は走り続けている。


いつまで、助ければいい。

いつまで、背負えばいい。

どこまで、救えばいい。


木の上から不穏な音がする。

咄嗟に振り仰いだ視線に、狙い定めて落ちてくる魔物。


「ぎゃあー!!!」


背中に張り付かれた仲間が肩を喰われるのを見た。


「おい!ユリウス!何してんだよ!早く、何とかしろよ、このノロマ!」


いま、お前を助けるために練っていた魔力は使ってしまった。

練り直す暇がなかった。

お前を救わなければ、魔物が落下してくる瞬間に射れていたはずだ。


ぐっと口を結んで言葉を飲み込む。


「無理だ」


飛び道具が得意な自分に、魔物を引きはがす方法はない。


「なに言ってやがる、仲間を見捨てる気かよおぉぉぉぉ!この卑怯者が!!」


泣きたくなった。


彼らを助けて。

なら、一体誰が、自分を助けてくれる?


茂みから突如として飛び出してきた影にはっと振り向く。

感情に心を乱している場合ではなかった。


冷静になれ、そうすれば切り抜けられると自分を奮い立たせながらも、もうここまでか、とも思った。


全てがスローモーションになる。


ぎょっとした仲間の顔。

手を伸ばすこともなく、すぐに顔を背けて、恐怖の張りついた表情で先を行く。


死にたくない。

自分だけは助かりたい。

犠牲者になるのはごめんだ。


そう態度が語っていた。


そんな汚いものばかりが目に映って、それよりはマシだろうと魔物を見る。


その魔物は、けれど。


「ユリウス!?」


自分を呼んだ。


「うおっとと、なろう!」


着地先にユリウスがいたから、空中で無理に体を捻って進路を変える。

半回転した体は彼が飛び出してきた茂みを睨み付けていて、すぐ後を追うように飛び出してきた影を剣で切り裂いた。


力を無くした魔物がべちゃりと地面に落ちるのと、彼が危なげなくユリウスの隣に着地するのは同時。


「お前、こんなところで何やってんの?」

「……兄、上?」

「なんだ?」

「本当に?」

「は?俺がニセモノに見えんのか?」

「いいえ」

「…相変わらず、訳が分からん奴だな」


彼は、兄は、苦い顔をしながら剣にこびり付いた血を払う。


「おい、ウィル!速すぎるんだよお前!もう少しおれ達(凡人)のことを考えてくれ!」


後ろからぜえはあと息を切らしながらへろへろと追いついてくるのは兄の同行者だろうか。


「はん、自覚があるようで何よりだ。だが俺は凡人が出来る程度の努力しか要求しているつもりはない。お前たちはそれすら出来ないと?」

「はいはい、ウィル様かっこいいー」


挑発的な言葉に、棒読みの称賛を返されウィルは嫌そうな顔をした。


「お?こいつら二年か?まだ生き残りがいたか」

「あら本当、よくここまで頑張ったわねえ。二年は全滅かと思ってたわ」


からからと恐ろしいことを軽く口にする同行者たちが、ふとユリウスに目を止めた。


「あら?どこかで見たことがあるような顔ね?」


思わず背筋を伸ばして挨拶を。


「あ、はい。ユリウス・ウル・ライントレスと申します。兄がお世話になっています」


沁み付いた習慣はこんな時でも如何なく発揮された。


「あー!ウィルの弟か!?通りで生き残ってるわけだよ!」

「おい、ユリウス間違えるな!世話してるのは俺の方だ!」

「いやだわ、自覚がないのかしら。貴方との会話には通訳が必要なのよ?わたくしたち以外に務まると思って?」

「なら俺の話している言葉はなんだ!?どう聞いても万人に伝わる共通語だろうが!」


ユリウスはぽかんと彼らを見上げる。

今は、生き残りをかけたサバイバルの真っ最中で。

笑顔など、軽口など、叩く暇はなくて。


でも、きっと、彼らにはあるのだ。

冗談を言える余裕が。


空気が緩み、軽快に交わされる会話に思わず笑った。

肩の力が抜けて、笑いながら涙が出た。


深く息を吐く。

ほっと口から洩れた溜息はひどくユリウスの体を軽くした。


「…ウィルの弟と言えど、ウィルみたいに傲岸不遜、唯我独尊、って訳じゃあないみたいだな」

「意外だ、普通だ」

「ウィルなら、プレッシャーなんて鼻で笑うもんな」


珍しい生き物を見るかのような目を向けられてユリウスは少し気恥ずかしくなる。

心の弱さは人に見せるようなものではないのだ。


「少年、気にすんな。むしろお前の兄と違って親近感がわいたね」

「そうそう、自分のものさしで測れる人間って安心するわ」


ちらりとウィルを見て、彼らは次々にユリウスの肩を叩いて慰めた。

呆れた溜息は兄のものだろう。


その兄が空気の匂いを嗅ぐように周囲に意識を向けた。


「おい、お前ら、そろそろ休憩は終わりだ」


ウィルが静かにそう宣言した。

それを合図にするかのように、にこやかに笑っていたユリウスを囲んでいた彼らの雰囲気ががらりと変わる。


「まーた、追いかけっこか」

「おかげさまで随分休めたし?」

「だな、十分十分」

「さて、もうひと頑張りしますか」

「わたくしはいつでもよろしくてよ?」


言葉の軽さは変わらない。

膝の屈伸運動をする者、伸びをして背筋を解すもの。

魔力を練るもの、詠唱準備に入るもの。


オンとオフが切り替わるようにはっきりと、彼らは戦闘準備を始めた。


ここは戦場だ。

安全地帯もなく、休戦協定も望めない、終わりなき地獄。


彼らが森の奥からやってきたと言うのなら、もうその戦場を二日以上生き延びているのだと、ユリウスは今さら気付いた。


人間が緊張状態を保てる時間はそう多くない。

必要なのは、彼らの様に切り替える意識だ。


「行くぞ」


号令はウィルの軽い一言。

だがそれに従わない者はいない。


自然、陣形を取って彼らは走り出す。

自ら殿(しんがり)を往くウィルが最後に地面を蹴る。


ぼんやりと立ったままのユリウスとすれ違いざま、ウィルは足を止めず、それでも不思議そうにユリウスを見た。


「どうした、ユリウス。行くぞ」

「は、はい!」


慌てて兄の後を追う。


後ろから、まるで存在を意図的に無視されていたような仲間たちが声を上げる。


「待ってくれ!置いていかないで!」

「見捨てないでよ!」


泣き声の混じった声に思わず振り向きそうになったユリウスは、けれどそうは出来なかった。

頭の上に乗った兄の手がそれを阻む。


「お前は前だけ見てろ」


二度、頭を軽く叩いた兄が言う。


「お前はよくやった」


だからもういいだろう、と。


足手まといを連れて、脱出できるほどこの森は甘くない。

ウィルの仲間たちの様に、劇的な成長だけが、自分の命を救う術なのだ。

ならば自分で這い上がって見せてもらわなければ。

ウィルの手は二本しかない、そしてその二本のうち一本は自分を守るため、もう一本は少なくとも彼らよりは大事だと思う阿呆な仲間に貸してやるつもりだ。

魔術は故あって使えない。

力に余りはなかった。


ウィルですら掴めない腕を、ユリウスが引っ張っていける訳がない。

むしろここまでよくあの無能どもを生き残らせていたとウィルは感心すらする。


だがもういい加減、限界だったはずだ。

自分と会った時に、見開かれた目に瞬いた感情は安堵だ。


途切れそうな緊張の糸を必死に繋いでここまで来たのだろう。


「力は、まずは自分の為に使え」


この状況で、他人を救う程の力をユリウスは持っていない。

馬鹿にしているわけではなかった。

いま同行しているウィルの仲間ですら、他人に割く余力などない。


生き足掻いている森に存在する生命のほとんどがきっとそう。


少しウィルたちと出会うのが遅ければ、ユリウスは他人の為にその命を使い潰されていたはずだ。


兄の言葉が、仲間たちを見捨てろと言っているのだと、ユリウスは気付いていた。

奥歯を噛みしめて、言葉を返す。


「は、い」


涙が滲んで視界を揺らした。


悔しさではない、恐ろしさでも、後悔でもない。

それは喜びだった。


もう、助けなくてもいい。

もう、気にしなくてもいい。

もう、誰かの為に命を削らなくてもいい。


足手まといを捨て去ることが出来る許しの言葉をくれた兄に感謝を。

あの愚かな仲間たちの様に、この行動の責を兄に押し付けて自分の身を守ろうとする真似だけはけしてするまい。

ユリウスはそう決意する。


しっかりとした意志を乗せた目を見て、ウィルは少しほっとした。


この騒ぎで犠牲になった者は多く、生き残った者も多くを捨てた。

例えば、今までウィルと道中共にしてきた彼ら。

彼らも例外ではなく『失った者』たちだ。


途中合流もあって、この少人数で実は2グループ分。

見捨てる選択も何度も取った。


きっとユリウスには余裕に映っただろう彼らの態度も、本当の所はギリギリの綱渡り状態。

そういう点で、自分たちよりも学年が下で、明らかに守るべき対象であるユリウスに出会えたのは彼らの精神衛生上にもよかった。


陽気に振舞い、軽口をたたき合うのは、ただのポーズだ。

自分たち自身に、まだ大丈夫だと思い込ませる馬鹿げたパフォーマンス。


削られすぎた精神は、少々壊れている。

そのまま転げるように堕ちるか、正気を保っているか、それが生死の境目だった。

錯乱して死んでいく者たちを余所に、彼らは必死に生きようともがいていた。

ヒビも入って、折れそうな心は皆同じ。


歪でも、醜悪でも、愚かでも、崖から落ちまいと踏ん張っている彼らを、ウィルは称賛に値すると思う。


心を治す術はウィルも知らない。


生きるために、何かを捨てることは責められることではない。

この状況では仕方がないとも思う。

身体を差し出すわけにいかないから、心は生き残るために差し出す当然の犠牲でもある。


だが傷付けばいいとは思わなかった。


だから、弟の心が欠けることなく無事だと良いと思う。


駆けて、悲鳴を聞いて、駆けて、剣を振るう。

連携魔法が魔物を焼いて、ユリウスたちは逃げ続けた。


「森の出口だ!!」


やがて誰かが叫んだ。


ウィルは明るい光を湛えた草原を視界の先に捉えた。

目を細めて、呟く。


「さあて、やっと俺の出番だな」


独り言が聞こえたらしい、隣を走っていた弟がぎょっとウィルを見た。


あれだけ大暴れしておいて今まで出番ではなかったのかと、ユリウスは問いたかっただけなのだ。

なにせ、魔法が得意だと思っていた兄はその魔法を一度も使わずに危なげなく魔物を撃退していた。

刀身の短い細身の剣を片手に最小限の手間で脅威を切り伏せていくウィルを見て、目の錯覚かと疑ったほどだ。


剣が得意だと聞いたことはない。

運動が得意だと聞いたこともない。


兄は昔から人と違うところがあった。

それは魔法の才のせいだと思っていたのだが、とんだ思い違いだったとユリウスは底の見えない兄の万能を憧憬する。


が、ウィル本人の認識としてはユリウスの元の考えと相違がない。

剣などの物理攻撃は得意ではない。

縦横無尽に戦場を駆けまわるのも体力が心許ない。


あの化け物みたいな連中(ニールやランス、セオ)に比べると、ウィルの技術はあまりにも稚拙と言わざるを得ないと分かっているから、物理に頼った行動はあまり見せたい姿ではない。

恐ろしく完成された彼らを知っているからこそ、足りない所を見られるのは恥を覚える。


しかし、それはウィル基準の話。

イリアを筆頭に、彼らは総じて基準がおかしい。


ユリウスの認識の方が明らかに世間一般に合致していた。


だが、ウィルはやっと自分の得意フィールドに立てることを喜ばしく思っていたから、ぽろりと口から独り言が漏れてしまった。


怪訝そうな顔を向けるユリウスににやりと笑う。


「世界最高峰の魔術を見せてやるよ」


それこそがワールド・アトラス唯一の『魔道士』の称号を得た、ウィルの本領なのだから。






EXウィル編で出てきた時から弟はわりと兄が好きだった、と覚えている方いらっしゃるかしら。

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